アニオタの俺はいまだ大人になれずに

ハル・トート

第1話

 25歳にもなって、仕事もせず引きこもって、アニメを見る他には食うことと寝ること、それからゲームと漫画を少々、それだけやって1日を終えてしまう俺に、もう両親は何も言ってこない。

 東京の大学を出て、就活もせずのこのこと実家に帰って来た俺に、そりゃあもう最初は五月蝿く言っていたが、今ではほとんど寝たきりのようになっている俺の爺ちゃんを見る目と同じそれで俺を見ている。


 一体どうしてこんな風になってしまったんだろう。


 俺は多分アニメオタクなのだろうが、見るアニメは限られていた。昔はヒーローもののアニメとかも好きだったが、今では嫌いだ。平和のためとか自分の野望のためとかに一生懸命になっているキャラクター達に共感できないし、自分の不甲斐なさが引き立つようで耐えられない。現実世界においてもそういう連中は嫌いだ。

 だから、俺が見るアニメは日常ものとか、ハーレムものとかだ。日常といっても仕事とかの日常はNG。例を出すなら、学園ラブコメなんかが結構好みだ。

 そして、主人公がどうしようもないクズであればあるほどポイントが高い。のめりこめる。そして、安心できる。


「アニメの主人公たちだって勉強してないじゃん、遊んでるだけじゃん、だから俺も勉強なんかする必要はない」

 ある時を境に、それは俺がヒーローもののアニメを嫌いになったのを境に、親がなにか言う度に俺はそんなことを言って、遊んでばかりいる自分を肯定していた。


 もうそんな言い分は通用しない。だけど、俺は多分いまだにそんな考えを持っているのだと思う。

 事実、かなりクズの主人公を見て、それを自分と重ね合わせ、こいつだってクソ野郎だし、俺の方が全然ましだなとか思っている。

 でも、最近思うことがある。クズみたいな主人公だって、オイシイ思いをたくさんしているのに、同じクズの俺にはなぜオイシイ思いがないのだ! と、そこまで傲慢なことはさすがに思わない。

 俺が思うのは、あの主人公たちは物語が終わった後どうなったのだろうかということだ。

 何かしらのエンドを迎え、その後そいつらがどう更生して社会で生きていったかについてアニメでは教えてくれないのだ。まあ、それを描いた時点で俺にとってはクソアニメになるのだが。

 クソ主人公を描いた神アニメは、ひょっとしたらそのエンドで文字通りのエンドを迎えているのかもしれない。

 つまりそいつらはもう生きる価値がないから物語は終わるのだ。結末を迎えるまでは物語があるからその存在価値を保てるが、ある期限を境に生きていけなくなるのかもしれない。

 そう考えると、俺の存在価値の期限はとっくに終わっている。学生であるうちはまだこんな考えでも生きていけたが、もう無職の期間が3年もある。3年も賞味期限が切れたら腐ってしまうのは至極当然のことだ。


 頭の中に死の文字が過った。

 いっそ、自殺した方がマシなんじゃないだろうか、とそう思った。

 俺の人生は学生を終えた22歳で終わりを迎えるべきだったのだ。ダラダラと3年も延長期間を生きてはいるが、無意味な気がしてきている。それに、現世なんかより来世の方がずっと素晴らしい可能性だってある。ワンチャン異世界転生の可能性だって誰にも否定はできないのだ。

 現世に心残りがあるとすれば、やっぱりそれは童貞を卒業していないことだろうか。

 25歳という中途半端な年ゆえ、魔法使いにもなれず、ただただ惨めな存在のまま死にぬく俺の魂は正しく浄化されるのか。不安だ。


 誰か最期にヤらせてくれる女はいないのだろうかと、さっきからかなり自暴自棄になっている頭がそんなことを考え、そうしてマナカのことを思った。

 こんな妄想、男子なら皆したことがあると思うけど、その時にその相手として連想された女の子は一体どんな気持ちなんだろう。

 マナカはきっと、泣くだろうな。そして、もう2度と俺に会いに来てはくれなくなるだろう。

 死ぬんだったら、最期にどう思われようがどうだっていい気もする。だけど、それと同時に、マナカの泣き顔をもう見たくないとも思う自分がいた。




 マナカというのは小学生からの幼じみで、昔からよく俺の家に来て一緒にアニメを見た。そして、今でも交流がある唯一の存在だ。交流があるというよりは、腐りきってどうしようもない俺のお見舞いに来てくれているという感じだ。

 田舎に住む僕たちの地方は、地上波のくせに映らないチャンネルがあって、なぜかその映らないチャンネルに限って、アニメの放送が多いときていた。

 だけど、小学校低学年だった当時、俺はまだアニメという素晴らしき文化に目覚める前だったのでそのことを特に気にも留めていなかったのだが、

「ねえ、カズくん、私プリキュア見たいんだけど、なんで映らないの、ねーなんで?」

 マナカはそう言って泣きじゃくった。

 プリキュアの映画を親と見に行ったらしく、目をキラキラさせて一日中その話を聞かされた学校の帰り道のことだ。

 マナカのことなんてその時の俺はどうとも感じていなかったが、なんとく泣いてる女の子を見て放っておけなかったので、なんとかしなくちゃと屋根に登った。


「多分このアンテナが悪いんだよ。もっと電線の方に傾ければ」

 下を見ると、ショートヘアーの髪を揺らしながら、マナカがうんうんと頷いていた。二重の目を大きく見開いて、キラキラと輝かせた目で俺のことを見ていた。

 力をぐっと入れてアンテナを傾けようとした時、滑ってアンテナから手が離れた。そして、その勢いのまま屋根から落ちた。

 幸い落ちた先が庭に生える木の上で大事には至らなかったが、傷を負った。


 落ちてきた僕に駆け寄ってきたマナカはまた泣いていた。

「ねえ、痛いのは俺なのに、なんでマナカが泣いてるんだよ」

 ふと痛みの先を見ると、右腕から血が流れていた。

「カズくんママー! 早く来て、カズくんが死んじゃうよ」

 そう言ってマナカは大声を出した。

 慌てて駆けつけた母に俺はこっぴどく叱られた。


 後日、俺の両親はアンテナの修理を依頼すると同時に電波が少しでもよくなるようにお願いしてくれたらしく、中々の画質の粗さではあったが、プリキュアを見ることが可能になった。

 俺は特にアニメにまだ興味はなかったが、あちこちに手荒く貼られた絆創膏を見て、こんなに苦労したんだから、元は取らないといけないんじゃないかというような想いで、せっせとアニメを見ることに励んだ。

 この時の俺はヒーローもののアニメも好きだった。勇ましく危機に立ち向かっていく主人公たちに自分を重ね合わせることができた。


 マナカの家はまだテレビが映らなかったから、マナカはよくうちに来て一緒にアニメを見た。

 最初は興味のなかったアニメも見るうちに面白くなって、見終わった後にマナカと感想を言い合うのが楽しくて、俺は気付いたらアニオタへの道を着実に歩んでいた。

 だけど、それはいい傾向だったと思う。その時の俺はまだ自分がアニメの中の主人公のようになれるとそう信じていた。


 小学3年生くらいのときに、マナカはクラスの女子たちからハブられたことがあった。

 当時プリキュア全盛期であった。

 田舎の俺たちの小学校は1クラスしかなく、クラスに女の子は全員で6人しかいなかった。そして、残酷なことにプリキュアの主人公はちょうど5人だったのだ。

 誰が何のプリキュアを勝ち取るか、その戦いが女子たちの間で勃発した。

 そして、マナカは果敢にも5人のプリキュアの中でもセンターに位置するプリキュアになろうとした。だけど、それは6人の中で1番権力を持つサキという女の子が当然のようになった。議論の余地はなかった。マナカは敗北し、そして、なんのプリキュアにもなれなかった。


 今のアニオタの俺からすれば、プリキュアの座を勝ち取れなかったことが死活問題に値することを明確に理解できるのだが、当時の俺はまだアニメに目覚めていく途中の段階であり、なれなかった、だからなに? くらいに考えていた。恥ずべきことである。


「じゃあマナカはセーラームーンにでもなればいいんじゃない?」

 当時の俺はそんなことを言った。

「カズくんのバカ!!」

 マナカは目に涙を浮かべて、そう叫んだ。

 名案を出した俺がなぜ怒られたのか当時は理解できなかったが、今では本当に申し訳ないことを言ったと思う。

 けど、結果的にこの発言から次の名案が飛び出したのだから、結果オーライでもあったのだが。


 マナカの涙にどうも弱い俺はなんとかしなくちゃと思った。その時の俺はまだ気づいていなかったのだが、俺はマナカのことが好きだったみたいだ。

「じゃあさ、一度セーラームーンを流行らせようよ」

 俺が言うと、マナカは真っ赤に腫らした目で、俺を睨みつけた。

「うるさい! 私はセーラームーンじゃなくてプリキュアがいいの」

 マナカは、もうカズくんの話なんか聞きたくないと言った。

 俺は慌てて「だから、一度だって。ちゃんと作戦があるんだ」と早口に言った。

 作戦という心地よい響きに、マナカは少し機嫌をよくして、俺の話を聞いてくれた。

「いいか、俺の作戦はこうだ」

 俺はまるでアニメの主人公が言うようなセリフを恥ずかしげもなく言って、マナカはそれを目を輝かせて聞いた。

「まずマナカがセーラームーンになる。そして、俺らクラスの男子とマナカでセーラームーンの偉大さを伝えて、サキに興味を持たせる。サキがセーラームーンになりたいと言ったところでその座を譲る。そして、マナカは晴れてプリキュアの座を得ることができる、という作戦だ」

「という作戦だ!」

 マナカは俺に続けて言った。別に俺を馬鹿にして俺の言葉を繰り返したのではなく、マナカは本当に楽しそうに見えた。


「それで、それで、作戦名はなんていうの?」

 すっかり泣き止んで上機嫌になっていたマナカが聞いた。期待に満ちた目で俺を見ていた。

「うーん、そうだなあ、ウルトラハイパーアルティメットプリキュア奪還作戦とか?」

 俺は少し考えてから、これまた恥ずかしげもなくそう言うと、

 マナカは「それいいー!」とくりくりの瞳を輝かせて、はしゃいだ。


 そんなわけで、翌日からウルトラハイパーアルティメットプリキュア奪還作戦が決行に移された。

 これから長く険しい闘いが始まるのだと俺は覚悟していたが、見事作戦はあっけなく成功し、翌日の翌日にはマナカはあっさりプリキュアの座を獲得した。

 俺は正直こんなにうまくいくとは思ってなかったのだが、どうやらサキはクラスメイトのタクのことが好きだったみたいで、タクが放った「俺、セーラームーンが好き」の一言でサキはあっけなくセーラームーンに堕ちたのであった。

 そういえば今考えると信じられないことだが、当時の俺には友達がたくさんいた。タクは一番の親友で、俺の作戦に快く乗ってくれた。どうやら、小学生というのは作戦という言葉に弱いみたいだ。

 もうタクとは10年近く会っていない。マナカに聞いた話によると、なんか聞いたことあるなあって会社でサラリーマンをやってるらしい。タクは大人になったのだ。


 マナカがプリキュアになった帰り道、俺はマナカにこんなことを言われた。

「カズくんは私のヒーローだね」

 と。

「こんな姑息なヒーローいるか」

 俺は照れ隠しにそう言った。アニメで覚えた姑息という言葉を使ってみたかったというのもある。

「コソクヒーロー! なんかかっこいいね!」

 マナカが楽しそうに言った。

「かっこいいのかよ」

 俺がそう突っ込んだら、マナカは、

「うん、カズくんはかっこいいよ」と言った。

「だから、将来カズくんのお嫁さんになってあげてもいいよ」

 と。

 俺は恥ずかしくて何も言わずマナカをその場に置き去りにして、走って逃げた。

 息を切らして走りながら、俺はそのとき初めて、マナカのことを好きなのだと自覚した。




「ピンポーン」と玄関でチャイムが鳴った。田舎の町はとても静かで、チャイムの音は二階の俺の部屋まで響く。

「あら、マナカちゃんまた来てくれたの。ほんと、カズキのことなんて放っといてくれていいのよ」

「うーん、でも、そんなわけにはいかないですよー」

「ほんと、悪いわね。ごめんなさいね」

「全然、大丈夫ですよ」

 俺のばあちゃんとマナカのそんな話し声が聞こえた。

 マナカは水曜日が仕事が休みだそうで、隔週くらいで俺に会いにきてくれていた。


「カズキー、マナカちゃん来てくれたわよ、降りてきなさい」

 ばあちゃんが大きな声を出して言った。平日の昼間は俺の父も母も働いており、家にはじいちゃんとばあちゃんしかいない。

「いいですよ、私が部屋に行きますから」

 マナカのそう言う声が聞こえて、階段を登る足跡が聞こえた。


「よっ、元気してた?」

 部屋に入ってくるなりそう言うと、マナカは俺の座椅子に腰掛け、テレビのチャンネルを変えた。いつもマナカは自分の部屋かのように俺の部屋でくつろいでみせた。

 マナカと俺は今でもアニメを見て過ごすことが多かった。ただ、見るアニメは、俺の好きなクズ主人公ものばかりだった。マナカは貴重な休みをそんなことに使ってくれていた。

 アニメを見る他には、窓を開け、陽にあたりながらぼーっとして過ごしたりした。介護者と被介護者みたいに。それから、マナカの仕事の愚痴を聞いたりした。昼間からお酒を飲んだりもした。酔いが回っても、俺はあまり喋らなかった。喋れなかった。俺はいつからか、マナカの顔をよく見ることができなくなっていた。


「じゃーん! 今日はアニメいっぱい借りてきたんだ」

 マナカはそう言うと、手にはいつの間にかツタヤの袋を持っていて、DVDを4つ机の上に並べた。並べられたアニメは、ヒーローもの2本、仕事もの1本、冒険もの1本。でも、とにかくどれも、俺の嫌いな主人公が頑張ってる系アニメだった。

「どれからにするー?」

 マナカはDVDのパッケージを眺めながら呑気な声で言った。

「俺、こういうアニメ嫌いだって言ったと思うんだけど」

 そう言って、俺はマナカの持ってきたアニメを見ることを拒否した。

 だけど、マナカは、

「そんなこと知ってるよー。でも、なんかカズくんが見るアニメって、いつも、なんていうか、ダラダラしててさ。いや、それはそれで面白いんだけどね。でも、そんなアニメばっか見てたら体に良くないから、たまにはこういうアニメも見てみようよ。リハビリだよ、リハビリ!」

 と俺の拒否を拒否した。アニメというワードを別の言葉に言い換えたら本当に介護士の言いそうなそんなことを言って、俺にアニメを見ることを勧めた。


 罪悪感もあって、俺は諦めて、仕方なくマナカと一緒にそれらのアニメを見ることに同意すると、「やったあ」とマナカは嬉しそうな声を出した。

 マナカが持ってきたアニメはどれも主人公がキラキラしていて、俺は見るに耐えなかったからあまり真剣にアニメを見ずに外を眺めたり、マナカの横顔をたまにちらちら眺めたりしながら、なんとかやり過ごした。

 マナカはとても楽しそうにそのアニメを見ていた。ザ勧善懲悪のそのアニメの主人公たちに、俺は自分を重ね合わせることができなかったが、良い人のマナカはとても楽しく見れるのだろう。


「あー、面白かったね」

 2本のアニメを見終わった後、マナカが俺に言った。窓から差し込む春の日差しは暮れかけていたが、十分眩しくマナカを照らしていた。

「じゃあ、もうカズくんのお母さんも帰ってきそうだし、私もそろそろ帰ろうかなあ」

 マナカがDVDをレコーダーから取り出しながら言った。

「そうだね。気をつけて」

 俺は立ち上がりながら言った。マナカも立ち上がっていて、俺のすぐ横にマナカがいた。ちらりとマナカの匂いがした。小さい頃から変わってなかった。マナカは立派な大人になったと思う。けど、変わらないものもちゃんと持ち続けられる、幼い子供のような気持ちでアニメを見られる心とか、不思議だ。

 俺はマナカに次会えるのはいつだろう、2週間後かな、とかそんなことを考えた。そして、今朝思った自殺のことが頭に浮かんだ。それから不謹慎ながらセックスのことが頭に浮かんだ。


「あ、そうだ! 残り2本見れなかったからさ、カズくんに貸してあげるよ」

 マナカが思いついたように口にした。「これは名案だ。名案だ」とさっきのアニメのエンディングの曲に合わせて、リズムよく言った。

「いや、いいよ」

 俺は断った。だけど、マナカは俺の言葉なんて聞かずに、

「見終わったら感想聞かせてね。それと、私取りに来れないかもだから、見終わったらツタヤにDVD返しといてくれる? カズくんはいっつも家から動かないんだから、たまには外に出かけなきゃ。いい運動になるよ」と言った。

「いや、ツタヤなんてどこにあるんだよ。てか、嫌だよ。俺は見たくないし、返しにも行きたくない」

 俺はそう拒否したが、マナカは「これも名案だ。名案だ」と歌っていた。


「じゃあ、しっかり見とくんだよ」

 マナカはスマホをいじりながら言った。ラインで誰かに連絡しているみたいだった。

 ドアに手をかけたマナカに俺は「マナカは、いま彼氏っているの?」と聞いた。

「え、どうしたの急に?」

 マナカは不思議そうな顔で言った。セックスのことを考えてて、だから聞いた、なんてことは当然言えるわけもなく、「いや、なんとなく」と答えた。

「いまもなにも、私ずっと彼氏いるつもりなんだけど。カズくん、ホントなに言ってるの? ボケてるの?」

 マナカは俺に笑いかけて言った。そして、部屋を出た。

 俺はマナカの後ろ姿を見ながら、ずっといるんだ、と悲しくなった。まあ、そりゃあそうかと思った。自殺の考えが再び脳裏を過ぎり、リアリティを増した。




 マナカは中学生のとき、ある男子と噂になった。俺の知る限り、マナカの付き合っていた人はその人しか知らないから、そいつとずっと続いているということなのだろう。

 その男子というのは俺の親友だったタクで、実際のところマナカからプリキュアの地位を獲得させたのはタクだった。

 タクは俺と同じでアニメが好きで、アニメの主人公のごとくすくすくと育った。アニメを好きになったのが俺の影響なのか、後に恋人となるマナカの影響なのかは分からない。

 タクがマナカと噂になってから、俺はタクともマナカとも話さなくなった。避けるようになった。2人はお似合いだと思った。

 マナカはヒーローみたいな人が好きで、タクは実際ヒーローみたいにカッコよかった。中学の途中からタクとの関わりがなくなったから、聞いた話でしかないが、いじめられている人を助けたり、いじめている人まで助けたり、そんな話を聞いた。

 避けるようになった俺にもタクは話しかけてきたけれど、俺は避け続けた。

 2人が付き合っているという情報とタクのヒーロー伝説は、嫌でも周りの噂から俺の耳に届いた。タクがいざこざを解決しただの、それを見てマナカがときめいているだの。俺はそれらをきっかけに、ヒーローもののアニメが嫌いになった。見れなくなった。

 俺は遠くの高校へ行き、一人暮らしを始めた。マナカとタクは地元の同じ高校に通ったらしい。それ以来タクとは会っていない。マナカとも会わなかった。マナカはちょくちょく俺の実家に来ていたみたいだが、親に住所を教えないように言っていたから会っていない。実際、親は俺の住所を言ったらしいが、マナカは会いに来なかった。


 マナカがまた俺の家に来るようになったのは、3年前、俺が東京の大学を卒業し、実家に帰ってきてからだ。タクは、俺と入れ替わりで、東京の会社に勤めているらしい。少しホッとした。

「カズキのバカ! ホントにバカ! なんで何も言わずどっか行っちゃうの?」

 マナカは怒りながら、ずっと泣いていた。

 マナカの泣くところを俺は久しぶりに見た。

「ごめん」

 俺はそれしか言えなかった。マナカを泣き止ませるような作戦は、もう思いつかなかった。




 マナカが俺にアニメを見るように言った日から1週間がたった。その水曜日マナカはうちに来なかった。

 俺は翌日、1人でマナカの残したアニメを見た。そして、死にたくなった。やっぱり死のうと思った。

 俺はやっぱりこんな風にはなれない。俺には生きる資格がないと思った。

 俺は家にあったロープで首を吊った。不思議と恐怖はあまりなかった。

 一度でいいから、セックスしたかったなとそんな呑気なことを考えていた。

 玄関で「ピンポーン」と音が鳴ったのと同時に俺の意識は遠のいていった。マナカが来たのだろうかと思ったが、木曜日だし来ることはないかと思った。マナカが俺の死を知るのは早くてあと6日か。別にそんなことどうでもいいかと思った。




 俺が目を覚ますとマナカの顔があった。マナカの口が動いていたが、聞こえてこなかった。死後の世界では好きな人が待っていてくれるというシステムでもあるのだろうかと、朦朧とする意識の中で俺は思った。

 あの世がどういうルールで成り立っているのか分からないが、俺は生前果たせなかったセックスというのを試みた。無理矢理セックスしたらいけないなんて、ルール知りませんでしたとすっとぼければいいや。それで通用するかは知らないけど。

 俺は右手でズボンのチャックを下げ、左手でマナカの肩を掴んだ。肩にかかったマナカのブラの紐を横に引いた。

 あー、もうじれったいなあと思っていると、マナカの平手が俺の頰に飛んだ。パンと心地のよい音がする。頰に痛みがうっすらと伝わる。

「ちょっと、いや! なにしてんの!?」

 マナカの声が俺の耳に届いた。

 辺りを見渡すと、無造作に置かれたロープがあった。俺は正気を取り戻した。

「てか、なんでいるの?」

「は、なんでいるのじゃないでしょ、なにバカなことしてるの?」

 よく見るとマナカは泣いていた。

「ご、ごめん」

 俺は肩にかけた手を慌てて離した。

「いや、そっちじゃなくて。いや、そっちもそうなんだけど。あー、もう、なんていうか。信じられない! なにしてんの? ホント」

 マナカはめちゃくちゃ怒っているみたいだった。

「で、なんでいるの?」

「は、またそれ? なに、私がいたらいけないわけ? てか、私がいたからカズキ助かったんだよ、分かってる?」

 俺は久しぶりに、マナカに呼び捨てにされた。マナカが俺をカズキと呼ぶのは相当怒っているときだけだ。

「ツタヤからまだDVDの返却がないって延滞料金がどうのこうのって、言われて来たら、なにこれ、びっくりだよ。びっくりして心臓止まるかと思ったよ」

 マナカの説明を聞きながら、心臓止まりそうになってたのは俺も同じだとかそんなことを考えていると、マナカに抱きしめられた。かと思うと、後ろに回した右手でマナカは俺の背中を思いっきり殴った。マナカはひたすら殴り続けた。俺はなす術もなくそれをただひたすら受け止めた。


 落ち着いたところでマナカが俺から離れた。俺がもう少し殴られ続けてもいいなあと思っていると、マナカが俺の下半身の方を指差して、

「ところで、さっきからずっと出てるよ」と言った。

 見ると、ズボンのチャックからそいつがだらしなく顔を覗かせていた。

 俺が慌ててそれをしまうと、マナカは今日初めて笑った。

「まあ、彼氏のちんちんだし、別にいいけど」

 マナカはそう言って俺の失態を笑ってくれた。

「え、今なんて?」

「ん? あー、カズくんのえっち。もっかい言わせようとしてる」

 マナカはそう言って、いたずらっぽく笑う。

「いや、そっちじゃなくて、彼氏って?」

「え、カズくんは彼氏でしょ?」

「誰の?」

「誰のって、私の」

 ポカンと開いた俺の口が返す言葉を探して、もごもごと動く。

「へ? は、マ、ナカはタクと付き合ってるん、じゃないの?」

「なにそれ、カタコト」

 マナカはそう言って、笑った。

「タクくんと付き合ったことなんてないよ」

「中学のとき、付き合ってたろ?」

「まあ、ずっと同じクラスだったし、仲は良かったけど。てか、付き合ってたら、私、浮気してたことになるくない?」

「いや、別になるくないだろ」

「いや、なるでしょ。私カズくんの彼女だし、結婚するし」

 突然のプロポーズに俺が唖然としていると、「なに、ひょっとしてあのときの言葉は嘘だったの? 私をお嫁さんにしてくれるって言ったじゃん」マナカが早口にまくし立ててくる。

「言ってないよ」

「言ったよ!」

 マナカは怒った声で言う。

「いつ?」

「知らない! 自分で考えて」

 俺は遡って考えた。そういえば、昔マナカがカズくんのお嫁さんになってもいいよって言ってくれた次の日、マナカが俺に発言を求めてきたから、まあお嫁に貰ってあげてもいいけど、と言った気がする。上から目線で。

「それって、小3くらいのとき?」

「そうかもね」マナカは拗ねたままの口調で答えた。

「いや、確かに言ったけども」

 そんな昔のこと、とっくに時効じゃないだろうか。

「でも、マナカはタクみたいなのが好きじゃないのかよ、なんていうか、こう、それこそヒーローみたいな?」

「そうだよ、好きだよ」

「じゃあ、なんで俺なんだよ」

 マナカは少し黙ったあと、

「だって、私にとってのヒーローはカズくんだから」と照れくさそうに言った。


「でも、俺、全然そんなんじゃ、ないじゃん。ヒーローでも、なんでもないし」

 俺は知らず知らずのうちに涙を流していた。

「そうだね、今のカズくんはヒーローどころか、アニメの脇役にいても邪魔だと思うよ」

 マナカは冗談なのか、本気なのか、判然としない微笑みで言った。いや、実際そうだし、本気か。


 俺は気づいたらマナカを抱きしめていた。

 こんな俺でごめん、ごめん、と涙を流した。

「あ、いい作戦思いついた!」

 少しの間そうしていた後、マナカが俺の体を離して、俺の両肩を掴んで言った。

「カズくん、さっき、私にえっちなことしようとしたでしょ〜」

 それ、掘り返すのか、鬼だなと思った。

「いいよ、えっちなことして」

 マナカが言った。

 は? 俺が呆気に取られていると、「ただし!」と人差し指を立てた。

「それをするのは、カズくんがちゃんとした大人になってから。今のままじゃだめだよ。ちゃんとまた、ヒーローにならなくちゃ。カズくんなら、なれるよ。そして、立派になったカズくんは私とめでたく結婚する、という作戦だ!」

「という作戦なのか?」

「という、作戦なの!」

 マナカはいたずらっぽく笑った。




「じゃあ、まずはこのアニメを見るところからだねー」

 そう言って、マナカはテレビの電源をつけた。

 今の状況にふさわしいというべきか、ザヒーローもののアニメだった。俺はなんだか、少しだけそのアニメが面白く見れた。こんな風になれるかな、なりたいなと思った。もうマナカを泣かせない、そんなヒーローになりたいなと、そう思った。

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