命の灯影2

 目が覚めると誰もいなかった。外は明るく、たゆたう光がよく見える。きっと地上は晴れているのだろう。

 まるで見計らったように扉が叩かれ、返事をするとセルグが現れた。

「リカシェ様に献上の品が届きました」

 石を削った馬の像だ。風を連れて走っているようでたてがみがなびいている。躍動する筋肉が見て取れて、今にも石のくびきを捨てて走り出しそうだった。

 受け取ったリカシェだが、セルグが由縁を聞きたがっていることを察して、慌てて言った。

「先日街に下りた時に、飾り物屋というところを見つけたの。是非何か品を送ってほしいと言っておいたから届けてくれたんだわ」

 ――エルヴィからの合図だ。

 リカシェに約束の場所で待っていることを告げている。

 心臓が騒がしくなっていることを悟られないようにしつつ、素敵よね、と言って像を掲げると、セルグは微笑んだ。

「ええ、本当に。見事なものです。地上にいた頃のことを思い出します」

「地上? あなた、もしかして……」

 セルグは頷いた。

「この城にいる者の多くは水葬王の眷族の妖精たちですが、私はただの人間です。地上にいた頃は中原を駆け回って戦っていましたが、縁があってハルフィス様にお仕えすることになったのです」

「戦士だったのね」

 彼がリカシェが生まれるどのくらい前の人なのかはわからないが、中原を駆け回るほど戦いが激しかったのは、システリオが王と呼ばれるより前のことだろう。この穏やかな姿からは想像できないが、剣を持って戦っていたとは。

「お恥ずかしい。ずいぶん昔の話です」

 そう言って照れくさそうに微笑む。中原の戦士は、どの時代においても戦い抜いて死ぬことを誇りとする。戦傷や首を数えるのが生きがいのようなものだ。けれどそうではなく慎ましく微笑するその態度こそ、セルグが真に強いということの表れのような気がした。

「届けてくれてありがとう。あの、できればお店に行って直接お礼を言いたいの。出掛けてもいいかしら?」

「王に伺ってみますが……私見ながら、あまりいい顔はされないかと思います」

 衰弱してつい先ほどまで寝ていたのだから、まだだめだと許可が下りない可能性は十分にあった。だがエルヴィが待っている。会うのは少し怖い気もしたが、彼と話さなければ、リカシェが抱えている迷いに決着がつきそうもないのもわかっていた。

 返事はすぐに来た。『供の者をつけること』という条件だったのでアーリィに頼もうと思ったら、じきに彼女が来た。どうやら先日リカシェ自らが迎えに行ったことが知られていたらしい。また同じことが起きないようにハルフィスが先に手を打ったようだった。命じられたアーリィは、苦笑していた。

「花嫁様の外出に同行せよと言われてね。ああこりゃまた叱られたなと思って来たんだけど、あんたまたえらいことをやらかしたそうじゃないか。冥府の門まで行ったんだって?」

 人が少ない割に噂が回るのが早い。それとも、少ないからこそみんなが知っているということだろうか。

 リカシェの動揺と沈黙を見て取ると、乾いた気風の女戦士も呆れ返るしかないようだった。

「突飛な人だとは思ってたけど、あんたのそれは無謀とか馬鹿っていうんだよ。誰が自ら闇の溜まる死の向こう側へ行こうとするもんか。そうまでしてニルヤに何を願いたかったんだい?」

 どうやら仔細は知られていないようだった。その方がいいと思った。リカシェと同じように行動する者が次々に現れたら、冥府の闇に飲まれて消えてしまう者が出てくるかもしれないということだった。

「大事なことを願ったの。でもそうすべきではなかったのかもしれないと思ってる」

 リカシェが言葉少なに答えると、追及すべきでないと察したアーリィは何も言わず、街へ行こうとリカシェを促した。

 街の通りに出ると、アーリィは行きたいところがあるのだとリカシェに言った。

「街の入り口に、ちょっとね」

 さばさばしているアーリィがそう言って言葉を濁すので、飾り物屋に行きたかったリカシェはこれを利用する形で、待ち合わせ場所を決めて後ほど合流することにした。

 やってくる死者がくぐる都市の入り口に向かう背中を見ながら、行きたいところのことを口にしたアーリィが、期待と恐れが混ざったような複雑な表情をしていたことが気にかかった。行きたいところがあると言うにしては、あまりそうは思っていないように見えた。

(大丈夫かしら。街の入り口に何があるんだろう)

 心配するのはいいが、自らのことも考えておかなければならない。しかしどうすべきかわからないまま、覚えた道を通って飾り物屋に来ると、店主は不在だった。不用心なことに扉を開けたままどこかに行ってしまったらしい。

 入っていいのか迷っていると「いらっしゃい」と声をかけられた。

 振り向くと、一瞬かぶり布でわからなかったが、店主の老婆が微笑んでいた。

「悪かったわね、少し用があって出ていたの。中へどうぞ」

 そう言いながら奥の机に向かっていく。後に続きながらなんとなく、彼女がかぶり布を解き、丁寧に畳むのを見る。

(……ん?)

 青いものの混じる髪を整え、肩を払った彼女が最後に触れたのは、首にかかっていた褪せた小袋だった。考える前に、視線に気付かれて見つめ返されてしまったので、慌てて頭を下げた。

「お邪魔します。あの、馬の像が届きました。ありがとうございました」

 老婆はふふっと笑った。

「よく出来ていたでしょう。最近ここに来た人が彫ったものでね、彫刻師の息子だったんだけど後は継がずに兵士になって、でも彫刻をやりたいとずっと思っていたとか」

「なるほど……兵士としてよく馬を見ていたから、あんなに躍動感のある像だったんですね」

 納得していると、老婆は目を丸くし、またふふっと笑い声を漏らした。

「待ち合わせの彼はまだ来ていないわ。そこに座って待っていらっしゃい」

 言葉に甘えて壁際に置かれていた長椅子に腰を下ろす。今日も飾り物屋とその周辺は静かで、時々誰かが通り過ぎるが店には目もくれずに去っていく。それらの光景を、リカシェは店の平たく大きな机に並べられた像や布といった飾り物越しに見ていた。

 そうするとそれらの品物が気になって、しばらくもしないうちに立ち上がり、置かれているものをひとつひとつ手に取った。

「それは子どもの頃からずっと機織りをしていた人の作品。白と青の糸しか使っていないのに綺麗でしょう。青の乙女の肩掛けに使っていただいているそうよ」

「宝石を糸にして織ったみたいです。……これは?」

「その器は、何でできているかはわからないの。あるお年寄りがふらっと持ってきて、ここに置いてくれって言ってきてね。異国の雰囲気があって、気に入ったから置いているの」

 言われたそれは、器と皿の一揃えだった。硝子に見えるがそれよりももっと密度の高い何かでできている気がする。持ってみると非常に重い。形もいびつで、いろいろなところに不可思議な丸みがある。削ったというより粘土をこねたみたいだ。しかし老婆の言うように、遠国の、言葉も風習の何もかもが違う、ともすれば時代すら異なる場所で大事にされていたような雰囲気があって、見ていると気持ちがゆったりとしてくる。

「あなたもそういうものが好きなのかしら?」

 上から覗き込んだり下から見上げたりと動き回っているからそう感じたらしい。リカシェは笑って頷いた。

「自分の想像もつかないものがあると思うと、わくわくするんです」

「あたしもそうよ。ただの村の女だったからかしらね、本当はもっと自由になりたいと思っていたせいか、今になってこういう変わったものを置く店をやってる」

 リカシェの問いを察して「あたしはルビナ」と老婆は名乗った。

「私はリカシェです。ルビナさんは、長くこのお店にいるんですか?」

「まあそれなりにね。髪もずいぶん青くなってきたし、そろそろお迎えが来るかしらねえ」

 そう笑って、手を動かす。興味を惹かれて覗き込むと、ルビナは刺繍をしていたようだ。白い布に青い糸で縫っている。

「お上手ですね……」

「これが仕事だったから。その口ぶりだと、あなたは苦手なんだね?」

 リカシェはごまかし笑いをした。ルビナは一つの仕事を長く続けている者ならではの口調で、誰に聞かせるともなく呟いた。

「苦手な人は手を早く動かしすぎなんだよ。少しずつ、丁寧にやっていけばいつかは完成するんだから、こつこつ積み重ねるのが大事だよ」

 だが彼女の巧みな針は、みるみる白布に青い花を咲かせていった。花はマーガレットだった。花束の意匠だ。手早く動き、刺すべきところに刺し、色を置いていくのを見ていると、自分も出来るような気がするが、実際はなかなかそうはいかないのを思い知っている。

「一針一針が祈りの言葉。贈る相手の幸いを願うもの。苦手でも下手でもいいんだよ。思いがこもった針ならば、針の神が魔法をくれる」

 その言葉が呪文のようだった。縫われていく花を見つめながら、花言葉を思い出した。

 白いその花は『真実の愛』を表す。この小さな人が水葬都市で祈りを刺しているのは、自分には手の届かない誰かに向けてなのかもしれない。

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