第30話 斜陽の令嬢と悲哀の猫人と突撃の楽師

 ラルフは密かにカウンターから離れ……暖炉の前で寛ぐルルカとベネット、ヴェラの声が聴こえる辺りで目立たないように席に座り、食事を取るふりをした。


 静かに耳を利かせると、3人の会話が聴こえてくる……。


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「ジャジャーン!! 見ろよこれ! オレのギター、あの野郎からかっぱらった部品、市場の職人に持ってってよ、色々改造したんだよ! 元々頑丈なボディだがよ、さらにパワフルなサウンドがお見舞い出来るぜ!! …………む、むう……」


「…………」


「…………」


 ヴェラが景気良くルルカとベネットに話しかけるが、2人とも暖炉の火に向かいながら虚ろな表情のままだ。


「な、なあ。お前らよお」


「……」


「……」


「――おおい! オメエら反応ぐらいしろお!!」


「やっ……ヴェ、ヴェラ様、いらしてたの? す、すみません。気付きませんで……」


「……あんたがアチキらの気を引きたいにゃら、声じゃあにゃくって手で肩をチョイチョイ叩くようにして欲しいにゃ……大声で耳キーンにゃ……」


「……ふ、ふん! このデカい声はオレの一番のアイデンティティーだぜ。それを存在自体気付かねえたあ、良い度胸だ――――じゃ、じゃなくって…………」


 いつもと調子が狂うな、と言った風情のヴェラは、ゲホン、と咳払いしてから改めて2人に話しかける。


「……な、なあルルカにベネットよお。オメエらホントにこのままでだいじょぶかあ? 何なら元気が出るとっておきの歌を聴かせてやるぜ? 喉も充分あったまってらあ」


「ありがとうございます……でも……今はご遠慮しますわ…………」


「そ、そっか…………な、ならよ!」


 何とか2人を元気づけたいヴェラ。2人に歩み寄り椅子にどかっ、と腰掛ける。


「思い切って、辛かったこと吐き出しちまえよ! んなもんをHEARTに溜め込んだらビョーキになっちまわあ。ぜーんぶ吐き出してHEARTをクリアにすんだよ! オレ、それぐらいだったらやってみせるぜ」


「吐き出す……ですか……」

「にゃむぅ……」


 2人は少し迷ったが――――


「ふふ……ヴェラ様らしいですわね。でもせっかく仲間がいるのですから、悪くない提案ですわ……ねえ、ベネット」


「……はい」


「あの男……美術館ミュージアムと何があったか、わたくしにも詳しく聴かせて? 辛いようなら――――いいえ。辛くてもしっかり受け止めますわ。私の伴侶ですもの」


「おうよ! オレもだぜ!」


「お姉様……ヴェラ……」


 ベネットは少し戸惑ったが、すぐに頷いた。


「……うん。わかりましたにゃ……」


 ベネットは再び暖炉の火に目を移しながらも、しっかりとした口調で語る。


「……とは言っても、さっきあいつと戦ったやり取りで大体想像つくと思いますけどにゃ……アチキは、元々、猫人ねこひとの集落で仲間にゃかまと呑気に暮らしていたにゃ。綺麗なおねいさん猫人を追っかけたり、ぽかぽか陽気でグーグー眠ったり、魚が獲れた日はみんなと宴でも開いたり……幸せな日々…………でしたにゃ」


 仲間と暮らしていた過去を語る一瞬は楽し気な表情だったが――――すぐにベネットの表情は凍り付くように青くなった。


「――――そこに、ある日奴が――――美術館ミュージアムが来たにゃ。みんにゃ必死に逃げたけど……アチキを含め、何人かは捕まったにゃ……そして――――」


 ベネットは徐に衣服を脱ぎ、ルルカとヴェラにだけ見えるように――――背中を見せた。ラルフは、会話だけ聴こえれば充分だな……とも思ったので、視線を逸らしておいた。


 ベネットの背中には――――見るも痛々しい。魔法陣か何かを描くような円状の火傷の痕が残っていた。


「――奴に、この焼印を押されて……それから奴の奴隷にされたにゃ。来る日も来る日も『ゲージュツ』とか言って――――身体中を傷だらけにされたり、悪趣味な芸を仕込まれたり、仲間同士で殺し合いまでさせられたにゃ…………」


「――!! それは…………」


 ルルカはベネットの言葉に反応し、思わず声を出したが、首を横に振って再び聴く姿勢になった。


「……やがて、隙を見てアチキは奴のもとから逃げ出した。仲間を連れて逃げる余裕はとても無かったにゃ。」


 ベネットは、徐々に全身がこわばり……自分を抱き締めるように背中を丸め、震え始めた。




 ――――心の、魂の根源が揺さぶられるような想い。




 肉体と精神をくるんでいるはずの生命いのちそのものが烈しく、理不尽なモノに蹂躙され、犯され、穢された。





 その生命そのものの嘆きの想念が湧いてくる。




「――逃げるアチキに……『助けてニャ、ベネット!』『ウチも連れてってニャ!』『オマエだけ逃げるのか!!』…………そう嘆く声が投げかけられた……にゃ…………」


 やがて。彼女は震えをそのままに落涙する。


「――ううっ……あの日の悔しさと…………罪悪感は今でも忘れられにゃいにゃ…………」


 ルルカは彼女の背を抱き締めて口づけし、犠牲になった仲間に瞑目した。ヴェラはただ、真っ直ぐにベネットとルルカを見つめている。


「……ぐすっ……ぐすっ……そんで……アチキは見捨てた仲間に心の中でずっと謝り続けている……にゃ…………でも、心の中で詫びたってもう助けられないし……罪や弱さを悔い改めることから始めたにゃ」


 その身の根源からの涙を流しながらも、ベネットは続ける。


「幸い……懺悔の場を与えてくれた教会は奴に付けられた古傷を治す法術を教えてくれたにゃ――この焼印以外は。……そんで、傷が消えても……アチキの中の蟠りは消えにゃかった! いつも気持ちがザワザワして……そんでおねいさんのお尻を追っかけることで、そのザワザワから逃げてた。誰かを征服して、利用するような愛し方しか出来なかった! あの美術館ミュージアムと変わらにゃいような。そんで教会からも見捨てられた――――そ、そうでもしにゃきゃ……じっとしてたら、ザワザワした黒い何かに飲み込まれそうで…………気が狂いそうになるくらい恐かった…………にゃ…………うう、うううう…………」


「……ベネット……おめえ……」


「……それで世界を流れに流れて、今に至る。そういうことですのね…………」


「……そうですにゃ……うっ…………うううっ…………」


 顔を膝に埋めるベネット。ルルカはもう一度ベネットを抱き寄せ、頭を優しく撫でて口づけをした。


「……そうしてわたくしに……いいえ。このレチア王国で私たちと出逢った。暗闇のような道を歩いてきた中でようやく仲間と出逢えただけでなく、怨敵である美術館ミュージアムを共に打ち倒し、忌まわしい過去と決着をつけたのですわ。」


「……そ、そうだぜ! おめえは勝ったんだよ、自分の過去によ! オレらと出逢えて、野郎をぶっ飛ばしたお陰で、もう辛いことに怯える日々とはオサラバだぜ!」


「……いいえ、ヴェラ様。人の心とは、そう単純ではありませんわ。物理的、社会的には解決しても、精神的に整理を付けることは難しいことかもしれません……」


「う。そ、そーなのかよ……」


 ベネットの頭を撫でながらも、ルルカはヴェラにも向き直った。


「前に向けるかはわかりません。ですが、わたくしの話もしてみますわね――――どうやら、ベネットと私は同じような境遇のようですし。」


「……えっ…………」


 ベネットが意外そうな反応をした。


 今度はルルカが語る。


「前にもお話しした通り、私は元々は辺境を治めるお屋敷の一人娘でした。危険な旅芸人稼業ではなく、行儀作法を習い、風雅を嗜み……いずれ何処かの殿方に嫁ぎ、伴侶に尽くすのみ……そんなほどほどに裕福な生活を送っていくはずでしたわ。……ですが……戦争などで財政が危うくなってきたのです。私のお父様は心労が重なってどんどん荒んできてしまい――――」


 今度は、ルルカの身がこわばり、悲哀の念が湧いてくる。ベネットを撫でる手も、止まってしまった。


「……財政を少しでも支える為、私を賭け事の闘技大会に参加させ、見世物小屋で悪趣味な道化をさせられました。特に闘技大会は……はじめは戦う覚悟なんか無くて、ただ怯えて死を待つばかりでしたわ……だから――――人を喜んで殺す狂戦士の術を施されたのです…………私は……沢山の人を殺し…………また、殺されそうにもなりました。この手はとっくに、血で真っ赤に穢れているのです。」


「……お姉様。」


「…………」


 ルルカは静かに、両の眼から一筋、また一筋と涙を流しながらも、毅然とした顔つきで続ける。


「……私はそんな『もう一人の自分』を汚らわしく思いつつも、我が生命を守ってきた人格、と、ある種の感謝をしながら共に今日まで生きて参りました。煩悶を抱えつつも、お屋敷が没落するのを見てベネット同様、密かに出奔して、今の唯一の取り柄である剣舞で旅芸人を始めたのです。時には戦って身の危険を避けながら――――いいえ。旅をして生きるには人を殺めることも当然のようにあります。闘技大会の時とそう変わらない。図々しくも生きております。」


 ルルカは、どこか虚ろな表情で天を仰いだ。


「……言葉にしてみれば口をつぐみたくなる。思い出す度、頭を搔き乱したくなる。そんな想いは私にもありますわ。私はそれでも新たな人生が何処かにあると信じて、生きているつもり。だから――ベネット。独りじゃあないのよ…………」


「…………お姉様あ…………。」


 ルルカとベネットはひしと抱き合い、お互いの心を、身体を慰めようとした。


「――――けっ!! しみったれてんじゃあねえーよっ!!」


 と、突然。ヴェラは座っていた椅子を荒々しく蹴飛ばした。


「ヴェ……ヴェラ様……?」


 ヴェラは先ほどまでのルルカ以上に毅然と、確固たる意志を持って立ち上がる。


「オレの方から話してみようぜ、って言っておいて悪いがよ。そうやって過去の心の傷を蒸し返して、傷の舐め合いしてて……そんなのでホントに前に進めんのかよ!?」


 今度はベネットが立ち上がる。


「そ、そんにゃつもりはにゃい! アチキはこれからルルカお姉様と一緒に寄り添って生きて――」


「――フン! それがしみったれてるってんだよ。……わりぃけどオレはそんな風に誰かに虐げられたり利用されたことはねェ。だから、お前らの気持ち、全部はわかり切れねえ」


 2人に歩み寄り、肩を掴み……しかと目を見て叫ぶ。


「乱暴な言い方だがよ、自分の生きる道や居場所は何処かに探したり、与えられるモンじゃあねえだろ……『自分自身の手で、死ぬまで創り続ける』! それ以外に何があるってんだ!」


「……!!」

「にゃ……」


 2人は、ハッとした。


「独りより2人。それは解るぜ? だがよ、2人で互いに寄りかかって、依存してばっかじゃあ前には進めねえだろ。どうせ2人いるならよ――――自分がしっかり地面踏みしめて生きる為に同じ方向歩いてく。そういう考え方や話し方にしようぜ!!」


 ――ヴェラの言うことは、彼女自身の我の強さが大きく出ているかもしれない。


 だが、共依存となりかけていたルルカとベネットには、己をしっかりと持って生きているヴェラの声が強く響いた。


「……敢えてオレの過去を言うならよ。最初ッから一人ぼっちだったぜ。孤児みなしごで、施設にいた誰ともあまり交わらなかった。でも寂しいなんて滅多に思わねえな! オレは一人で、完全に自由だ。満足してる。何より――」


 ヴェラは普段の活気そのままにニカッと笑い、続ける。


「前に進むしかねえ。道は自分で拓くしかねえ。そういう気持ちがいっつも働いてて、却って楽しいぜ? 『生きてる』って感じがしてよ!!」


「…………」

「…………」


 ――――2人の表情から戸惑いと、迷いが消えた。


「……そうですわね。ヴェラ様の言う通りだと思いますわ」


 ルルカはにこやかに微笑んだ。


「過去から解き放たれたのなら、後はそれぞれが前を向いて道を切り拓くだけ。誰かにもたれかかっている場合ではないですわね」


「お姉様…………」


 ベネットは一瞬、不安げな目をルルカに送るが、すぐにルルカは察した。


「大丈夫よ、ベネット。一緒に生きていくことに変わりはないわ。ゆっくり。ゆっくりでいいの。自分たちの手と足で少しずつ……出来ることから、生きる道を切り拓いていくの。」


「……出来ることから?」


「目の前のことを一歩一歩。足で踏みしめて、手で『生きた』と確認して……それを積み重ねていくの。ただそれだけなのよ。」


 ルルカは改めて、ベネットの手をしっかりと握りしめ、ヴェラと交互に顔を合わせて言う。


「心の傷を憐み、誰かに依存してばかりでは『生きている』ということにはなりません。弱さを認めて、自分の中に在るモノ……そう自覚したうえで、自分に出来ることから懸命に……そう。それだけ。それが、互いに愛し、愛されて生きることのひとつ……だと思いますわ。」


 何処かルルカ自身に言い聞かせながらも、2人に向け、晴れやかに微笑んだ。


「お、お姉様あ……」

「ベネット……」


 2人の少女は、愛しきソウルメイトへの愛情を爆発させ、ひしと、何処か甘々と抱き合った。感情と肉体の熱量が、確かな力となって……2人を巡り、包む…………。


 ――出来れば、ずっと、永遠にこうしていたい。


 恋を超え、愛を超え……互いの幸せを真に願う者の、そんな強く温かな心の力だった。


 2人はすっかり、夢心地だ。やがてうつつを生きるエネルギーとなる。


「――へへ! そんじゃあっと! 改めて共に生きることを決めた2人を祝って……一曲、お見舞いしようじゃあねえか!!」


 ヴェラなりの思い遣りの気持ちなのだろうが、ゴテゴテしたギターを引っ提げてROCKを披露しようとする彼女には、正直少し離れていて欲しいルルカとベネットだった。


「……イヤにゃっ! これからは一緒に前向いて生きてくけど……少なくとも今はお姉様とこうして抱き合っていたいニャッ!!」


「――んだとお!?」


 せっかく和やかな雰囲気になっている3人だったが、ここでまたヴェラの生粋のROCKERとしてのキャラクターが出てきた。


「道中いったはずだぜ! オレは歌を聴く奴には最高の歌を歌う! 聴かねえ奴には――――」


「あら? それならば一方的に欲求を通すのではなく……相手の感想や意見を取り入れることも『共に生きる』ということではなくて? ヴェラ様。」


「――あ? うっ。」


 自分が展開した理念を逆に差し出されて、ヴェラは思わず言葉を詰まらせた。


 何より――――まさに逢瀬を重ね、愛情を確かなものとして生きる2人の姿を見て…………盛大に激しく祝うばかりがお互いの幸福ではないことに、ヴェラは気付いた。


「己のスタイルを押し通すことも必要かもしれませんが、時には相手の感想や希望、意見を率直に取り入れてみるのも、音楽という芸術アートに生きる人にはまた必要だと思いますわよ?」


 ルルカは自分の意見にたじろぐヴェラを珍しく思い、驚きながらも、正論を述べる。


「そうにゃっ!! ルルカお姉様の言うとおーり! それに自分の芸術アートを押し付けるだけじゃあ……美術館ミュージアムの奴とおんなじににゃっちゃうにゃ。――ヴェ、ヴェラがどーなろうと知ったこっちゃニャいけど…………もしもそんななったら…………こ、困るにゃ。」


 馬鹿にすることが多かった手前照れているが、素直にヴェラのこれからを案じるベネット。


 その厚意を無下にするほどまた、ヴェラも愚かでは無かった。


「――うぐぬぬ。そう……だよな…………これからはもうちっと……聴く側の気持ちも考えてみっか……なぁ…………ちっ。ケッ!」


「にゃははは! それは本来当たり前のことにゃよ~」


 ヴェラは我慢を覚えようとしつつも、初めての感覚に複雑な面持ちで舌打ち、ルルカとベネットは豪笑した。




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(ひとまず、この3人は大丈夫、だな)


 ラルフはカップの中の紅茶を一飲みし、目を閉じた。


(……互いを愛しているからこそ、もたれ合うことはしない。理不尽な、物悲しいモノを引きずっていても……人間は互いの弱さと強さを認め、信じ、共にどう生きていくかを常に考えて切り拓く)




「――――それが、人間の強さと愛情、なんだな」




 密かにそう小さく呟き、首肯したラルフは、静かに席を離れ――――別のテーブルへと向かった――――。

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