小説家と担当

榎木イマ

小説家と担当。

幼い頃の夢を、私はまだハッキリ覚えている。幼稚園生の時から私の夢は変わらず、小説家になることだったからだ。周りの友達がケーキ屋さんやお花屋さんと言っている中で、私は1人大人びた夢に優越感を覚えていた。しかし、それは年を重ねる事に私を苦しめだした。いつの間にか周りは皆、公務員や医者、有名企業への就職を目指すようになり、立場は完全に逆転。追い打ちをかけるように、自分ですら面白いと思える小説が書けないのである。

そして、中途半端に夢を追った結果、ある小説家の新しい担当編集者として彼女の家を訪れていた。

「失礼致します。先生、本日は新作の件でお話があるということで…えぇ、では」

私は促されるまま、リビングのソファーに座った。案外生活感のある家だな、と思わず周りを見回す。

「ごめんなさいね、急にお呼びしてしまって。お話なんだけど、執筆しながらしたいの。少し向こうの書斎で書いてくるから、ゆっくりしていてくれる?」

「はい。先生も私にお構いなく、どうぞ。待っていますから」

安心したように、小説家の顔がほころぶ。なんて綺麗で優しい人なのだろう。

この小説家は、普段家に原稿を取りに来させることはない。

それどころか、誰にも素顔を明かさないことでこの業界では有名だ。担当編集者ですら、顔を知らずに仕事をしているという。

なぜ、私は呼び出されたのだろう。疑問はあったが、それ以上に新しい仕事を前にした私の心は踊っていた。

そこの雑誌は好きに読んでくれていいし、テーブルのお菓子もどうぞ、と言いながら書斎に消えようとした時、小説家は思い出したように振り返り、

「冷蔵庫だけは開けないで」

と言った。

「人の家をあれこれ探るようなマネなんてしませんよ」

いくら先生のファンでも、と心の中で付け足す。


もう8月も終わりだというのに、窓の外では蝉がうるさく鳴いている。


私は昔から、この小説家のファンだった。出版された作品は全て買い集め、この人の頭の中を覗いてみたいと幾度となく思った。それを超えたあたりからがマズかった。私は、盗作に走ったのだ。完全なコピーではないから、盗作ではないかもしれない。しかし、私の中では完全な盗作の意識だった。同じ題材で物語を紡いでみては失望する。私はこの人にはなれない。そんな当たり前のことが、彼女の担当編集者になった今も絶えず私を攻撃してくる。これも別に、実力で掴み取ったわけではない。たまたまできた穴を埋めるため、空いていた私が担当することになった。

そういえば、前の担当さんはどんな人だったのだろう。なぜ辞めてしまったのか。

「ねぇ、ちょっといいかしら」

見ると、書斎から顔だけをのぞかせた小説家がいた。

「はい、何でしょう?」

作品を生み出すのに夢中なその顔に急かされて、急いで書斎に入る。

「あなた、私の代わりに小説を書いてみない?」

意外すぎる言葉だった。

「それは……一体どういう」

「言ってたじゃない。あなた、私を真似て小説を書いてたって。ね、1作書いてみない?私として」


私は、初めて小説家に会った日、自分の作品を読んでもらっていた。

酷評されると思っていた。小説を馬鹿にしているのかと、罵られる覚悟もしていた。それなのに、彼女は何も言わなかったのだ。

あの時、この小説家は何を思ったのだろう。

そして今、私にどんな評価を下しているというのだろう。

「先生の作品の続きを、私がニセモノになって。そういう事ですか?」

「違うわ。1から書くの。それから、ニセモノでもない。あなたが私の書斎で、いかにも私の作風の小説を書く。それはもう、ホンモノじゃない?私はあなたを応援したいのよ」

私は、はい、とだけ言った。


先生の書斎の椅子に座ると、一気に胸が高鳴った。ただ、なんの気兼ねもなく小説を書くことが出来る。どんな物語を書いても、それは全てホンモノになるのだから。

書きたくて書きたくて仕方が無いなんて、久しぶりの感覚だった。

「先生。あの、聞いてもいいですか」

「何かしら」

これは、チャンスかもしれない。夢を叶えるための、チャンスかもしれない。だから私は書きたくなった。私にチャンスをくれた、もうひとりの人物を。

「前の担当編集者さんって、どんな方だったんですか?」

「え?あぁ、彼は佐々木といって私のデビューの時からの付き合いだった。もう35年かしら?一緒にやってきたの」

「そんなに、長かったんですね。それじゃあ、その方が辞められた時、相当悲しかったのではないですか?」

予想外だったが、湧いてくるイメージは止まらない。

「彼は、辞めてなんかいないわ。失踪したの」


え。


「まぁ、辞めたってことになるのかしら。あなた、彼のことを小説に?なら奇遇ね。私の新作にも彼が出てくるの」

先生の新作。読んでみたい。だけど、今読んでしまっては自分の筆がきっと進まなくなるだろう。影響されて、自信を失って、これまでと何も変わらない私。でも、それでもいいと思えてしまう。結局私は、この小説家の書くものが好きなのだ。

「教えてください。先生は、どんな新作を書いているんですか」

「ある小説家の家へやって来て、書いている間ゆっくりしていってと言われる担当編集者のお話よ」

それは。微かな違和感が、目の前をすり抜けていく。

「その人は小説家に言われるの。私の代わりに小説を書いてみないかって」

「私、じゃないですか...?」

「そう、あなたを今日呼んだのはこのため。物語の大切な場面だから丁寧に書きたくてね。だから、同じような状況を目の前につくってみたくて」

続けていいかしら、と少しおどけた顔で聞いてくる小説家。私は、静かに頷く。

「小説家が担当編集者を自分に仕立てあげようとした理由は、逃げるためよ。自分の代わりに書かせておいて。実は、小説家は殺人を犯していたの」

私は、この人の発想をまだしばらく超えられそうにない。

「先生。冷蔵庫の中には、何が入っているのですか」


窓の外では、蝉がうるさく鳴いている。

もう8月も終わりだというのに。


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小説家と担当 榎木イマ @fumifumi050288

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