07 あぶない少女


 エレベーターホールには無数の人骨が転がっていた。

 所狭しと散らばるその白い骨からは、もはや、何人が尊い命を散らしたのかも分からない。

 だって、たった一ヶ月程度で白骨化した骸は、バラバラとなって原型すら留めていないからだ。


「何度見ても、寒気がするよね……あっ、いけね。ナンマイダブ、ナンマイダブ。安らかに眠ってください」


 そう、根っからの臆病者なのだ。だから、白骨化した骸を直視できず、なるべく視界に入れないようにしつつ、形だけでもと念仏を唱えるのだけど、周囲を隈なく見渡して、そこで自分の愚かさを痛感した。


 あぅ……そういや、電気が通ってないんだった……


 電気が止まったのは、随分と前だ。

 そうなると、当然ながらエレベーターが動くはずもなく、ここまでやってきたのが無駄骨となった。

 というのも、非常階段はエレベーターホールとは全く逆方向だったからだ。

 それも、面倒なことに、タワー型の巨大マンションなので、思いのほか距離もあるのだ。


「魔物が出ませんように……」


 爆裂で散々と音を立てたのに、いまさら以て、こそこそと非常階段に向かう。

 差し足忍び足で脚を進めつつ、ドキドキしながら周囲を警戒する。

 しかし、こういう時に限って何も出ない。

 やはり、マーフィーさんは鉄板みたいだ。


「確かに、魔物が出ないように祈ったけどさ……ちょっと、悔しい……」


 なぜか敗北感を抱きながら唇を噛みしめる。

 それでも、挫けることなく非常階段まで何事もなくやってきた。

 というか、非常階段の扉は開かれたままとなっている。


「誰かが開けたんだね……てか、突然、魔物なんて止めてよね……」


 恐る恐る開かれた扉から階段を覗くと、やはり蔦や草でジャングル化している。

 特にタワーマンションという理由からか、階段から外部に落下しないように柵が設置されている所為で、まるで蔦のトンネルのようになっていた。

 それが原因で、陽の光が入ることなく薄暗くなっていて、気味の悪い階段にとなっているのだ。

 その不気味な階段に視線を向けて息を呑む。


「ここで怖気づいちゃダメだ。このままだと野垂れ死ぬだけなんだ……まずは一歩踏み出そう」


 高鳴る心臓の所為で脈動が頭を叩く中、このままでも死ぬんだと自分自身に言い聞かせる。そう、行くしかないと。

 そうして、やっとのことで何とか一歩を踏み出した。

 その途端だった。シュルルという音と共に何かが足に絡みつく。


「うひゃ! な、なに、なにごと!? うわっ、引っ張るな! うわっ! いてっ! くそっ!」


 下階から伸びてきた蔦に脚を絡め取られて尻餅を突く。

 おまけに、蔓はぐいぐいと身体を引き寄せようとする。


「く、くそっ! 炎撃!」


 今回は脚に絡まった蔦であり、逃げようのない敵だったこともあって、難なく魔法を当てることができた。

 そのお陰で、脚を引っ張っていた蔦が燃え千切れる。

 すると、脚に絡まっていた蔦も力を無くし、直ぐに解放された。

 ところが、次の瞬間には、物凄い数の蔦が下階からこちらに向かってきた。


「うわっ! なになになに! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 燃えろ! 燃えろーーーーーーーー!」


 群がる蔦に炎の魔法を叩きつけ、近寄る端から燃やしていく。

 どうやら、今回の敵はドMでもなければ、炎に対する耐性がある訳でもないようで、物凄い勢いで燃え盛った。

 それはそれで喜ばしいことなのだけど、その光景に首を傾げてしまう。


「生の草木ってこんなに燃えるものなの?」


 そう、枯れていない草木は燃えにくい印象があるのだ。

 しかし、その蔦はまるで紙でも燃やすかのようにメラメラと燃え盛る。

 それどころか、燃え尽きるのも異様に速い。


「もしかしたら、ヘルドッグもそうだけど、相性があるのかもね……ああ、これは記録しておこうかな」


 本当のところは分からない。だけど、取り敢えず魔法書にそう書き込むと決めつつ、ゆっくりと下階に降りていく。

 結果オーライとも言えるのだけど、上手い具合に燃えたお陰もあって、足元も歩きやすい状態になっていた。


「あいつか……まるでラフレシアみたいだな……いや、この際、ラフレシアでいいや」


 以前、ゲームで見た毒々しい花を思い出し、二階下の隅に咲き誇る植物に名前を付ける。

 ただ、奴は大量の触手を全て焼き払われたことで、どこかもがき苦しんでいるように見える。


「悲しいかな、戦いとは非情なのよね。そう、弱肉強食の法則なのさ。お前は運が悪かった。この炎獄の魔法使いと出会ったのが運の尽きなんだよ。さらば! 炎撃!」


 自分が優位に立ったことで、またまた悪い癖が出る。

 余裕をぶちかまし、ニヒルな笑みを浮かべつつ、ポーズを取りながら止めの魔法を放つ。

 もちろん、自分の顔が見える訳ではない。ただ、自分ではニヒルに決めたつもりだ。


 それはそうと、炎の魔法を喰らったラフレシアが、まるでガソリンでも引っ被っているかのように、盛大に燃え上がる。


「うわっ! あつ! めっちゃ燃えるな~~~! これって、燃料になるかも……てか、今はそんな余裕ないし……」


 想像以上の燃え上がりっぷりに思わずあと退る。ただ、その発火具合を見て何かに流用できないかと考えた。

 だけど、これからのことを考えて、それを頭の隅に追いやる。


「それにしても、燃え尽きるのも速いよね……」


 あっという間に炭化して、見る影もなくなったラフレシアが、どこかから入り込んだ風に吹かれて粉々になっていく。

 すると、そこには、これまでと比べ物にならない大きさの魔黒石が転がっていた。


「でけっ! なに、この大きさ! てか、輝き具合も凄いんだけど……」


 ラフレシアが凄い勢いで燃えた所為での柵に絡まっていた蔦まで燃え、外部の光が入ってくる。

 すると、一際大きな魔黒石がキラキラとした輝きを見せた。

 そして、それを拾い上げると、何時ものように消えていく。


「うはっ! なんか漲ってきた……てか、効き過ぎ? 目眩が……」


 酷い乗り物酔いと言えば良いだろうか、吐き気を催す不快な気分に陥る。


 壁に手を突き、暫くその不快感を堪えていると、しだいに落ち着きが戻ってくる。

 少し気分が回復したところで、背負っていたリュックを降ろすと、中なら真っ新なタオルを取り出し、フルフェースのヘルメットを脱いで額の汗を拭う。

 自分が放った炎の影響もあるのだと思うけど、気分の悪さから滲み出たのだろう。

 びっしりと掻いている脂汗を拭き取ると、かなりスッキリした気分になった。


「ふ~っ、生き返った……てか、ヘルメットって邪魔だよね……でも、もしものことを考えたら要らないとも言えないし……」


 スッキリしたところで、またヘルメットを被るのかと思うと憂鬱になるのだけど、こればかりは止める訳にいかない。だって、命が掛かっているのだ。


 溜息を吐きつつ再びヘルメットを被り、ゆっくりと階段を降り始める。

 そう、急ぐ必要があるのだ。

 なぜなら、夜は魔物の世界であり、どれだけ魔法が使えるようになろうと、暗くなってから魔物と戦うのは自殺行為だと思えるからだ。

 おまけに、既にかなりの時間を費やしてしまっている。


 焦りを感じつつ腕時計を見ると、既に十二時を回っており、そろそろ午後一時になろうかという時刻だった。


「ヤバイヤバイ! 急がなきゃ……でも、慎重にね……マーフィーさん宜しく!」


 マーフィーの法則を逆手に取るために、できる限り慎重に脚を進める。


 そのお陰か、その後はスライムやラフレシアと戦う羽目にはなったが、脅威となるような魔物と遭遇することは無かった。


 もしかしたら、魔物同士も食い合うのかもしれない。

 ラフレシアの周囲に犬らしき骨が転がっているのを見て、そんな風に推察する。

 ただ、そんなことよりも、一階に降りてきた喜びの方が大きく、それを深く考えることなく、喜び勇んで一階の扉を開いた。


「あっ、やべっ! 嬉しくて思わず油断しちゃったよ……」


 不用意にも、警戒することなく扉を開いたことに反省するのだけど、運良く魔物に取り囲まれることも、唐突に襲われることもなかった。

 ただ、どこからか、女子の声が聞こえてきたような気がして、僕は慌てて周囲に視線を巡らせるのだった。









 このタワーマンションは荒川区にある。

 元はJRの貨物用の終着駅だった隅田川駅なのだけど、それを取り壊して敷地を民間の業者に売り渡したようだ。

 その敷地は広大であったのだけど、あっという間に沢山のマンションで埋まってしまった。

 そんな広い敷地の一角に、このタワーマンションが建っているのだ。

 そして、環境保全なのか、そういうコンセプトなのかは分からないけど、タワーマンションの周囲には緑の多い公園が、いくつも作られていた。

 しかし、それも、いまや緑が多いというよりも、緑に埋まった公園となっている。いや、唯のジャングルと化している。


 やっとのことで一階に降りてきたのだけど、扉を開けた先にはジャングルだった。

 奇怪な動物や鳥の鳴き声が聞こえてくるあたりが、まるで動物園を思い起こさせる。

 十二階から見ていたので、街がジャングルになっている様子は知っていたのだけど、実際に目の当たりにしてみると、とてもではないけど、脚を踏み入れようとは思えなくなってくる。

 それでも、女の子の叫び声が聞こえてきたとなれば話は別だ。

 颯爽と女の子を助け、俺TUEEE的なところを見せつければ、必然的に惚れ込むというものだ。

 そんな空想を展開しつつ、奇怪なジャングルの中へ脚を踏み入れる。


 女の子を格好良く助けて、黒鵜くん、素敵~~~、とか、うひひひひ。


 邪な空想に浸りながら、元々道だった場所を思い出しつつ、草を掻き分けながら進む。

 すると、女の子の声が鮮明に聞こえてきた。


「ん? どうも、幼児用広場にいるみたいだ」


 マンション前には、小さな子供が遊ぶための砂場や滑り台など、幼児向けのやや広めの公園があった。

 勿論、幼いころは、僕もその広場で遊んだ記憶がある。


 それはそうと、急いで助けに向かったのだけど、女の子の声で思わず足を止めてしまった。


「あら、まだやる気なの? この氷結の魔女と真面に戦って勝てると思ってるのかしら? アイスアロー!」


 なんだ、この痛い台詞は……イッてるのか? イッちゃってるのか? 氷結の魔女って……ププッ……缶酎ハイみたいだよ……それに、アイスアローだってさ……センスがないよね。どこの厨二かな。クククッ。


 女の子の言葉を耳にして、思わず込み上げてきた笑いを堪えつつ、ゆっくりと静かに脚を進める。


 少し開けた場所では、小柄な少女と五体のヘルドッグが対峙していた。

 周りに数匹もの屍があるところを見ると、戦闘を繰り広げて、かなりの時間が経っているようだ。

 ただ、その少女の言動もだけど、その姿に唖然としてしまった。


 あれって、ローブのつもりなのかな? いや、マントのつもりかも? でも、どうみてもカーテンだよね……花柄だし……どうも、完全に厨二を病んでるみたいね……ご愁傷様です。


 笑いを堪えながら少女をコキおろしていると、なんと、彼女は魔法を放った。


 えっ!? あれって、氷の矢かな? 凄い……


 その攻撃は、痛い台詞と格好に反して鋭い攻撃であり、瞬く間にヘルドッグに突き立つ。


「ギャイン!」


 ヘルドッグは避けることもできずに、その一撃を喰らって悲鳴を上げると、力無く地面に倒れた。


 ちょっ、炎撃を喰らった時とは雲泥の差じゃないか……それに、攻撃が物凄く速いや……


 その恰好と痛い台詞がツボに嵌って嘲笑っていたのだけど、彼女の魔法を見て愕然とする。

 なにしろ、その威力は別にしても、その実用性や度胸は、炎獄の魔法使いである僕を軽く上回っているからだ。


 凄い……他にも魔法を使える者が居てもおかしくないと思ってたけど、こんなに上手く使いこなす人が居るなんて……それも、女の子だし……


 色んな意味でショックを受けるのだけど、その間も彼女は残ったヘルドッグを痛い台詞で突き刺していく。いや、氷の矢で突き刺していく。

 そして、残り一匹となったところで、何を考えたのか、彼女はニヒルな笑みを浮かべた。


「ごめんなさい。でも、戦いとは非情なの。それに、あなた達の運が悪いのよ。この氷結の魔女と出会ったのが運の尽きなの」


 痛すぎる……なんて痛いキメ台詞なんだ……病んでる。重症だよ。末期だね。手の施しようがないよ……折角、可愛いのに……可哀想に……


 その可愛らしい顔を見やり、残念に思いつつも、痛い台詞に全身が痒い気がして身悶えする。

 その時だった。痛い姿を注視できずに視線を外したところで、木の上に潜む存在に気付いた。


 あっ、拙い、気付いてないみたいだ。


 今まさに、彼女の後から飛び掛からんとするヘルドッグに気付き、焦って木陰から飛び出すと、透かさず魔法を放った。


「危ない! 炎撃!」


「えっ!?」


 彼女は突然の闖入者に気付いて瞳を大きく見開く。ただ、それに構うことなくヘルドッグに魔法を叩き込む。

 だけど、やはりヘルドッグは炎の耐性があるのか、直ぐに死んでくれない。いや、それどころか、もっとやって欲しい的な声を上げた。


「キャイ~~~~ン! クゥ~~ン!」


「くそっ、このドM犬! 炎撃! 炎撃!」


 恍惚な表情を浮かべて身を捩らせるヘルドッグに罵声を叩きつけ、魔法を連続で叩き込むのだけど、身悶みもだえするヘルドッグの呻き声が「も、もっと~~」と言っているように聞こえてならない。


 ちくしょう~~~~!


 歯噛みながら心中で込み上がる怒りに燃え上がる。だけど、全く以て炎の攻撃は効いていないようだ。

 そんなヘルドッグの腹に、突如として氷の矢が突き刺さった。


「いつまで遊んでるの? 油断は命取りよ!」


 自分の前に居た魔獣をとっくに片付けたのか、身悶えしているヘルドッグを一撃で葬った彼女は、両手を腰に当てた格好で窘めてくる。


 別に遊んでる訳じゃないんだけど……爆裂なら一撃だけど、君まで巻き込むだろ!? てか、助けたんだから礼くらい言ってもいいだろうに……


 心中で悪態を吐きながらも、不満な表情だけを彼女に向ける。

 すると、彼女は何を思ったのか、その綺麗に整った眉を片方だけ吊り上げる。


「ふ~ん。あなたも魔法使いなのね……でも、力不足みたいよ?」


 ぐぎゃ……痛いところを……いや、ヘルドッグとの相性が悪いだけなんだよ!


 軽く見られているのか、彼女の鼻持ちならない発言にカチンとくる。そして、反射的に感じていたことを口にしてしまう。


「ねえ、どうしてカーテンを着てるの?」


 その一言は、彼女にとって触れられたくない事実だったようだ。真っ赤な顔で反論してくる。


「し、し、仕方ないじゃない。まともな服は全部食べられたのよ! 私だって好き好んで、こんな格好してる訳じゃないわ。というか、あなたの格好こそなによ。どこの仮面ライダーなの? というか、サイズが合ってないから不格好なんだけど」


「仮面ライダー……不格好……」


 どうやら、彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。

 眦を吊り上げた彼女が、ムキになって罵り声をあげる。


 それに憤りを感じて透かさず言い訳を口にしつつも、彼女の厨二的な言動に言及する。


「これは見た目よりも実用性を取ったんだよ。それよりも、君って厨二なの? 病気なの? 病んでるの? 重症だよね!?」


「み、見たのね……聞いたのね……」


 ツッコミを食らったことで、彼女は一瞬にして生気の抜けた表情となる。

 それが意味するところを理解できなかったのだけど、すぐさま冷たい眼差しを向けられて、背筋に寒気を感じる。

 その途端、ゆっくりと右手をこちらに向けて突き出した。


「ま、まさか……」


 彼女のやろうとしていることに気付き、愕然としながら後退る。

 しかし、氷の仮面を被ったと表現したくなるほどに、無表情を顔に貼りつけた彼女が静かに口を開いた。


「私の黒歴史を知ったからには生かしておけないわ。残念だけど死んでちょうだい」


「や、やめろ! やめてよ! う、うそだって! なんにも見てない! 聞いてないよ!」


「うるさいわ! 死ねーーーーーーーー! アイスアロー!」


 必死に弁解するのだけど、彼女はそれを一蹴すると、容赦なく魔法のワードを唱える。


 そう、これこそが炎獄の魔法使いと氷結の魔女の出会いであり、僕の運命を変える少女との遭遇だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る