17 ピクニックの如く


 ワイルドボアの解体を終わらせるのに、なんだかんだで四日も掛かってしまった。

 ただ、馴れとは恐ろしいものだと、つくづく感心してしまった。

 というのも、初めは失敗などを繰り返した作業も、最後の頃はまるで職人であるかのように、華麗に、速やかに、鮮やかに処理することができるようになった。

 おまけに、神経も麻痺したのか、スプラッタの状況も魔物が放つ悪臭も殆ど気にならなくなった。

 ところが、せっかく処理した肉だけど、それを食べるには決意がいることが明るみになった。


 それが判明したのは、一凛が乱入してきて、みんなで肉を食べた一時間後くらいだった。


「く、黒鵜、その鼻はなんだブヒッ?」


「一凛、君の耳こそなんだブヒッ」


「二人とも豚みたいになってるブヒッ」


 一凛が指摘してきたところで、二人の少女の頭に豚耳が生え、鼻が豚になっていることに気付く。


 因みに、初めは一凛さんと呼んでいたのだけど、彼女が「さん」は要らないと告げてきたので、遠慮なく呼び捨てにしている。

 もちろん、それと引き換えと言わんばかりに、一凛は黒鵜と呼び捨てるようになった。


 それはそうと、豚化したことを知ると、氷華は慌ててトイレへと駆け込んだ。


「ぶ、豚になってるブヒィーーーーーーーーーーー!」


「ぶ、ぶひひひひひひひひひっ」


 トイレからは氷華の悲鳴が轟き、何が琴線に触れたのか、一凛はコンビニ内の床の上で笑い転げていた。

 多分、自分が豚化していることに気付いていないのだろう。


 という具合に、ワイルドボアの肉を食べると豚化するという事象が発生したのだ。


 やはり、迂闊うかつに食べるんじゃなかったかな……


 今更以て色々と後悔しているのだけど、一凛はいつまでも腹を抱えて笑い転げ、氷華はトイレに閉じこもったままだ。

 おそらく、笑いたけのような効果は無かったはずなのだけど、一凛は今世紀最大の爆笑ネタだったと、笑い涙を零しながら豪語していた。

 ただ、その症状は三十分もすれば収まり、何事もなく元に戻ったことから、一時的な症状だと判断したのだけど、氷華は二度と口にしないと断言した。

 彼女からすれば、次に戻る保証はどこにもないとのことだった。

 ただ、なぜかココアだけは何も起きず、騒ぐ僕等を横目にのんびりとくつろいでいた。

 その風格たるや、見習うべきところだろう。


 結局は、魔獣であるココアには症状が出ないことが分かったことから、暫くは彼女だけの食料となりそうだ。

 まあ、そうは言っても背に腹は代えられないので、食べ物が無くなれば口にすることになるだろう。

 それに、正直言って美味い肉なので、三十分の豚化程度なら我慢するのもありだと思う。


 そんな騒ぎもあったのだけど、気分を入れ替えて着々と準備を進めていた。


「こうか? これでいいのかな? アースシールド!」


 一凛が疑心暗鬼といった雰囲気で手を突きだすと、途端に地面が盛り上がり、一メートルくらいの土壁が出来上がった。

 ただ、その幅も一メートル、厚さは五センチ程度であり、とても実用に耐えうる代物ではなさそうだ。

 それでも、初めての魔法にしては上出来だと感じて、一凛を褒めはやす。


「おおっ、いい感じだね。その調子だよ」


「うん。でも、なんか厨二臭くて、恥ずかしいな……」


 褒められて笑みを見せるのだけど、彼女は頬を掻きながら少しだけ恥ずかしそうにする。


「まあ、ワードはイメージに必要なだけだから、恥ずかしくない言葉にするのもありだし、練習すればワードを唱えなくても魔法を使えるようになると思うよ」


「そっか! じゃ、練習あるのみだな」


「ん~、そうなんだけど……」


 実のところ、どれだけ練習してもダメなものがある。

 それは、魔法の規模と威力。そして、適性だ。

 経験値である黒魔石を吸収しないと上昇しないし、適正に関しては持って生まれたものだと考えた方が良いと思う。


「練習だけじゃダメなのか?」


 初めて放出系の魔法を使った一凛は、コテンと首を傾げる。

 そう、彼女は身体系の魔法を得意としているのだ。

 そして、これまでを殴る、蹴る、逃げるの三拍子で切り抜けてきたのだ。


 そういえば、肉に飛びつく時の速さは半端なかったよな……


 彼女に魔法が使えるかと尋ねて、その返事を聞いた時には、思わずそう感じてしまった。


 因みに、彼女が使える身体系魔法とは肉体強化であり、身体を拳や脚を硬化して相手に打撃を加えたり、人間ならざる速度で動き回ることができるのだ。


 それを聞いたとき、是非とも自分でも試みるべきだと考えたのだけど、実際にやってみると恐ろしく難しかった。

 彼女自身は無意識に近い状態で使っているようで、肉体系マンガの主人公になった気分になればいいと簡単に言って退けた。

 ただ、今更ながらに魔法には向き不向きがあるんだと、しみじみ感じたことで、取り敢えず得意分野を伸ばした方が良いと思いつつ、取り敢えず、彼女に放出系の魔法を試させてみたのだ。

 それで、彼女が使える魔法は土属性だけだと分り、先ずは身を守るための障壁から始めたのだけど……


「それにしても、世界最強の魔法使いか……黒鵜って地味なイメージがあったけど、思ったよりも過激だし、頼りになるよな。それに料理も上手いし」


 いったい、どんなイメージを持っていたのやら……まあ、学校では誰とも係わらず大人しくしてたからね。きっと、モヤシかエノキみたいに日陰でヒョロヒョロと生えているイメージなんだろうね……それと、料理と言っても焼肉しかできないからね。


 少しばかり尊敬の眼差しを向けてくる一凛なのだけど、彼女が持つ自分のイメージを想像して落ち込みそうになる。


「どうした? 今のは褒めたんだぞ?」


「あ、ああ、ごめんごめん。少しこれまでを思い出して鬱になっただけなんだ」


「ん~、気にすることないじゃん。うちは、黒鵜みたいなタイプ、嫌いじゃないぞ? なんか唯我独尊ゆいがどくそんって感じでいいじゃん。周りとつるんで、意味もなく騒ぐ男子よりもよっぽどいい」


「そ、そうかな……えへへ」


 気が付けば、一凛に褒められて上機嫌になっていた。

 しかし、そこで氷の矢、もとい、冷たい視線が向かってきた。


「いつまでイチャイチャしてるのかな? しっかり鍛錬しないと、明日からは本番なのよ? 一凛もその壁じゃ蟻も止められないわよ」


 お湯を沸かす鍛錬を終わらせたのか、店舗から出てきた氷華が叱責してくる。


 確かに、彼女の言う通り、明日からは例の飛竜御用達マンションに向かう予定だ。

 だから、抜かりなく魔法の鍛錬を行う必要があるのだ。

 だけど、一凛は何を考えたのか、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべると、そそくさと氷華の隣に行き、なにやらコソコソと耳打ちしていた。


「ち、ち、違うし~~~、か、勘違いしないでよ!」


「ふふふっ、氷華、可愛いじゃん」


 何を言われたのか、氷華が驚きを露にしたかと思うと、慌てふためいて否定の声をあげる。しかし、一凛はニヤリとしたまま肘で彼女をツンツンと突いていた。


「ち、違いますからね! それよりも、お風呂が沸いたから、冷める前に入ってね」


「おおっ、お湯の魔法が成功したんだ」


「まあ、お風呂にしか使えないレベルだけどね。きっと、私には熱に対する適正が無いのね。だから、熱い湯を沸かしたいのなら、黒鵜君が鍛錬した方が早いかも……まあ、水の適性がないからお湯を出すのは無理だろうけど」


 いやいや、それでもお湯があるのは嬉しいよ。久しぶりの風呂を楽しむかな。


「ありがとう。じゃ、楽しみにしてるよ。僕はもう少し鍛錬するから、氷華と一凛が先に入っていいよ」


「おっ、いいのか? 一番風呂、いっただき~~~~!」


「む~っ」


 返事を聞くや否や一凛が喜びを露にし、なぜか氷華は不服そうな表情を見せた。


 多分、折角できたお湯の魔法を早く見て欲しかったのだろう。

 氷華の気持ちをそう読み取るのだけど、それよりも一凛の元気な姿が微笑ましくて、思わずニッコリとしてしまう。

 ただ、それは氷華も同じだったのか、仕方ないな~と言わんばかりの表情ではあったけど、彼女も子供のように燥ぐ一凛を眺めて微笑むのだった。









 久しぶりにのんびりとお湯に浸かったのは、既に昨夜のことだ。

 その時の幸せな気分といったら、表現しようがないくらいに最高だった。

 なにしろ、ガスが止まったのが一番早くて、これまでお風呂といえば、水を浴びるだけだったのだ。

 ああ、もちろん、初めの頃はシャンプやボディソープもあったのだけど、それも底を突くと、ただただ水で身体を洗うだけになった。

 それを考えると、風呂に入るのも氷華から水浸しにされるのも、大して変わりのない状況だったように思う。

 ただ、ラッキースケベな展開を少しだけ期待したのだけど、その淡く希望的な妄想は一ミリも実現しなかった。


 くそっ、ファンタジー化ならラッキースケベの一つくらい起これっての!


 まあ、それは良いとして、全然良くないけど、それはさて置き、簡単にまとめた荷物を背負い、視線をコンビニ前の森へと向けた。


「さ~て、いこうか」


「りょ~か~い! ウチが先頭でいいんだよな?」


「うん。一凛が一番機動力があるし、反射神経もいいからね。僕等は魔法は使えるけど、運動神経はお察しさ」


「あははは。でも、あれだけ魔法が使えれば、全然問題ないじゃん」


「いや、咄嗟に使えるかは微妙だからね」


「まあいいや、いくぞ!」


 相変わらず元気の良い一凛に頬を掻きながら返事をすると、彼女はまるでピクニックにでも出掛けるようなノリで脚を進めた。


 一通りの下準備を済ませた僕等は、当初の予定通り、魔物退治に出かけることにした。

 これについては、魔物を退治することが目的ではなく、自分達の鍛錬の一環なのだ。

 ただ、ここまで逃げてきた一凛の言葉を信用するなら、どうやらこの辺りは魔物が少ないようだ。

 もしかすると、僕が住んでいたマンション――ホテル飛竜がある所為かも知れない。

 魔物達は弱肉強食の世界に住んでいるのだ。当然のように、己よりも強い魔物の近くは嫌だろう。


 それはそうと、魔物が少ないと情報を得て、当初の予定を変更し、タワーマンション方面に行くのを取りやめた。そして、日暮里方面に向かうことにした。


「この先は、確か南千住駅だよね? 面影のおの字もないな~」


 草を掻き分けながら進む一凛が、本来なら電車の高架橋が見える方向を眺めながら呟く。

 まあ、それも仕方ないところだ。どれだけ目を凝らしても、鬱蒼と生い茂る木々で高架橋なんて見えないのだから。


「その先には、割と大きなショッピングモールがあった筈なんだ。出来れば調味料や服が欲しいんだけど」


「確かに……コンビニにも少しはあったけど、色々と必要な物があるし……」


 目的を口にすると、氷華もなぜか少し恥ずかしそうにしながら同意してくる。

 すると、一凛があからさまに具体例を挙げた。


「そういや、生理用品が足んないし、替えの下着も欲しいよな」


「ちょ、ちょ~! 一凛!」


 どうやら、氷華が恥ずかしく感じていたことはそれだったようだ。思わず声をあげた。

 ただ、一凛は気にした様子もなく首を傾げる。


「別に恥ずかしがることじゃないじゃん。黒鵜だってそれくらい知ってるだろうし」


 う~む。知ってるかと問われたら、知っているのだけど、全く以て予想してなかった……でも、ここは、話を合わせた方がいいかな?


「ま、まあ、知らない訳じゃないから……でも、あんまりオープンにする話でもないよね?」


「そ、そうよ! 一凛はもう少し空気を読んだ方がいいわ」


「ちぇ、氷華は少し神経質すぎるんだよ。おっと、お客さんだ。熊太郎だ」


 お客さんって……それに、熊太郎ってなんだよ……


「一匹なのか?」


「うん、一匹みたいだ」


「よし、一匹なら、一凛に任せるよ。氷華は援護で」


 一凛の話っぷりに呆れながらも、魔物が単発であることを知り、直ぐに対応を指示する。


「いいのか?」


「いいよ。今は僕よりも二人の経験値を上げたいからね」


 これまでなら魔法でサクッと倒したのだけど、これからの事を考えると、一凛も成長してもらう必要があるのだ。

 何と言っても、今の僕が出張ると、間違いなく二人が経験値を得られなくなってしまうだろう。

 それほどまでに、現時点において、僕等の力は乖離かいりしている。


 まあ、あの大量にあった魔黒石を全部吸収しちゃったからね。オマケに解体で精度も上がってるし……


 気分が悪くなりつつも、無理を押して魔黒石を吸収した時のことを思い出していると、握り拳を作った一凛が元気に声を上げた。


「お~し、それなら、おっしゃいくぜ!」


「い、一凛! 練習通り、敵の左方向から攻撃して!」


「あいよ!」


 一凛が物凄い速さで熊の魔物に襲い掛かる。

 すると、氷華は己が射線を確保するために、彼女に要求を飛ばす。

 そう、仲間が増えたことで、戦力は増したのだけど、その分、戦い方が難しくなったのだ。

 というのも、一凛は基本的に接近戦を得意としていて、僕と氷華は遠距離攻撃を得意としているからだ。

 まかり間違えば、フレンドリーファイアなんてことになりかねない。


 少しだけハラハラしながら戦闘を眺めていたのだけど、彼女達は思いのほか上手くやっていた。


「おらっ! 喰らえ! メガトンキッーーーク!」


 メガトンキックって……それ、厨二よりも恥ずかしいからね……


 あまりの叫びに呆れてしまうのだけど、魔法で身体を強化した彼女は、目にも留まらぬ速さで魔物の側面へ回り込むと、透かさず上段回し蹴りを叩き込んだ。


「グガッ!」


 途端に、魔物の太い首があらぬ方に向く。


「えっ、一撃必殺なの?」


「ちょ、ちょっと、私の出番が……」


 予想外の攻撃力に唖然としていると、氷華が手を伸ばしたまま凍り付く。

 間違いなく、魔物に氷の魔法を放つつもりだったのだろう。しかし、滑稽なことに、術者本人が凍り付いているかのように固まっている。


「こいつ、よえ~じゃん。見た目だけか」


 いやいや、一凛、君が強いだけだよ……というか、相手の力量も見極めずに突っ込んだの?


 彼女の戦闘を見たのが初めてだったこともあって、予想外の強さに驚いてしまう。

 ところが、一凛は直ぐに視線を他へと向けると、すぐさま構えを取った。


「ああ、次がきちゃったよ」


 どうやら、後続の敵が居たようだ。


「一凛、魔黒石を先に拾って! 氷華は援護!」


「いっけね~、そうだった」


「今度こそ! 喰らいなさい。氷槍!」


 魔黒石を拾い忘れた一凛が焦っている隙に、氷華が氷の槍を放つ。

 すると、その攻撃は、次に現れた熊の魔物を見事に射貫く。


「やったわ! 威力も精度も上がってるわよね?」


 一撃で敵を仕留めた氷華が尋ねてくるけど、それに構っている暇はなさそうだ。敵が次々に出てくきたのだ。


「氷華、今はそれどころじゃないよ」


「そうだったわ。氷槍!」


 氷華は舌をぺろりと出したかと思うと、戦いに専念し始めた。


 その戦いっぷりは、歴戦の勇士を思わせるほど完璧で、ワラワラと現れる敵を次から次へと倒していく。

 彼女の殲滅力に慄いたのか、魔黒石を拾った一凛が焦って突撃する。


「ちょっ、ウチの獲物が! 氷華ばっか、ずるいぞ!」


 氷華に負けじと、一凛が熊の魔物を撲殺していく。


 氷の槍が何匹もの魔物を撃ち倒し、人間とは思えない打撃が魔物を屍に変えていく。


 凄いな……これって、僕は要らないんじゃない? でも、熊料理とか聞いたことがあるんだけど、これを食べたら僕達が熊化するのかな?


 ココアを抱いたまま、僕は蹂躙じゅうりんとも呼べそうな圧倒的な戦闘を眺めながら、全く場違いなことを考えるのだった。

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