プロローグ ひきこもり姫の聖戦




 家が好き。

 自分の部屋が好き。

 だからここから一生出たくない。

 お父様お母様分かっているわ。いつかは私もだれかとけつこんしなくちゃいけないってこと。

 でもそれまではせめて、こうしていさせて───……。






 私の名前はフランチェスカ。

 フランチェスカ・ファネル、十八歳。

 国王の息子むすこであるファネルこうしやくを父に持ち、その長い治政から栄光王と呼ばれるウィルフレッド一世の孫。

 血筋で言えば完全無敵の公爵れいじようというやつだ。

 でも私は、外に出るのが苦手。

 おうちにひきこもって、読書したりチェスの新しい手を考えるのが好き。

 大体、こんな女は外に出ない方がいいのだ。

 きんちようすると、上手うまがおが作れなくて無表情になってしまうという悪いくせ

 でも人見知りだから、知らない人がいるとすぐに緊張してしまう。無表情でいるとおこっているように見えるらしく、下手にしやくが高いせいか周囲をあつしてしまう。

 そんなつもりは全然ないのに。私だってみんなに交じってうまくやりたいだけなのに。

 でもそれができないの。出来そこないのむすめなの。

 昔言われた、「変な顔」って言葉。

 その顔を見せるのがこわくて、外に出られなくなった。

 最初のころつらくて辛くて泣き暮らしていたけれど、最近ではもうっ切れた。このまま外に出なければいいのだ。そうすれば誰もこわがらない。誰も困らせなくて済む。

 だから───このままでいいのだ。

 それに外に出なくても、家の中に楽しいことはたくさんある。

 例えば図書室にあるお父様の蔵書を読むこと。

 特に異国の旅行記なんかを読むのが好きだ。それがきっかけで異国語だって読むことができる。まあ、しやべることはできないけれど。

 問題があるとするなら、いつかは結婚しなくてはいけないということ。でも社交界にもひきこもりの悪評が広まっているのか、きゆうこんの申し出もないのだから仕方ない。

 コンコン。

 そんなことを考えていたら、入り口からノックの音がした。入ってきたのはじよのメアリーだ。

 私はチェスのボードに対して、前かがみになっていた体勢を改める。

 背筋をばしてないと、メアリーに怒られてしまうから。

「おじようさま。お手紙ですよ」

 と、そう言うメアリーの顔には満面の笑み。

 てっきり悪い姿勢でいたことをとがめられるかと思ったのに、彼女は気にするそぶりすら見せない。

 一体なんだろうかとふうとうを裏返してみると、そこには見慣れたふうろうされていた。

「お祖父じいからだわ!」

「今開けますから、少々お待ちくださいね」

 そう言うと、メアリーはペーパーナイフを使ってれいに封を開けてくれた。

 わくわくと待ちきれず、早くちょうだいとばかりに手を伸ばす。

「お嬢様、おぎようが悪いですよ」

 しようしながらも、その手紙を私がどれだけ待ちわびていたか知っているメアリーは、そっと手紙を手のひらの上にせてくれた。

 あて名もサインもないけど、封蠟は見慣れたそうとう

(お祖父様のもんしよう!)

 それは同時に、リンドール王国の国章でもある。

 ふるえる手で中を見ると、出てきた便びんせんには見慣れたひつせきでたった一言。

〝resign〟の文字が記されていた。

「やったわ!」

 私は思わず、近くにいたメアリーにき着いた。

「わあ! どうなさったんですか? お嬢様」

「勝ったのよついに! お祖父様にチェスで!」

 リザイン───それはとうりようを意味する。

 先の先まで読み切った指し手が、自分の勝つ目はないとあきらめて口にする言葉。

 おいそがしいお祖父様とは、小さい頃からずっと手紙を使って何度も対局してきた。便箋にたった一手を書き記し、次の手はまだかと手紙を待つ日々。

 万年しきにひきこもっている私にとって、それはゆいいつの外界とのかかわりと言ってよかった。次の一手を考えている時、私は世間からかくぜつされているどくを感じなくて済んだ。

 手加減を知らないお祖父様には、小さな頃からずっと負けしていたけど。

 今まで数えきれないほど対局をしたけれど、勝ったのは初めてだ。

 チェスは引き分けの多いゲーム。

 大人になって五回に三回までなら引き分けに持ち込めるようになっていたけれど、勝ったのは本当に初めてだった。

 お祖父様はチェスの名手として知られていて、どんな対局でも一度も負けたことがない。

 栄光王という二つ名のほかに、チェスをする人たちからは不敗王という呼び名で呼ばれているぐらいだ。ちなみに、お祖父様は一度も戦争をしたことのない王なので、それはある意味事実ともがつしている。

「まあ、それはよろしかったですねえ」

 ふんわりと微笑ほほえむメアリーに、うれしくてぐりぐりと頭を押し付ける。

 彼女は私より小さいので、自然に少しかがむような体勢になってしまうが。

「嬉しいのは分かりますが、せめてしゆくじよらしい喜び方をなさってください」

「だって、だってとっても嬉しいのだもの! 信じられない。あのお祖父様に勝つなんて……!」

「小さい頃からずっと負け越してらっしゃいましたもんね。さて、それはそれとして」

 そう言うと、メアリーは押し付けられている私の頭をがしりと両手でつかんだ。

「ん?」

「いくらなんでも、そろそろおぐしをとかしませんとね」

 不敵な笑みをかべる彼女と目が合う。

「え、えぇ!?」

 私のどうようなどお構いなしに、メアリーは慣れた手つきで私を鏡台の前に座らせてしまった。

 おそらく最初から、そのつもりでこの部屋にやってきたにちがいない。

 鏡を見たくない私は、必死に彼女の手からのがれようとした。しかし幼い頃から私に仕えてくれているメアリーには、そんなことお見通し。

 顔をかくすためにおろしていたくしゃくしゃのかみが手早くまとめられ、くしたんねんくしけずられる。

「誰も見ないのだから、髪なんて整えなくてもいつしよだわ」

 鏡を見ないよう目を閉じながらると、メアリーのため息が聞こえた。

「何度も言いますけど、お嬢様の赤い髪は本当にお綺麗です。きちんと手入れをしておかないともつたいないです!」

 我が家の使用人たちは、皆こんな風にお世辞を言ってくれる。そのづかいが逆に申し訳ないほどだ。

 くしゃくしゃになっていた髪に櫛が通され、丹念に手入れされていく。

 他人にさわられるのが苦手な私は、これがメアリーじゃなかったらおそらく大暴れしたことだろう。


 世話をされるのが当たり前な貴族れいじようらしくないというのは分かっているが、無表情でいても意にかいさない数少ない人の前でしか、私は思いのままにうことができない。

 メアリーは、そんな私が心を許せる数少ない相手なのだ。

「お嬢様はちゃんとしていればお美しいんですから、もっと身なりに気をつかってくださればいいのに」

 メアリーのこわは、なげかわしいというのを隠しもしない。

 私は返す言葉もなく顔をせる。

 人見知りだから、見慣れない人間を私がいやがるから、彼女が何から何まで一人でするしかなくて大変なことは分かっている。

 なのにメアリーは嫌な顔一つせず、いつもこうしてはげましてくれるのだ。

(美しいはずがない。こんなあいそうな女)

 うっかり鏡を見ると、真っ白い顔をした女が情けない表情でこちらを見ていた。目の色は母と同じピーコックグリーン。一度からまると大変なことになるえんいろのくせっ毛は、メアリーの器用な手によってまとまってきてはいるものの。

「でも、ちゃんとしても見せる相手なんていないし……」

「少なくとも、だん様と奥様はお喜びになりますわ。それに、私はくやしくてならないのです。美しくておやさしいおじようさまを、他家に見せびらかすことができないのが!」

 にぎこぶしを作る勢いで、メアリーが言う。

「ありがとうメアリー。お世辞でも嬉しいわ」

 私がそう言うと、メアリーはかたを落として大きな大きなため息をついた。

「お嬢様が、何も分かってらっしゃらないことだけは分かりました。一体いつになったら自覚してくださるのやら……」

 何が分かっていないのかとたずね返そうとしたその時、部屋の外がばたばたとさわがしくなった。

「なんでしょうか? 見てまいりますね」

 メアリーが部屋を出ていく。

 そしてしばらくすると、彼女は血相を変えてもどってきた。

「大変ですお嬢様! たった今陛下がほうぎよなさったとの知らせがっ!」

 彼女の悲鳴じみた言葉を理解するのには、かなりの時間が必要だった。

(陛下が……お祖父じい様が? そんなはずないわ。だってさっき、お手紙を頂いたばかりだもの)

うそよ……」

 そう思うのに、メアリーの表情がそれは事実であると告げている。

 じわじわと心にあらしがやってきた。何も冷静には考えられなくなる。目の前が真っ暗になるような絶望と悲しみ。

 とつに、先ほど受け取ったばかりの手紙に目がいった。

 お祖父様の優しさが、あの短い手紙にはいっぱいまっているのに。

 そのお祖父様が───もういないなんてそんなことあるはずがないのに───……。






 私が知らなかっただけで、お祖父様は体調をくずして何ヵ月も前からしんだいはなれられなくなっていたのだという。

 物々しくおこなわれたそうには、栄光王の死をいたんで大勢の人が詰めかけた。

 ふくに身を包んだ、人人人。大聖堂のゆかき詰められた黒のカーペット。

 お祖父様を見送りたい一心で出席したものの、大勢の人たちがいる場所では息がつまってしまう。救いを求めて見上げたステンドグラスの向こうから、やけに晴れ上がった空の光が目をした。

(今日ぐらい、雨が降ればいいのに)

 葬儀の黒におおいかぶさるすがすがしい青が、いっそにくく思えるような日だった。

 葬儀の間、ベールの下で泣き続けた。泣いても泣いてもなみだが止まらない。お祖父様の死を知ったその日からずっと、嘆きと悲しみの底にしずんでいる。

 私はずっと今のままでいいと思っていた、おのれの浅はかさをじた。

 さいに一目お会いすることもできなかったのだ。そして体調を崩されても、心配をけまいとお祖父様はそれを私に知らせなかった。

(せめて一言ぐらい、おいを申し上げたかった……)

 父と母が私にお祖父様のご不調をだまっていたのは、何も悪意があってのことではない。

 気弱な私がそれを知ったら、余計に心配し不必要なほどに取り乱すと分かっていたのだ。だから国王であるお祖父様の不調を、孫である私だけが知らないという情けないじようきようおちいった。

(私がいけないんだ。たよりない孫だから)

 お祖父様を失ったことと、そのお祖父様に最後の最後まで気を遣わせてしまったという情けなさ。

 そのどちらがより悲しいのか、もう判断がつかないくらいだ。

(情けない───情けない。こんな孫でごめんなさいお祖父様)

 思わず、ふところに隠していた手紙に手を当てる。お祖父様の最後の手紙。

 文字を書くことすら難しくなっていたのに、代筆はたのまず自らの手で一字一字書いてくださったのだという。それを教えてくれたじゆう長もまた、目を真っ赤にはらしていたっけ。

 最後の手紙になってしまった。最後の手合わせになってしまった。もう二度とお祖父様とチェスをすることはできない。手紙を通じて議論をわすこともできない。

 手紙に書かれたリザインの文字は、私のほこりであり一方でこつけいさのしようちようになってしまった。



 葬儀の後、私は熱を出してんだ。

 久しぶりに人前に出たきんちようもあったのだろう。悲しみに暮れていたとしても、たくさんこうの視線は無視できるものではない。心と体はへいしきっていたのだ。

 メアリーにかいほうされながら、私は毎日ベッドから窓を見上げた。

 黒く大きな鳥が、しなやかにかつくうしていく。

 むなしさだけが私の胸をすべり落ち、に石を飲んだような気持ちになった。

だいじようですか? お嬢様」

 メアリーの手を借りて体を起こす。

 コップにがれた水を飲み、ふうと一息つく。

「葬儀の後処理は?」

つつがなく進んでいるそうです。こくひんの方々はお帰りになり、貴族院の方々のおかげで、王都もいつも通りの生活に戻りつつあります」

 貴族院というのは、主に上位貴族によって構成された合議による意思決定機関だ。お祖父様の代では存在感のうすかった彼らが、今は臨時で国王の穴をめているのだろう。

 そうしたら、この国はなにもかも同じに戻るのだろうか。

(お祖父様がいないのに……)

 泣きすぎて真っ白になった頭では、もうまともに考え事をすることすら難しかった。今チェスをしたら、きっと初心者にだって負けるにちがいない。

(何も考えたくない。もう何も……)

 そうしてぼんやりしていると、父と母が見舞いのために私の部屋にやってきた。

「調子はどうだい? フラン。すまんな。とつぜんおどろいたことだろう」

 第一王子き後、お祖父様の息子むすこの中で最年長である父は、しやくの中では最高位であるこうしやくという身分を持つ。

 しかしその性格は至っておだやかで、私のゆるく波打つ赤いかみは父ゆずり。さらに言うなら、そもそもはお祖父様ではなくお祖母ばあ様に由来するしきさいだ。

 謝るようなことではないのに、父は申し訳なさそうに言った。

 それがより、私を居たたまれない気持ちにさせる。父のせいではないのだ。すべては私が頼りないせいなのだから。

 母の細い指が、そっと私の手を握った。

「ごめんなさいね。いくらお義父とう様に言われていたとはいえ、黙っているべきではなかったわ。あなたをこんなにも傷つけてしまって……」

 私と同じピーコックグリーンのひとみが、悲し気にゆがめられる。

「いいえお父様、お母様。お二人のせいではありません。全てはひきこもってばかりいたわたくしが悪いのです」

 しっかり否定しようと思うのに、弱々しい声しか出なかった。

 これでは更に心配をかけてしまうだけだと分かっているのに、どうすることもできない。

「わたくしが頼りない孫だから、お祖父様にも最後までご心配をおかけしてしまって……」

 思っていた言葉を口から出すと、反動でまた涙が出そうになった。いくら水を飲んでも追いつかない。流した涙のせいでからびてしまいそうだ。

 今まで生きてきて、多分今ほど自分を情けなく思ったことはなかった。

 外に出ずげてきた自分のおろかさを、人々の優しさによって逆にまざまざとき付けられているのだから。

「フラン」

 父が何かを言いかけたその時、部屋のドアがノックされた。

 少し言い争うような声もする。一体だれが来たというのだろう。

 両親もげんな顔をしている。

 誰だろうかととびらを見ていると、入ってきたのは見覚えのある老人だった。

 城の侍従長マリオだ。彼は押しとどめようとするしつを物ともせずこちらに近づいてくる。

 彼は爵位を持つ貴族でもあるので、執事もあまり強固な態度に出ることができないのだろう。

「どうしたんだマリオ。こんな突然……」

 父のこんわくもつともだ。せっている貴族のむすめの、それもしんしつに許可もなく入るなど、王宮のはんを知りくした人物のすることではない。

 私はどうして彼がここに来たのだろうかと、ぼんやりとした頭で不思議に思った。

「フランチェスカ様に、陛下からのごゆいごんをお伝えに参上しました」

 マリオはこともなげに言うと、うやうやしい手つきでむなもとから手紙を差し出した。

 チェスをしていた時とは違い、正式なれいのつとった手紙にされたそうとうふうろう。その色は親書ではなくちよくめいであることを示す赤。

 それはちがいなく、祖父であるウィルフレッド一世が直接私にてて書いたものであるということを表していた。

 差し出された手紙を、ふるえる手で受け取る。

 国王からの手紙は本来、こうして宛てられた本人が直接受け取らねばならない。チェスの手紙をメアリーに運んでもらっていたのは、あくまでも例外なのだ。

 両親はかたわらで、心配そうに私の様子を見下ろしていた。

 手紙にかいふうされた様子はなく、ふうとうにも不自然なところはない。

 その事実を確かめると、私は手紙を侍従長の手にもどした。封を切ってもらうためだ。

 彼は心得たように、ペーパーナイフを用いてその手紙を開封した。

 部屋にいた全員が息をむ。言いようのないきんちようかんが、部屋を満たした。

 再び手の中に戻ってきた手紙の中には、便びんせんが二枚。

 そしてその手紙には、驚くべきことが書かれていた。





 ──────愛するフランへ




君がこの手紙を読んでいるということは、すでわしはこの世にはいないのだろう。

驚いただろうが、悲しむことではない。

儂は十分に生き、そして思う存分国のために力を尽くすことができたのだから。

けれどまだ、最後の仕事が残っておる。

可愛かわいいフラン。

もし儂をいたむ気持ちが少しでもあるのなら、この遺言を守ってほしい。

君を、次期女王候補に指名する。

そこにいる侍従長のマリオに従って、リンドール初の女王を目指しておくれ。



最後に

儂はいつでも、君を見守っているよ。





君の強さを誰より知っているお祖父じい様より






「お、お祖父様……」

 驚いたらいいのか、なげいたらいいのか。

 私は陸にあげられた魚のように、パクパクと口を動かすほかなかった。

 ぼうぜんとした私の手から父が手紙を引きき、そして彼も同じ表情になる。

「マリオ、これは一体……」

 困惑したように父がじゆう長にたずねる。

 しかし彼はすずしい顔をして、何も言わずすいきようではないと示すように小さくうなずいたのだった。





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