ほてるにいたもの

檸檬

第1話

気がつくと車の中にいた。真っ暗で広い駐車場、どうやら道の駅のようだ。

おかしい。


今日は彼氏と仕事終わりにドライブがてら隣県の海を見に行こうという話になり、県境に入ったところで今夜はもう運転は疲れたね、と近場のラブホテルに入った筈だった。


ふと隣を見ると、彼は運転席でじっとしている。私の視線に気づくと、か細い声でこう言った。


「さっきの事、覚えてる?」


さっき?

なんだっけ、ホテルの事?

うっすらと記憶が戻ってきた。白いベッド、大量の盛り塩、重苦しい空気…。


「とりあえずここから離れよう」彼は静かに車を走らせた。一体何があったのか。

「私達ホテルにいたよね?」

「うん」

「ホテルを出た記憶が無い…」

「ホテルでの事、覚えてる?」

「んーと、まず…」

口ごもる彼の言葉の続きを聞くのが怖くなり、私が覚えている事を話すことにした。





そのラブホテルは、田舎のラブホにたまにある一部屋ごとに独立しているタイプの造りだった。

敷地内を運転しながら空いている部屋を探し、部屋の隣の駐車スペースに車を停め、受付専用の部屋で受付を済ませ鍵をもらう。

普段なら車で待っているが、もう来ないであろう隣県の、少し珍しい形態のホテルに浮き足立っていた私は受付に向かう彼についていった。

年配のおじいさんが可もなく不可もなく接客してくれる。ふと足元に目をやると、丼で作ったような巨大な盛り塩があった。しかも崩れている。

おじいさんが作ったのかな?ダイナミックだなぁ。なんて呑気に考えていた。


部屋に入ると、ギョッとしたのを覚えている。詳しく書くと特定される恐れがあるので言えないが、なぜラブホの部屋にこれが???という物が部屋にあった。

それ自体は、私達の生活に馴染みあるものだし、ましてやオカルト紛いの物では決してないが、ラブホの部屋にあるのはどう考えてもおかしい…

「わー!すごっ!こんな近くで見るの初めて」

「俺も!すげーっ」

少しでもマイナスな事を言うと怖くなる。当時はカーナビを搭載していない車だったし、携帯はガラケー。ここを出てまた車を走らせ、土地勘も無いまま泊まるところを探す気力はもう無い。さっさとお風呂に入って眠って、明日に備えよう。

「お風呂出すね」

「ありがとう」

口には出さないが、お互い同じ事を感じて考えているのを肌で感じていた。


この部屋は、何かおかしい…


怖さを振り払うかのようにお風呂ではしゃぎ、いつの間にか眠りについた。






「ここまでは覚えてる。合ってる?」

「うん」

「でもいつ起きたのか覚えてない」

「…うん」

「今何時?」

「…五時前」

「まじかー…運転しながら朝日見れるかなぁ」

彼は問に答えず、まだ口ごもっている。さっきから1度も目を合わせてくれない。


「ねぇ?」

「うん?」

「何があったか聞いても良い?」

「…分かった」

彼は自分を奮い立たせるようにふうっ、と息を吐くと、遠くを眺めながらぽつりぽつりと話し出した。






ふと目が覚めた。いつの間にか眠っていたのか。疲れてたからな…。

天井を眺めながら微睡んでいると、照明の形がおかしい事に気がついた。


何だ、照明が揺れてる?

…違う、照明じゃない。人だ。


ふいに心臓の鼓動が大きくなる。


天井からぶら下がっているのは、さっき一緒に眠りについた彼女の変わり果てた姿。

嘘だ…。



嘘だ!


飛び起きた。全身がじっとり湿って息が上がっている。汗ばんだ顔を手で拭い、恐る恐る隣に視線をやると、そこには幸せそうに寝息を立てる彼女がいた。


夢か…


ほっと胸を撫で下ろし、脇にあったペットボトルの水で喉を潤した。


疲れてんだな…二度寝しよう。


布団を被ろうとした瞬間、何故かバスルームが気になった。上手く言えないが、バスルームに意識がどんどん引っ張られる感覚がする。

絶対にバスルームを見てはいけない。見たら終わる。ぎゅっと目を瞑る。

丸めた背中を伸ばす事すら出来ない。どこからか重低音が聞こえる。


ドーーーン…ドーーン…


何だこの音は…外の車か?

…違う。


バスルームだ。


そう思った瞬間、バスルームから女がゆっくりと近付いてくる映像が頭の中に流れ込んできた。


そうか、夢でぶら下がっていたのは彼女じゃなくて…


そう考えると全身がゾワッとした


来るな、来るな…


汗が止まらない。


どうする?どうしようもない。

来るな、来るな…


そう念じていた時だった。

隣で寝ていた筈の彼女ががばっと起きた。


その瞬間、頭の中の映像が消え、部屋の空気が軽くなった。

いつもの、寝ぼけ眼の彼女を見て、心底ほっとして、全身の力が抜けた。

「どした?怖い夢でも見たか?」

「…」

彼女は寝起きがすこぶる悪い。まだ夢の中なんだろう。

「まだ寝てな?」

すると彼女は両手を不思議そうに見つめながら私に

「ねぇ、この(手についてる)赤いの何?」

と聞いてきた。






「その瞬間、もう無理だって思って、ホテルから出てきた。本当に何も覚えてないの?」








以上が、私と彼が8年程前に体験したお話です。私は彼が体験した部分は何も覚えていません。発した言葉も。

かなり昔の事なのに、彼が体験した部分をはっきりイメージ出来るのは何故なんだろう。不思議です。


実体験を文章に起こすのは初めてだったので、読みにくい点も沢山あったと思います…。最後まで読んで頂きありがとうございました。宿泊先は、吟味してねー!



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