聞き屋

@Hayahiro

第1話

 俺は聞き屋。他人の話を聞くのが商売だ。

誰かに頼まれたわけではないが、ここに座って話を聞いている。

 ここは横浜。相鉄線西口交番向かいの地下鉄出入り口、その箱の裏側が俺の職場だ。事務所といった方が正しいかも知れないな。今では脇にエレベーターが設置されている。

 俺はここの壁に黒いボロボロのギーターケースを立てかけている。元々はアコースティックギターが入っていたが、今は空だ。ギターの形をしたハードケースは、豊満なスペイン女を想像させる。首には町の美容院の出入り口にぶら下がっている横文字のオープンクローズのプレートが、まるでネックレスのようにぶら下がっている。今はそう、オープンの文字が表を向いている。頭の天辺には黒のフラメンコ帽子がかかっている。俺のお気に入りだよ。

 俺は仕事中には帽子を被らないんだ。人の話を聞くときに、帽子を被っていたんじゃあ相手が話し辛いだろう? 俺はそういう礼儀にはうるさいようだな。人と話をするときっていうのは、目を合わす必要がある。そのために、帽子は意外と邪魔になる。

 この場所を離れるとき、俺は帽子を被って出かける。プレートも裏返してクローズの文字を表に見せる。ギターケースはそのままだ。

 不思議だけど、俺のギターケースが盗まれたことは一度もない。まぁ、中身は盗まれているんだけどな。いや違うな。ギターケースだけが盗まれたこともある。と言っても、犯人はその日のうちに捕まり、このギターケースもすぐに元通りだったんだけどな。事件と呼ぶほどのことではないが、それなりに記憶に残る後日談が存在しているが、つい忘れてしまうんだよな。盗まれたギターケースのことよりも、その日に起きた別の事件や後日談の印象が強過ぎるんだよ。

 盗まれたギターは今、あいつが手にしている。あいつは結構な有名人だ。あいつが奏でるギターの音色は、毎日のように街に流れている。

 俺は初めから聞き屋をしているわけではなかった。元々はそこら辺の奴と変わらない夢だけ見ている振りのストリートミュージシャンだったんだ。今も歌っているあいつは、俺の憧れだ。俺のギターを抱えながらな。

 この街では、音楽が止まらない。俺はそんなこの街が好きだ。向かいのデパートの壁で歌っている奴は、かなり不味いけど、音楽への愛が溢れている。下手でも音痴でも構わない。不味くたって、俺は奴が好きだ。奴もきっと、いつの日になるのかは分からないが、このまま歌い続けていればきっと、あいつのようになるだろう。

 俺の歌は、奴以上に不味かったようだ。聞き耳を立ててくれる誰かは少なかった。音楽への愛が足りなかったようだな。

 けれど不思議と、俺が歌っていないときには人が集まってくるんだ。俺に向かって、個人の想いを口にする。俺は当時から、歌うときには帽子を被っていたが、歌い終わると帽子を外していた。立てかけたギターケースに被せると、人が集まる。

 彼氏に振られたとか、会社の上司が面倒臭いだとか、大概はつまらない話だった。しかし、その話の中にも多少は深刻な問題も混ざっていた。俺はなんとなく、そんな問題が気になり、勝手に足を動かしてしまったんだ。

 話の内容はこうだ。学校の先生が最近、高価な腕時計を身につけるようになった。服装も日増しに洗練されていく。以前はジャージ姿しか見たことがないのに、今ではビシッとスーツで決めている。担当教科は数学。陸上部の顧問をしているが、最近はちっとも顔を出さない。元々指導者の器なんてなく、一市民ランナーとして校庭をグルグル回っていただけ。金回りが良くなったと思うとすぐに辞めてしまうなんちゃって趣味人間。

 その話をしたのはちょっとオタクっぽいメガネの似合う女子中学生だった。俺はその学校の名前だけを聞き出し、記憶していた。誰かの話を聞くとき、俺は基本、目だけで反応をする。相槌の言葉や促しの言葉は使わない。ただ、どうしても聞きたいことは、それとない言葉を使って話の腰を折らないように聞き出している。

 次の日の昼間、俺はその学校に出向いた。当時の俺はまだ、大学生で、暇しか持っていなかった。実家暮らしの甘えん坊だったんだ。このギターケースだって、毎日実家に持ち帰っていた。ギターの練習なんてろくにしもしないのにな。

 学校の校門に立ち、俺がしたことは一つもない。生徒じゃない男が校門の前に立っていれば、なにをしていなくても、先生達は大慌てだ。普通の中学でもそうだが、私立の女子校とあればなおさらのようだ。

生活指導らしき先生が俺の前に立ち、尋ねた。なにか用か?

 最近の先生ってのは口が悪いな。相手が若者だからって、客を相手にその言葉遣いはないだろう。俺がもし生徒の保護者だったどうするつもりだ? 誰かの兄貴って可能性はあるはずだ。そう思ったが、俺はただ、前日に聞いた先生の名前を出し、呼んできてくれとだけ言った。

 すると、生活指導らしき先生は慌てて校舎に向かって走っていった。

俺の予想通りだと確信したよ。そいつにはなにかある。悪いことをしているのは間違いなさそうだった。

 とは言っても、なにをしているのかは分からないし、なにかをしていたからって、俺にどうしろって言うんだ? 誰かに頼まれたわけでもない。なにをする必要もないんだ。けれど俺は、身体が勝手に動く衝動を止めることができなかった。

 そいつはなんだかチンピラのような歩き方でこっちに向かってきた。エセっていうやつだ。ポケットに手を突っ込んで、胸を突き出してガニ股で、眉間にシワを寄せている。こんな先生がいていいのか? 服装のセンスも含めてどこを取っても魅力は見当たらなかった。

 なんの用だ? その声は震えていた。

 言われなくてもわかるだろ? 俺の言葉にそいつは怯んだ。

 ちょっと話がしたいんだ。俺は首でそいつを促した。こっちへ来いよ、との合図だった。

そいつは臆病だ。素直についてくればよかったんだ。俺はその辺の喫茶店で話でもするだけのつもりだったんだ。

 しかしそいつは、逃げた。俺の背後から足音が遠ざかる。初めはゆっくり、次第に速くなる。

 俺は振り返り、そっとステップを踏むように走り出した。そいつとの距離はすぐに縮まった。馬鹿な奴だよ。あんな格好をしているからだ。スーツだけならまだしも、革靴はないよな。しかもエナメル製の靴底が硬くてペラペラなやつだよ。そいつは陸上部顧問だろ? 本気で走れば俺に追いつかれるかな? まぁ、俺も国体に出場した経験を持つハードラーだけどな。障害物を飛び越えるのは上手だよ。

 ゴメンなさい! そいつはそう言ったよ。俺の前で土下座をしながらな。

 どこで金を盗んだ? 俺は顔を上げたそいつの全てを見透かすように見下ろしながらそう言った。

 それは・・・・ その後の沈黙で答えは読めた。俺はそいつをそのままに、いつもの場所に帰って行った。もちろん一度家に戻って、ギターを抱えてだ。

 そいつには二つの弱みがあるってことが分かった。まぁ、弱点という意味だけでいうと一つだけどな。金だよ。金に狂った馬鹿野郎だ。

 そいつはヤクザ者にでも借金を作って、その金を工面するために、学校から金をくすねたんだよ。俺じゃなくても分かることだ。

 いつもの場所でギターを抱えて歌を歌っていると、予想通りの待ち人がやってきた。メガネのオタクっ子だ。

 俺はメガネのオタクっ子を以前から知っていた。この街ではそこそこの有名人だ。冬のテレビに映っていたのを覚えている。都道府県対抗駅伝かなにかで区間賞を取り、優勝に貢献していたはずだ。そのときはメガネをかけてはいなかったがな。

 昨日は来てくれてありがとう。オタクっ子の言葉だ。意味は分からないけれど頷いといた。

 俺がいたのに気がついていたのか? 俺はオタクっ子の存在に気がついていた。俺が生活指導の先生と話をしているとき、空気のように横を過ぎるのを感じていた。けれどそんな余計なことは喋らない。

 もちろんだよ。目立っていたからね。オタクっ子が笑顔を見せた。前日とは違う、素直な笑顔だった。

 俺はギターと帽子を片付けて、定位置に腰を降ろした。場所は今でも変わらないが、あの頃は今と違ってこの折りたたみパイプ椅子はなかったんだ。地べたに腰を降ろし、胡座をかいた。

 で、どうなった? あいつは全て話したのか? このときの俺はまだ、本当のことには辿り着いていなかった。そいつが学校での悪事を話し、警察に突き出されてお終い。そう考えていたんだ。

 全て上手くいったよ。ありがとうね。オタクっ子はそう言い、分厚い封筒を俺の太ももの上に放り投げた。俺にとって初めての報酬だよ。まさか中学生の女の子から受け取るなんて驚きだよな。オタクっ子はそのまま、踵を返して消えていった。

 俺は呼び止めたりはしなかった。けれど、なにか気になって仕方がなかった。オタクっ子の笑顔が、その理由を知りたくさせたんだ。

 俺は再び学校へ向かった。今回はオタクっ子の目を避けるため、授業中を狙って行った。今時の私立中学はご立派なものだ。校門に守衛小屋が建てられている。そこでそいつを呼び出せばオタクっ子と遭遇しないで済むってものだ。まぁ、遭遇してもなんの問題もないんだけどな。なんとなく、気まずい。封筒の中身が大きめの札束でギッシリだったからな。

 そいつはすぐにやって来た。そしてこう言った。もう金は返したはずだ。これ以上はつきまとわないでくれ。と。

 俺が聞きたいのはそのことじゃない。わかるだろ? 一昨日のことを知りたいんだ。場所を変えよう。

今度のそいつは俺の言葉に素直に従った。俺は無言のまま歩いて駅へと向かい、電車に乗った。そしてここに戻って来たんだ。そいつは逃げようともせず、俺の半歩後ろをついて来る。まるで落語家の付き人のようにだ。道中俺は一切口を開かなかった。そいつも同様だ。俺はここに着くと、定位置のこの場所に腰を降ろした。ギターケースのないこの場所に陣取ったのはこの日が最初で、最期だ。

 そいつは俺の目の前にしゃがんで口を開いた。俺は被っていた帽子を脱いで、そいつとの間に、大道芸人が金銭を求めているかのように逆さに置いた。まぁ、誰も金なんて入れてくれなかったけれどな。そのつもりもないし、俺は大道芸人でもない。ただなんとなく、そいつとの距離を保っておきたかったんだ。

 そいつがしたことは単純だった。学校の金を横領した。それだけだ。そんなことは言われなくても分かっていたしな。しかし、人間関係が少し面倒だった。遊ぶ金欲しさに借金を重ね、ヤクザ者との繋がりを作ってしまったことはまぁ、よく聞く話だ。そいつは、生徒に手を出していたんだ。最初は生徒側からの一方的な感情だった。しかし、次第に彼もその気を持つようになった。金遣いが荒くなったのは、その生徒とのデート代だ。彼女は特に金銭的なものをそいつに求めていたわけではなかった。そいつはただ単純に、彼女に見栄を張っていたんだ。理由は、彼女が学校の理事長の娘だったからだ。ちなみに母親はこの街の現市長だったりする。予備校を経営しているなんて話も聞いたことがある。半年も経つと、そいつは借金がたまり、取り立てに追われるようになっていた。そんなとき、ニュースで高校教師の横領事件を知り、俺にもできると考えたそうだ。俺も捕まるとは想像すらしなかったようだけどな。警察に捕まりはしなかったが、彼女の家族には捕まってしまった。

 俺には理解ができないよ。金が手に入ってからのそいつのはじけ具合がね。アブク銭の使い方は人それぞれだけどさ、あの使い方はないだろ? センスのかけらもありゃしない。話に聞くのと実際に見るのとでは大違いだ。そいつの服装センスは、最低だ。

 金が入ったそいつは、そのほとんどを自分のために使ってしまった。彼女のためにも、借金返済にも使わなかった。しかしそいつは、助かった。そいつのどこに魅力があるのか分からないが、彼女の口添えで事件は明るみをみず、借金も帳消しになった。ただ一つ、彼女の家族との繋がりだけが、消せないものになってしまったがな。

 そいつは真っ直ぐ、理事長室に向かった。なんてバカなって思うけれど、それが正解だったのかも知れない。ある意味ではな。直接に理事長に謝ったことで、事件は表に漏れないで済んだ。もちろんそれだけの理由ではなく、そいつが理事長室に向かう姿を彼女が目撃していたという幸運も手伝っている。

 つまりは彼女が父親である理事長を説得したってことだ。

 それにしても分からない。そいつの魅力がだよ。彼女が恋をするのは自由だ。しかし、理事長を説得させるにはそれなりのものがあったはずなんだ。

 まぁ、そいつはどうでもいい話だな。

 最近になっての話だが、そいつに似た奴をテレビで見かけることが増えてきた。服装のセンスは段違いだが、その顔が、特に突き出た分厚い下唇がよく似ている。なんでも予備校教師とか言っていたな。そういえばだけど、そいつがはじけたときの服装センスは、俺が小さかった頃に人気があってテレビによく出ていた予備校教師に似ていたな。

 まぁ、これもどうでもいい話だな。

というわけで、って、どういうわけだかは知らないが、これが俺の聞き屋としての初仕事だ。

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