第1話 カーニバル・フェイス

~現在 二〇二七年 一〇月九日 ~ 


 アメリカ合衆国東部、ニューヨーク市の中心街――マンハッタン。

 東西を川に挟まれた中州。〝ビッグアップル〟の愛称を持つ細長いその島は、世界有数の大都市であり、狭い土地に栄えた繁華街と金融街を内包した、まさしく濃厚な蜜を蓄えた巨大な林檎だ。広大な領土を所有するアメリカ国内でもその人口密度は高く、世界十指に加わる。だが、だからこそと言えるだろう。人が集ればそれだけ凶悪事件の発生率は高まり、国内犯罪件数の多さでもニューヨークは五本の指に加わっていた。


 現在もっともニューヨークを賑わす――と自称している――大泥棒〝カーニバル・フェイス〟ことクライブは、その日も見定めた品物を華麗に盗むため、ジョージ・グスタフ・ヘイ・センターへと忍び込んでいた。アメリカ史に関る展示物を取り扱う、ワシントンの国立アメリカ・インディアン博物館の別棟だ。

 リノリウムの廊下を靴音も立てずに進む彼の出で立ちは、およそ潜入には不向きのスーツ――オースチンリード。彼にとっての正装。場合によって様々な職種に化けて成りすますが、基本はその格好で仕事をこなす。闇に紛れる格好に扮することも、目出し帽を被ることもない。メリットは皆無。単にそれが流儀。

 迅速かつ優雅な盗みをモットーとしているのだ。

「内部に侵入したぞ、キャンディ」

 クライブは耳にセットしたインカムを押さえながら、小さくもはっきりした口調で話しかける。そうして堂々と歩むその姿は、さながら若手最優秀証券マンだ。

 今年で二五になる彼は、大人としての優雅な立ち振る舞いと、ティーンエイジャーのエネルギッシュな若々しさを見事に調和させ、全身に覇気を充溢させていた。燃えさかる炎のような赤髪を後ろになでつけ、口元に浮かぶのは自信に満ちた微笑。翡翠色の瞳の奥で爛々と輝く光は、好奇心と挑戦の塊。

『ワオ、新記録。さっき別れたばかりなのに早いわね』

 滑らかな女性の調子の、しかし明らかに男のハスキーボイスが耳朶を打つ。七つの偽名と、二つの性別行き来する同性愛者ゲイの相棒――ゾーイ。年齢不詳。おそらく二〇代後半から三〇代前半。クライブとは、かれこれ五年の付き合い。もっとも二人の間にあるのは純粋な友情。完全な仕事仲間。彼または彼女にとって恋愛対象は自分と同じ同性愛者だ。女性にしか興味のない男性は、せいぜい尻をなでられる程度。

「楽勝だ。目撃者も無し。お月様もタージ・マハルを観光中 で、絶好の窃盗日和」

『上手く行き過ぎてるときほど用心を欠かさずにね?』

「ああ、さっさと終わらせるよ」

『本当にわかってるの?』

「もちろん」

 不敵な笑みを浮かべながら、クライブはさっと猫のような身のこなしで廊下の壁に背をつけ、角の向こう側を覗き見る。照明の落ちた暗闇を巡回する警備員が一名。懐中電灯の明かりが闇を抉る。しっかり警戒こそしてるが、ルーチンワークに退屈な様子だ。

 警備員を息を殺してやり過ごした後、クライブは素朴な疑問を口にした。

「――ところで何でお前は〝キャンディ〟なんだ?」

『ピッタリでしょ? 甘くてカラフル、ポップでキュート』

「てっきり舐められたいのかと」

『うーん、それも有りね』

 通信越しに、相棒が舌なめずりする音が伝わった。背筋に若干ざわつくものを感じ、それを誤魔化すようにしてクライブは問う。

「――で、俺は何と?」

『んー、そうね。〝アイス〟とか』

「〝アイス〟? 〝フェイス〟と韻を踏んでる?」

『ダッシュボードの上に、ルナが昨日食べたアイスのカップがあったから』

「お気に入りの〝ビッグ・ゲイ・アイスクリーム〟? なら、アイスはお前の方がお似合いじゃないか、ゾーイ」

『ちょっと、名前! 何のためのコードネームよ』

「別に知られて困るもんじゃない。だいたい、お前こそ目に付いたゴミをコードにするな」

『まったくもう。何かあっても知らないわよ、クライブ?』

「それは何かあったときに考えようぜ相棒。――じゃ、ここからはお静かに……」

 クライブは人差し指を自分の唇につけ、館内奥へと移動開始。その脇には館内では『館内ではお静かに』の注意書き。今し方のおどけた遣り取りは、先に控える危険に対しての、緊張を解す儀式のようなものだった。


 クライブは見栄えこそ拘るものの、監視カメラの死角は完璧に把握し、その姿をみすみす晒すようなヘマはしなかった。各種センサーの配置、警備員の巡回ルート及び時間、全て調査済み。痕跡を残すのは最後の最後、盗んだ品のケースに名刺を残すときだけ。それ以外は指紋一つの痕跡も残さない。

 今回のターゲットは〝スターキューブ〟。数十年前、風化の影響でオハイオ州の森林奥地に発見されたプエブロ新遺跡――その発掘品。一辺四インチ、掌サイズの正六面体。

 用途不明の代物だが、まったく未知の硬質素材で作られ点で極めて希少価値の高いと判断され、五〇万ドルの値がつけられている。今日より特別展示中。よって博物館内はいつもよりも警備が強化されている様子であった。それでもクライブからすれば、まだまだ甘く付け入る隙は多い。が――

「……ッ」

 クライブは眉を顰め、展示室の前で足を止めていた。

 もちろん事前に完璧な盗みの計画を用意してきている。綱渡り的と言えばそうだが、場数も踏んでいるため、今更しり込みすることはない。慎重に行動すれば成功は間違いないだろう。とはいえ、想定外の対応にも限度はあった。

 ――他に、誰かいるな……。

 壁際で身を低くしながら、クライブは冷や汗を流しつつそう直感していた。

 予定の時間になっても巡回ルートに現れない警備員、不自然なまでに静かな一帯、極めつけは僅かに漂う金属臭さ――血臭。仕事の危険度が、一気に跳ね上がる。

 クライブは頭上の監視カメラを見上げ、持ち前の敏感な耳によりそれが稼動していないことを確認した。おそらく正体不明の誰かがモニター室を制圧し、それを停止させたのだ。

「あー……ゾーイ。何かあったよ、どうしよう」

『え? なによ、誰かに先を越されたの?』

「ああ……十中八九そうだな」

『……状況を教えて』

 最初は冗談かと思ったのであろう、穏やかだったゾーイの口調が途端に硬くなる。

「カメラもセンサーも死んでる。しかも血の臭いまで漂ってやがるんだ」

 もはやカメラの死角や、センサーの網の目を気にかける必要もなくなった。今までの努力が無駄になった気分で、クライブは渋い顔のまま堂々通路を前進。ただし足音を殺すのは忘れず。そして展示室の奥で〝それ〟を見止めた瞬間、彼は咄嗟に物陰に隠れた。

 展示室の中で、警備員が倒れている。否、正確には――散らばっていた。

 多量の肉片とおびただしい量の血が床にぶちまけられている。十数個に分割された肉の塊。零れた腸。まともな形を残した下半身だけが、それが人間の死体であることを教えてくれている。薄暗い照明と空調の風向きのおかげで惨状は緩和されているが、更に近づけばあまりの光景に――いや、濃密な血臭だけで嘔吐しかねない。

 クライブは気分の悪さに、反射的に口を覆っていた。死体を見るのは初めてではないが、こんな猟奇殺人のような現場はさすがに見たことがなかった。

ヤバイホーリーシット。これは……クソ、他に言いようがねえ。犯人は相当ヤバイやつだ。センサーだけじゃない。警備員も殺されてる」

『ヤバイどころじゃないわ、早くそこから逃げて……! とばっちり食うわよ……!』

「……名案だ」

 相棒の助言に従い、クライブはあっさりと目標を諦めてその場から引き下がる。

 泥棒稼業に身を置いていると、極希ではあるが同業者が同じ場所に潜入し、わずかな差で先を越すことがある。綿密に立てた計画が奪われた時などがそうだ。優秀な泥棒の計画はそれ自体に価値がある。だからといって盗まれたことに文句をいう事も出来ない。化かし合いが日常、出し抜かれたやつが間抜けの世界だ。

 クライブ達の計画がはたして本当に盗まれたか、たまたま標的が重なっただけかは、今のところまだわからない。が、こうした事態に陥った以上、捕まるリスク〝だけ〟を背負わされる羽目になる。先を越されたとわかった時点で、逃げるのが最善であった。

 特に今回の場合は、殺人犯という最低最悪の汚名さえり付けられかねない。

 いや、それらのリスクを差し引いても、この謎の侵入者は極めて危険な存在だ。

 うっかり鉢合わせでもすれば、次にバラバラになるのは――想像するだけでクライブの肝は冷えた。そうして彼が退散を始めようとした丁度その時――

「――ッッッ!」

 激しい悪寒が彼の背筋を撫でていた。

 背後から鋭く細い閃光が急襲する。鞭を打つような乾いた響き。

 先ほどまでクライブの顔があった位置を刃が薙ぎ払い、の壁に特大の亀裂を刻んでいた。寸でのところで攻撃を察知したクライブは、咄嗟に腰を落としてそれを回避し、間をおかずに襲い掛かった第二撃目を前方に飛んで躱わした。今度は廊下が粉砕される。弾けて巻き上がったリノリウムの破片が、すぐに重力に引き戻されてパラパラと落ちた。死の戦慄に鋭敏化した感覚が、その一瞬の邂逅をスローモーションのように引き伸ばす。回避行動で前に跳びながら、上下反転した視界で、クライブは襲撃者をその目で見ていた。青緑色の瞳。首筋に描かれた、天使の翼を食いちぎる髑髏のタトゥー。

 ハリウッドスターのように整った顔立ちで、煙草をくわえた口元には極めて楽しげな笑みが浮かんでいる。展示品のライトアップによる僅かな光しかない薄暗い室内では、死神の笑いを髣髴とさせた。

 クライブは前転から起き上がると同時に反転し、向かい合って相手の詳細な出で立ちを確認。年の頃は三〇代半ばの男性。たっぷりと日焼けしているが、人種は白人だ。手に握られた得物は日本刀。警備員をサイコロステーキへと料理した代物。――接近は極めて危険。素顔こそ晒しているものの、クライブとは違い潜入に特化した暗色の上下に身を包んでいる。――あんな惨殺をしておきながら、こっそり潜入するつもりであったのがまず意外。全力で間違った方向に日本文化を憧れた結果、誕生したのがこの忍者男なのか?

『クライブッ! いったい何が――』

 耳元でゾーイが悲鳴を上げている。どうやら当人がまったく気付かぬ間に、クライブは叫び声の一つでも上げていたのだろう。しかし心配する相棒には申し訳ないが、この状況では集中力を奪う要因でしかない。クライブはすぐさまインカムを外してポケットに仕舞い、そして眉を潜めながら指を横へ向けた。

「オイコラ、よく見ろよ、館内禁煙だバカタレディックヘッド

 瞬間、忍者男はきょとんとして横を向く。確かにそちらには館内禁煙の注意書き。

 その一瞬、視線が外れた隙を狙って、クライブは一目散に逃げ出していた。まさか本当にひっかかるとは思わなかったが、成功したのなら儲け物。一拍遅れて欺かれたことを知った忍者男は、しかし憤ることもなく、むしろ楽しげな表情を浮かべる。

「失礼、マナー違反だった」

 至極落ち着いた、穏やかな声であった。彼は火のついた煙草を投げ捨て、空中で火のついた部分を斬り落とした後、逃げるクライブの背を追い始める。

 クライブは倒れた警備員の死体を跳躍で飛び越え、続いた忍者男は血溜まりも気にせず、飛沫を上げて肉片を踏み、更に加速。

 脚力は向こうが上であり、瞬く間に差をつめられていた。

 間合いが詰まり、悪魔的な斬撃がクライブの背に迫る。その背を抉る前にクライブは展示物を回り込む。彫像が両断。壁に亀裂。続く斬撃の嵐。次々と展示物が生贄に。

 インディアンの歴史が描かれた壁画が、保存状態の良いトーテムポールが分断――その断面はまるでピンと張った糸で粘土を切ったかのように滑らか。この世の全てが粘土で出来ているかのような錯覚。響き渡る金属音と落下する衝撃音がそれを否定する。

 クライブは芝刈り機に追われる鼠のように、全力で逃げ続けた。

 背後で容赦なく壊されていく展示物。どれもこれも重要文化財。心の中で先人達に深く謝罪する。だが壊すやつが一番悪いのだ、と言い訳つきで。

「驚きだ、とても避けるね君! だが反撃する気はないのかな?」

「悪いね、俺ってばアンタと違って喧嘩も苦手な平和主義者なんだ!」

「なら死ぬといい!」

「どういうつながりだ! お断りだよこのクソ野郎スカム サッカー!」

 クライブは全速力で走り、腰のベルトからワイヤーフックを投擲。スーツの下に隠せるほどの小型でありながら、一トン以上の衝撃にも耐えられる優れもの。ゾーイが作り上げた特製品。鉤状の先端がガラス窓を粉砕し、クライブは頭部を両腕で守りながら突撃。四階の窓から外へと跳び出る彼の背後で、あと一歩で間に合わなかった斬撃が窓枠に鋭い亀裂を刻む。あまりの思い切りの良さに、忍者男は口笛を吹く。

「じゃあな、変態忍者! 全部お前の弁償だからな!」

 クライブは重力の手に一気に引っ張られながらも、冷静にワイヤーフックを振るい、先端を三階の窓枠へと引っ掛ける。腰のワイヤーが五〇フィート、ギリギリいっぱいまで引き伸ばされた途端、クライブの身体は空中ブランコのように孤を描く。

 凄まじい風圧と落下の恐怖に臆することなく、地面直前でフックを解除。ボタン一つで鉤が開閉。クライブはそのままま勢い良く地面に投げ出されるも、その衝撃を殺すように前転し、次の瞬間には何事も無かったように立ち上がる。そこは博物館脇、無人の通りだった。クライブは腰のボタンを押してワイヤーを巻き取りつつ、その場から後ろ歩きで立ち去りながら、これみよがしに中指を立てる。

 その様子を四階の窓枠から見下ろしていた忍者男が、余裕気に手を叩いて賞賛した。

「お見事だ。是非また会いたいね、スパイダーマン」

 

 迅速にその場から離脱し、マンホールの一つから下水路へと逃げ込んだクライブは、そこでようやく追っ手がないことを確信し、深々と溜息をついていた。

「俺だから良かったもんだ、生きてないぞ普通。――ああクソ、スーツが台無しだ!」

 ハリウッドのスカウト殺到間違いなしの大技を決めた代償として、自慢の高級スーツは見るも無惨に傷だらけの砂まみれになっていた。おまけに追っ手を警戒して安全な逃走経路に下水路を選んだために、悪臭が染み付くことになるだろう。これはクリーニングにかけたところで、どうにかなるものではない。クライブは未練がましく修復の手立てがないかあれこれ考え、そこで思い出したようにポケットをまさぐりインカムを取り出した。

「おーい、もしもし、ゾーイ? 聞こえてるか、キャンディちゃん?」

 先ほどの大立ち回りで壊れていないか少々不安であったが、通信は問題なく良好であったらしい。耳元から相棒の安堵の声が伝わる。

『ああ、良かったクライブ! もう、心配したじゃない!』

「悪い悪い、逃げるのに集中しないと死にそうだったんでな。ともかくこっちは無事だ。帰りの車を回してくれ。予定変更で、三番案の逃走経路を使う」

『オッケー、先回りして待ってるわ』

 クライブは袖周りの砂を叩いて落としながら早足で進み、うんざりした調子で嘆く。

「やれやれ、骨折り損か。あの野郎、この俺を出し抜きやがって」

『何者なのかしら? 同業者?』

「心当たりはあるぞ」

『ホント?』

「ああ。ジルグム・バーンレイドだ」

 事も無げにクライブが断言する。至極落ち着き払った彼とは対照的に、通信の向こう側でゾーイが驚愕に息を呑む気配が伝わった。

『えっと……嘘でしょ?』

「首のタトゥーを見た。殺し方も一緒だったしな」

 ジルグム・バーンレイド。通称〝ニューヨークの切り裂き魔ジャック・ザ・リッパー

 五年前、たった半年足らずで一〇代から三〇代の女性を一七名殺害した連続殺人犯。手口はあまりに残虐で、どの被害者も細切れのバラバラ状態で発見された。本来バラバラ殺人というのは死体を軽くして処分しやすくするために加工した結果起こるものであり、その見た目の惨さとは裏腹、犯人は凶暴というよりは精神的に追い込まれた非力な臆病者である傾向が強い。

 だがジルグムの殺人は全く事情が異なる。彼は斬り刻んだ死体を放置していた。つまりは切断行為そのものが目的であったのは間違いなく、彼が刃を男性器と見立てて女性を殺すことに快感を覚える性嗜好異常者パラフィリアであるというのは、早期に断定されていた。

 その悪逆極まる犯行はニューヨークを恐怖に染め上げ、一時期は外を出歩く女性の数が激減したほどだ。

『でも……バーンレイドは死んだって、ニュースで発表されてたわ』

 そう――ゾーイの言うとおりである。

 あまりに多くの被害者が出たため、ニューヨーク市警とFBIは血眼になってジルグムの逮捕に尽力した。そしてジルグムは追い詰められた果てに、射殺されて死亡した――とニュースで報道されていた。

「だが事実、やつはあそこにいた」

 政府やメディアが事実を隠蔽する理由は何ひとつないはずだ。実際、その後はジルグムによる被害者は途絶えていた。だがそのときに発表されていたジルグムの写真と、今し方クライブが邂逅した忍者男は同一人物にしか見えなかった。

 最大の特徴であるタトゥーも一致している。

「模倣犯にしちゃ腕が良すぎる。連邦捜査官でもないのに、〝ユグドラシル〟のバックアップでも受けてるかのような動きだった。いや、あるいはそれ以上か?」

 連邦捜査官に追われ慣れたクライブだからこそ、この窮地を紙一重で逃げ切ることができたのだ。仮に模倣犯であったとしても、本物に勝るとも劣らない恐ろしい相手なのは間違いない。叶うことならば二度と会いたくない類いの人物だった。

『ニューヨークの切り裂き魔が実は死んでなかった……? やめてよ、スプラッタ・ホラーの続編じゃないんだから』

「まったくだ。嫌になるな。俺が主役面じゃなかったらやられてたぜ」

 軽口を叩いて場を和ませようとしたが、ゾーイの口調は未だ硬いままだ。

『仮にバーンレイドが生きていたのだとして、何のために博物館に来てたのかしら?』

「さあな。だが見たところ、歴史に興味がある様子じゃなかったぞ」

 今回殺されていたのは女性ではなく、中年男性だった。殺しが目的でないとするなら、当初の予想通り、クライブと同じく〝スターキューブ〟を狙っての犯行か。しかし連続殺人犯が強盗殺人犯への鞍替えというのも、実に妙な話である。

 それとも金銭以外の何か重要な目的があるのか? 五年の沈黙を破るだけの価値が?

 クライブが黙考するうちに、ゾーイの不安は更に高まっていたらしい。

『……クライブ、早く合流して逃げましょう? アタシもう、さっきから鳥肌が立って尻の穴がヒュンヒュンするわ』

「そいつは世界の一大事だな。わかった、急ぐよ」

 クライブは心持ち、歩みを速める。完全にまいたと確信はしていたが、油断は出来なかった。ジルグム以外に対する警戒もある。事態の発覚に時間はそうかからないだろう。

 そうなれば、すぐにでも警察が一帯を封鎖しはじめるはずだ。

 目撃情報を売って小金を得るホームレスも少なくないため、周囲に警戒しつつ急ぐ必要があった。

 クライブは携帯端末を取り出し、現在時刻を確認。――まだ午前五時であった。

 彼の体感はあの博物館での出来事のせいで二時間は狂っていた。

「ルナが起きたらバーンレイドの詳しい情報を調べさせてくれ。今回は多少の無茶も許可してやるってな」

『ちょっと、手を引く気は無いの?』

「まさか。引けないね。やつはこの俺をこけにしたんだ。それに――」

 ふと、脳裏のフラッシュバックと共に、痛烈な痛みが胸を駆け抜ける。誰よりも愛おしいと感じる女性の姿。その軽蔑の眼差しを受けた今も尚、忘れることが出来ないほどに。

 もし狂人が振るう刃の切っ先が、次に彼女へと向くならば――

『それに、何よ?』

 ゾーイが怪訝そうに尋ね、そこでハッとクライブは我に返る。

「ああ、いや……なんでもない。ともかく今度はこっちの番さ。塗られた量の一〇倍は顔に泥を塗ってやるぜ」

 クライブは動揺を押さえ込み、いつもの自分らしく不敵に告げてみせる。

 幸い、彼の相棒がそれ以上いぶかしむことは無かった。

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