3−2

 青シャワル亭のおかみさんは、すぐに赤茶色の服を着た男性に声をかけて、三人の食事を用意させてくれた。

 男性はミヤの夫だそうだ。彼が食堂を切り盛りしている。受付の少女が次女で、後から長女も姿を見せた。もうひとり長男がいるのだが、彼は他の仕事が終わっていないらしい。

 ご近所さんだという三人の男性は、いつでも力になると請け合って帰って行った。気持ちの良い人たちだ。ラダーとは大違いだな。

「さて、ご所望の飯だぞ。遠慮せずに食えよ」

 食堂のテーブルに頬杖をついて、細田がニヤニヤと笑う。

 正面に座ったデニスは、不安そうに大山を見る。どうしてこっちを見るんだ?

 大山はデニスの視線に気づかないふりで、自分の皿を引き寄せた。

「そうだよ、ありがたく食べな。あんたみたいなろくでなし、食わせてもらえるだけでも感謝しなきゃね」

 言いたい放題のミヤが、温かいスープの椀を運んでくれる。彼女は細田が火と水の精霊を使えると聞いて、勇んで台所に引き込んだのだ。食堂が終わって火を落とした後は、いつも冷めた食事をとっていたらしい。宿の経営者も大変だ。

 もっとも、おかげで夕食は、細田も納得のメニューになった。

 手伝ったのは料理の温め直しと、お茶用の熱湯を汲んだだけだが、ミヤは大喜びだった。細田が真剣な顔で、夫である料理人を質問責めにするのには苦笑していたが。

「こんな奴、とっとと追い出すべきです。さっきなんて、受付の下をこっそり通って来たんですよ。泥棒じゃあるまいし」

 ミヤの次女が、ふくれっ面で茶器を置いてくれる。宗教施設で使った物に似た、陶器のティー・ポットと茶碗だ。

「体を縛られてたんでしょう? 絶対に悪い奴です」

「悪い奴じゃありません……俺は良い旅人です」

「どうだか」

 ふんっと鼻を鳴らして、次女が台所に戻って行く。

 ミヤたち家族も、これから台所で夕食だ。テーブルについているのは大山と細田に、宿無しデニスの三人だが、彼女たちはカウンター越しに目を光らせている。

「よし、温かいうちに食べないとな。いただきます」

 大山は手を合わせて、まずは中央の皿に山積みになっている、丸い平焼きパンを手に取った。

「マルームって言ってたっけ。棒で焼いてた、マルムと同じパンかな。どっちかの言葉が訛ったのかね」

 小麦の香りが食欲をそそるパンは、ラダーが焚き火で焼いた物とは大違いだ。千切ってみればきれいに中空が出来ており、表面には薄く植物油が引いてあった。香ばしい焦げ目や、ふっくらとした歯ごたえも絶妙で、さすがは宿の料理人が焼いただけある。

 各自の皿には、角切り野菜と肉の炒め物が盛られていた。スプーンで炒め物を掬い、パンに挟んで食べてみる。

 野菜は冬らしい肉厚の青菜に、甘く柔らかいものと、シャキシャキの玉ねぎが入っていた。味付けは塩コショウで、ほんのり酢と生姜の風味がする。肉は豚肉に近い。噛むと旨味があふれ出し、脂身の甘みが野菜に染み込んでいた。

「うん、こりゃいけるな。南の国だけあって、香辛料がたっぷりで美味いわ」

「トマトっぽいのも入ってたけど、トマト味はしないな」

 細田も食が進んでいるので、今後は台所を見せるという手もあるな、と大山は考える。なるほど、屋台の串焼きを食べられたわけだ。毒味はさせられたけど。

 大山は茶を飲んでから、スプーンで赤い具材を拾って見せた。

「たぶん、パプリカだろ。炒めて酸味が飛んでるけど、酢漬けの保存食みたいだな。トマトが食べたきゃ夏まで待たないと」

「ふーん? あれ、ピクルスだったのか。いや、夏までとか無いわ」

「だよなあ」

 スープは白い豆と葉物野菜が具になっており、動物の骨でとったらしい出汁がきいている。クミンや唐辛子に似た風味もするので、これにトマトが入れば、トルコ料理が近くなるだろう。

「素晴らしいな。食事が美味いって、宣伝文句にもなるわ」

「うん、うんまい」

 異国情緒あふれる料理を満足そうに食べていた細田が、視線だけでデニスを見上げた。

「どうした、デニス。食えよ」

「はい……いただきます」

 デニスは先ほどから、二人の正面で居心地悪そうにしている。細田に何か言われる度に、チラチラと大山を見るのが鬱陶しい。

 俺の顔が、細田に比べてあまり怖くないからかね? さっき、部屋を追い出したのは俺なんだけど。

 遠慮しいしい手を伸ばしたデニスだが、スープをひと口食べてからは、目を輝かせてスプーンを動かした。

「いやあ、本当に美味いな! 藩都はんとの小洒落た料理とは大違いだ」

 パンと炒め物もモリモリと食べて、しまいには目に涙を浮かべる。

「うまい……ありがとうなあ。俺、昨夜ゆうべもろくなもん食ってなくてさあ。ラダーちゃんは料理が下手だし、なんて言うか、腹は膨れても心が飢えてたんだよね」

「そうかい。無駄口は叩くな」

「……はい」

「それと、タダ飯を食わせるつもりは無いからな。キリキリ働けよ」

「あの、それは……今後も養ってもらえる、って事でいいのかな?」

「陣使いってのは、そういうもんなんだろ? 旅から旅へで暮らして、世話になったら陣を描いてやる。確か、渡りの民だったか」

「いや……渡りの民は、精霊キィザ使いを生む移動民族の総称だよ。あの人たちはとても閉鎖的で、簡単には交流を図れない。俺と爺様は、もっと東から流れて来たんだ」

「ほう」

 二人の会話に、大山は眉をひそめた。

 キィザという名称が精霊と訳されるのに、この国の精霊使いとは違うのかな? ハンダが、里の精霊使いと言っていたのは、呪術士と同じ意味なのだろうけど。

「まあ、お前の事はどうでもいい。その、流れの陣使いが、なんだってラダーたちと一緒に居たんだ」

「ええ……どうでも良くないでしょ? もっと俺の話を聞いて?」

「知るか」

 すげなく返す細田に、デニスが愕然とした顔でこちらを向くので、大山も仕方なく口を開く。

「あのなあ、良く考えてみろ。いまのお前は、不法侵入の容疑者なんだぞ。さっきの適当な言い訳で、俺たちが納得するとでも思ったのか」

 細田が、うんうんと頷いて茶をすする。

「ラダーやハンダについて、詳しく話せ。これ以上の迷惑はご免だからな、旅先で行き合わないようにしたいんだ。奥様とやらと、あのガキンチョについてもだぞ」

 大山が親指を立てて背後を示せば、デニスの視線が台所に向いた。おそらく、この宿の経営者家族にも睨まれたのだろう。しょんぼりとして、テーブルにうつむく。

「ええと……始まりは、俺がジョードのノゴク藩で文無しになった事なんだ。この辺りまで来ると、陣使いについて知らない人が多くてね。試してみせようにも体を触る必要があるし、ほとほと困ってたんだけど……あの、ハンダって言う庭師のおっさんが、俺の噂を聞きつけたらしくて、藩主の屋敷に引っ張り込まれたんだ」

 デニスは記憶を探るように眉を寄せて、マルームを千切る。

「藩主の第一夫人が、体調不良で寝込んでる、ってね。先に礼金を渡されたから付いて行ったんだけど……あれはたぶん、彼の独断だろうな。真夜中に裏口からこっそりと、奥様の寝室まで通されたよ」

「ふうん? それで」

 細田の適当な返しにも、デニスはめげなかった。もぐもぐと食事を続けながら、厄介そうな話を続ける。

「確かに、奥様は体調不良だったよ。体中に、暴行を受けた痕があったんだ……俺でなくとも気づくだろうね。あれは、閨での虐待だ。奥様が浮気でもしてるんでなけりゃ、やったのは間違いなく、藩主のシャイダ=スジイだよ」

「おいおい……勘弁してくれ」

 大山は、呆れてデニスを見返した。

「その奥様ってのは第一夫人で、そもそも他国ドウリャから嫁いで来た、いいとこのお嬢さんなんだよな。下手に知られたら外交問題になるぞ」

「まさか。政略結婚なんてのは、人質と同じだろう? それも、格下の都官から送り込まれた三女だ。死なない程度に飼っておけば、親だって文句は言わないさ」

 あんまりな言い草に、大山こそ文句のひとつも言いたかったが、デニスの表情を見て堪える。非情な事を口にしつつも、彼の顔は嫌悪に歪んでいた。

「だけど、同郷でもあるハンダは、それに気づいて我慢がならなかったんだな。それと、奥様に付けられた護衛のラダーもだ。妻の護衛に女性を選んでおいて、好き放題に乱暴していたら、結果は火を見るより明らかだけどね」

 馬鹿なんだよ、とつぶやいて、デニスは茶で口を湿らせる。

「俺が奥様の治療をしている間、ラダーはずっと寝室に控えていた。あの子は普段から、いかにも護衛でござい、って格好をしていたから、最初は不思議に思わなかったんだけどね。普通は、女中なんかが世話をするはずだろう?……後で話を聞いたら、もう藩主の使用人は、誰も奥様に近づけなかったんだそうだ……可哀想にね」

「それは、どういう意味での可哀想なんだ?」

 細田が訊くと、デニスは驚いたように顔を上げた。

「いくら藩主の使用人でも、女ならひとりくらいは奥様の境遇に同情するはずだ。近づけなかった、ってのは、藩主の命令とかじゃないんだな」

 目を丸くして細田を見返すデニスからは、先ほどまでの怯えの影がきれいに消えていた。食べる手も止めて、熱心に頷く。

「俺が余計な気を起こしたのも、それが理由なんだ。可哀想な奥様は、幸か不幸か闇の呪術士だった……彼女が、いつから心を病んでいたのかは知らないよ。でも、あの頃にはすでに、奥様が信頼して寝室まで通すのは、同郷のハンダと護衛のラダー、それと自分の娘だけだったらしい」

「娘、か。ラダーとハンダが、お嬢様って言ってた子だな」

 大山は、もうひとつの事実にも気づいていたが、それは口に出さなかった。

 闇の呪術士とやらに、どんな能力があるのかは知らない。だが、使用人を拒絶するような術が使えるなら、夫である藩主も近寄らせない方法があったはずなのだ。

 それでも奥様は、夫からの仕打ちに耐え続け、子供までもうけている。相手が藩主とかいうお偉いさんで、自分が政略結婚の駒だからだ。

 やだやだ。こんな話を聞いていたら、頭がおかしくなりそうだ。

「だけど、彼女たちは国を出奔して来たんだよな?」

「ええと……それは、俺が提案したというか……誑かしたんだよね」

 気まずそうに笑って、デニスが頭を掻く。

 大山が不思議に思って見返すと、今度は悲しそうな顔になる。あれ? ここは、自慢していい場面じゃないのかな。だって、奥様が嫁ぎ先から逃げ出せたのは、デニスの功績なんだろう?

「俺の陣は、ほとんどが初歩の物なんだけど……もうひとつ、倫越眼りんえつがんを持っているんだ。ええと、倫理を越える目という意味で、元々は極東の駆者くしゃが描き残した陣なんだけど」

「意味のわからない単語を並べていないで、わかりやすく三行で説明しろ」

「……さんぎょう?」

 細田の突っ込みにデニスが目を丸くするので、大山は助け舟を出す。

「文章にして三行に収まるよう、簡単に言えって意味だよ」

「ああ……わかった。つまり、だね。俺には、他人の健康状態を見ただけで把握する能力がある。その目でお嬢様を見たら、彼女にも暴行の跡があったんだ。もちろん、普通の殴られた怪我だったけどね。だから、つい奥様に……このままだと、娘さんまで藩主の餌食になりますよ、って……」

「そうしたら奥様の目が覚めて、一緒に逃げ出す羽目になったのか」

「はい。反省していま……」

「あんた、良くやったよ! そんな馬鹿な話があるかい!」

 背後で大きな物音と共に、ミヤの怒鳴り声がする。

「都官のお嬢様ともあろう方が、よその国で粗末に扱われて、この国の人間が黙っているとでもお思いかい? さっさと逃げ出して正解さ!」

「あ、いや……ですけど、事は政治の話が絡むんで」

「信じられない。その屋敷に、火を付けてやれば良かったのに」

 おろおろと立ち上がりかけたデニスに、冷たい声が追い打ちをかける。振り返って見れば、ミヤの長女だ。

「ねえ、母さん。私は、その人たちを見ていないけど、夜中にリダおばさんの宿を抜け出したんでしょう? どこに行ったんだろう」

「心配だね。その藩主を殺してもいないんじゃ、きっと、親元に帰っても追い返されちゃうよ」

 まだ若い次女まで、物騒な事を言う。だが大山は、宿の従業員家族の気勢に、思わず拍手を送りそうになった。

 いやまあ、第三者の立場だから言える話ですけどね?

 下手に藩主とやらに手をかけたら、このドウリャ国は魔族の国だけでなく、北の国とまで戦争になるだろう。

 ですから、みなさん落ち着いて!

「そっちのおじさんは、なにか知らないの?」

 首だけで振り向いた次女に問われて、デニスがぐっと喉を鳴らす。

 うわあ、わかりやすい。このおっさん、嘘がつけないタチだな。ラダーの事を言えないじゃないか。

「ま、あの女共が、こそこそ旅をしている理由はわかった。藩主からも、追っ手がかかっていそうだしな」

 落ち着いた口調で言って、細田が薄く笑う。

 その表情に大山は、思わず友人の口を塞ぎたくなった。これは、だめなパターンだ。奥様とやらの境遇が話題に上った辺りから、嫌な予感はしていたが。このままだと、間違いなく面倒な事になる。

「ダダ、だめだよ」

「なんだよ。まだ、なにも言ってないだろ」

「言う前だから、忠告してるんだ。自分たちの目的を忘れたわけじゃないだろ?」

「そういうお前こそ、気づいてるんだろうが。あの女は、ガキを置いてったんだぞ。弟とか言ってたか。身内を切り離すんだから……」

「死ぬ覚悟がある、って意味だろ。だから、だめだって言ってるのに」

 ため息をついて、大山は額を押さえる。

 あーあ。どこから間違えたんだろう。いちばん最初から、かな。ラダーたちと細田を引き合わせなければ、こんな事態は防げたのだ。

 俺のせいか。仕方ない。

「全部、おっさんのせいだな。こりゃ、最後まで面倒見るしかないか」

「え? ちょっと待って、なんの話?」

 おろおろとこちらを見るデニスに、大山はぞんざいに命令した。

「さっきの、ラガとかいうガキンチョを探して来い」



 翌朝になって、ミヤの長男が大山たちの案内に手を上げてくれた。

 ミヤの長男は、長女である姉が宿を継ぐ予定なので、いまは父親の手伝いをしながら、近くの食堂でも働いているそうだ。快活そうな丸顔の青年で、目元にミヤの面影があった。

 彼が、今日の仕事を休んでまで付き合ってくれると言うので、大山は申し訳ない気持ちになる。それでも案内を遠慮しなかったのは、彼が父親の失態を聞かされたようで、どうしてもと頭を下げたからだ。

 銀板って、そんな大金なのか。シーニャさんにもらった財布に、銀色のお金が入っているんだけどな。

 本心では、案内をしてもらってありがたい。この先どうするにせよ、旅の知識も準備も、まったく足りないのだ。いつまでもリュックサックを背負ってはいられないし、国都とやらはずいぶんと遠い場所にあるそうなので、早い内に足を手に入れる必要があった。

 まあ、最悪は細田を担いで、自分が走れば済む話だけど。

「ここらは精霊の祠も多いから、軽装の旅人には慣れているつもりでしたけど……ヤマさんたちって、本当になにも持っていないんですね」

 感心しているのか、呆れているのかわからない苦笑を浮かべて、ミヤの長男が力強く頷く。

「わかりました。旅をするのに必要な品は、俺が責任を持って揃えましょう」

「助かるよ。面倒をかけるけど、よろしく頼みます」

「いえ、こっちも親父が迷惑をかけたみたいなんで。コルです、こちらこそよろしく」

 気さくに名乗ったコルは、そこで部屋のベッドを振り向くと、訝しげに首を傾げた。

「で、寝台のは放っといていいんですか?」

「ああ、構わないで下さい。ちょっと実験をしているんで」

 大山たちの借りている部屋では、ひとつのベッドにデニスとラガが座っている。お互いにむっつりと黙って視線も合わせないが、彼らの仲が悪くとも大山には関係ない。

 ベッドには横の棚を少し寄せて、床には新しい虫を入れた便器と尻を拭く用の植物紙の束が置いてある。水差しと甘パンも用意してやったし、しばらくは保つだろう。

「はあ……ま、お客さんがそう言うなら」

 コルは納得半分、という顔だったが、素直に大山と細田を先導して部屋を後にした。

 ベッドの周囲には、大山の防護壁を張り巡らせてある。いい実験材料が手に入ったので、先日から気になっていた、魔法の保つ距離と時間を確認する事にしたのだ。

 実のところデニスは、昨日も言っていたように、自分の引き起こした厄介事を忘れて自由になりたいと思っている。逆に、ラガは身内らしいラダーに置いて行かれたのが不安で、どうにかして追いかけたいらしい。

 大山が里で買い物をしている間に、この防護壁が時間経過か距離によって消えてしまえば、二人のどちらかは部屋から逃げ出すだろう。ひとりだけでなく、両者とも消えてくれれば面倒が無くなるのだが、それは都合が良すぎるな、と大山も覚悟している。

「さて。ヤマさんたちは、旅をするのが初めてだと思って説明しますね。この国では、徒歩で旅をする人も珍しくありませんから」

「すまないね。本当に、まるきりの初心者と思って下さい」

「では……精霊の祠を巡る旅人のように、ろくにお金を持ち歩かないとしましょう」

 そのためには準備が必要です、と続けて、コルが一軒の店に足を向ける。

 中央通りから横道を少し入った立地で、柱と廊下で出来た開放がとても奥行きのある建物だ。その、もう廊下とは呼べない広さの石床に、様々な品物が陳列されている。

「まずは、野営の道具ですね。ヤマさんは、料理が作れますか?」

「ええ。ひと通りは」

 大山は、我関せずとよそ見をしている細田を振り向いた。一応は話を聞いているんだよね? そっちが言い出したんだから、お願いしますよ。

「ダダは、狩りも出来ます。先日はウサギ……じゃなかった、ラビトを捕まえて来ましたよ」

「へえ。なら、ずいぶん楽になりますね。たまには宿をとって休むにしても、街道沿いなら野営地を使うのが便利でしょうから」

「野営地ってのは、国が管理している広場みたいな場所ですよね」

 確か、細田がそんな事を言っていた。ラダーたちと馬車で移動していた時に、休憩に使ったのも野営地だったはずだ。

「そうなると、テントが必要になるのか」

「天幕と言っても、男が二人なら、寝るだけの物でいいでしょう。ここの天幕は丈夫だし、長持ちしますよ。ああ、キージさん。ちょっと見せてもらうよ」

「なんだい、コル坊。お客さんを連れて来てくれたのか」

 コルが声をかけたのは、店の奥で椅子にかけていた初老の男性だ。頭に黒い布を巻いて、肩に紋を染め抜いた紺色の上着を着ている。

 宿の従業員は赤か赤茶色だったし、上着の色によって職業がわかるのかな、と大山は思った。

「まったく、ミヤさんとこは三人とも、本当に気が利くいい子だよ。それに比べて、うちの馬鹿息子は……」

「まあまあ。こちらのお客さんが、天幕を探していてね。北からの人だから、ご覧の通り大きいんだ。二人が寝られるような簡単な天幕で、合う大きさの物があるかな」

 おお、コル君は本当に気が利くな。おじさんの愚痴を遮るタイミングもばっちりだし、話の要点をわかりやすく伝えている。

 キージと呼ばれた店の主人は、大山の背丈を測るように視線を上下させると、さてな、とつぶやいて立ち上がった。

「前に、大荷物を担ぐ行商人に頼まれて作ったのが、ひとつ残ってるぞ。あれなら丁度いいんじゃないか。いま出してやるよ」

「ありがとうございます」

 大山が礼を言うと、キージは気にするなと言うように片手を振った。

「在庫が捌けるなら、うちは大助かりだからな。と言っても、変なのを押し付けたりはしないよ……ああ、これだ。ちょっとかさばるが、あんたなら持ち歩けるだろう」

 キージが持ち上げたのは、鞣し革っぽい黒色の布を巻いて、紐で縛った物だった。真ん中に、数本の棒が挟んである。この辺りでは小柄でもないキージが、胸の前で抱えるほどの大きさだ。

 だが、確かに大山なら簡単に運べる荷物だろう。受け取ってみれば、意外に軽かったので少し驚く。

「そいつには、紅馬こうばの仔の革を使ってある。ツテで安く手に入ってな。鞣したのは里でもいちばんの職人だから、そこまで薄く丈夫に作れたんだ。ちょっとやそっとの雨なら漏れないし、なにより、あんたの背丈でもはみ出さずに横になれるよ」

 言って、キージが実際に天幕を立てて見せてくれた。

 支えに使う棒には、先を差し込んで固定する部品も付いていて、あっという間に三角形が三つ作れた。それを横棒で繋ぐと、ひとつの頂点が天井になる。

 革を接ぎ合わせた布は筒状になっており、その中に支えを突っ込んで使うのだ。片側は閉じられているので、すっぽりと被せるのにはコツが要りそうだ。キージは、慣れないうちは三角形をひとつ奥に立ててから、横棒で繋いでいけば良いと教えてくれた。

「これはいいですね。俺の身長よりも奥行きのあるテントで、ここまでコンパクトなのは初めて見ました」

 横にして使うものを縦にして、三角柱が自分の頭の上まで届くことに大山が感心すると、キージが楽しそうに笑い声を上げる。

「狙いは、でかい袋の中に大荷物を仕舞って、自分の体で蓋をして休むって所だったんだがな。普通の天幕とは違うから、あまり売れなかったんだよ。あんたみたいに大柄な男には、こいういうのが都合いいだろう」

「はい。雨を心配せずに寝られるなら充分です。これ、おいくらですか?」

「うーん。上等の革だし、長いこと手入れをしてたからな。儲けを考えるなら、五銅板バリャクは欲しいとこだが」

 おっと、新しい通貨の単位だ。

 これまでに聞いた銅は、円い銅貨の事だった。これが板となると、もっと上のお金だろう。だけど、ここで値切るのも品がないかな。これが地球の外国なら、多少は値切るんだけど。

 大山は、物は試しと上着の内ポケットに手を入れた。

「ああ、その辺りも説明して欲しかったんです……すみませんが、コルさん。ちょっといいですか」

「はい、なんでしょう」

 キージに軽く頭を下げて、大山はコルを店の端まで呼び寄せた。素直に付いて来てくれるミヤの長男に、そっと金貨と銀貨の入った巾着袋を開いて見せる。

「実は、お金に困っているのか、それとも余裕があるのか、自分でもわからないんですよね。この中のお金って、どのくらいの価値があるんでしょう」

 怪訝そうに財布を覗き込んだコルは、中の物に気づくと目をぱちくりさせた。

 えっ、とつぶやくが、それでもまだ呆けたような顔をしている。無言の時間が続いて、大山の下腹がそわそわし始めたところで、ようやくコルが顔を上げた。

「あの……これ、どこで」

「いや、盗品とか、変なお金じゃありません。知り合いにもらった、旅支度用のお小遣い、ですかね。俺も初めて見るお金なんで、いまいち価値が掴めなくて」

「でしょうね……俺でも、里長さとおさが水路を引く時の準備金として、国から支給されたのを見せてもらって以来です」

 え、なにその大げさな話。

 のろのろと視線を横にやって、コルが考え込むように手で口を押さえる。浅黒い肌が、白っぽく青ざめているのが怖い。

「ええと……天幕を買うのに足りるかという話なら、もちろん買えます。なんなら、箱馬車と馬を買っても、おつりが来ます」

「そこまでですか……」

 ちょっと、シーニャさん。なにをして下さっているんですかね?

「ヤマさん。申し訳ないんですが、先に両替商へ行きましょう。そいつは里の店なんかで、気軽に使えるお金じゃありません。親父の知り合いに、口の堅い人がいますから」

「あ、はい。お願いします」

「参ったな……どうも、物慣れない人だと思ったんだ。いや、聞きませんよ。昨夜の話だって、本当は耳にしたくもなかったんだ」

 なにやら深刻な誤解を与えてしまったようだが、大山は説明も弁解も諦めた。両替商に連れて行ってくれるのは望むところだ。素直にお願いしよう。

 もっとも、こんな展開は予想していなかったが。

 本当に、どこかのお金持ちの放蕩息子とかじゃないんですよ。ただの地球人ですからね。

 まだ顔の青いコルが、それでもキージに天幕の取り置きを頼んで、大山と細田を連れ出してくれる。彼が冷静な人で良かった。迷惑をかけて、本当に申し訳ない。

「なに、山ちゃんどうしたの」

 それまで店の品物を眺めていた細田が、のんきに言うので、大山は思わず彼の頭を叩いてしまった。

「いったあ。なにすんだよ」

「緊急事態だ。俺たちの懐には、とんでもない大金が入っているぞ」

 大山は真剣に言ったのだが、細田はきょとんとした顔で見上げてきた。

「そりゃそうだろ。金貨だぞ。んなもん、昔なら殿様とか、大店おおだなの旦那が使うかねだって」

「お前、気づいてて黙ってたのかよ」

 不安げに振り返るコルを追いながら、こそこそと言葉を交わす。細田は、今度は不満そうに口を尖らせた。

「いいんじゃね。金持ちは生きるのに楽だろ?」

「そういう問題じゃない!」

 先ほどまでは気にも留めていなかった内ポケットが、急に重たく感じる。つい手で上着を押さえてしまいそうになり、大山は力いっぱいに拳を握った。

 自分は、仕事を探しながらでも、徒歩で旅をしようと覚悟していたのに。馬車と馬が買える? そんなもの買ったら、それこそ身動きが取れなくなるぞ。

 シーニャは何を考えて、こんな大金を渡して来たのだろう。

 そして……彼女の狙いは、本当に自分たちを逃してやる事だけだったのだろうか。

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