プロローグ ひきこもり姫の聖戦
家が好き。
自分の部屋が好き。
だからここから一生出たくない。
お父様お母様分かっているわ。いつかは私も
でもそれまではせめて、こうしていさせて───……。
私の名前はフランチェスカ。
フランチェスカ・ファネル、十八歳。
国王の
血筋で言えば完全無敵の公爵
でも私は、外に出るのが苦手。
おうちにひきこもって、読書したりチェスの新しい手を考えるのが好き。
大体、こんな女は外に出ない方がいいのだ。
でも人見知りだから、知らない人がいるとすぐに緊張してしまう。無表情でいると
そんなつもりは全然ないのに。私だって
でもそれができないの。出来
昔言われた、「変な顔」って言葉。
その顔を見せるのが
最初の
だから───このままでいいのだ。
それに外に出なくても、家の中に楽しいことはたくさんある。
例えば図書室にあるお父様の蔵書を読むこと。
特に異国の旅行記なんかを読むのが好きだ。それがきっかけで異国語だって読むことができる。まあ、
問題があるとするなら、いつかは結婚しなくてはいけないということ。でも社交界にもひきこもりの悪評が広まっているのか、
コンコン。
そんなことを考えていたら、入り口からノックの音がした。入ってきたのは
私はチェスのボードに対して、前かがみになっていた体勢を改める。
背筋を
「お
と、そう言うメアリーの顔には満面の笑み。
てっきり悪い姿勢でいたことを
一体なんだろうかと
「お
「今開けますから、少々お待ちくださいね」
そう言うと、メアリーはペーパーナイフを使って
わくわくと待ちきれず、早くちょうだいとばかりに手を伸ばす。
「お嬢様、お
あて名もサインもないけど、封蠟は見慣れた
(お祖父様の
それは同時に、リンドール王国の国章でもある。
〝resign〟の文字が記されていた。
「やったわ!」
私は思わず、近くにいたメアリーに
「わあ! どうなさったんですか? お嬢様」
「勝ったのよ
リザイン───それは
先の先まで読み切った指し手が、自分の勝つ目はないと
お
万年
手加減を知らないお祖父様には、小さな頃からずっと負け
今まで数えきれないほど対局をしたけれど、勝ったのは初めてだ。
チェスは引き分けの多いゲーム。
大人になって五回に三回までなら引き分けに持ち込めるようになっていたけれど、勝ったのは本当に初めてだった。
お祖父様はチェスの名手として知られていて、どんな対局でも一度も負けたことがない。
栄光王という二つ名の
「まあ、それはよろしかったですねえ」
ふんわりと
彼女は私より小さいので、自然に少し
「嬉しいのは分かりますが、せめて
「だって、だってとっても嬉しいのだもの! 信じられない。あのお祖父様に勝つなんて……!」
「小さい頃からずっと負け越してらっしゃいましたもんね。さて、それはそれとして」
そう言うと、メアリーは押し付けられている私の頭をがしりと両手でつかんだ。
「ん?」
「いくらなんでも、そろそろお
不敵な笑みを
「え、えぇ!?」
私の
おそらく最初から、そのつもりでこの部屋にやってきたに
鏡を見たくない私は、必死に彼女の手から
顔を
「誰も見ないのだから、髪なんて整えなくても
鏡を見ないよう目を閉じながら
「何度も言いますけど、お嬢様の赤い髪は本当にお綺麗です。きちんと手入れをしておかないと
我が家の使用人たちは、皆こんな風にお世辞を言ってくれる。その
くしゃくしゃになっていた髪に櫛が通され、丹念に手入れされていく。
他人に
世話をされるのが当たり前な貴族
メアリーは、そんな私が心を許せる数少ない相手なのだ。
「お嬢様はちゃんとしていればお美しいんですから、もっと身なりに気を
メアリーの
私は返す言葉もなく顔を
人見知りだから、見慣れない人間を私が
なのにメアリーは嫌な顔一つせず、いつもこうして
(美しいはずがない。こんな
うっかり鏡を見ると、真っ白い顔をした女が情けない表情でこちらを見ていた。目の色は母と同じピーコックグリーン。一度
「でも、ちゃんとしても見せる相手なんていないし……」
「少なくとも、
「ありがとうメアリー。お世辞でも嬉しいわ」
私がそう言うと、メアリーは
「お嬢様が、何も分かってらっしゃらないことだけは分かりました。一体いつになったら自覚してくださるのやら……」
何が分かっていないのかと
「なんでしょうか? 見てまいりますね」
メアリーが部屋を出ていく。
そしてしばらくすると、彼女は血相を変えて
「大変ですお嬢様! たった今陛下が
彼女の悲鳴じみた言葉を理解するのには、かなりの時間が必要だった。
(陛下が……お
「
そう思うのに、メアリーの表情がそれは事実であると告げている。
じわじわと心に
お祖父様の優しさが、あの短い手紙にはいっぱい
そのお祖父様が───もういないなんてそんなことある
私が知らなかっただけで、お祖父様は体調を
物々しくおこなわれた
お祖父様を見送りたい一心で出席したものの、大勢の人たちがいる場所では息がつまってしまう。救いを求めて見上げたステンドグラスの向こうから、やけに晴れ上がった空の光が目を
(今日ぐらい、雨が降ればいいのに)
葬儀の黒に
葬儀の間、ベールの下で泣き続けた。泣いても泣いても
私はずっと今のままでいいと思っていた、
(せめて一言ぐらい、お
父と母が私にお祖父様のご不調を
気弱な私がそれを知ったら、余計に心配し不必要なほどに取り乱すと分かっていたのだ。だから国王であるお祖父様の不調を、孫である私だけが知らないという情けない
(私がいけないんだ。
お祖父様を失ったことと、そのお祖父様に最後の最後まで気を遣わせてしまったという情けなさ。
そのどちらがより悲しいのか、もう判断がつかないくらいだ。
(情けない───情けない。こんな孫でごめんなさいお祖父様)
思わず、
文字を書くことすら難しくなっていたのに、代筆は
最後の手紙になってしまった。最後の手合わせになってしまった。もう二度とお祖父様とチェスをすることはできない。手紙を通じて議論を
手紙に書かれたリザインの文字は、私の
葬儀の後、私は熱を出して
久しぶりに人前に出た
メアリーに
黒く大きな鳥が、しなやかに
むなしさだけが私の胸を
「
メアリーの手を借りて体を起こす。
コップに
「葬儀の後処理は?」
「
貴族院というのは、主に上位貴族によって構成された合議による意思決定機関だ。お祖父様の代では存在感の
そうしたら、この国はなにもかも同じに戻るのだろうか。
(お祖父様がいないのに……)
泣きすぎて真っ白になった頭では、もうまともに考え事をすることすら難しかった。今チェスをしたら、きっと初心者にだって負けるに
(何も考えたくない。もう何も……)
そうしてぼんやりしていると、父と母が見舞いのために私の部屋にやってきた。
「調子はどうだい? フラン。すまんな。
第一王子
しかしその性格は至って
謝るようなことではないのに、父は申し訳なさそうに言った。
それがより、私を居たたまれない気持ちにさせる。父のせいではないのだ。
母の細い指が、そっと私の手を握った。
「ごめんなさいね。いくらお
私と同じピーコックグリーンの
「いいえお父様、お母様。お二人のせいではありません。全てはひきこもってばかりいたわたくしが悪いのです」
しっかり否定しようと思うのに、弱々しい声しか出なかった。
これでは更に心配をかけてしまうだけだと分かっているのに、どうすることもできない。
「わたくしが頼りない孫だから、お祖父様にも最後までご心配をおかけしてしまって……」
思っていた言葉を口から出すと、反動でまた涙が出そうになった。いくら水を飲んでも追いつかない。流した涙のせいで
今まで生きてきて、多分今ほど自分を情けなく思ったことはなかった。
外に出ず
「フラン」
父が何かを言いかけたその時、部屋のドアがノックされた。
少し言い争うような声もする。一体
両親も
誰だろうかと
城の侍従長マリオだ。彼は押し
彼は爵位を持つ貴族でもあるので、執事もあまり強固な態度に出ることができないのだろう。
「どうしたんだマリオ。こんな突然……」
父の
私はどうして彼がここに来たのだろうかと、ぼんやりとした頭で不思議に思った。
「フランチェスカ様に、陛下からのご
マリオはこともなげに言うと、
チェスをしていた時とは違い、正式な
それは
差し出された手紙を、
国王からの手紙は本来、こうして宛てられた本人が直接受け取らねばならない。チェスの手紙をメアリーに運んでもらっていたのは、あくまでも例外なのだ。
両親は
手紙に
その事実を確かめると、私は手紙を侍従長の手に
彼は心得たように、ペーパーナイフを用いてその手紙を開封した。
部屋にいた全員が息を
再び手の中に戻ってきた手紙の中には、
そしてその手紙には、驚くべきことが書かれていた。
──────愛するフランへ
君がこの手紙を読んでいるということは、
驚いただろうが、悲しむことではない。
儂は十分に生き、そして思う存分国のために力を尽くすことができたのだから。
けれどまだ、最後の仕事が残っておる。
もし儂を
君を、次期女王候補に指名する。
そこにいる侍従長のマリオに従って、リンドール初の女王を目指しておくれ。
最後に
儂はいつでも、君を見守っているよ。
君の強さを誰より知っているお
「お、お祖父様……」
驚いたらいいのか、
私は陸にあげられた魚のように、パクパクと口を動かす
「マリオ、これは一体……」
困惑したように父が
しかし彼は
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