第41話 憎悪の巨塊

「こ、これがァアア…………魔、王ゥ…………ッ!!」




 吐き気を催す残虐な振る舞いをしてきたはずのセアドですらも、その姿にはどうしようもない怖気を覚えた。



 とてつもなく、とてつもなく、途方も無く、巨大。




 空が半分以上消失したかのような巨大さ。




 全身からは夥しい数の触手が伸び、同じくらい全身に生理的に不快を覚えるに十分過ぎる数の目玉と触角が動く。




 膨れ上がった身体の至る所に口のようなモノが開き、下水道の汚物を万倍にしたような悪臭を放ち、人間の手足のようなモノが血肉と共に大量にぶら下がっている。




 どこが頭で、どこが尾なのかもわからぬ異形。合成獣キマイラや百鬼夜行、魑魅魍魎が混濁したものでも筆舌に尽くしがたいほどに醜い。





 混沌カオス





 途方も無い力と大きさを伴った混沌と憎悪の巨塊が、この世に現界したのだ。




「なん……て、悍ましい…………!」




 あまりのこの世ならざる邪悪に、ルルカは思わず吐き気を催し、口元を手で覆う。





 例の、地獄の底の窯のような低い声が降ってくる。




「――この姿は『貴様ら』だ。貴様ら『人間』の憎悪が形を成しているに過ぎぬ!! 貴様ら人間は……己の憎悪ゆえに滅びるのだ!!」




 魔王。




 否、憎悪の巨塊の無数の眼の幾つかが怪しく、赤く光る…………。




「――王家に仕えし魔術師よ。透けて見えているぞ、貴様の脆い心が! 身分や立場、ふざけた理屈などで蠢く社会に倦んでいるのであろう…………本当は人間が憎いであろうッ!!」




「――!? わ、私のことを――――!?」




「――道から外れし闇医者よ…………貴様も身をもって思い知ったであろう!! 軍医として戦場に出向き、人の業を! 愚かさの限りを!! 人間などと言う心も身体も救い難き憐れな生命への憎悪を! その真深き病巣をッ!!」




「!! 貴様――――!」




「――己の性に惑いし冒険者よ…………貴様のような己の愚鈍さにも気付けぬ無自覚の悪意が、世界を破壊へと至らしめるのだッ!! その蟠り! その迷い! 抱えたまま生きるのは苦痛以外の何物でもないのだッ!!」




「――なっ……なんでそれを――――!?」




「――楽師風情が……! 歌などただの麻薬に過ぎぬわ! 音楽などと言う戯れに酔いしれて破壊の限りを尽くす凡愚めが…………! 己の青さを悔いて死ねッ!!」




「――!! や、野郎――――!!」




「――闇をその身に宿せし小娘よ…………貴様も苦痛を伴い思い知ったはずだ、その心を強引に二つに分かたれてまでな!! 他者を快楽を充たす玩具としか捉えぬ下衆共を!! そんな下衆共をその両の手の刃で塵芥に斬り裂きたくはないのかッ!?」




「――それは――――!!」




「――猫人の亜人よ…………己の傷と過去を思い出せ!! 感じるだろう! 人間に受けた仕打ちを!! その身勝手さと醜悪を!! 今更人間と共に生きる必要などない! 復讐心に身を委ねろッ!!」




「――あ、アチキは――――!!」




「――罪人風情が…………貴様がいくら自由を謳歌した気になろうとも、貴様の悍ましき業と罪、返り血は消えぬ!! 罪を認め……絶望に身を凍てつかせろッ!!」




「――………………」




「――魔王め……みんなの心を!!」




 暗黒の空に聳える憎悪の巨塊は、全身にある無数の口という口を開き咆哮する。




「勇者・ラルフよ! 貴様が救おうとしている人間共はこれほどまでに不完全な生命体だ…………救おうなどと、まやかしに過ぎぬ!! 愚かで、憐れで、醜い、憎き、救うに値せぬゴミなのだッ!! そのようなモノに情をほだされるな!! 人を救う『勇者』などではなく――――悪しきモノを滅ぼす『魔王』として私と共に生きようではないか!!」




 憎悪の巨塊は、高らかに吼え、そして嘲笑う――――






「――――黙れッ!!」





 ――ラルフは、敢然と一喝した。




「――人間は確かに愚かだ。救いようのないちっぽけな生き物。魔王、お前の言う通りかもしれない…………」




「――ラルフ殿…………?」




「――魔王。お前の苦痛と憎悪の深さそのもの。憑依された時。そしてこの『原初の勇者の力』を解放した時感じたよ。人間は愚かだ。救いようもないものがほとんどだろうな――――だが、人間は変わっていく。ゆっくりでも、微かな歩みでも、人間は進歩をしていくんだ。例え、その先に破滅が待っていようと、人は受け入れる強さをいつか勝ちうる…………」




 ひとたび、ラルフは瞼を閉じた。




「その強さと覚悟を手にする日まで、人は生きる。その布石へと……『勇者』はなってみせる。人は――――」




 その瞼を開き、緑色の光の英気オーラで皆をさらに包んだ――――






「――――最期の瞬間まで生き続けてこそ人間なんだーーーーッッッ!!」





 ラルフたちは、英気オーラの助けで宙を飛び、敢然と空を埋め尽くそうとする憎悪の巨塊に立ち向かっていった――――




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「――爆風よ!! はあああああっ!!」




 ロレンスが爆発魔法を広範囲に念じる。英気オーラによって限界を超えて高められた魔力と精神力ならば、もはや詠唱をほとんど要さずとも凄まじい破壊力の魔術を繰り出すことが出来る。




 だが、広範囲を狙ったつもりでも、まだまだ致命傷には至らしめない。この憎悪の巨塊からすれば、今の爆風は針で突かれた程度の傷だろう。




「でやあああああーーッッ!!」



 ウルリカも果敢に巨塊に突進し、戦斧で乱打を浴びせる。もはや一人の人間の繰り出せる威力ではない。




 それでも、あまりにも大きな塊。いかに勇者の力で能力を増幅されていても、蟻が巨大な動物を食んでいるようにしか見えない。




「――血華輪舞刃…………はああああああッッッ!!」




 ルルカも縦横無尽に飛び回り、あらゆる方向、あらゆる角度から巨塊を斬りつける。




 苦悶の表情も、呻き声ひとつ上げず、ただ呪詛と邪念を放つ巨塊には、ダメージが通っているのかさえわからない。




「――ぐおらああああああああオオオオオオーーーッッッ!!」




 セアドも咆哮しながら両手に戦斧を持ち、ウルリカ同様激しく憎悪の巨塊を殴打し、立ち向かう。




「――愚鈍なる人間に、苦痛を与えん…………!」





「うおあっ…………!」




 憎悪の巨塊は、当然ただ浮遊しているだけではない。




 絶えず触手で絡みとって呪詛を伴った毒液を注入しようとして来たり、その途方もない質量で押し潰そうとして来たりする。




 そして、厄介なのはやはりその憎悪によって膨れ上がった呪力だ。




 夥しい数の眼に睨みつけられるだけで、忽ち身体が固まり、麻痺する…………。




「大丈夫にゃ!! キュアっ!!」




 すかさず、ベネットが何乗にも倍加した法力で、セアドが受けた呪いを癒す。




「まだまだにゃよ! ウニャアアアアアッ!!」




 ベネットは回復だけに甘んじることなく、神聖な法力を込めた法術も続けざまに撃ち、巨塊を浄化しようとする。




 キシャアアアアアアア…………。




 憎悪の巨塊が甲高い呻き声を上げる。どうやらこれはなかなかに効くようだ。清しい法力を伴ったエネルギーは、この邪悪の塊には特効だ。




「……やはり神聖な属性には弱いか…………ならば、喰らえッ!!」




 ブラックは先ほどルルカに回復弾を撃った要領で、今度は勇者の気を銃口に集中させ、立て続けに光の銃弾を連射した。





 どどどどっ…………バンバンバンバンンンンンン!! 




 着弾したところから破裂音が響き渡り、やはり魔王も悲鳴を上げる。弾を受けた箇所が、濃硫酸でも受けたように爛れて蒸発していく…………ブラックの読み通り、これも効くようだ。




「♪燃え上がれ 奇跡のPOWER~YEAHHHHHHHHHHHHH!!」




 歌詞の通り燃え滾る戦意を込めてヴェラが絶唱し、味方の力をさらに押し上げると共に音波動を、反響定位エコーロケーションで拡散して撃つ。




 ヴェラの音波動は神聖な属性持ちと言うわけではないが、ブラックが調べた通り、魔物の類いを祓うような効力がある上に、この空中で目一杯放つ『音』はよく響き渡る。魔王もやはり怪鳥の鳴き声を何倍もおどろおどろしくしたような甲高い悲鳴を上げる。




「――小癪な人間共があああああアアアアアアアアアーーーーッッッッ!!」




 瞬間。



 憎悪の巨塊は全身を一気に収縮させたかと思う刹那、鋭い毒針に変質させ全方位に突き刺してきた! 



「ぐああッ!!」

「くっ……!」




 突然の奇襲。全員の身体が魔王の毒針で穿たれる! 





「……ぐっ……みんな、諦めるな!!」





 ラルフがなおも英気オーラを増幅する。



 この英気は、もはや無尽と言ってもいいほどの力のようだ。受けた重傷もすぐに治っていくし、各々の能力を少しも損なわない。



「――そう、だ……諦めるな! ラルフが力を分けてくれている……今しか好機は無いッ!!」



 叫ぶと同時に、ブラックは例によって英気に回復の意志を込めた『回復弾』を全員に向けて撃ち放っていく。



「――ぐっ……にゃあああああああーーーッ!!」



 ベネットもそれに呼応するように全員に法術をかけ、その回復を確かなものにする。




 回復弾やベネットの法術を受けた仲間たちは、すぐさま立ち直り、何度でも攻撃に転じる。




「――まだだ、喰らえッ!! 六重神風ゼクスシュツルムッ!!」




 充分に英気を練ったラルフの必殺剣も、何度なく炸裂する! 




「KIYAAAAAAAAAA…………!!」




 ――やはり、最も特効なのはラルフの『勇者』の力を伴った光の御業、必殺剣のようだ。憎悪の巨塊は苦痛に激しく身体を揺らし、絶叫している…………。




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 幾度も。





 幾度も。





 何度でも。




 全員が絶えず動き続け、憎悪の巨塊を削り取っていく。




 だが、その度ラルフたちは数えきれないほどの致命傷を幾度も負った。




 肉を穿たれ、骨を砕かれ、臓物を潰され…………。




 人間の限界を超えて、その度『勇者』の力を基点に治癒される。




 それは、労苦などと次元のものではなく、ただ死に逝くよりも遙かに、遙かに耐え難い苦痛でもあった。




 苦痛を幾度も抑え込み、堪え、黙らせ…………勇者たちは戦い続ける。





 魔王よ、落ちろ。早く落ちろ。





 願わくばこれ以上苦痛を受ける必要なく。





 皆そう願いながらも、敢然と血戦を続けていた。






「――一体……何をやっているのだろうな、私は…………つまらぬ戦意など捨てて…………さっさと遠くへ逃げればよかろうものを…………」




 何度となく傷付き、倒れた仲間たちに回復弾を撃ち込みながら、ブラックはふと我に返ったように呟く。




「――同感…………いくら何でも、ここまでやる義理、あたしらにあっかなー……」




 うんざりした様子で傍にいるブラックに応えるウルリカ。




「――でも、しゃあねえーだろ!! あの糞野郎にああまでオレたちのSOULを否定されて……逃げるわけにゃあいかねえッ!!」




「――ハハッ…………確かに……あんなでっかくて汚いモン、ウンコ以外のにゃにものでもにゃいわよにゃ。あんなのに負けちゃ、アチキらウンコ以下にゃよ」




「――お二人とも、口がよろしくてよ…………でも、そうですわね。人に仇為すのは人で充分。憎悪に歪んだ異形の化け物を倒すのは……理性と信念に生きる人間であるべきですわ。」




 近くの破壊された岩の残骸をどけてそれぞれ立ち上がり、なおも戦意を捨てないヴェラ、ベネット、ルルカ。




「――ぎゃはっはっはっは……! しょ、処刑を前にィィ……ここまで戦わせてくれるなんざあああああ…………こんな体験、世界中探したって無いぜえええええエエエエ!! ――――俺みてエな人でなしにとっちゃあ、良い処遇だぜええ」



「――貴様の境遇と皆を一緒にするな。私たちは戦闘狂でもないし、死ぬためにあの魔王と戦っているわけでもないのだ。先ほども……ええと、誰が言ったんだっけ…………ラルフ殿がいる今が好機だ。今しか好機は無いのだ。ここで奴を世界に解き放てば、どのみち人類は終わりなのです!!」




 空中から、幾度も魔術を浴びせ、打撃を交えたセアドとロレンスが着地する。




「――すまない、みんな。こんな苦しい思いをさせて…………だが、ロレンスの言う通りなんだ。ここで食い止める。ここで倒す…………!」





 つい今しがた、何度目かの六重神風ゼクスシュツルムを浴びせたラルフも着地し、天上の憎悪の巨塊を睨む。





 一体、何時間戦ったのだろうか。




 空は闇夜のまま。魔王の強大な魔力がある限り、この闇夜は決して晴れることは無い。ゆえに、もはやどの程度戦ったのかもわからない。




 だが――――憎悪の巨塊は、確かに、確かにダメージを受け、削り取られている。消耗している。




 重苦に蠢く巨塊は、なおも轟然と勇者たちに怒声を浴びせてくる。




「――ちィィィッ!! 諦めの悪い人間共め! 何ゆえそこまで抗うッ!? 人間の忌むべき性と業をその魂魄こんぱくに感じつつ……何故戦うのだ!?」




「――我々を、魔王! 貴様と同じと思うな! ――――魔王。確かにお前の言う通りだ。私は……ロレンス=フォン=ワインズは弱き心の人間だ――だが、変わる!! 人として最期まで自らの足で歩を進め、自らの生ののちに天命を全うする! 貴様に私を、皆を…………この世界の人々の運命を終わらせはしないッ!!」





「――人間は度し難い生物だ。いかにその病理をメスで抉り出し、白日の下に晒そうとも微塵に救えぬほどにな――――だが、だからこそ私は人の生命いのちを尊び、愛する!! 愚かなままでも、懸命に生きる姿こそ人間の素晴らしさなのだ…………どんなに人間に絶望しようとも、貴様如きの手で終わらせはしない!!」





「――人間がどうとか、愚かしさがどうとか、正直あたしは確かによくわかんない。そんなに賢くないし……でも、あたしはあたしだけの人生を歩む! 自分で出来る限りの自分らしい生き方するって、決めたんだ! あんたみたいな憎しみだけの塊なんかに否定されてたまるかッ!!」





「――オレの生き方、オレのORIGINALな人生はオレが決める! オレが信じる音楽は麻薬なんかじゃあねえ!! 人と人が輪を結んで、共に楽しく生きていけるサウンドを目指してくんだ……破壊の為でも、自分独りの淋しい欲望を満たす為のアートなんかじゃあねえ! ガムシャラに生きてる人間を歌で元気づけてやりてえ……それだけだ!!」





「――わたくしは生きる。他人に翻弄される人生でも…………いつかそのしがらみを解き放ってみせる。今は辛いばかりの人生でも、いつか! 必ず変えてみせる!! 私と共に生きてくれる人たちの為にも…………最期の瞬間まで『生き抜いて』みせます!!」




(――あら。わかってきたじゃあないの。『わたくし』。必死に生きる人間こそ……諦めない姿こそ美しい。どんな殺戮による悦楽なんかよりも心地よい。生きる為に力を振るうのであれば、もう迷いはないわね。『私』! 身体を預け、力を全て託しますわ!!)





「――もう……もう誰かに利用されて怯える人生は真っ平御免にゃ!! アチキはアチキらしく……目の前のことから逃げずに生きていくニャ! 良い人間もいれば悪い人間もいる…………美術館ミュージアムみたいな奴もいれば、ルルカお姉様みたいな愛する人もいるんにゃ。みんな死んでしまうなんて絶対に嫌ニャーーーッッッ!!」




「――俺の人生、気づいた時にゃあ、ぐちゃぐちゃだった。もう取り返しはつかねえ。お前さんの言う愚かな人間の定義みてえな野郎だぜ、俺ァ…………だがなア!! それでも俺は人として生きて……人として死にてえ!! 盗人猛々しいかもしんねえがよ…………人として生きて、このちっぽけな生命いのちを使い切ってやらあッ!!」





 ――――巨悪の問いかけに対し、闘う人間たちは自分たちなりの生きる為の信念と正義の言葉を張り上げる。




 英気はそれに共鳴し、さらにその輝きを増していく…………! 




 その英気は、ついには『勇者』の力だけではなかった――――




「――英気を通じて、みんなの心が伝わってくる…………苦難と矛盾を認め……なお生きて前へと進み続ける心の力――――それは、『勇気』だ。」




 ラルフは、また一度瞼を伏した。





「…………この仲間たちに出会えて、良かった。俺を『勇者』として、いや……一人の『人間』として共に戦わせてくれる――思い残すことは、ない。」




「…………ラルフ殿――――?」




 ラルフは瞼を開き、煌々と『人間の勇気』の英気を全身に、全員に漲らせ、叫んだ――――




「――――人の為に殉じようッ!! この生命いのちも、燃やし尽くす!! それが――――俺の人生だ!!」





 ――人間たち自身の真なる勇気が、『勇者』の力を飛躍的に増幅する!! 皆の瞳に、魂に……さらなる無限に等しい力が迸る!! 





「――もはや言葉で語るだけ、無駄なようだな…………我が最大の力を以て貴様らを殺すッ!! その思い上がり、その蛮勇…………地獄で詫びるがいい!!」





 魔王の全身に、世界中からさらなるとてつもない大量の憎悪の邪念が流れ込む――――魔王の身体はさらに膨れ上がり、呪力は何倍にも高まった!! 

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