69 炎獄の復帰
人間なんて、所詮はこんなものだろうか。
社会が正しく機能し、規律が保たれていれば、少なからず誰もがそれを守ろうとする。
席を譲り、順番を待ち、暴言を慎み、正当な対価を払い、人権を尊重する。
もちろん、例外と呼べる人も少なからず存在するのだけど、大多数の人間がルールを守る。
ところが、一度タガが外れてしまえば、獣と全く変わりない。いや、獣よりも
なにしろ、獣ですら空腹時以外は、無暗な殺生など行わないはずだ。
だけど、人間の欲求は違う。
ただただ己が欲望のために、暴れ、怒鳴り、奪い、犯し、殺す。そして、力無き者を嘲笑う。本当に最悪だと思う。
常識が変わってしまえば、その行為に対して罪という認識はなくなり、良心の呵責と向き合うだけだ。
そう、魔物が
「まあ、遅かれ早かれ、こうなるとは思ってたけど......」
「だな。自分で生産できないなら、奪うしかないからな」
氷華が溜息と共に溜息を吐き出すと、一凛が肩を竦めながら頷く。
「これが人間だなんて、思いたくないです」
「だけど、こんなもんじゃないのかな~。所詮、人間なんてルールが無くなったら最悪の生き物だもの」
氷華と一凛の会話を聞いた愛菜が悲し気な顔を見せると、萌が僕の想いを代弁してくれた。
さて、帰ってきた途端、大和さんから大問題を告げられた僕等は、すぐさまそれの対応に向かうことにした。
その大問題なのだけど、そう台東区側から侵略者が押し寄せているというのだ。
まあ、侵略者というのも、少しばかり大袈裟な話にも聞こえるのだけど、実際に行われていることを考えると、そうとしか表現のしようがない。
大和さんから聞かされた話によると、僕等がアイノカルアへ旅立ってから、生徒会――明里達主導で近辺開拓を行ったらしい。
その結果は上々で、既に北千住と汐入のみならず、荒川区を全て取りまとめたらしい。そして、その地域にいた人達を警備班と生産班に分けたとのことだった。
ところが、当然ながら生徒会の方針が気に入らない。そう考える人達が居たみたいだ。
結局のところ、その人達は、自分達から出て行ったようなのだけど、何を考えたのか、台東区の生存者グループに情報を売ったようなのだ。
そう、荒川地区は、自給自足が行える状況だと。
そうなると、飢えた狼たちが黙っているはずもない。台東区の生存者グループは、恥も外聞もなく大挙して攻めてきたという訳だ。
ほんと、人間って最悪だよね。
そんな訳で、慌てて応援に向かうことになったのだけど、状況がかなり拙い状態だと聞いて、僕は焦燥に駆られている。
なにしろ、離れていても愛菜の遠見で、ある程度の情報がつかめているのだ。
「とにかく、急ごう。愛菜の遠見じゃ、かなりヤバいみたいだし」
「そうだな。だが、そうは言っても、
僕の言葉に頷く一凛は、かなりイライラしている。さっきから、足先をパタパタと動かしているのだ。
まるで、犬の尻尾みたいなんだけど......
そんな僕等を安堵させるかのように、おそらく美静が運転しているであろうメガクルーザーが、大学の敷地内に入ってきた。
「うはっ、派手にやられてんな」
マジなの? 一凛の言う通りじゃん。車体がぼこぼこだよ......
「大きいのはいいんだけど、なんか、涼しそうな車ね。てか、冬には乗りたくないな~」
窓ガラスの無くなった車を目にした萌が、素朴な感想を口にする。
「これは、マジでピンチそうね」
「というか、美静さんも、よく平気で運転してますね」
氷華と愛菜がボロボロ車体を目にして状況の悪さを察する。
ただ、それと知らないメガクルーザーは、恰も悲鳴であるかのような派手なブレーキ音を鳴らして停車する。
途端に、美静がロケットよろしく発射された。
「師匠ーーーーーーーーーーーー!」
うほっ! なに、このボインミサイル、どんなエロゲ? うはっ、幽体離脱しそう......
思いっきり抱き着かれた、というか、顔に胸を押し付けられて、僕は思わず昇天しそうになる。我が生涯に一片の悔いなし! とうやつだ。
ところが――
「むほっ! うにゅ。ぬは~~~~、うぎゃ! ごほっ! ぐげっ! くきゅ~~~」
――氷華、一凛、愛菜、萌からの熱い鉄拳を食らって、別の意味で昇天しそうになる。そう、我が傷害に一片の容赦なし! なんて状況に......
「いたた......少しは手加減してよ。このままじゃ、僕、死んじゃうよ?」
「死ねばいいと思うよ」
なにさりげなくボキャブってんのさ。君はいつから碇シ○ジになったの? だいたい、死ぬと笑うじゃ大違いだからね。
四人から袋叩きになった上に、氷華から冷たい言葉を浴びせかけられ、僕は行き過ぎた愛が犯罪の温床になるんだと、しみじみ犯罪心理について考えるのだった。
因みに、美静が貧乳だったら、ここまで酷い仕打ちを受けていないと思う。なんてたって僕の彼女達は、誰もが平均以下なのだから。
その光景は、誰がどう見ても間違いなく劣勢だった。
即席で造ったであろう土壁のバリケード。そのこちら側には、怪我を負った者が所狭しと転がっている。
まあ、それも当然かもしれない。いや、これでも善戦していると思う。だって、百対千の戦いだもの。
もちろん、こちらが百なんだけど、魔法の能力に関しては、こちらの方が上みたいだね。
でも、やっぱり数の理論には勝てないみたいだ。
そう、僕等以外は......
こりゃ、酷いや......
愛菜から聞かされてはいたのだけど、現実を目の当たりにして、僕は少しばかり怒りが込み上げてくる。
だって、こっちは小学生も含めて百人なんだから......
「これは、劣勢なんてもんじゃないわね」
「ねえ、氷華、取り敢えず、氷結の魔女の恐ろしさを思い知らせてきてよ」
障壁を越えて飛んでくる石弾を刀の峰で弾き飛ばしながら、軽い調子で冗談まじりに伝える。
「ええ。分かったわ。私に任せなさ――もうっ! それを言わないでよ。ふんっ、いいわ、容赦なくやってくるわ」
僕のジョークに頬を膨らませつつも、彼女は女王の如き風格を漂わせながら障壁へと向かう。
そうそう。二度と荒川地区に手をだそうなんて思えなくなるくらい、徹底的にやっつけてね。
「さてと、次は......愛菜は怪我人の治療を――ああ、深手の人から治療してあげて」
軽い足取りで戦場へと向かう氷華に満足して、次は愛菜へと指示を送る。
「はい。直ぐに向かいます」
「ああ、一凛は、愛菜の――」
「はいはい!」
すかさず
ただ、振り向くことなく想いを口にする。
「その代わり、近距離戦になったら出張るぞ」
「うん。それでいいよ」
なんか、どんどん男らしくなってない? まあいいんだけど、この調子だと僕が犯されそうな気がしてくるよ。
「さあ、萌、いこうか」
「うん。でもさ、ダーリン、普段はなよなよしてるけど、こういう時はカッコイイんだね」
「ぐあっ......いつもじゃないんだ......」
「あはははは」
戦いを氷華に任せ、治療を愛菜にお願いした僕は、萌を連れて明里のもとへと向かうのだけど、彼女の残念な誉め言葉にガックリと肩を落とす。
ただ、そんなことで落ち込んでいる場合でもなさそうだ。氷華が出張った方向とは、別の方向から無数の炎の弾が襲い掛かってきたのだ。
「どうやら、回り込まれたみたいだね。まあ、向こうの方がだんぜん数が多いんだから、そうなるか......爆裂!」
僕は愚痴りながらも、焦ることなく空に向けて爆裂を放つ。
空に何もかもを吹き飛ばすかのような衝撃波が広がり、鼓膜を叩く爆音が響き渡る。
当然ながら、炎の弾は一瞬にして霧散した。
「すっごーーーーーーーーーー! ダーリン、マジ凄いよ!」
隣にいる萌が声をあげると、誰もが僕に視線を向けてきた。
その途端に、小学生達が瞳を輝かせ、意気消沈していた表情を笑みに変える。
「炎獄だーーーー!」
「炎獄が帰ってきたよ」
「あ~、区長----!」
「やった。炎獄が帰ってきた。こ、これで、これで勝てるよ。もう、楽勝だ!」
そうだね。みんなの分も、僕が百倍返しにしてくるよ。
見知った者達が、歓喜の声をあげる。
だけど、僕を知らない者達も沢山いるみたいだ。
「炎獄って......」
「あれが? あれが噂の?」
「私達と変わらないくらいなのに」
「マジで? 中学生くらいじゃん」
うぐっ......人を見た目で判断しちゃだめだよ。
「黒鵜先輩!」
「区長!」
少しばかり気落ちしていると、明里と千鶴が足早にやってきた。
「遅くなって、ごめんね」
「いえ、黒鵜先輩が戻ったら、鬼に金棒です」
「おかえりなさい。さあ、これから反撃ですね」
僕が謝ると、明里と千鶴が笑顔で首を横に振った。
どうやら、俄然、やる気が出てきたようだ。でも、あとは僕に任せてもらうとしよう。
「ううん。後は僕等がやるよ。君等は怪我人の対処を。一応、愛菜にお願いしてるけどね」
「僕等? それじゃ――」
「氷華さんと一凛先輩も戻って来たんですね」
明里と千鶴に頷いてみせると、二人はピョンピョンと飛び跳ねながら大喜びしはじめる。
「それじゃ、僕はちょっと行ってくる。ああ、こっちは萌っていうんだけど、面倒見てあげて」
「はい!」
「萌さん、行きましょうか」
二人が頷くのを確認して、僕は軽快に空へと足を踏み出し、まるで羽が生えているかのように舞い上がるのだった。
僕のマナゲージは、相変わらず七時方向をさしている。
あの時、アイノカルア――葵香からもらった力は、戦いの終了と共に消え去った。
でも、その一目盛でも、この程度の戦いなら、なんら支障はない。
因みに、氷華、一凛、愛菜の三人も同じで、精霊王との融合が解けた途端に、特殊な力は無くなったみたいだ。
ただ、氷華と一凛に関しては、精霊状態の時に、ヘルラから分けてもらった力だけ残っているようだ。
さあ、どうしようかな。いくらなんでも大虐殺は頂けないかな? まあ、大和さんの話では、奴等も一応は降伏勧告をしてきたみたいだし、少しは温情を与えるのも悪くないよね。だって、力量が違い過ぎるんだし、ここは強者の器を見せるとしようか。
「お、おいっ! あれって、人が飛んでるのか?」
「ま、マジかよ」
「さっきの爆発も奴の仕業か?」
「おいおい、拙いんじゃないのか?」
僕が空を駆けているのを目にして、数百人は居ようかという台東区の無法者たちが、顔に焦りを張り付けている。
ふ~ん、これなら、簡単に逃げ帰りそうだ。
無法者たちがビビっている様子を見やり、思ったよりも簡単に終わりそうだと思ったのがフラグだったのか、奴等の中から威勢の良い声が上がった。
「うっせ! 怖気づくんじゃね~よ。たかが、ガキ一人じゃね~か」
ガキ? まあ、ガキだけどさ。だけど、その言葉を口にしたことを後悔してもらおうかな。
ガタイのいいスキンヘッドの男が叫んだところで、奴等は少しばかり落ち着きを取り戻すのだけど、それに反発するかの如く僕の胸の内には炎が灯る。
「ねえ、そこのハゲさん。あんたがこの集団のリーダーかな?」
「なんだと! オレはハゲじゃねーーーー! これはわざと剃ってんだ!」
どうも、ハゲと呼ばれるのが嫌みたいだね。でも、剃っていようと、天然だろうと、ハゲはハゲだと思うんだけど?
「ねえ、魚の養殖と天然って、どっちも魚だよね?」
「てめ~バカじゃね~のか? そんなの当たり前だろ~が」
「ふ~ん! だったら、ハゲはハゲだよね?」
「なにっ! てめ~ぶっ殺す! 死ねや!」
めっちゃ怒ってんだけど、そこまで怒るって、なんか後ろめたいんだよね? 本当は、禿げ始めたから剃ってんじゃないの? まあ、ここでハゲかどうか確かめても仕方ないか......ん? ああ、それって、炎の魔法なんだ......
スキンヘッドから放たれた炎の弾があまりにもしょぼく、僕は呆れてしまう。
「風刃!」
炎に対して風の魔法は、決して相性が良くないのだけど、僕の放った風の刃は、奴の放った炎をミリ単位で切り刻む。
「なっ!? ま、マジか! てめ~、風の魔法使いか!」
自分が放った炎に自信があったのか、跡形もなく細切れにされたことで、スキンヘッドが目を剥かんばかりに驚いている。
なにいってんの? こんなの普通でしょ? だいたい――
「あのさ。僕は風の魔法も使えるけど、得意技はこっちだよ? 炎壁!」
お返しとばかりに、奴等の前に炎の壁を作り出す。
ゆうに十メートルの高さは在ろうかという炎の壁を前にして、奴等は度肝を抜かれたみたいだ。誰もが腰を抜かして尻餅を突いている。
「なななななな、なんだ、なんだ、これ!」
「あっ、あつっ! めっちゃ熱いぞ!」
「これをあのガキが?」
「これって、次元が違うくないか?」
「や、やべえっ、これって、焼き殺されるぞ」
あうあうとしか声の出なかった奴等だけど、暫くすると驚きをそのまま声にした。
それに続いて、唖然としていたスキンヘッドが愚痴をこぼす。
「くそっ、こ、こんな奴がいるのか!? 狂ってやがるぜ」
狂ってるって......それは、あんた達でしょ? まあいいや。もういっちょ脅しとくかな。
「狂ってるって、この程度で? ねえ、あんた達、誰を敵にしたと思ってるのさ。僕は炎獄の魔法使い、黒鵜与夢だ。命が惜しかったら二度と来ない方が良いよ? 大災害!」
僕は奴等にではなく、少し離れたビルに向けて爆裂の上級魔法を放つ。
それは、見事に巨大なビルの中ほどから上部分を粉々に吹き飛ばす。そして、爆風で飛び散ったコンクリート片が奴等に降り注ぐ。
「さあ、次はあんた達が吹っ飛ぶ番だね」
凍り付く無法者たちに、僕は笑顔を見せて脅しをかける。
「だ、ダメだ。勝てっこね~」
「無理だ。こんなの無理ゲーだ」
「いち抜けた! こんな化け物に勝てる訳ね~」
「もうやめた! やめたやめた!」
力の違いを思い知ったみたいだ。一人、二人と逃げ始めると、我先にと誰もが逃げ始める。
まあ、徒党を組む奴等って、こんなもんだよね。
「おいっ! こらっ! 逃げんな! おい!」
スキンヘッドが必死に止めようとするのだけど、もはや、逃げ始めた者達を止めることは無理だろう。
「ん? ハゲさん、逃げないの? だったら、やっちゃていい? 因みに、僕は人を始末するのをビビったりしないよ? だって、もう、数え切れないほど葬ってきたんだもの」
僕は右手をスキンヘッドに向け、不敵な笑みを浮かべる。
「ひっ! ま、まて、オレ、オレを置いていくな。おお~~~い!」
どうやら僕のニヒルな笑みも捨てたもんじゃないみたいだ。それよりも、氷華の方はどうなったかな?
必死に逃げ惑う無法者たちを眺めていたのだけど、その視線を南側に向ける。
「ああ、氷の世界が出来上がってるじゃん。こりゃ、氷結の魔女というよりも、氷の女王だね」
白銀の世界となった街並みを見やり、僕は氷華の魔法が相変わらずであることに、ほっと安堵の息を吐くのだった。
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