~乙女異世界転移勇者譚~【ガーリー・ブレイズ・スプライト】

神代零児

第1話 僕は立つ。倒すぞ、銀朧蓮華のクラウベル!

 乙女、一人。荒廃した神殿内に立つ。

「お前がここのボス、クラウベルか!」


 凛と発した声は対する妖女――凍てつくような銀髪に紺碧の瞳を輝かすクラウベルを捉えた。


 美しく張りのある外見は、二十代そこらの年齢かと推測させる。

 深い青に彩られた薄手のローブを纏い、右手には魔力を増強する役割を果たす金色の錫杖を持っていた。そして左手首に、同じ金色をしたブレスレットを装着している。


「……」

 クラウベルは腕を組み、右手の人差し指でリズムを刻むように左の二の腕を叩いている。

「おい、何無視してるんだ!」

 乙女は憤慨した。


「僕は知ってるんだぞ。お前が使い魔を使ってもう何度も勇者である僕の、魔王退治の冒険を邪魔してる事を!」


 やや細身でありつつ胸部には二つの膨らみがしっかりと主張し、纏った鎧は真紅を基調として彩られた流線形で、その瑞々しい肉体の魅力を無骨に隠してしまう等という事は無い。

 肩当ての内側に巻き込むように装着されたマントは鎧と対照的なミントクリームのような淡い色合いで、自分を僕と呼ぶ乙女が放つ勇壮さと可憐さを引き立てていた。


 クラウベルと比べればまだ幼さが隠せないが、普通の十代半ばの少女とは一線を画すオーラがある。

 乙女からは紛う事無き勇者の風格が漂っている。相手に無視されるという、ぞんざいな扱いを受ける筈は無いのだ。


「人に名を尋ねる時は、先ず自分から名乗りなさい」

「えっ?」

 落ち着き払ったクラウベルの言葉に、乙女はきょとんとした。

 しかし……


「あ、ごめ~ん。そりゃそうだよね、えへへ」

 乙女は――確かにそれは尤もだよなぁ――と思ったのだ。とても素直に。


 乙女は所々色合いがまだらなブラウンの髪を触りながら、さっきまでの憤慨はすっかり忘れて笑った。


「僕の名前は竜杏りゅうあん美沙樹みさき。勇者としてこの世界にやって来たんだ」

「そう。私も貴女と直に逢うのは初めてだから、名乗ってくれて良かったわ。リュウアン・ミサキ……その独特な名前、間違い無く貴女も異界ニホンからこの世界ゼルトユニアに転移してきた者なのね」


「そんな事はどうでも良い! 僕が名乗ったんだからお前も名乗れ!」

 瞬時に威勢を取り戻した乙女――勇者・美沙樹が右手の人差し指を突き付けてきて、クラウベルはイラっとした。


「その上がり下がりが激しい出鱈目なテンションの感じ、ニホン人って皆そうなのかしら?」

「そんな事は無い! ただ僕を召喚した道師が『ニホン人の中でもテンションのおかしい者だけが、召喚の秘術に依り発生する世界を越える強大な力に耐えられるのじゃ』って言ってた!」


「……成程。まるで出鱈目な言葉の羅列でも、腑に落ちるという事が有るのね。勇者だなんだと言って、その実いい加減な振る舞いで世界の理を乱す悪の権化」

 紺碧の瞳に冷徹さを籠めて見据えてくるクラウベルに対し、


「なんでも良いから早く名乗ってってばぁっ」

 美沙樹はとうとう地団駄踏み出しながら、寧ろちょっと泣きそうな顔をして叫ぶのだ。


銀朧蓮華ぎんろうれんげのクラウベル。貴女が言った導師のかつての弟子にして、今は忌わしい異界ニホンから来た者をゼルトユニアから抹消すべく――」

「やっぱりお前がここのボス、クラウベルなんじゃないかーっ!!」


 美沙樹は名前の確認が取れるや剣を抜き、なんとクラウベルへ向けて高く飛んだ。速攻を掛けるつもりなのである。

 クラウベルは冷静に美沙樹の剣を見て鼻を鳴らす。

「グロリアス・ティンクルとはね……」


 美沙樹の勢い付けたジャンプ切りを、錫杖で受ける――かに見えた。

「バリアー!?」

 剣と錫杖の間に作られた魔力の障壁を、美沙樹はそう言い表す。


「導師は遂に血迷ったのかしら。その剣をこんな思慮不足な、野獣の如き小娘にくれてやるなんて」

 クラウベルはあくまで冷徹な目をしたままで語る。

「くっそ! 物差し一個分先にあるその杖を叩き落としてやりたいのに、バリアーが邪魔する!」


 クラウベルは物差一個分が約十五センチの距離の事だとは分からなかったが、しかしもう美沙樹の言葉には興味を持ってもいなかった。


「強大な力宿す剣を持つ……只のそれだけで、この私に勝てると思ったか!」

 怒号の直後に魔力障壁から波動が生じて、美沙樹の体を弾き飛ばす。


「うひゃあっ!?」

 空中で錐揉みになって美沙樹は、そのまま頭から激突した。

「ぎゃん!!」


「ここに来るまで結構な冒険をしてきたようだけれど、未だに自分の武器の真価さえまともに発揮出来ていない。わざわざ異世界に来てその体たらく。……ニホン人の事は嫌いだけど、貴女の事は思い出し笑いのネタとして使ってあげるわ。サヨナラ」

 クラウベルはそう言い残して、地面に崩れ落ちた美沙樹に背を向ける。


「待ち、なよ……」

 息も絶え絶えに放たれた乙女の声。ゆっくりと立ち上がった美沙樹は、更に言葉を投げ掛ける。

「まだ、勝負は、付いてないから、な……」


 歩き掛けていたクラウベルが止まった。

「この世界に来たニホン人は、内に秘めた熱意が身体能力を向上させる力へと変換される特殊能力を発揮するようになる――と聞いたわ。防御力も見た目だけでは測れないのね」

 美沙樹は返事はせずに、よたよたと歩いて近くに落ちていた剣を拾い上げる。


「貴女にその剣は不釣り合いよ」

「勝手に、決めんな。これは、僕がこの世界に来てか、ら、ずっと一緒に居てくれた剣な、んだ……」

「宝の持ち腐れとは正にこの事ね」


 クラウベルは美沙樹には背を向けたまま、溜め息を吐く。

「勝てないと分かった相手に再度挑むなんて、野獣でもしないのよ。貴女、自分の事をそれより下にまで貶める気なの?」

「説教してるっぽいけど、小難しくて何言ってるか、全然分かんない。お前は学校の先生か」


「ニホンにも先生という概念が有るのね。……そうよね、に於いては貴女達にもそんな特殊能力は無いのだから、生きる為に学びの心を大事にしなければならないのは当然か」

 クラウベルはそこで美沙樹に向き直った。


「血は出ていないけど、脳振とうを起こしているわね」

「そうかもだけどぉ……もう、治ったー!」

 美沙樹はそう叫ぶと全力で走って斬りつけに行く。本当に瞬時に調子が戻っているのだ。


「回復力も上がるとは、全く便利ね」

 だが攻撃の結果は変わらない。

「そのバリアー! せめて一日一回しか出せないとかにしろっ!」


 クラウベルの錫杖から物差し一個分の距離でバチバチ音を立てている魔力障壁に、美沙樹は歯痒い顔をしながら難癖を付ける。

「そんな発想をする方がのよ。というか、さっきから貴女何を焦ってるの?」


「門限!」

「モンゲン?」

「夕方七時になったら強制送還!」

「……もしかしてニホンに還されると?」


「あと一分も無いっ!」

「知った事じゃないわね!」

 クラウベルが目を見開いて叫ぶとまたも美沙樹は弾き飛ばされて、空中で錐揉みになってそのまま頭から落ちる。……だが激突の寸前に、その体はこの場から消え去った。


「これは……どうやらモンゲンというものの効果のようね。運の良い子」

 クラウベルは今度こそ踵を返した。

「伝承や使い魔から話で聞いていた以上に、出鱈目な子だったわね。……ふっ」


 思い出し笑いは、すぐだった。


 ※


「ぎゃん!!」

 美沙樹は物凄い音を立てて頭から激突する。しかしそこは自分の家、二階に在る自分の部屋のベッドだった。それが柔らかなクッションの役目を果たしてくれて大事には至らなかった。


 帰って来たと同時に頑丈さも回復力も失って、鎧も剣もへは来られず外れて今はとの境目に在る。今の美沙樹が身に纏うのは高校の制服だった。


 色合いが斑な――即ちのあるブラウンの髪がクシャクシャになってしまっていた。

 それにも構わずに叫びを上げる。

「あー、くっそぉー。……この憂さはまず明日の体育の授業で晴らしてやるぞぉー! それから放課後、に転移してリベンジだぁー!」



 そう。こちらでの美沙樹は日々高校に通うあくまで一人の、只のテンションがおかしい女子高生なのだ。

  

 しかし――


「美沙樹ー! 部屋でデカイ音立てるなデカイ声出すなって、いつも言ってるでしょうが!!」

 下で夕飯の支度をしていた母の怒鳴り声には、テンションのおかしい美沙樹も本気で震え上がるのである。


「うひゃあっ! ママ、ごめんなさーい!」

 ――ママの怒鳴り声はクラウベル以上だよぉ――そう強く思う美沙樹だった。

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