第42話 勇者の最期

 ――――負けられない。




 自分たちの生命だけではないが、何よりも自分たちの『人生』を自らの手で生きる為。





 その為には、人の生など単なる呪いと嘲笑う、眼前の巨塊を捨て置くことなどできない。





 皆が皆、己の人生に一つの決着をつけるかのように、誰もこうべを垂れることも無く戦い続ける。




 ラルフたちは、人間自身の勇気によって遙かに力を増し、常に空中を飛び回って憎悪の巨塊を削り取り続けていた。それは魔王にとっては嵐そのものが全身を屠ろうとしているも同然であった。


 ロレンスが朽ちかけた魔術杖を吼えさせ、爆裂魔法を浴びせ続ける。


 ブラックが英気オーラの弾を絶えず撃ち続け、仲間が傷めば回復弾を撃ち込む。


 ウルリカとセアドが、手負いの野獣の咆哮をそのままに今にも折れそうな斧で殴打し続ける。


 ルルカが誰よりも速く飛んで舞い、とうに刃こぼれしたナイフで切り裂き、また蜂のように刺し続ける。


 ヴェラがその喉がはち切れんばかりに絶唱を続け、音波動を放ち続ける。


 ベネットがブラック同様、誰かが傷めば間髪入れず回復法術をかけ、さらに聖なる法術を以て魔王の身体を浄化し続ける。



 そしてラルフは、臨界を超えて高まった英気を練って、『勇者』の剣技を放ち続ける。




「――勝てる…………勝てるぞ! みんな!!」




 嵐の只中にいる勇者・ラルフはそう言って皆を鼓舞した。




「――ぐっ……ぎぎぎぎぎ…………くうっ…………」




 さすがの魔王も、応えているのか呻き声を上げる――――




「――くっ……くくくくくくく…………」





「――――!?」




 否。




 ここに来て、呻き声ではなく、魔王は…………憎悪の巨塊は人間を嘲笑ってみせた。





「――どうやら、まだ気付かぬようだな。私の――――憎悪の真なる力を…………」





 ラルフは目を凝らしよく巨塊を視た。




 ――まるでブラックホールのように、魔王自身の巨塊に『引力』が発生している――――!? 




「まさか――――」




「もう遅いッ!! 『憎悪の涙』は――――濁流となりて汝らを飲み込む!! やがてはこの世界ごとなッ!!」




 憎悪の巨塊の眼と言う眼から――――とてつもない量の濁流が放たれ、一気に人間たちを包んだ! 




「――なっ! …………こ、こんな奥の手を――――」




 ロレンスをはじめ、仲間たちは濁流に絡めとられ、身動き一つ取れない…………。




 『憎悪の涙』は忽ち空中に憎悪と悲哀で穢れた汚泥のような海となって――――総てを、その大きく開けた口に押し流し、飲み込もうとしていた。





「そうだ、ラルフ!! 貴様がいくらちっぽけな勇者の力や心の力で仲間を強めようとも…………こうして憎悪を海として飲み込み、我が憎悪の一部として『喰らって』やれば、総てが水泡だ。貴様の信じる人間など……こうして我が糧としてくれるわッ!!」





 ごおおおおおおおおおお…………。





 この世の終末を告げる、大海の逆巻く音が世界に響き渡る――――




「――ううっ! そ、そんなことって――――助けて! ブラック! ラルフーーーッ!!」




「――せ、せっかく……ベネットと生きると決めたのに――い、いやあああああああーーーッッ!!」




「――ら、ラルフ殿…………申し訳ありません――――!」




「――ち、ちっくしょう…………オレの身体が動かねえ……や、奴に喰われる――――!」




「――いやっ、いやあああーッ!! 助けて…………助けてにゃああーーーーッッッ!!」




「――これがああ……俺様の運命ってやつかよォ……」




「――無念だ…………ラルフ、すまん――――!」






 無情に、仲間たちは憎悪の巨塊の一部と成り果て、吸い込まれていく――――





「…………ッ――――させるかああああああーーーーッッッッ!!」





 窮したラルフは雄叫びと共に――――仲間たちから英気オーラを自分の魂魄へと戻した。




「――な……なにっ!? 何故わざわざ――――!?」




 魔王も思わず驚愕する。






 先ほどまで仲間たちと闘う為に与え続けていた英気を、なぜ自分の中に戻したのか。今にも仲間は飲み込まれそうなのに――――





「――魔王ッ!! 貴様に飛び込むのは人間たちではないッ!!」




 ――仲間たちが各々増幅させていた『勇者の力』そして『人間の勇気の力』。




 それを総て吸収したラルフの英気は――――目の前の憎悪の巨塊以上に激しく増大し、烈日のような眩い輝きを放っている!! そして――――




「飛び込むのは――――この俺だあああああああああああああーーーーッッッ!!」





 ――――カッ!! ゴオオオオオオ…………。





 一瞬の凄まじい光ののち、地震のような音が辺りに響く――――




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「――う……うう――――はっ! ら、ラルフ殿と魔王は!?」





 気が付くと、ロレンスたちは魔王の体内、ではなく、戦っていた遺跡の頂上部に再び倒れていた。



「――う、上だっ! 上空だッ!!」



 ブラックが天を指した。




 ――『勇気』と『憎悪』。




 光と闇を伴い、その感情そのもの。存在そのものが、今まさに激突しようとしていた。




「――ら、ラルフ殿は……己の持てる『総て』をぶつける気だ……あの魔王に――――人間の為に、死を賭して!!」



「――ラルフ…………早まるなーーーッッッ!!」



「やめろオオオオーーーッッッ!! ――うわっ!!」




 ブラックが叫び、ロレンスもまた叫んだ瞬間――――凄まじい爆雷のような閃光が走る!! 





「――魔王!! 決着を付けるぞッ!!」




「――ちぃいいい!! 死ねえええええええ!!」




 巨大な英気の『弾』と化したラルフに、身体の大半が千切れて消えた魔王が――――無数の針を伸ばしてラルフを貫く!! 




 過たず、触手で握り潰し、魔眼を光らせ光線が貫く!! 




 さらに、先程仲間たちを飲み込んだ『憎悪の涙』で彼岸の彼方まで押し流す!! 






 ――――生きている!! 





 ラルフは苦痛に耐えていた。





 ラルフはただ歯を食いしばって耐え忍んだ。





「――くっ!! はああああああーーっ!!」




 すかさず、触手を引きちぎり、満身創痍の肉体を緑色の光で包む! 





「――――な…………何故だ……!? 何故死なん!? 如何にその英気を増幅しようとも、貴様の身体は…………心は――――!?」




 鮮血を流しながら、ラルフは叫んだ。




「――俺は勇者だ!! 人間の為に生き……人間を護る為に死に逝く、人間を愛する勇者だ!! 生命いのちを助け、心に闇あれば照らす灯火となる……その使命を全うするまで――――俺は絶対に死ねないッ!! 魔王!! その膨れ上がった憎悪を絶ってやる――――ウオオオオオオオーーーッッッ!!」




 叫び。




 全身全霊、無心の叫び。




 巨大な英気を一気に凝縮したラルフは――――光の弾丸となり、遂に魔王の身体を貫いた――――





「KIAAAAAAA∀A∀A∀A∀A∀A∀A∀A∀A∀AA∀∀A∀AAAAAAAAAAーーーーッッッッ!!」




 ――闇より来たれし憎悪の権化・魔王。




 その断末魔の叫びと共に、凄まじい爆風が巻き起こった――――




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「――ぐはっ!!」




「――ラルフ殿っ!!」




 凄まじい爆風と閃光に皆が伏せていると――――天空よりボロボロになったラルフが落ちてきた。すぐにロレンスとブラックが駆け寄る。




「――ラルフ殿、無事ですか!?」


「……どうやら、生きている……意識もしっかりしているな…………しかし、なんと言う無茶を…………」




「――み、皆さん、ご覧になって! 空が――――」




 ――魔王の姿なき空。




 一体何時間、否、何日戦っていたのだろう。




 空はもう闇夜ではなく、黄昏の美しく、どこか物悲しさすら感じる斜陽の空となっていた。




「――あ、あたしたち…………勝てた、の…………?」




「や、やったぜ…………! 魔王はもういない! オレたちは…………人類は勝ったんだあーっ!!」




 いの一番に歓喜するヴェラ。




「――ゲホッ! かはっ……ど、どうやら、そうみたいだな…………」





 ――――しかし。





「――――!!」





 ラルフは感じ取った。新しい気配を。





「――いや、まだだ…………まだ奴との決着はついていない…………」




「ラルフ殿!? ば、馬鹿な。もう闇は晴れ、あんな邪悪な気配はどこにも――――」




「いや、確かに『いる』。崖の下だっ!!」




 ラルフは英気オーラを練って傷を癒すと、すぐに剣を携え、崖の下へと滑り降りて行った。




「――ラルフ殿! ラルフ殿ーーーッ!!」




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 ――ここは、レチア王国の、代々の英雄たちが眠る場所。あちこちに土が盛られ、石碑が立てられている。遺跡の一部の空間だ。云わば、『勇者の墓所』である。





 崖を滑り降りてすぐ、ラルフは眼前に佇む『人影』を見た。




 そして、すぐに確信する。





「――それが、お前の真の姿か……魔王。いや…………」




 ラルフは人影に向かい、歩み寄りながら呼びかける。




「――『原初の勇者』。『原初の勇者』トライズ=フィルハート――――俺の父祖よ…………」




 そう呼びかけられた男は、静かに振り向いた。



 鍛え抜かれた逞しい肉体に、朝日を思わせる金色の長髪。若草色のたなびくマント。




 そして――――紅い瞳に、ラルフと瓜二つの顔立ち。




 人間が体験しうる限りの苦悩を経てきたような悲しい表情の青年が、そこにはいた。ラルフの悪夢に出て来た、正にその青年が――――




「――ラルフよ。私は…………もう『勇者』などと言うふざけた存在ではない。人類を廃滅すると決意したあの日から、永遠に『魔王』なのだ――――その名で私を呼ぶな! 私は……貴様の父祖などではない…………」



 ラルフが構えを解いて呼びかけても、なおも魔王は――――原初の勇者・トライズ=フィルハートは拒絶した。



「……しかし…………もはや貴方からは俺と同じ『勇者』の光の英気しか感じられない。魔王の力など今の一撃で消し去ったはず…………」




「意志ある存在がその存在たらしめているのは力や姿かたちではない。己の意志だ。私は、太古の昔に『人間』などというモノに愛想を尽かした…………だから魂は『魔王』であり、以来永劫に渡って存在は『魔王』なのだ――――そう。勇者・ラルフよ。お前が私に憑依され、原初の勇者の力を得た時点で何ゆえに私が『魔王』となったのか。それを感じたはずだ…………」




「…………」

「…………」




 両者の間に、しばしの沈黙があった。




 しかし、ラルフが目で訴え続けると、トライズは悲哀を露わにして、目を伏した。




「……確かに。私はかつて、この世界で最初に『勇者』と謳われた人間だった……人間の王に頼まれ、古代にて魔王を打ち倒した。ラルフ、お前と同じようにな…………」



「…………」




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 遥か、遥か昔の古代の地。




 世界に武勇と叡智の誉れ高き勇者・トライズは、その実力を知った時の王に招かれた。




 その地は、幾つもの国々がひしめき合い、近隣に巣食う『魔王』の脅威にさらされ、皆が英雄の登場を待ち望んでいた。




「――おお! 来てくれたか、『勇者』トライズ=フィルハートよ! 必ずや、災厄の化身たる魔王を討ち取り…………この世界に安寧と平和をもたらしてくれ…………」



「お任せ下さい、王よ! 不肖・トライズ=フィルハート…………私を待ってくれている民草たちの為に、憎き魔王めを倒してみせます!!」




 ――王宮を出ると、多くの民草たちが歓声を上げ、トライズを応援していた。




「勇者だ! 勇者トライズ様!!」


「魔王に挑むとは、なんと勇ましい……なんと美しい男だ!!」


「勇者トライズ様!! 我らをお守りください!!」


「勇者! 勇者トライズ!! 勇者トライズ様!! 勇者! 勇者トライズ!! 勇者トライズ様!!」




 ――見送る民草の中には、彼の家族や友人、恋人もいた。



「トライズや……決して無理をするでないぞ。お前は頑張り屋だから…………」


「いいや、トライズよ! お前はこの父の誇りだ。ワシが生涯をかけても習得出来なかった技の数々を、お前は会得した。勇者の名に恥じぬよう、全力で力を振るって参れ!」


「――母上。心配はご無用。民草たちの平和がかかっているのです。どうして手を抜くことが出来ましょうか。父上! 今日という日まで鍛え上げてくれたことに感謝いたします。会得した技は我が揺るがぬ自信と誇りです! 必ずや魔王を討ち取って来ます!」


「トライズ! まさかお前がこんな大役を仰せつかるとはな! はは! 俺たちも嬉しいぜ。『勇者』の友でいられることによ!」


「頼むぜ、トライズ!」


「頑張れよ、トライズ!! 俺たちの希望よ!!」



「――ああ! 任せておくがいい、我が竹馬の友よ! 国に帰ったら、夜通し乾杯といこう!」



「――トライズ…………本当に行ってしまうのね…………?」



「…………ああ。寂しいかもしれないが…………魔王を討ち取れるのは私しかいない。一切の力を尽くして、為さねばならぬ使命なのだ……」




「うん…………それは……少しだけ寂しい。でも、決して忘れないでね。貴方の無事を祈り、待っていてくれる人。そして信じてくれる人がこんなにもいることを…………私も、貴方を誰よりも愛し、信じています――――どうか、死なないで――――」




「――勿論だ。奴を討ち果たしたら、真っ先に君のもとへ帰って来るとも。全て片付いたら……そうだな。平和になった地で、幸せに暮らそう――――」




 勇者・トライズは民草たちに見送られ、たった一人で魔王討伐の旅へと向かった。



 トライズ=フィルハートとは、実に純粋な男であった。



 ただ只管に技を磨き、知恵を身に付け、心を鍛え上げ…………『自分を信じてくれる』人間たちの希望に応える為、ただ己に縋るだけの人間たちに何の嫌悪も疑念も抱いてはいなかった。



 信じる人間の為に力を尽くし…………災厄に立ち向かうことこそ自分の使命であり、誉れであり、幸福であると信じ切っていた――――



「――この民草たちこそが、私が生命いのちを懸けて守っていくものなのだな…………」




 険しい長旅の道中。トライズは霊験あらたかな高僧たちが住まう寺院に立ち寄った。



 高僧が、語り掛けてきた。



「――汝の未来に不穏な影在り。姿かたちと志を継承する秘術を汝に施さん。さすれば汝に災厄が訪れようとも…………この世界中の聖域に来る汝の分身は世界を救い、災厄に立ち向かい続けるであろう…………」



「ここでその秘術とやらを施せば……例え私に何かあっても、私の代わりに勇者が現れ、この世は救われるというわけか…………是非とも、お願い致す。」



「――世界に点在する『聖域』を決して悪しきモノで穢すなかれ。さもなければこの秘術は歪みをきたし…………その効力を喪うであろう――――」




 野を越え、山を越え、海を渡り、魔窟を潜り――――遂にトライズは、災厄の化身とされた魔王の巣食う地へと辿り着いた。




「――遂に会えたな魔王! 愛する民草の安寧と平穏の為……貴様を討つッ!!」




 暗き影法師のような姿の魔王は、トライズをせせら笑った。




「――民草の為? ふはは……勇者、愚かなり――――我は単なる災厄ではない。其方の言う『民草』。それらの意志の集合体こそが我であり、我が力。即ち、我は人間の意志に依って生まれ出ずる存在なり。故に、人の心が邪悪に染まれば――――何度でもこの世に降臨し、人間の願いを――――この世の破滅を永劫にもたらさん――――」




「何を訳の分からぬことを! 魔王の戯言など聴かぬわっ! 覚悟――――!」




 そうして彼は魔王と切り結んだ。




 トライズの勇者としての力は真に凄まじく、意外にもあっけなく勝敗は決した。




 魔王の肉体が崩れ去る刹那、なおも魔王は嘲りながら呪詛を残していく。




「――我が肉、朽ち果てようとも、我が魂は人の意志の下にあり。故に、人ある限り我は不滅なり――――人間の真の意志を知った時、またここへ来るがよい、勇者・トライズよ――――」




 魔王は、死んだ。





 だが、魔王の言う通り、肉体らしきモノは朽ちても、思念体のようなものは消えなかった。闇の中に、青白い灯火のようにうっすら、浮かんでいた。




「――これ以上は殺せんようだな……ふん! 誰がこんな所へ戻るようなことを! ――遂に討ち果たした。さあ、国へ帰るとしよう……愛すべき民草のもとへ――――」




 魔王を討ち果たし、トライズは民草たちが歓喜の歌と共に出迎えてくれるものと、信じて疑わなかった。




 しかし――――




「――これは…………これは、一体何なのだ――――!?」




「――ふはははは! あの若造……トライズが魔王めを討ってくれたお陰よ! これで……我が国の覇権が勝ち獲れる――――!!」




「父上……母上……友よ……愛する人よ…………」





 そこでトライズが目にしたのは…………欲望のままに戦火を広げる故郷だった。



 魔王が脅威として認識されている間は、近隣諸国の為政者たちは軍隊を出すことを渋り、経済も内政に回すのみであった。



 だが、当の魔王が討たれたと知った諸国は、どうか。




 戦をする抑止力が消えたと知るや、人間たちは己の国と己自身だけの為に戦争を始めた。魔王という溜まり続けた人間の欲望の堰となっていたものが切れた途端に、濁流は溢れ出したのだ。




 訳も分からぬまま戦火に巻き込まれたトライズは、懸命に愛する人たちを探し求めた。




 だが、無駄なことだった。




 積年の恨みを募らせていた民草たちは、あっさりと為政者たちに扇動され、徴兵され、戦火に身を投じていたのだ。




 戦争に慈悲はなく、力有るものは暴力を振りかざして弱い者を虐げて殺し、弱い者はさらに弱い者から虐げて殺し、奪い尽くした。




 皆が、不幸の中で、失意の中で死んでいった。トライズを出迎えてくれる者は誰一人いなかった。彼の両親も、友人も、恋人も皆――――




「――これが…………こんなものが、私が生命いのちを懸けて守ろうとしたもの、だというのか…………!? こんな……こんな、醜いモノが――――」




 ――気が付けば彼は、戦火で満身創痍になりながら、再び魔王の巣食う地に向かっていた。




「ま……おう…………おし、教えて、くれ…………民草とは――――人間とは一体何なのだ!! 私は…………一体、何の為に戦ったのだ…………これから、何の為に生きていけばよいのだ…………!?」




 闇に浮かぶ灯火が、呼びかけてくる。





「愚かな勇者よ。ようやく真理をその目にしたか。ならば、見せてやろう…………『人間』とはこの世に生まれた時から未来永劫――――このような生き物だ――――」




 そこで魔王が見せてきたもの。




 それは、数多の宇宙、数多の世界、数多の時代の『人間』に類される生命体が、飽きることも無く過ちを繰り返し、大地を蹂躙し果て…………やがて総てを穢し尽くして破滅へと向かっていく姿だった。




「――ああ…………やはり、そうなのか…………私が守ろうとしたモノとは、こんな悍ましい存在でしかなかったのか…………こんなものの為に――――」




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 現世に蘇った勇者・トライズ…………そして、魔王・トライズの目には憎しみの焔が今も燃え盛っていた。




 そして、それ以上に暗闇の虚無と、悲しみの海が在った――――




「――そして私は勇者を辞め……人間を辞め…………人の望む憎悪の力を以て人を滅ぼす魔王となった――――それが人の意志で、希望であるなら、それこそが『救い』であると信じて――――」




「――トライズ…………」




 ラルフは、感じ取ったトライズの怒りと悲しみ、憎しみを想い、胸に手を当て瞑目した。




「――だが、貴方はたった今、人間に戻った。もう、魔王のような憎悪を駆使して破滅させる力などない。俺たちと共に生きては――――」




「言ったはずだ。己の存在たらしめているのは己の意志であると。私は心に決めている限り、『魔王』だ。それ以上にも以下にも成らない。そして、たとえ力を失おうとも私は――――人類廃滅の歩みを止める気など毛頭ない――――ラルフ。貴様に今一度闘いを挑み…………呪いを集めて再び『魔王』に相応しい力と姿を取り戻してみせる…………私を止めたければ――――その剣を以て、私にとどめを刺して見せろ、『勇者』ラルフよ――――」



「――トライズ…………仕方ないのか。」




 一度納めた剣に、ラルフは再び手を掛けた。




 ――だが、結果はもはや見え切っている。




 かつての勇者・トライズ=フィルハートはただの人間へと戻った。勇者としての光の英気も、僅かしか残ってはいない。



 かたや、ラルフは仲間たちと共に臨界を遥かに超える英気を手にしている。まともに剣を交えたとしても、ラルフの勝ちは目に見えていた。




 だが――――




「――私は…………これより、我が末代の勇者に造作もなくとどめを刺されるであろう。だが、本当にそれで良いのか?」



「……?」



「古代にて魔王となった私は、すぐに2代目の勇者に封印されたとはいえ、世界中の『聖域』は大きく傷めつけてやった。そして伝承の秘術はもう限界だ。――――恐らく、もう勇者を召喚し続ける力は残ってはいない――――」



「――――!!」




「始祖である私を殺せば…………ラルフ。貴様も消えるのだぞ。そしてもうこの世に救世主ヒーローなど、二度と現れはしない!」




「…………」




「――『勇者』としての使命に飽くまで殉ずるか!! 私を倒しても…………もう『勇者』は現れぬぞ!!」




「――――ッ」




 ラルフの顔が、苦渋に歪む。





 だが、すぐに答えを出した。





「――――語るに及ばずッッッ!!」





 ラルフは、使命に殉ずる道を選んだ。





 このままトライズを見逃せば、一時は勇者は存在し続けるかもしれない。



 だが、トライズは人類廃滅への歩みを止めない。



 放っておけば、再び『魔王』となり、あの憎悪の巨塊と化して人間を滅ぼすだろう。




 迷いを振り切り、ラルフは剣を抜いて英気を紡ぎ出した。




「――ラルフ殿おおーーーッ!!」




 何とか手当てを済ませたロレンスたちも、崖を滑り降りて駆け付けた。




「――話は聴きましたぞ! すぐに加勢を――――」




「手を出すなっ!!」




「え!?」





「これは――俺とトライズ。勇者と魔王。そして――――父祖と俺自身に決着を付ける闘いだッ!!」




 すかさずラルフは英気を練って、ロレンスたちの前に光の『壁』を作り出した。誰も、邪魔出来ない――――




「ラルフ殿…………早まってはなりませぬ!!」



「ラルフ!! お前…………この私に朽ち往く人命を見殺しにしろというのかっ!!」



「何か、きっと方法があるはずですわ!! もう一度冷静に考え直してっ!!」



「そうだぜ! オレたちと、きっとそこにいるトライズは共に生きることが出来るはずだぜ!!」




 ラルフ以外の全員が、トライズの心変わりとラルフの延命を願った。




「――そうか…………ラルフよ。人が人の、自らの意志で滅びゆく運命を肯定するのか――――ならば、是非も無し!!」




 ――しかし、剣を抜いて憎悪の焔を未だ轟然とその瞳に燃え上がらせるトライズを見て、皆が瞬時に理解した。





 ――これは、『勇者』と『魔王』だけの闘い。




 互いに確たる意志で闘いを挑んでいる。





 それは固い決意と覚悟。




 誰も、止められない――――




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 ラルフとトライズの最後の決闘が始まった。





 だが、やはりまともに戦ったところで、勝敗は見えていた。




 剣を交えてはいるが、トライズの剣がいくらラルフに食い込んでも、すぐに英気で治癒してしまう。太刀筋はラルフと瓜二つな素晴らしい剣技なのだが…………今のラルフには致命傷など与えられるはずもなかった。




 トライズの剣をいなして、ラルフの剣は何度もトライズに傷と痛みを与えていた。



「――『勇者』ラルフよ! お前は何故そこまで人間を信じられる!? 何故愚直にも人間を救おうとするのだ!!」




「――俺はまだ人間を愛している! 俺が出会った人間たちは……全てが『悪』とは断じられないからだ!」




「――甘い…………! 人間など簡単に他者を裏切る! その愛は決して報われることなどないのだ!!」



 血に塗れつつも、毅然とラルフの剣を弾き連撃を決めてくるトライズ。だがラルフにダメージは無い。



「――報われぬ、ただその身と魂を擦り減らして注ぐのみの愛などに、何の意味があるというのだ!! お前のしていることは偽善に過ぎぬ! そのままその身が滅び、やがてお前の愛する人間も滅びる。それで満足か!?」




「――トライズ…………それは、魔王となってまで人間を『救おう』とした今の貴方と大して変わらない。それに……俺から人間に向ける愛など、大したものではない…………報われずとも嘆きません。」




 トライズと剣を交える度に――――ラルフは心そのものが交わっているような感覚を覚えた。



 まるで、厳しく、愛情深い父親に稽古をつけてもらっているような――――




「――俺が勇者であれたのは……人間の愚かしさを貴方を通じて知っても勇者であれたのは、ほんの短い間でも仲間がいてくれたからだ。仲間を信じ、また信じ返してくれた。そしてその仲間たちが多くを悩み、多くを苦しみ…………それでも生きようとする意志。その勇気。その『人間』臭い姿を確かめられただけで充分なのです!!」



「――この馬鹿息子めが!! …………大馬鹿者め…………」




 再び、刃を交え、躱し、また一撃を決める。



 トライズもまた、ラルフの想いを剣を通じて感じ取れるような気がした。そして無意識にも、目の前の藍色の髪の青年に、頑固で不出来で、愛しい我が息子を叱りつけるような怒気を込めていた。




「――くっ…………愚かしいだけの人間に無償の愛を注ぎ……救う為だけに剣を振るい…………それでお前に一体何が残るというのだ。いずれ裏切られ、利用されるだけの一生に…………」




「――俺は! たった今、この瞬間にさえも救われています!! 人間の愚かさ。悲しさ。儚さ。弱さ。狡猾さ。度し難い悪辣な本性。それらを抱えつつ人は生きる。矛盾を孕みつつも最期の一瞬まで前を向き、歩いていく…………それが人間の美しさ。人間の素晴らしさです。愚かで、醜い、弱い。だからこそ人間を愛おしく思います。俺はそれだけで人間を守りたい、救いたいと願います。例え、この身が朽ちても、この世が虚無に果てようとも――――」




「…………………」




 トライズは、ついに口を閉ざした。




 そして――――勇者の英気を、最後の力を振り絞り、繰り出したのは――――





「――あの構えは! ラルフ殿の必殺剣と全く同じ――――!!」




六重神風ゼクスシュツルム――――!!」




 トライズが放った必殺剣は、ラルフの身体をしかと捕らえた。6つの光の刻印が輝く――――




「――くうっ…………はあああーーっ!!」




 さすがにラルフも大きく傷を負った。




 しかし、すぐにトライズの剣を薙ぎ払い――――粉々に砕き折った――――




 トライズは――――その刹那、にこやかに微笑んだ。




「――見事なり…………我が子孫…………ラルフよ…………!」




 遂に。




 遂に、トライズは膝を折り、その場に崩れ落ちた。




「そなたの勝ちだ。『人間を愛せし誇り高き勇者』ラルフ…………私の最後の子孫よ…………」




 だが、ラルフの後ろにいる人間たちも含めて、鋭くこう呟いた。



「だが、私は最期に……この呪詛を残して逝く…………忌々しき人間どもにな――――覚えておくがいい。誰しもが、憎悪のもとに『魔王』になり得ることに…………人間が、人間である限り――――いつの世も、どんな世界でも…………」




 トライズは大量に失血し、英気も総て絞り尽くした。もう、死を待つのみだ。天を仰ぎ、瞼を閉じる。




「――ああ。これか…………これが、私が待ち侘びたものか…………これで、この忌々しき『人間』の肉体を捨て去ることが出来る…………」




 ――――トライズの身体が、みるみる朽ちていく。精神は浄化し、肉は塵となって飛んでいく…………。



「――よいか、ラルフよ。私は先に逝く。だが、魂は幾分か、お前の中で生き続けるであろう…………お前が『勇者』としてどんな最期を遂げるのか――――見届けてやる。お前の心が憎悪の闇に落ちるなら、いっそ私はお前を魔王へと変えてやるからな。しっかりと見ているぞ…………」




「――トライズ。」




「――遂に、この世から消えることが出来る。人間などのいない、無量の世界へ――――次こそは、人間のいない世界に…………生を受けますように…………我が心の宇宙におわす――――神よ――――」




 ――そうして、原初の勇者・トライズ=フィルハートは、光とも塵とも似つかぬものになって、サアアアア…………と風に舞って消えた。




 そして――――ラルフの身体も、同じように光り始めた。




「ら、ラルフ殿……」


「ラルフ! 消えるな!!」




「……トライズ…………貴方がどれほど『魔王』を自称しようとも…………貴方の高潔で純粋な魂は、正しく『人間』……そして『勇者』であった。根源総てまでが邪悪ではなかった…………そのことは、俺と、ここにいる人間たちで伝えたい――――」




 ラルフは仲間たちに振り返り、告げた。




「――みんな。最後まで振り回して、済まなかった。俺はあと何日――いや、あと何時間、かな? 『勇者』は消えてしまうだろうが…………あの魔王となってまで人間を『救おうとした』トライズ。魔王と堕ちた彼は忌むべき存在だが……人間だった時は間違いなく『勇者』だったんだ。それを世界中に伝えていってくれ…………」




「ラルフ殿…………」




「みんな、それじゃあ――――」




「――ラルフ殿ーーーッ!!」




「――さようなら。」




 ――眩い、しかし温かな光が辺りを包み込むと同時に…………遮っていた光の壁は消えた。




 そして――――




「――ラルフ、殿…………行ってしまわれたのか…………」




 ――――最後の勇者も、消えいった。

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