第31話 黒くなりけき医者と性を識り始めし女
「…………」
「…………」
既に食事を速やかに済ませ、今はコーヒーを飲みながら自前の使いこんだ分厚いノートを片手に薬品のチェックをしているブラックと、いつもならすぐに済ませるはずの食事を長引かせ、葡萄酒のグラスを傾けながらブラックを頻りに見遣るウルリカ。向かい合わせにテーブルを挟み、座っている。
「――――あ、あのさあ。ブラック」
「――――どうした、さっきから。ここの料理を食い過ぎて腹でも痛めたのかね? 全く……」
「……違うっつの!! あんたはなんでそう、いちいち……」
アルコールも手伝って、幾度目かの、頬をその髪の色と同じにして怒鳴るウルリカ。
「――っと。そうじゃあなくって。……ブラック。あんたさ、あたしが死にそうになった時、真っ先に取り乱したらしいじゃん? 普段、そんなムカつく態度してるくせにさ……」
ブラックは、視線を薬品箱とノートから離さず、伏し目がちに答える。
「……それが何かね?」
「ほ、他にも……遺跡の攻略の途中にもさ。こっちの
「……それがおかしいかね? 医者が人命を救うのは当然のことだし、勇者であるラルフも生命を尊重していると見えるが?」
「や、そりゃあまあ、そうなんだろうけどさ…………」
ウルリカは、上手く言葉にできないもどかしさに頭をポリポリと掻いた。
「だからって生命助けんのに拘り過ぎじゃあない? あたしも以前から医者の厄介になる方だけど……なんかヘン。」
「…………ふー……」
ブラックは疑念を向けるウルリカに顔を向け、一先ずノートをテーブルに置いた。
「……このままだといつまでもつきまとわれそうだな……わかったよ。私が生命に拘る理由……君に話しておこう」
「……うん。」
ウルリカも一旦グラスを置き、真摯な態度でブラックに向き合った。
「……理由とはいっても、まあ、
尤もらしい理由。
だが、機微に疎いウルリカでも、何か引っかかるものを感じたままだ。
「えー。ホント? マジに訊いてんのよ? 正直に話してよ」
「本当だとも……まあ。その理由が『強くなった』過去なら、私にもあるがね…………」
ブラックはコーヒーを一口啜った。
「――昔、私は軍医だった。祖国の医学校で首席の成績だった私は……『自分に救えない生命は無い』、などとほざいていた。……思い上がりも甚だしい、若造の戯言さ。――全く……青二才としか言い様がない……」
「…………」
ウルリカは、ぽかあん、と口を開け驚いている。
「……どうした?」
「……いや。ブラックみたいな人でも、若い時そんなだったんだって思って……」
ブラックは、忌な気に眉根を顰めて横を向いた。
「……ふん。笑いたければ笑いたまえ。私にだって未熟で稚拙な時期はあったさ……君から訊いてきたんだ。話を続けるぞ」
「う、うん。ごめん。」
お互いに、再び向き直った。
「……軍医として戦場に初めて赴いた私は……現実を思い知った。つい数秒前まで健康活動が良好だった人間が――――一瞬にして原型を留めぬ形で生命活動を、停止するのだからな…………それを思い知る直前まで、呑気に構えていた私は忽ち怯えすくみ、恐慌状態となった。――――救難テントに運ばれてくる兵士たちはその全てが治療不可能なまでに傷み……良くて一生五体不満足を余儀なくされるほど凄惨な現場だった。」
ブラックは手元のコーヒーが入ったカップをテーブルに置き……カップを手で包んでいる。
「――血と薬剤と化学兵器の悪臭に……私は文字通り反吐が出た。時間が経てば経つほど治療は困難になり、人手も足りなくなってくる…………私は……あの時ほど動揺を覚えたことはない。己の医学の未熟さにもな…………」
ブラックはカップを包む手に力が籠り…………黒いコーヒーに己の顔を映し込んでいる――――
「『もう駄目だ。これ以上増える犠牲者の数を止めることなど出来ない』……そう思っていた時だよ。無惨に変わり果てた姿で…………私に呼び掛ける兵隊たちの声が聴こえ始めた。」
ブラックの目に
「ブラック……」
「『もういいよ、衛生伍長。――ここで殺してくれ』――――『耐えられない。麻酔と毒を注射してくれ』…………死を望む絶叫が、テント中に喚き、響いていたんだ。始めのうちは『死にたくない』『助けてくれ』と元気に叫んでいた連中が、私に助けを求めていた者たちが――――今度は死の安寧を…………安楽死を渇望していくんだ…………」
「…………ブラック。」
「私は……もはや何が『助け』で何が『救い』なのかわからなくなっていた。そして、気が付けば――――私は持てる限りの薬剤を使って、患者一人一人に、毒を注射していた…………――――『ありがとう』『これで楽になるよ』……そんな言葉と、崩壊した顔面でもはっきりわかるほど安らいで死んでいく兵隊たちの表情が……今でも脳裏から離れなくなった。」
「――――えっ。」
ウルリカが驚いたのは、コーヒーの水面に落ちる水滴の存在――――ブラックが、烈しき悔恨と、理不尽なモノへの苦き想いから湧き落としている、涙だった。
「…………私は、激しく後悔した。――何故救えなかった!! 何故、もっと最善を尽くしてやれなかったのだ…………ッ!!」
「ブ、ブラック! あんた…………ええっ……」
ブラックは、肩を震わせ、己の中に強く在る悲しみと自責の念を噛み締めている。静かだが、天地が動鳴するほどの強い想いからなる落涙が止まらない。
「……わかっている。医学は……人の持つ技は未熟極まりなく……救える人間など数えるほどしかいないのだと…………その時の私が取れる、限界の行動だった。だが……以来、人間の生命が目の前で消えることに我慢ならなくなった。だから……少々非合法な手段でも、誰かを救う為に諸国を放浪したんだ。」
ブラックは温かな雫を両の眼から流しながら、弱々しく笑う。自分自身への嘲笑であった。――そこに平生の彼の、クールで傲慢に見える強さは微塵も無かった。
ただ、救えなかった無数の生命への哀悼と、己への責に咽び泣く……弱く、小さな医者の男であった。
「……くく……笑ってしまうだろう? 死を一番恐れる者が……結局、死に一番近い立場に固執してしまっているんだ。何よりも度し難い人間の一種だと思っているよ…………――――それほど最低な人間なのに、死にきれずに……私は…………私は――――!!」
今度はウルリカが動揺する。
「ちょ……ちょちょ、ちょっと、待ってよ! 落ち着いてって! ブラック! もう……いいから! わかったから! ――――泣かないでよ。」
ウルリカの言葉で少し冷静になったのか、ブラックは袖で涙を拭い、深呼吸をした。
「……はあ……私としたことが、またも君の前で取り乱してしまった……どうも君がいると調子が狂う。奇妙な縁すら感じるよ、ウルリカ。取り乱して済まない。……済まなかったな…………」
「う……い、いいって! 別に…………」
ウルリカは、密かに、自分の胸の鼓動の高なりを抑えられなかった。彼の悲しみの一端を知ったこともそうだが――――
(……戦いで、苦痛以外で大人の男が泣くのって、あたし初めて見たかもしんない……)
何とか、気持ちを落ち着けつつ、ウルリカはブラックに声をかける。
「……あ、あの、さ。あたしの話、してもいいかな?」
ブラックはまだ表情は険しいものがあるが、柔和な声で返す。
「……ああ。何なりと言ってくれたまえ……」
今度はウルリカが真剣な面持ちで語る。
「あたしね。子供の頃から根無し草でさ。家族とも全員冒険者で――――いや、家族なんてなかったようなもんかもしんない。」
「……うむ。」
「実際、『家族』なんてものは知らずに育った。13歳ぐらいの頃には冒険者として色んなトコに流れていった。危険と隣り合わせだけど、世渡り方はまあまあ。でも……歳を重ねるごとにさ……意識するようになっちゃったのよ。自分が『女』だってこと。始めはあんま気にせず、こなせる仕事バリバリこなしてたけど、やがて『女であることを意識するようになっちゃった』のよ……冒険者にとって『日常』とか『一般市民』の幸せとか、そういうのに憧れを持っちゃうのは、致命的な弱点。にも関わらず、あたしは冒険者であることに固執して生きてる……」
「……うむ。そうだな……それが君の仕事ぶりにも所々表れている。それは生命を落とすことに繋がりかねん。事実、風水師・ミラディとの戦いで君は死にかけたわけだ」
「うん……最初はあんたのそういう言葉にも反発してたけどさ。やっぱ意識しないようにしても、どうしても仕事の中に出ちゃう。このままじゃあ危ないし……なんつーの? あたしの本来の生き方じゃあないのかな、って。」
「ふむ」
「……なんか……いいのかな? こんな望みを今更持っちゃっても。普通の女の子の生活を望んじゃっても。普通の女で料理したり、お洒落したり、結婚したり…………」
ブラックはひと息嘆息した後、軽いトーンで答える。
「……いいのではないか? 危険な稼業から足を洗い、一般人の生活を目指しても。少なくとも健康状態を維持して長生きできる可能性は高いよ。君は歳も20そこそこ。身体も頑丈だ。今から一般人の女を目指すには十分過ぎるほど若い。嫁の貰い手とかは……まあ、努力すれば何とかなるだろう」
ウルリカは俯き、しばし黙考した後……大きく頷き、決心した。
「……決めた。本当はあんたと出会ってからずっと意識してたけどさ……この遺跡での件が終わったらさ。あたし――――――――」
「…………本気かね…………?」
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(――人間の為すことに翻弄され、才能はあっても苦渋に満ちた、葛藤に満ちた人生を生きる者と……自分の性と生き方を見つめなおす機会を得始めた者か…………)
「――――人間は、悲しいな。複雑だ。だが……それが人間の素晴らしさなのかもしれないな」
勇者・ラルフは、語らう男女に背を向け、別のテーブルへと歩き出した。
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