魔王の過酷な運命


「つ、つかりた……」


とにもかくにもノルマ達成である


「おかえりなさいませご主人様!触手プレイですか?羽こちょこちょがいいですか?」


ふかっとだきしめてすりすりするディレイ

「ああん?」

ごすっとジャンプしてあご頭突きをくらわせる

「ああ~脳ら震えまう」

舌も噛んだらしい


蹴られても張られてもニンマリ笑顔。なんてご機嫌なやつなんだ。伸びきった細めの奥の瞳が怖い


ばたんのきゅうとベッドに倒れ込む。ベッドにぼっふと身が埋まる。冷たい絹のリネンがほっぺに気持ちいい。ぎゅっと枕を抱きしめて、身体溜まった疲労感と熱を逃がす


「もう、主様、脱ぎ散らかしてはだらしがないですよ」

脱ぎ捨てられたニーソックスを拾ってもぐもぐほうばるディレイ。輝くばかりの容姿からゴミのような変態的所作。今の主に下僕の不埒を咎める気力はない


「ねえ、ディレイ、……私のしている事って正しい事なのかな?悪魔教なんかに勧誘して。これって怪しい事じゃない?これでいいのかな?なんだか騙してるようなきがするんだけど……」


「あーあ、出ましたよう。名前のイメージだけで偏見持っちゃう人」


じとー


妙な視線を感じて目を上げる


がちんとぶつかる銀の視線。

ちょこりとベッドに顎を置いたディレイが、じと目でと主を睨んでいる。


「いるんですよねー、少数派だからって脊髄反射的にヘイトする大衆迎合者。偏見です差別です」

ふうーっと大きくため息を吐いて、よいしょっとディレイがベッドに乗り移る。

きしりとたわむスプリング


くるりと身体を返されて、よいせと腕から枕を取り外される。

代わりに長い指を絡める。その冷たさに驚く間もなく捕らわれる。魔の王すら捕らえる銀の瞳の檻に。


「いいですか魔王様、確かに私たちの立場はいまマイノリティであります。しかし私たちの教えは全き教え、正当なる世の始祖たる我らになんの憂患がありましょう。今は邪教に墜ちようとも草の根運動でいつか正教に返り咲いて見せましょう。悪魔が悪?あのベル神が正義?はっ、笑止千万です。メディアは毒されているのです。信じてはいけません我々は正しいのです。正しいと言ったら正しいんです。」


ぐるぐる


悪魔の瞳の底が万華鏡のように煌めく。銀の香が立ち上る。

大蛇に食らわれる獲物のように。いつのまにか絡めとられていることに類は気付かない。


「えっえっ、そうなのかなあ、えっ」

「そうなのです。」

自信たっぷりにうなづくディレイ


「我らが教えを信じれば幸福実現待ったなし。それに夢が持てて友達だってできるしバーベキューだってやり放題!悪魔教に入ればいいことづくめ!みーんな幸せになれるハッピーな世の中を作りましょう。万事満帆、何の問題もありません」

「えっでも」

「何の問題もないのです」


後ずさる類の後頭部をディレイが包み込む。首筋に噛みつくように囁きかける

ぼやけた意識に熱い吐息が注がれる。類が魂から焦れた声


「私を信じてください」

口づけよりも甘い囁きが縛る

類はもはや言葉を解く事すら出来ない。ただひたすら甘いさざめきに揺蕩う。

気持ちいい。


「……うんディレイ、私がんばるー。みんなをはっぴーにするね…」


とろんと自我のない瞳で従僕を見上げる類。無垢。悲しきほどに無垢な乙女心。ああ、魔といえど王たる者みな傀儡となる定めなのであろうか


「ああ! それでこそ主様です!」


ぱっと顔をほころばせるディレイ。切れ長の瞳がさらに細く吊り上がる。最高に上機嫌の時の顔! くたりとのぼせた類を固く胸に抱き込む


「では、晩御飯にしましょうね。今日はとろとろのオムレツカレーですよお。お熱いですからふうふうしてさしあげますね!」


洗脳の次はすかさず餌付けである


「わーい、おむれつかれー!」

お姫様抱っこでソファへ運ばれながら、無邪気に類がはしゃぐ


あつあつふわとろのオムレツにサクッとナイフがはいる


とろおっと切れ目からトロトロチーズが零れる


「ルーイン様、はいあーん」

「あー」


ぱくっ


「美味しいですか、ルーイン様?」

「んー、おいしー!」

「ルーイン様はオムレツカレーお好きですか?」

「うん、かれーだいすきー」

[カレーを抜いてもう一度」

「だいすきー」

「あーたまりません」


すごい。放棄、完全に思考放棄である。色々あって難しいこと考えるのが心底嫌になった類である。

考えることを放棄した人間は葦以下である、が、しかし一体誰が類を責められよう。


そう、このような極限状態において、「美麗眷属のお膝抱っこで極上ふわとろオムレツカレー」に堕落せぬ人間のみが、彼女に石を投げられるのである。




ぱたぱた、



ふいに、温かなそれを頬に感じて

類は上を見上げる

銀の瞳から零れる滴

きらきら



とめどなく銀から零れては、頬を伝って落ちる



「ああ……感無量です、またこうして私の手料理を召し上がっていただける日が来るなんて。……もう二度と……このような日は、来ぬと思っておりましたゆえ……」


掠れて上ずる声。何かに耐える様に強く抱き込まれる。


首筋に鼻息がかかってくすぐったい。なのにどうしてだろう、身を動かせない

腕の檻の主が微かに震えているからだろうか


そうだ、この美しい悪魔は

ずっと私を想い続けてくれたのだ

一万年の時をただただ一途に、たった一人で


「ルーイン様」

唇に柔らかなものが当たって、数拍後に口づけだと気付く

目と目が合う。潤んだ銀にさらされる

この世のありとあらゆる美しいものを想起させる魔性の瞳

見つめれば、星の終わりに飲み込まれるよう

ちくりと胸に針が刺す


違う


この銀の瞳が焦れる主は、私じゃない

遠く、私の知らないだれか

もう一度、と深く舌が絡む前に目を閉じた


***


心地よいけだるさにさらさらと水音が揺れる。


ぐてーんと豪奢なソファにだらけても、誰にも怒られない

ゆらゆら、水面にたゆたう花びらのように徒然を思う


私これからどうなるんだろー

お母さん心配してるかなあ


自分でもびっくりするくらい里心がつかなくてごめんね

しかも股間にはびっくりするものがついてるんです


あーももうこーさまのアニメ見れないのかあ

まあ、こーさまと瓜二つの声のディレイに毎日迫られてはいるけれども

いや違う。あれは違う。むしろ全く同じ声だから許せない。


…ディレイがあんなに愛するルーインさまってどんな人?


「うー」


いかん

こうぐだぐだしていてはしょうもないことばかり考えてしまっていかぬ


ころんと転がっててろてろ床を眺める


とにかく!


この世界で私は魔王とか恐怖の代名詞とからしいけれども

なんとか無害であると皆さまにご認知いただきたい

そのための手段がアイドルなのはちょっとどうかと思うが、親しみやすさという点では良かったのかもしれない。

地道に布教して悪魔教が一般的になれば、きっと偏見も払しょくされて悪魔と人間の仲良く共存できるハッピーな世界が築けるに違いない


〝ありません“

ふいに頭に異国の文字列がぱっと走る


「……うん?」

閃いてから、異国の文字を読んだのだと理解する。無意識に拾った情報源を追う。


ディレイは書物魔だ。

本棚からあふれ出た色んな書物が雑多に転がっていて面白い

情音46のチラシ。楽譜。高級家具カタログ。何がなんやらわからない専門書


その中の……


分厚い専門書にくしゃりと挟まった、一枚のビラに吸い寄せられる


「なんだこれ」

ちょいと引き抜けば、何の抵抗もなく手のひらに収まる



『悪魔との正しい付き合い方』


ありません。


悪魔と正しく付き合う方法はありません

悪魔と関われば魂は汚され、人生は滅茶苦茶、待っているのは破滅です。

ちゃんと使えば安全、気軽に恋敵を呪える、一回だけなら大丈夫、ダイエットになるよ。すべて嘘です。悪魔はその心に付け入ってきます

友達や恋人に勧められても絶対に軽い気持ちで手を出してはいけません

最近では未成年の間で悪魔乱用が蔓延し社会問題となっております。

目先の快楽に惑わされて人間の尊厳を失ってはいけません。悪魔やりますか人間やめますか

悪魔ダメ、ゼッタイ。

絶対に悪魔とは関わらないようにしましょう。


王国正教会 健全青少年育成推進部 



掻いたことのない汗がどっと背中を伝う

なんだこれ

なんだこれ

これあれだ夏休み前に体育館で全校集会とかするやつ



「読んでしまわれたのですね。」

「ひっ」


ぎぎぎっと振り向く


皿洗いをしていたはずのディレイが佇んでいる。

何の感情も載せない表が、なぜか今までで一番ぞくりとした

家庭的なエプロンがなんとも美貌と不釣り合いだ


「ディレイ、ここ、悪魔に関われば人生は滅茶苦茶、……破滅って、ここ、書いてある」

震える指先でトントンと見出しを指さす


「そうですね」

ディレイがきゅっといい音をたてて銀皿を拭いた。

ふわりと音もなく笑う。

その笑顔は怖いくらいに優しく穏やかで、


「……本当なの?」

「そうですね」

ことりと水切りへ銀皿を置く。息を忘れるほどに優美な仕草。


「…うそついたの?」

「私がルーイン様に嘘などどうしてつけましょう」

「だって、でも、ここ、破滅、破滅するって書いてある。悪魔に関わったら……みんなはっぴー、ディレイ、みんなをはっぴーにするって言った……」


「その通りでございましょう」

心底不思議そうなディレイ


こてん、

不気味なほど優雅に首をかしげる。


「魔王様の為に破滅できるなんて、至上の幸福以外の何なのです?」


いちたすいちはにだよ。

優しく世の摂理を説く母親の様な口調であった

悪魔が善悪の彼岸を力づくで捻じ曲げる瞬間を見た



――類ちゃん何してるの?

――ままー!あのねー、アリさんがおさとうをはこんでるからね、おてつだいしてるの!

――まあー、類はいい子ねええらい子ねえ。その清らかな心を忘れないで立派な大人になってね。あっちでアイスを食べましょうね

――あいすー!




「うわあああ、おか―さーーん!!!」

私は悪いことをしているーーー!!!

あり手伝ったくらいじゃ取り戻せない位悪い事してる!あの頃の私、のんきにアイスの棒をちゅーちゅー吸って喜んでいるんじゃない!!


「うわあああ、お母さん、私は人の道を外れてしまいました…!」

「まあ、悪魔ですからねえ」

ディレイがふっとため息を吐いて前髪がぷんっと飛んだ。主を思い切りこ馬鹿にした表情は、悪魔的な容貌に非常に良く似合っていた


「ルーイン様、必要悪ってご存知です?」

「やっぱり悪なんじゃないかーーーーーー! ばかばかばかばか」


「悪い事じゃないです。法にも触れておりません。ビジネスですネットワークビジネ」

「なんかそれもっとだめえ!」

類の悲鳴はもはや掠れていた。ディレイの襟首を締め上げる。しかし絞めれば絞めるほど下僕の頬は緩む


膝が笑って腰が抜ける、へたりと床に尻もちをつく類。顔は蒼白、眼はうつろ、血の気の引いた唇でブツブツとただうわごとを繰り返す


「信じてはいけない…!悪魔教を信じてはいけない…!」

「ルーイン様……、こんなに乱れておかわいそうに」

ぽぬりと頭を包まれる


なでなで

涙をしゃくりあげて見上げれば、愛おし気に主を包む銀の眷属

信頼ならぬ悪魔が甘い声で囁く


「……ねえ、ルーイン様。細かい事はどうだっていいじゃありませんか。魔王が細かいこと気にしたら負けです。滅茶苦茶になると言ったって、すべてバッドエンドとは限らない。波乱は時に、退屈な膠着状態を打破し進化のきっかけともなるのです。人は平穏のみにて生きるにあらず、ね、……だからまずはベッドにもつれこんで滅茶苦茶に愛し合いましょう!ラブ&ピースです!」


「ひ」


突然自分が断崖の上にいると気付く。銀の獣に追い詰められて

ぞわっと全身の産毛が逆立つ。

踵を返してダッシュしようとするも

がし

光の速さで肩をホールドされる。


「やあああ、ディレイの嘘つき、嘘つき、うそつき、きちくあくまおに潰れた豆腐、きもい」

「ああそんなにお褒めにならないでください」


抵抗あえなくベッドにずっ、ずっ、と連行されていく

咄嗟につかんだシーツごと羽根布団の中へ引きずり込まれて、もわりと声がくぐもる


けりけりけりけり。

必死で蹴るも頑健な腹はびくともしない、反対に足首を絡めとられてキスの猛攻を受ける

逃げられない!


「ああ、主様、愛してます愛してます。たとえダイオウゾクムシに転生したってあの節足を愛であげる自信があります!

ルーインさま、離しませんからね。絶対今世では離しませんからね、私から逃げられるなんて思ったら大間違いですよお。泣いても喚いても転生しても離しませんからねえっえっえ。来来来世まで付いて行く所存!」

「ぎゃあああ」



ちょ、こわい!なんで目が虚ろでガタガタ小刻みに震えてるの?ぎゅうの力強い!痛い!どんだけトラウマな別れ方したんだー!?


「ああ、ルーイン様好きです大好きです。幸せです。幸せすぎて怖い……。」


どろりと熱を帯びた銀の声が耳元で掠れる


幸せは誰かの犠牲の上に成り立ってると歌っていたのは誰だっけ……

だとしたら、この銀の香の何と罪深きことだろう。


抱きしめられたディレイの腕に己の涙がしみていくのを感じながら、歌詞の深みを痛感する類であった

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