真夏は夜の古書店で
城戸和道
第1話 真夏は話の始まりで
「なあなあ、太一〜」
クーラーの効き過ぎた部屋で本を読んでいた僕の背後から、丸刈り坊主頭の上手くもない猫なで声が聞こえてくる。
「なに?」細い声で返事をすると、大きな体を軽々しく動かし目の前にヒョイと現れ、教室中に響く声で頼みごとをしてきた。
「明日の図書委員会、俺が担当する週なんだけど代わりに出てくれ‼︎」
甲子園を目指している野球部にとって監督の気まぐれでもらえるOFFの日は、唯一自分の時間を自由に過ごせる貴重な時間らしく勉学に励みたいそうだ。しかし本音は分かっている。
「どうせ彼女でしょ」
「バレた?ということで頼むよ、この通り‼︎」
と、願ってもない安いお祈りポーズで拝まれ、どうもお人好しな僕は、ナムナムと合掌された右手の薬指に光る指輪を一瞥してコクンと頷いた。
「ほんといつもありがとう‼︎さすがお人好し太一♡」
「それやめてってばー」
頼まれたことは断れず小中高と過ごしてきた僕のあだ名は、いつの間にかお人好し太一になってしまった。丸刈りの坊主頭が満面の笑みで出て行き、誰もいなくなった教室で一際大きなため息が口から漏れ出てくる。
自分でもよく分かっていた。この性格のせいでどれだけ苦労してきたかを。
誰一人として挙手をしない学級委員長に任命されたり、四十人以上いるクラス会の幹事をやらされたり、掃除の当番を一週間分頼まれたり。
偽善者ぶるわけではないが、いつも厄介ごとを引き受けてしまう。おまけに、色白で細くて女の子みたいな二の腕のせいで頼りなく思われるのか、彼女なんていたこともない(性格のせいじゃないことを祈る)。
今年の夏こそ灰色の生活を抜け出して、彼女の一人や二人作りたいものだ。
もやもやした気分を振り払おうと、締め切った窓を開けた。途端に冷気が外に逃げ出し、待ってましたと言わんばかりに熱気が入り込んでくる。
相変わらずジリジリとした暑さだったが、四階は地上より風が通っていて、幾分か心地よかった。
グラウンドでは、夏バテと縁のなさそうな運動部が走り回っている。
その脇で念入りに準備体操をしている女の子が一人。
猫のように大きな瞳、決して高くもなく低くもない身長にスラリとした体、可愛らしいショートカット、彼女こそ全校生徒男女共に憧れる本村京子である。
その美貌故に、何人もの戦士達が告白するに至ったのだが、皆玉砕しているらしい。
今彼氏はいるのだろうか、いかんせん人数が多い学校なので話したことなどない。
穏やかな風が彼女の髪を優しくなびかせる。あまりに美しいその姿に目を奪われていると、ふいに彼女がこちらを向いた。もちろん僕に対しての視線じゃないことは分かっていても、胸がキュッとなる。
その瞳には誰が写っているのだろうか。
そんなことを考えていると彼女がこっちの方へ歩いてきた。見ているのに気付かれたと思い、慌てて教室の中へ顔を引っ込めたが、彼女の鋭く通る声は僕を逃さなかった。
「八木沼!今から行くからそこを動くなよ!」
開いた口が塞がらないのが自分でもわかった。たった今全校生徒の憧れが僕の名前を呼んだのだ…。感動と喜び、そして何より言葉に言い表せない優越感が「気づかれてしまった、まずい!」という感情より先に僕を包み込む。なんて心地よいのか…。
しかし待て、なぜ彼女は話したことのない僕の名前を知っているのだ?見ているのに気づいたとしても名前は知らないはず…。
そうこう悩んでいるうちに教室の扉が勢いよく開き本村京子が入ってきた。狭い肩幅をブンブンと振り回し、僕の胸ぐらを掴んでこう言い放った。
「付き合いなさい」
僕の人生で忘れられない。いや、忘れることができない一夏の物語はここから始まる。
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