39 ベヒモス


 北千住のキャンプ地は、上へ下への大騒ぎだった。

 それもそのはず、なんと、北千住にガメラ、もとい、ベヒモスが来るというのだ。

 カメラを持って集合……いやいや、お台場や有明での特撮ショーではない。

 誰もが少ない荷物を抱えて右往左往している。


「とにかく、一番大きいトラックで迎えに来てよ。こっちも乗せれられるだけ乗せて出発するから、ピストン輸送よ」


 チャラチャラとしたデコスマホを持った和理あいりが、弟のとおるにがなり立てている。


「大変な事態ね。まあ、それも仕方ないわね。なんてったって、巨大な魔物がこちらに向かってると知れば、誰もが平常では居られないものね」


 氷華は冷静な表情で慌てる者達を見ている。

 そんな彼女の脚元に視線を向けると透かさず頭を叩いてきた。


「み、見ないでよ!」


 そう、彼女の脚はガクガクと震えているのだ。なんとも、氷結の魔女も大したことはない。

 まあ、そう言う僕自身も、少しばかりトイレに行きたい気分なのはナイショだ。


「それで、どうするの?」


 脚を震わせる氷結の魔女――氷華が無理に平静を装って尋ねてくる。


 この場合、何を尋ねられようとも答えは一つしかない。そう、追い払うだけだ。

 ぶっちゃけ、それが可能彼のかも分からない。

 ただ、とても嫌なのだけど、こちらから向かう必要がある。

 だって、北千住には貴重な物資が山ほど残っていると聞いたからだ。それをみすみすベヒモスに踏み潰される訳にはいかない。


「もちろん、戦うよ。勝てないかもしれないけど……なんとか追い返してみせるさ」


 全く自信がないのだけど、ちょっとだけ強がってみせる。


「そうね。荒川を徒歩で渡ってくるぐらいだから、放置してたら汐入なんてペチャンコにされそうだものね……」


 氷華が肩を竦めながら嘆息する。その態度も理解できる。

 なにしろ、ベヒモスとやらは圧倒的に強大で巨大な地竜らしい。

 愛菜まなから聞いた処によると、身体の大きさは東京ドームとタメを張るらしく、その背中は陸亀のような甲羅で覆われているとのことだった。


 ん~、東京ドーム級のベヒモスに比べれば、ガメラなんて子亀みたいなものだね。というか、ほんと勘弁して欲しいよ……


「それよりさ~、ベヒモスって西新井方面からこっちに向かってきてるみたいだけど、あっちはどうなったのかな?」


「さあ、分からないわ。でも、あまり想像したくないわね。きっと、尋常な被害ではなかったと思うわ。だって、東京ドームサイズなのよ? 悪気がなくても寝っ転がっただけで大災害だわ。それこそ、散歩どころか三歩進むだけで甚大な被害よ……」


「確かに……もし、大人しい性格で人懐っこいと言われても、擦り寄られるのは勘弁して欲しいところだね」


 東京ドームが転がるのを想像して、とてもペットにできる生き物ではなさそうだと考える。

 ゴロゴロと転がっているベヒモスを「アレは甘えている証拠ですよ」なんて言われても困るのだ。さすがのム〇ゴロウさんでも卒倒するはずだ。


「それにしても、多いわね。よくこれだけ生き残ってたものね」


 校門近くはお祭りの会場の如く人でごった返していた。

 愛菜達から聞いたところによると、北千住の避難者は四千人くらい居るらしい。

 その事実を知った時、どうやって食料を確保したものかと悩んでしまった。

 ただ、大和の話では、北千住は物資が豊富らしく、今の処は問題ないとのことだった。

 まあ、それも持ってあと数ヶ月くらいだと言っていたので、早々に物資の調達を行う必要がある。いや、今はベヒモスを何とかしないと、物資以前の問題だ。


「凄いことになってますね」


「まあ、この程度ならマシだよな。なんたって、ベヒモスなんてファンタジーでもそうそうお目に掛られない存在だからな」


 僕と氷華が避難者の海を眺めていると、後ろから愛菜と文人あやとの声が聞こえてきた。

 実際、文人の言葉こそが事実であり、現実であり、悪夢だといえるだろう。

 だけど、今はベヒモスではなく、避難者の移動について情報を連携する。


「直ぐに迎えが来るから、三千人くらいなら何とかなると思うよ。道もある程度は整えたし、信号もないから人の移動自体は数時間で終わると思う」


「やっぱり、炎獄の魔法使い様は凄いです。感動です」


「だよな。なあ、炎獄。オレにも魔法を教えてくれよ」


「だから、二つ名は止めてってば……」


 瞳をキラキラさせている愛菜と文人に、溜息を吐きながら苦言を述べる。

 隣では、さっきまで震えていた氷結の魔女様がクスクスと笑っている。


 ちぇっ、他人事だと思って! 氷華の奴……見てろよ!


「魔法を習いたいなら、氷結の魔女の方がいいと思うよ。汐入自治区でも子供に教えているのは彼女だから」


「うぐっ……黒鵜君!」


 魔法を覚えたいという文人に氷華を薦める。

 冷やかな視線を投げかけつつ丸投げすると、それまで笑っていた氷華が呻き声をあげると共に眉を吊り上げる。

 そこで、どうやら選択を誤ったみたいだと気付く。あの目はマジで何かやるつもりだ。そう、間違いなく報復があるに違いない。

 ちょっと拙かったかと感じるのだけど、仕返しよりも愛菜の質問の方が早かった。


「ところで、これからどうするのですか?」


「ん~、まずは相手の様子を見てくる――」


「黒鵜~~! きたぞ~~!」


 僕の考えを伝えていると、後ろから聞き馴れた声が聞こえてきた。


「あっ、一凛。生徒会のメンバーも来たの?」


「こりゃ、凄い人の数だな~。ん? ああ、何かの役に立つと思ってな」


 一凛が人波を掻き分けながらやってきた。その後ろには、生徒会のメンバーもいた。

 ベヒモスとの戦いに連れて行くつもりはないのだけど、一凛が機転を利かせて連れてきたみたいだ。


「ベヒモスですか?」


「凄そうですね」


「あたしがぶっ飛ばして、すっぽん料理にしてやるっすよ」


「なんかドキドキするのです」


「モンハンみたいですよね。早く見てみたいです」


 会長の明里を皮切りに、副会長の千鶴、会計の晶紀、書記の美奈とみつる、四人がそれぞれの思いを口にした。


 すっぽん料理って……


 一凛のレプリカと称されるだけあって、晶紀の発想は常に食べ物と繋がっている。

 この状況でも食事に結び付ける思考に呆れていると、透かさず隣の氷華がつっこみを入れる。


「晶紀、ベヒモスよ。すっぽんではないわ」


「うぐっ、そうっすね……」


「それにしても凄いのが来たな。でも、黒鵜なら何とかなるだろ?」


 晶紀がすっぽんのように首をすぼめて呻き声をあげていると、一凛が軽い調子で尋ねてくる。どうやら、彼女は事態の深刻さを理解していないみたいだ。


「あのさ、一凛。いくら僕の魔法が破壊的だといっても、相手は東京ドームサイズなんだよ? そう簡単に倒せる訳ないじゃん。あの時の巨竜を思い出してよ」


「あの竜は半端なかったよな……でも、黒鵜も破壊神だからな」


「そうね。ご都合主義だし」


 危機感のない一凛に説教を試みたのだけど、暖簾のれんに腕押しとはまさにこの事だろう。オマケに氷華まで禁句を口にする始末だし……

 結局のところ、一凛には実物を見れもらうしかないと考えて、僕等はさっさとベヒモス見学に出発することにした。









 北千住のキャンプ地を北上して荒川沿いの土手に辿り着くまでに、それほど時間を費やすことはなかった。

 なにしろ、今の生徒会役員は、大抵の魔物なら難なく倒せるくらいの力量となっているのだ。


 木々を引き抜き、出てくる魔物を簡単に撃退し、然して苦も無く土手に辿り着いたのだけど、自分達の想像力の無さに脱力する。というか、目の前の光景に唖然としていた。


「すごい……」


「ん~、ジャングルですね」


「なんか、荒川というよりもアマゾン川って感じっすね」


 鬱蒼うっそうと生い茂った木々や雑草を魔法で切り裂いた土手の上で、河川敷の光景を目にした明里、千鶴、晶紀、三人が驚きの声を漏らす。

 元々は綺麗に整えられた河川敷であり、広場、サッカー場、草野球場があった場所なのだけど、いまやその光景はどこにもない。

 高い木々が川向うを見せまいとするかのように立ち並び、立ち入り禁止だと言わんばかりに鬱蒼とした草が生い茂っている。

 そこは、いまや東京の風景とは思えないほどの密林状態となっていた。


「向こう岸が全然見えないのです」


「土手の道も木々で封鎖されてますね。天然の通行止めといったところですね」


 周囲を見渡した美奈と光が、困り果てた様子で肩を竦めた。


 ここに来るまでは、荒川の土手に上がればベヒモスを拝めると思っていた。

 なにしろ、奴は東京ドーム級なのだ。かなり離れた場所からでも見えるはずなのだ。

 ただ、予想以上にファンタジー化は深刻だった。

 というか、ベヒモスなんて生き物がいるだけで、深刻どころの問題じゃないんだけどね。


「取り敢えず、国道四号線――日光街道の橋に行けば見えるんじゃない? さすがに橋に木は生えないでしょ?」


「確かにそうだね。さあ、出発だ」


 氷華の意見に賛成し、土手に生えたツクシにしてはかなり大きな木々を切り倒しながら進む。

 その作業も、いまや生徒会が軽々とやってくれるので楽なものだ。


 草木を切り裂き、蔦塗つたまみれとなった旧線路の鉄橋下を潜り、まるでブルドーザーの如く道を切り開きながら進む。

 そして、それほど時間を掛けることなく国道四号線の橋に辿り着いた。


「蔦塗れだけど、一応は健在みたいね。でも、名前は変えた方が良さそうだわ……」


 この橋の名は千住新橋なのだけど、百年くらいは放置されたかのような見てくれとなっていた。

 氷華はその橋の上を歩きながら感想を述べるのだけど、誰もツッコミを入れない。というか、誰一人として聞いていない。

 なぜなら、誰もが橋から見えるジャングルの様子に気を取られているからだ。

 ところが、次の瞬間、足元を揺るがす震動に、誰もが腰を落として驚きを露にする。


「地震?」


「地震とは揺れ方が違うような気が……」


 蔦がう道路に膝を突いた明里が、周囲を見渡しながら疑問の声をあげる。

 さすがは地震馴れしている東京民だけあって、千鶴の観察力は一味違った。


「まさかと思うけど、ベヒモスの所為なんて言わないよね?」


「区長、それって、もしかしてビンゴ? というか、あまり当たって欲しくないのです」


 想像のままに思ったことを口にすると、美奈が不安げな表情を浮かべた。

 口にした自分自身が知りたくないと耳を塞ぎそうになるのだけど、そういう時に限って一凛が活躍する。


「甲羅が見えたぞ。ほんと東京ドームみたいだった。さっきの振動は奴の所為みたいだな」


 身体能力系の魔法を得意としてる一凛は一足先に進んでいたのだけど、どうやらこっちの会話が聞こえていたみたいだ。彼女は戻るなり背けたい現実を突き付けてきた。


 一凛の報告を聞いた途端、誰もが千住旧橋……失敬、千住新橋の上を走りだす。

 もちろん、ベヒモスが拝める橋の中央に向かってだ。


「マジ? あれが……デカすぎだっつ~の」


 川のお陰でジャングルが途切れいる辺りで、慌てて脚を止めた。いや、自分が目にした光景が信じられなくて、勝手に脚が止まってしまった。


 視線の先には、脚を止めることになった原因、ベヒモスが居る。そう、そのまんまアニメ出てくるようなベヒモスだ。それは、ちょっとガメラっぽい大型――巨大な陸亀だった。

 ただ、奴はお食事中だったようだ。川に沿って造られた首都高に両手を掛けた状態で、モシャモシャと口を動かしている。


「ガジガジって……あれ、首都高よね? 高速道路を食べてるの?」


 うん。氷華の眼は狂ってないよ。


「美味いのかな?」


 ああ。一凛の頭は狂ってるよ。うん、太鼓判を押してあげる。


「雑食なのかな?」


 いやいや、明里、そういう問題じゃないからね。


「丈夫な歯をお持ちですね。あんな固いものを食べて歯茎はぐきから血が出たりしないのでしょうか?」


 完全に思考が麻痺してるんだね、千鶴。魔物が歯槽膿漏しそうのうろうになるとは思えないよね。


「あっ、車を吐き出したっす。凄く嫌な顔してるっす……もしかして、美食家っすかね?」


 あのね、晶紀。美食家は道路を手掴みで食べたりしないからね。「見ろ! 手が汚れてしまった」って、有名な台詞を知らないのかい?


「なんか、仕草が可愛いのです。飼ってみたいのです」


 ダメだよ、美奈。うちでは飼えません。元の場所に戻してきなさい。


「あんなものを食べて、お腹を壊さないのですかね?」


 なにってるんだよ、光! お腹を壊して寝込んでくれた方がいいじゃないか。


 恐らく、ベヒモスの姿を見た誰もが現実逃避に突入しているのだろう。真面な感想が一つもない。

 だから、僕が正常な意見を披露する。


「みんな勘違いしてるでしょ? あれは歯が痒いだけだと思うよ」


 途端に全員が冷たい視線を向けてきた。ただ、いつもキラキラとした瞳を向けてくる光だけは、こっそり視線を外していた。


「うほんっ! それよりも、首都高の高さと大きさからしても、ベヒモスの大きさは異常だよね」


 冷たい視線で全身を串刺しにされつつも、気を取り直して現実的な見解を口にした。

 なにしろ、かなりの距離があるはずなのに、ベヒモスの大きさがありありと分るのだ。


 マジで、あれとやんの?


 少しウンザリしつつ溜息を零していると、肩を竦めた一凛が反省してみせる。


「ごめん。ありゃ、無理だわ。無理ゲー確定だな。どうする? あんなのと戦うなんて無理だぞ」


 行き成りの敗北宣言に、誰もが視線を落とした。間違いなく誰もが不戦敗を覚悟したのだ。

 その途端、氷華が驚きの声を上げる。


「な、なにっ! あの川の色。荒川ってこんなに綺麗だった?」


「ほ、ホントだ! なんじゃこりゃ!」


 エメラルドグリーンに染まった川を目にして、思わず仰天してしまう。


 足立区を流れる現在の荒川は、荒川水路と呼ばれる人工河川であり、本当の荒川は現在の隅田川だと聞いたことがある。

 その所為なのかは分からないけど、僕の知る荒川はヘドロが酷く、流れる水も濁っていた。

 ところが、現在は金色に輝く砂とエメラルドグリーンの水面が美しい河川となっていた。


「すげ~、魚が泳いでるのが見えるぞ! あれって食べられるかな?」


「ほんとっす! うまそうっす」


 一凛と晶紀が橋から下を覗き込んで、食欲魔神と呼ばれる所以ゆえんを露にした。


「これって、どういうこと?」


「あれじゃないですか? 腐女子が浄化されるとかいうアニメが……」


「あの~、それって、腐女子じゃなくて、腐海なのですよね?」


 今にも落ちそうなくらいに手摺から乗り出して川を眺めている晶紀の横では、明里、千鶴、美奈の三人が不思議そうな表情で会話をしているのだけど――


 君等、現状を把握してるよね? ベヒちゃんが未だに首都高にかじりついてるんだよ? だいたい、腐女子が浄化されるアニメってどんなんだよ……てか、うちの中学って、こんなのが生徒会役員だったのか……


 今更ながらに、母校の痛い姿を知って溜息を吐く。

 しかし、そこで動きが現れた。


「あっ、ベヒモスが動きだしました」


 阿保に汚染されるのを恐れてか、少し離れた場所でベヒモスを見やっていた光が声をあげた。

 彼の一言で、すぐさま川向うの首都高へと視線を向ける。


「ん? もしかして、満腹で休憩?」


 首都高の後ろで腹ばいになったのか、いまやベヒモスは甲羅しか見えない。それに視線を向けた氷華が首を傾げている。


「凄い音が聞こえてくるんだけど、あれってイビキなのかな?」


 ぐお~ぐお~と聞こえてくる音を耳にして、感じたことをそのまま口にする。

 途端に一凛がニヤリとする。


「なんか、晶紀みたいだな」


「そんな~、一凛先輩、酷いっす」


 いやいや、晶紀だけじゃなくて、一凛もだからね……己を知ってよね……


 その後も僕等はベヒモスの動向を観察したのだけど、動かざること山の如しを実演する奴に呆れ、結局は戻って作戦を練ることになるのだった。

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