第二章 別人?




 放課後。

 亜美は今日は部活の日。

 じゃあねー、と言って元気に教室を出ていく彼女を手を振って見送った後、私はハアッと大きな溜息をついた。

 今日一日は殆ど授業は上の空だった。

 学祭が終わったらすぐに中間試験が始まるっていうのに……このままじゃとんでもない点数を取ってしまいそう。

「…………」

 チラッと折坂くんに視線を走らせる。

 実は今日、二回ほど折坂くんと目が合ったのだけど。

 ……いずれも彼はニコリともせずにフイと目を逸らしてしまった。

 すごく素っ気なく感じてびっくりしたんだけど、照れてるのかな、とも思ったり。

 ただ改めて気付いたのは。

 折坂くんは、いつも男友達といつしよだということ。

 休み時間も、お昼を食べる時も、ずーっとだれほかの男子と一緒にいて、声をかけるタイミングがなかなか見つからないのだ。

 放課後、思い切って声をかけようとしたんだけど……案の定、帰りも他の男子達と連れ立ってぞろぞろと教室を出て行ってしまった。

 ──私には、いちべつもくれずに。

(早めに返事くれって言ったって……。これじゃあ、声もかけられないじゃん)

 みるみる人けがなくなっていく教室の中、ぼんやりと立ちくしていた私は。

 再びぺたん、と、力なくに腰を下ろした。

 何だか今日一日、折坂くんの一挙手一投足に気持ちり回されまくりだったな……。

 昨日のことが噓だったんじゃないかって思うぐらい……折坂くんいつもと変わらない様子だったし。

 もしかして私、夢でも見てたのかな……?

「長谷部さん。まだ残るの?」

 思考を破られて、私はハッと顔を上げる。

 きようだんの前に立っていた担任のしば先生が、うかがうように私のことを見ていた。

 気が付くといつの間にか、教室に残っている生徒は私一人になっていた。

「あ……はい。学祭のしおりにせるクラスコメントのしめきり明日あしたなんで、残ってやっちゃおうかと」

「……そう」

 柴田先生は少し申し訳なさそうにまゆじりを下げる。

「ごめんなさいね、くじ引きのこと。公平にするつもりが、余計に長谷部さんに負担かけることになっちゃって……」

「ああ、だいじようですよ。言うほどいそがしい訳じゃないですし」

 謝られるとかえって気をつかってしまい、私はへらへらとがおで手を横に振った。

 実際うちのクラスの当日の出し物は店だから、お化けしきやメイドきつなんかやるクラスと比べると、準備もかくてき楽なほうだし。

 毎日部活であせみず流してる人よりは、やっぱり帰宅部の私がやるべきことなのかなーとも思うし。

「じゃあ、最後かぎ閉めお願いね」

「はい」

 教室を出ていく柴田先生を見送ってから、私は机の中から提出用のプリントを取り出した。

 ホントは休み時間に仕上げるつもりだったんだけど……。

 今日はどうも折坂くんが視界に入ってきて、あんまり集中できなかったんだよね。

「さて、と。やるか」

 ふうっと息をき出してから、私はシャーペンを手にした。

 一人で机に向かっていると、他のクラスのザワザワした声や、窓の外の運動部のけ声なんかがよく聞こえてくる。

 となりのクラスの出し物はお化け屋敷だから、数日前から残ってみんなで準備をしているようだ。

(……あ)

 微かにトランペットの音が聞こえてきて、私はカラカラと窓を開けた。

 夕風に乗って、向かいの校舎からすいそうがく部の練習の音が耳に飛び込んでくる。

 今は学祭に向けて、もうれんしゆうをしているらしい。

 うちの学校の芸術コースの出し物は結構本格的だから、楽しみなんだよね。

 今の時期だけのこの雑多に混じり合った色んな音……結構好きだったりする。

 文章を書いたりするのは苦手だったけど、心地ここちいい風と音のおかげかするするとペンが進み。

 一日折坂くんに気を取られていた分、何故なぜだかすごく集中することができて。

 熱心にプリントと向かい合っていた、その時だった。

 ガラッ…と勢いよく後ろのドアが開く音が聞こえて、集中していた私はビクッと大きく体をらせた。

 はじかれたようにドアのほうを振り返る。

「…………」

 そこに立っていたのは折坂くんで。

 おどろいた私は、思わず椅子をってガタッと立ち上がってしまった。

「お……折坂くん……」

 し込むゆうに照らされた折坂くんが、私を見て目を細める。

 逆光でいつしゆん誰だかわからなかったみたいだけど、しばらくして私だと気付いたのか折坂くんはゆるく目を見張った。

 大人しかった私の心臓が、折坂くんの顔を見た瞬間一気にバクバクと暴れ始める。

(うわ……、どうしよう。今ここで返事した方がいいのかな……。早く返事欲しいって言ってたし……、でも、まだ答え出てないしな……)

 そんな風に、一人でうろたえていた私だったけど。

 折坂くんはフイと私から目をらし、スタスタと自分の席へと歩いて行ってしまった。

(え。あ、あれ?)

 てっきり私の所へ来ると思っていたので、予想外の彼の行動に一瞬ポカンとなる。

 だまって折坂くんを見つめていると、彼は自分の机の中を物色し始め、ノートらしきものを取り出した。

 そうしてそれをカバンにごそごそしまうと、なんとそのまま私のほうを見向きもせずに一直線にまたドアの方へと歩き出した。

(えーーっ!? 忘れ物取りに来ただけっ!? 何にも言ってくれないの!?)

 さすがに私も、今日一日の折坂くんの行動に激しく混乱する。

 これってもう……照れてるとかいう次元じゃないよね?

 はっきり言って、無視だよね?

 いや、無視って言うか、無関心……?

「あ、あの、折坂くん!!」

 とっさに大声で呼び止めると。

 教室を出て行きかけていた折坂くんはピタッと足を止めた。

 ドアに手をかけたまま、ゆっくりとこちらに顔だけを向ける。

 少し長めのまえがみすきからのぞく意思の強そうなひとみに、私の顔が映り込んでいた。

 その顔は少しびっくりしたみたいな表情だったけど……。

 いやいや、こっちの方がびっくりしてますから。

 百歩ゆずって、クラスの皆がいる前ならその素っ気ない態度も分からなくないよ?

 照れてるんだろうな、ばれたくないんだろうなって、理解もするけど……。

 告白した昨日の今日で、返事は早めにってかしておきながら、しやくもせずに無言で立ち去るって。

 ……その態度はさすがになくない?

「────何?」

 ろうの方向に向いていた体をこちらに向けながら、折坂くんはどこかけいかいするようなこわいろでそう聞いてきた。

 夕陽に赤く焼ける彼の顔が真っぐにこちらを向いて、私の胸はドキッと大きくはずむ。

 うわ、ヤバい……。

 とっさに呼び止めてしまった……。

「えっと……。その……」

 どう切り出そうかと、思わず彼から目を逸らして指をもじもじさせる。

 どうしよう……。

 今の私の正直な気持ち、そのまま折坂くんに伝えてみようか。

 付き合うとかはまだ全然考えられないけど、友達から始めてみたい…って。

「あ、あの……ね」

「うん」

「昨日の告白の……返事なんだけど」

 意を決して、キッと顔を上げる。

 目が合った瞬間、折坂くんはハッキリと大きく目を見張った。

「あれから色々考えたんだけど……。私、折坂くんのことほとんど知らないから、やっぱりまだ付き合うとか考えらんなくて……。───だから。……だからね」

「────ちょっと待って」

 れがちにつむいでいた言葉を食い気味にさえぎられて、私はとっさに口をつぐんだ。

 折坂くんの顔が心なしか険しくなっているような気がして、私はドキリとする。

 よほど驚いたのか、彼の瞳は激しく揺れていた。

「何の話してんの?」

「……え?」

 問われて、私はぼんやりと折坂くんの顔を見つめ返した。

「な、何って……。昨日折坂くん、告白してくれたよね? 付き合ってください……って」

「いや、知らないけど……」

「────え」

「俺、告白なんてしてねーよ」

 じやつかん声にはどうようにじんでいたけど、折坂くんはハッキリとそう言った。

 何を言っているのかわからなくて、私はただただ折坂くんの口元を見つめる。

 ……え、だって。

 昨日、折坂くん。

 私のこと好きだ……って。

 言ってくれたよね?

 なのに、なんで?

 なんで今日は、知らないなんて言うの……?

 言葉を失って立ちすくむ私を見て、折坂くんはまゆをひそめながらふうっと息を吐き出した。

 持て余したように後頭部をガリガリときむしる。

「昨日って、いつの話?」

 らちが明かないと思ったのか、ぼうぜんとしている私に折坂くんは少し口調をやわらげてそう聞いてきた。

 私はハッと我に返り、気持ちを落ち着かせようとむなもとを押さえる。

 そうして呼吸を整えながら、ゆっくりと口を開いた。

「ほ……放課後……。屋上で」

「放課後?……って、何時ごろ?」

「何時って……。委員会終わってから、だから、6時前後だったと思うけど……」


「───じゃあそれ、俺じゃねーわ。授業終わって俺、すぐ家に帰ったから」

 おどろき、私は目を見張る。

 頭が真っ白になって、テンパり始めて、何故なぜかドキドキとどうが激しくなり始めた。

 訳のわからない感情が押し寄せてきて、カーッと全身が熱くなる。

 そんな私に向かって、折坂くんはさらに言葉を続けた。

「家に帰ってから俺、一歩も外に出てねーし。だれかとちがってんじゃねーの?」

「……そっ……」

 さすがにカチンときて、私はにらむように折坂くんを見上げた。

「そんな訳ない……! いくらなんでも、そんな人違いしないよ!」

 ムキになり、ついつい口調があらくなる。

 だって……いくら私がヌケてるからって、半年間同じクラスだった人を間違えるわけない。

 折坂くんにふたがいるなんて聞いたことないし、昨日のあれは間違いなく折坂くんだったよ。

 名前だってちゃんと呼んだし、それを否定だってしなかった。

 そりゃ……ちょっと印象が違う感じはいなめなかったけど……。

 カッカしている私とは対照的に、折坂くんは冷めた表情でスッと目を細めた。

「じゃあ……夢でも見たんじゃねーの」

「…………」

 そう言った折坂くんは、昨日のおだやかな折坂くんとはまるで別人みたいだった。

 びっくりしたというよりは、彼の発する空気にまれてしまって、私は何も言えなくなる。

 だまり込んでしまった私を見て、いつしゆん何かを考え込むような仕草を見せた折坂くんだったけど。

 結局何も言わず、クルリときびすを返してそのまま教室を出て行ってしまった。

「…………」

 力がけて、私はふらりとこしを下ろす。

 何が何だか、何が起こったのか、まったく理解ができなくて。

 オレンジ色だった教室の中が、しずんでむらさきいろに変わるまで、私は呆然とその場に座り込んでいた──。





 いつぱくの間をおいて我に返った私の胸に込み上げてきた感情は。

 もうれつな、ずかしさだった。

 折坂くんの言うように、私は本当に夢を見てたんだろうか。

 れんあい経験がなさ過ぎて、こいに恋して、もうそうばくはつしちゃったんだろうか?

 いくらなんでもそんなことあるはずない、あれは夢なんかじゃなかった……って、声を大にして言いたいところだけど───。

 さっきの折坂くんの態度と言葉が、完全に私の心をしゆくさせてしまっていた。

 昨日告白してくれた時は、本当にやわらかく笑う人だな…って、思ったのに。

 今日、私を見下ろした彼の表情に、柔らかさは全く感じなかった。

『こいつ、何言ってんだ?』って……。

 口にしなくても、彼がそう思っているのが伝わってきた。

 それは、照れかくしでも、演技をしてるって訳でもなくて。

 ホントの本心でそう思っているのがわかったから。

 …………だから私は、ますます混乱のうずに飲み込まれてしまったのだった。





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