第4話 団栗橋(頭取)チャンピョン

 主題歌 谷村新司 「チャンピョン」


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 京都の街の真ん中を縦横に流れる鴨川。

 その鴨川に架かる橋で有名なものと云えば、三条大橋、四条大橋であろう。

 特に四条大橋は、京阪電車「祇園四条」駅と、阪急電車「四条河原町」駅双方を結ぶ動脈であるため、通勤、通学時間帯は多くの人が四条大橋を利用する。

 また南座、祇園の花街(かがい)へのアクセスとして利用されるので、ますます有名になって行く。

 その四条大橋から下流(南)へ僅か、二百メートルばかしの所に架かる橋が、「団栗橋」(どんぐりばし)である。

 こちらは、西方向一車線の両側にへばりつく感じで、幅一メートルばかしの歩道がついた小さな橋である。

 鴨川の川幅は変わらないから、四条大橋も団栗橋も長さは同じはずだが、毎日通ってもいつも、こちらの方が短く感じる。

 と団栗橋を渡りながら、鴨田修造は思った。

 今月は南座で五月花形歌舞伎公演をやっている。

 鴨田の仕事は、歌舞伎公演の頭取と云う職種である。

 今月は南座だが、主に東京で仕事がある。

 世間一般のイメージで「頭取」と云えば、真っ先に思い浮かぶのが「銀行頭取」であろう。

 つまり「頭取」=「偉い人」のイメージが確立される。

 しかし、歌舞伎界では、よく「頭取は役者の成れの果て」等と陰口を叩かれる。

 昨年まで鴨田は、今月南座に出演中の歌舞伎役者片山富蔵の弟子だった。

 丁度昨年の十二月の南座顔見世興行の最中だった。

 昼夜の間に富蔵の楽屋に呼ばれた。行くと富蔵と竹松東京演劇部担当重役の山中聡がいた。

「お忙しいのにすみません」

 山中は、鴨田の顔を見るや否や立ち上がり、深々とお辞儀した。

 役員になってもどこまでも腰が低い山中だった。

「さっきの馬の脚、良かったです」

 どこまでも、持ち上げるのが上手い。

「小栗栖長兵衛」で、鴨田は後ろ足を担当していた。

 一口に馬の脚と云われるが、前足と後ろ足でもそれぞれ、役割も技量も変わって来る。前足は、まだ舞台、客席が見えるが、後ろ足は、全く周りが見えない。見えるのは自分の足元だけである。

 前足が、地面を蹴って、空中を舞う時は、その前足の人間を支えないといけない。

 馬の被り物と前足の人の体重が一気にのしかかる。

 余程の体力がないと務まらない。

 何よりも前足と後ろ足二人の息が合わないとやっていけない。

 自然界の馬は、前足と、後ろ足は互い違いに出すが、舞台ではそれぞれ同時に同じ足を出す。その方が、見ていて綺麗だからだ。

 馬の被りものだけで、30キロ、それに人が乗るから100キロ以上の重みが加わる。大変な重労働である。

 上に乗る片山當蔵は、馬の脚役者には、祝儀をはずむ。

「けちって、振り落とされたらかなわんからな」

 と笑いながら云った。

「前にニンジン(祝儀)が、ぶら下がってると思って毎日やってます」

 と鴨田が云うと、二人は笑った。

 江戸時代は、馬の足は大道具が担当していたが、今は役者がやっている。

「鴨田の足は、最高や」

「何がいいんですか」

 山中が尋ねた。

「安定感があるんや。落ちる心配せんでもええがな」

「有難うございます」

「実家は馬飼うてたらしいからな。それに午年やろう」

 笑いながら當蔵は云った。

「へえ、そうだったんですか」

 その笑いに誘われて、山中の顔にも笑みが芽生えた。和やかな楽屋談義だった。

「実は鴨田さん、昨今歌舞伎公演が急増して来まして。役者も足りないのですが、それを取り仕切る、頭取さんも不足してまして」

 やっと山中が本題を語り出した。

 今年の一月の東京は、「東京歌舞伎座」「新橋演舞場」「国立劇場」「浅草公会堂」「シアターコクーン」の五つの劇場で歌舞伎公演が行われた。さらに加えて「大阪松竹座」「博多座」で歌舞伎公演が実施された。

 余りにも多い歌舞伎公演のために、「歌舞伎座」と「新橋演舞場」では、役者、スタッフが二つの劇場を掛け持ちして走り回る異例の事態となった。

 さすがにこれには反発が出た。すべてが人手不足なのだ。

(ああ、ついに来たか)と鴨田は思った。要するに役者から、頭取への転向である。

 サラリーマン社会なら、職種変更である。

「どうやお前はんなら、この世界の事、役者や裏方、東京も関西も知ってるし、一回やってみいひんか」

 おそらく山中は、前もって富蔵に話して根回しして、了解の返事を貰っていたのだろう。富蔵は「一回」と口にしたが、真意は「一回」ではなくて「一生」なのだ。

 旦那、富蔵の意見には逆らえない。従うしかない。

 嫌なら、この世界から足を洗うしかない。

「何も頭取専属じゃないですよ、あくまで兼業です。二足のわらじです」

 山中は笑いながら付け足した。

 確かに最初は兼業だった。しかし三か月もたたないうちに、頭取が本職となった。

 歌舞伎には、カーテンコールがないので、歌舞伎役者は、自分の出番が終わればすぐに帰れる。

 極端な話、昼の一本目だけ出ていたら、それが終われば帰れる。

 十一時開演で、最初ちょろっと出て終われば、十二時には楽屋を出れる。

 しかし頭取ともなれば、誰よりも早く出勤して、最後までいる。

 一日十三時間から十四時間は劇場にいる。もちろん公演が始まれば休みなんかない。

 二十五日に千秋楽を迎えても、翌日からまた次の公演の準備で劇場に入る。

 つまり一年中ずっと休みがない。

 この世界は週休二日制も夏休みも年末年始の休みもない。

 これで給金が上がればまだ我慢出来るが、上がるどころか、下がる。

 下っ端役者でも、芸歴が長いとそれなりにご贔屓筋がいて、楽屋見舞いの差し入れや祝儀が貰えたり、時には食事に誘われたりした。

 頭取になると、一切それがなくなるのだ。

 頭取の仕事は楽ではない。

 役者から色々云われる。

 一番云われるのは、部屋割りである。

「あいつ嫌いだから、俺と同じホテルにするのはやめてくれ」とか

「頭取さん、ホテルのベッド臭いから代えてよ」とか

「ホテルは空気が乾燥して喉やられるから、旅館にしてよ」

 とか好き放題である。

 一番気を使うのは、役者全員が劇場入りする事の確認である。

 特に昼の部、一本目に出る役者である。

 中には、昨晩の深酒のために朝寝坊する役者も中にはいる。

 そんな時は、ホテルに電話して合鍵で入って起こして貰う。

 中日には、役者から預かった、大道具、小道具、照明、監事室などの祝儀配りがある。

 役者本人、又は付き人、弟子が直接各々の部署へ配る人もいるが、これが大変である。

 大道具、小道具、照明、音響、舞台操作盤、楽屋、つけ打ち、長唄、長唄三味線義太夫、義太夫三味線、衣装、床山、舞台狂言方、狂言作者、案内、切符売り場、楽屋番、監事室、業務、営業、管理、支配人、副支配人、イヤホンガイド、大向こう等の所へ配るのである。

 各部署回る面倒くささから、頭取に全部預けて配って貰う役者も多くいる。

 昔、この中日祝儀を巡って、渡した、貰ってないのひと悶着が、役者と頭取の間であった。

 頭取が、猫ババを決め込んだと噂が流れた。

 竹松は、一時祝儀の全廃を通達したがいつのまにか復活していた。

 苦労多くて、何も報われない。

 頭取になるのが嫌で、役者を廃業した者までいる。

 朝は遅くとも八時半には劇場に入らなければいけない。

 昼の部は、開演が十一時だが、お弟子さん、付き人が九時前にはやって来る。

 役者の楽屋入り時間は様々である。

 昼の部の一本目に出る役者は、楽屋入りが早いが、二本目三本目からの役者となると遅くなる。

 昼の部出てなくて、夜の部だけとなると、夕方入りの人もいる。

 昼の部、一本目に出てて、次は夜の部キリ狂言(最後の演目)に出る役者なら、昼の部の出番を終えると、一旦ホテルに戻って食事して仮眠してから再び楽屋入りする役者もいる。あるいは、その空き時間を利用して近場の京都観光する役者もいる。

 片山富蔵(竹嶋屋)の楽屋入りは、大体十時半過ぎである。

 その時間帯になると、楽屋口番が、楽屋口の扉を全開にする。

 何故なら、富蔵は車椅子で来るからだ。

 お弟子さんが、外で待つ。車が到着すると、すぐに車椅子で入れるように準備する。

 鴨田は、頭取部屋を出て、ドア付近で待つ。

 やがて車椅子に乗った富蔵が姿を現した。

 お弟子さんが、着到盤に着到棒を刺す。

 これは役者の出勤簿みたいなもので、役者の名前の上に小さな穴がある。

 楽屋入りすれば、そこの穴に着到棒と云う小さな棒をさすのだ。

「お早うございます」

 鴨田は、折り目正しく挨拶した。

「お早うさん」

 富蔵が片手を上げる。

 お弟子さんが、そのまま車椅子を進めようとすると、それを遮り、

「鴨田さん、ちょっと話したい事あるんや。開演したらうちの楽屋に来てくれるか」

「わかりました。開演したらお伺いします」

 後ろ姿を目で追いながら、

(一体何の話だろう)と思った。

 富蔵の楽屋は、足の不自由な富蔵の事を考えて、そのまま車椅子で照明、大道具の控室の前を通る、地下の112号室である。

 途中三段の段差があるが、富蔵の車椅子用に、大道具が作ったフラットな補助通路が出来ていてスロープ状になっていた。

 回り(開演五分前)のベルと舞台狂言方が拍子析を三つ鳴らすのをモニタースピーカーで聞いて鴨田は舞台へ上がる。

 頭取は必ず開演前に舞台に上がる。

 毎日の各狂言(演目)の開演時間、終演時間を細長い専用用紙に筆ペンで書く。

 時間の正確さを記すために、ポケットの中にはGPS対応の誤差ゼロのストップウォッチ付き時計を忍ばせている。

 開演を見届けてから、富蔵の楽屋に姿を現す。

「お待たせしました」

「ああ、忙しいのにすまんなあ」

「いえ、とんでもない」

「ちょっと鴨田はんと二人だけにしてくれるか」

 部屋の中にいた弟子二人を外へ出した。

「まあちょっと内密な話でな、もっとそばに寄ってくれるか」

「はいわかりました」

 片山富蔵は、歌舞伎界の名門、竹嶋屋である。上方歌舞伎の重鎮でもある。

 歌舞伎役者のほとんどが、住居を東京に移しているが、富蔵は未だに京都、嵐山に住んでいる。

「実は走之助(そうのすけ)の事やけどな」

 走之助は一人息子で、実子である。

 同じ三八歳の今をときめく、今月の花形歌舞伎の座長、有田鯨蔵(有田屋)とは、十年前までは、毎年正月の東京浅草公会堂での若手花形歌舞伎公演にも出演していた。

 しかし鯨蔵と走之助との人気と実力の差は、じわじわ開き、今では誰も見向きもしない。

 今月の座組でも、父親の富蔵が出演する事で、抱き合わせで出演していた。

 上方歌舞伎の名作恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)・新口村(にのくちむら)で公金横領したので心中しようとする忠兵衛を鯨蔵、その父孫右衛門を富蔵が演じている。

 走之助の役柄は、三河万歳二人組の片割れで、舞台にいる時間は五分もない。

 今月の走之助の出番はこれだけである。

 売れるゲームソフトに、抱き合わせで売れないソフトをくっつける感じだった。

「鴨田はん、率直な話、息子の事どう思う?」

「はい日々頑張っておられます」

 鴨田は当たり障りのない言葉をまず口にした。

「そんな見え透いたおべんちゃらは、どうでもよろしい」

「すみません」

「あんたが謝る事はない」

「どうかしたんですか」

「わしも、もう七十五歳や。いつまでも生きてるわけと違う」

「旦那、歌舞伎界では七十代は、まだ若いですよ」

「それはわかってる、けどなあ」

 そこで富蔵は自分の足を摩った。

「日に日に体力の衰えと足の不安があるんや」

 三か月前、富蔵は東京歌舞伎座での舞台稽古中に転んで、足の骨にひびが入った。必死のリハビリで、舞台に復帰したが、舞台以外は歩行困難となり車椅子に頼っている。

「それともう一つの不安があるんや」

「もう一つの不安?」

 鴨田は思わず聞き返した。

「そうや、走之助の事や。同じ年齢やのに、有田屋はんは、あないな人気歌舞伎役者に成長したけど、走之助は相変わらず下手くそな台詞回しと、素っ頓狂な甲高い声で、失笑の連続や」

 鴨田も、いや歌舞伎界、世間一般もわかっていた。

 走之助は駄目。喋らせたら駄目。器械体操の身振り手振りは、毎回失笑の対象であった。

 楽屋雀は、

「走之助は、(演技について)走ってない。歩いている」

「歩いているんじゃなくて、後ろ向きに走っているんじゃないの」

 日々百回近く更新する鯨蔵のブログにも、走之助は度々登場する。

「下手さは、決してわざとじゃないですよ」

「ロボット歩行も決してわざとじゃないですよ」

「長い目で見てやって下さい」

「長い目って、いつまで見てられるのかなあ」

 等と、好き勝手につぶやく。

 以前、歌舞伎舞踊・「連獅子」を走之助がやった時に、本来なら獅子の毛が、頭を振り回してその遠心力で綺麗に回るのだが、下手に回して、頭上にうんこのようにどぐろを巻いてしまった。

 すぐ鯨蔵は、そのシーンを写真に撮り、ブログにアップ。

「新・連獅子登場!(うんこ巻き)」(笑い)

 の言葉をつけた。この時、一億回閲覧された。コメント欄には、きつい感想が殺到した。

「どんなに下手くそでも、名門の御曹司だから、一生優遇される。気楽なもんだ」

「よく他の歌舞伎役者、黙ってるよね」

「ある意味、これを観客に見せるなんて、観客を馬鹿にしてるね」

「馬鹿野郎!金返せ!」

「こう云う歌舞伎の血筋は絶やす必要があるよね」

「一日も早い歌舞伎廃業を祈念しております。合掌」

「そろそろ本気で、走之助の歌舞伎廃業要求署名を始めて、興行元の竹松に送りましょう」


「いつまでも、ちんたらやってたら、あかんのや」

 と富蔵は、腹から声を絞り出した。

「はい」

 まるで自分が怒られているようだ。

「時間ないから、結論云うで。何ぞ方法考えて、走之助を再生させたいんや」

「はい」

 しかし、富蔵はどんな方法で走之助を再生させたいと思っているのだろうか。

「わしが今月何ぞ体調の変化で、休演したら、あいつに代役をやってもらいたいと考えているんや」

 富蔵は、今月は昼の部「恋飛脚大和往来・新口村」の孫右衛門の役で出ている。

 公金横領をした忠兵衛は、遊女梅川を連れて、故郷の新口村にやって来る。

 最後心中する前に、一目自分の父親、孫右衛門に会うためである。

 上方歌舞伎の名作である。

「孫右衛門ですか!」

 鴨田は無茶苦茶だと思った。富蔵は頭がおかしくなったと思った。

 誰が見ても、それは無謀である。

 演技力が試される役である。

「難しいですね」

 やんわりと率直な意見を述べた。

「わかってる。それは百も承知や。そこを何とか出来ひんかと。お前はんの協力でや」

「何の協力ですか」

「しやから、演技指導や」

「それだったら、旦那の方から直接指導した方がいいと思いますけど」

「それも考えた。けど身内やと手加減してしまうやろ」

「私みたいな、下っ端の役者が指導なんか無理ですよ。今はビデオがあるから、それ見て勉強したらいいと思いますけど」

「ビデオ、あれはあかん」

「何が駄目なんですか」

「あれは、その時の一瞬の記録のもの。大体一か月公演、二十五日歌舞伎やってます。毎日、毎回役者の演技も微妙に違う。九十点の日もあれば、七十点、六十点の日もある。ビデオ収録がたまたま六十点の日もあるんや。歌舞伎は毎日進化してますんや。役者も進化しやなあきまへん」

 富蔵の演技論は、何となくわかる気がした。

 歌舞伎は不思議なもので、演じる役者、劇場、季節によって微妙に変わって来る。

 役者が同じ演目を数年後に再演した時に、同じ様にやるかと思えばそれは違うのだ。

 何故なら、数年の歳月で、役者もその分、年を取る。その時間の経過で役者自身が吸収したものもあるわけだ。それに観客も違うのだ。

 日々進化する。

 古典歌舞伎は、ずっと昔から同じ型で、連綿と受け継がれて来たものと多くの世間一般の人も、演劇評論家も思っている。

 しかし、それは根本的に間違いである。

 江戸時代に演じられたビデオは残っていない。

 役者が、どれぐらいの声量で、台詞を云ったか。台詞回しの速度はどうなのか。

 どこでつけ打ちが入るか、バックの山や川の色、草木の本数まで云い出したらきりがない。寸分違わず演じるなんて無理な話で不可能である。

 第一、現代に生きる我々は、電気の照明の下で、大道具やバックの景色を見ているが、江戸時代、もちろん電気はない。太陽の自然光か、ろうそくの光の下で芝居をやった。だから全然違う。

「その代役なんですが、果たして共演する鯨蔵が承諾しますかね」

「そこが難しい。けどわしが云うたら、何とか出来るやろう」

 時間が迫り、そこで一旦会話が終わる。

 終演後、鴨田、富蔵、走之助の三人が祇園の居酒屋で会合を開く事になった。

 打ち合わせが終わり、鴨田は富蔵の楽屋の暖簾をかき分けて表に出ると、鯨蔵と鉢合わせした。

「何かあったの」

 いぶかしげに、片手にスマホを持った鯨蔵が聞いた。

「いえ、別に」

 慌てて鴨田は、視線をそらせて頭取部屋に向かった。その後ろ姿を鯨蔵はじっと見つめていた。

「何かあるなあ・・・」


 終演後、いつもなら最後まで残る鴨田だったが、今夜は鯨蔵の楽屋を出るのを見届けてから、當蔵と走之助が先に行っている祇園の居酒屋に行くつもりだった。

 鯨蔵が楽屋口に現れた。

「頭取さん、また何か企んでいるの」

 下駄箱の靴に履き替えながら軽く睨んだ。目元に笑みがうっすらと浮かんだ。

「ええっわかりましたか!」

 鴨田はわざとらしくおどけて見せた。

「わかりますよ」

「有田屋さんは、代々勘が鋭い家系ですからね」

「鴨田さんは、俺の爺さんの代から知ってるよね」

「はい、存じ上げております。先々代も鋭い勘の持ち主でした」

「お手柔らかにお願いします」

 笑って鯨蔵は楽屋口を出た。

 待ち構えたファンが色紙を取り出してサインをねだる。

 今では気軽にサインに応じる鯨蔵だったが、数年前までは、ファンが差し出した色紙をはねのけていた。

 その様子をファンが撮影して、ユーチューブ、ブログ、フェイスブックに投稿。

 ツイッター等で、

「何様のつもりか」

「ファンを邪魔者扱い」

 等と炎上した。その一方で、

「サインをねだる。イコールファンではない」

「サイン軍団だろう」

 等の鯨蔵を擁護する声もあった。

(サイン軍団)とは、東京、名古屋、京都、大阪等の大劇場の楽屋口に詰めかけて、有名役者にサインをねだり、それをネットで高額で売買する軍団である。

 その歴史は古く、五十年以上前から存在する。

 この軍団の連中は、正業につかず、これで生活している。多い時で一人、一か月で百万円以上の収入を得ている。 

 三年前、ネット上で人間国宝の歌舞伎役者、村中左官(村中屋)が二十歳の時に書いたサインに五千万円の値段がついた。日付が記載されていたので、時代が特定されたのだ。さらにこのサインの価値を高めたのが、花押、落款が押してあった事だ。書いた本人が買い戻しを希望していたが、とても五千万円は出せない。

 落札したのは、関西大向こうの会「都鳥」会員の小林耕三だった。

 小林は、祇園界隈に幾つものテナントビルを持つ大金持ちである。

 個人資産は五千億円を越すと云われていた。

 昔、昭和の南座顔見世の時、俳優協会主催で、役者のサインチャリティーが幕間に行われていた。どうやらその時のものらしい。

 普通、花押、落款は押さないのだが、どういった経緯で押されたのか、本人も覚えていないから謎のままである。

 興行元の竹松も西宝も、普通のファンとの区別も難しく、対応に苦慮しているのが現実である。

 鴨田が、これらの流れの中で、

「若旦那、サインぐらいしてあげたらどうですか」

 と直接鯨蔵に進言した。

 歌舞伎界の周りの連中は、腫れ物に触る感じで、誰も鯨蔵の行いに批判はしない。

 鯨蔵の三歳の初舞台から知ってる鴨田は、何も怖くないし、失うものもなかった。

 それ以来、鯨蔵は無愛想ながらも、サインだけはするようになった。

「今日は、ちょっと用事があるんで先に出ます」

 楽屋口番の前谷美代子に云った。

「わかりました」

「お疲れ様でした」

 祇園居酒屋「白川」は、祇園花見小路から一本東へ路地に入った所にある。

 二階の小部屋に行くとすでに富蔵と走之助はいた。

「お疲れ様です」

 鴨田の声に走之助は反応して立ち上がった。

 身長が百八十センチ以上あり、顔立ちも整っている。いわゆるイケメンである。

 よく他の歌舞伎役者が、走之助の事を、

「喋らなければ、イケメンでいいのになあ」

 と評した。

 走之助の声は、男にしては甲高いものだ。これが致命傷とも云えた。

 一言、走之助が喋ると、失笑が客席のあちこちに生まれる。

 おまけに甲高い声は、さらに声が裏返る時もある。

 観客は、うつむいて笑いを耐えていた。

 よく花道から出て来て、七・三で立ち止まり、長台詞を云う時がある。

 花道際の常連客は、走之助の甲高い声が出るのは、わかっているから喋る前からうつむいて笑いを耐える姿勢を取る。

 さらにわかってる客は、イヤホンガイドのボリュームを上げる、番附(筋書)を詠むなど、神経を他にやって、笑いを回避していた。

「まあ中に入って」

 當蔵の隣りに走之助がいた。

 女将が挨拶に見えて、部屋を出る。仲居が料理を運ぶとすぐにいなくなった。

 予め、當蔵が手配した感じだった。

 ビールで乾杯した後、當蔵がすぐに用件を切り出す。

 話を聞き終えた走之助は、

「つまり、父さんは引退するの」 

 筋違いの発言をした。

「そうやない。おい鴨田、お前から説明してやれ」

 憮然とした當蔵は、そう云うなりビールを一口飲んだ。

「はいわかりました」

 鴨田は當蔵の心情、走之助の今の立場。

 芸の上達、當蔵の生きてる間に道筋をつけたい。

 そのためには、芸の伝承が不可欠。

 鴨田は走之助に、母親が幼子に諭す感じで、噛んでふくめるように話した。

 まず第一弾として、今月上演中の「新口村」である。

「だったら、そんなややこしい公演途中で入れ替わるより、終わってからやればいいじゃん」

 走之助のあっけらかんとした軽い言葉遣いは、全く他人任せで、危機感を全然持っていなかった。

「お坊ちゃん、公演途中で、旦那の役をすぐにこなす。これに、大きなインパクトがあるんですよ。誰でも稽古してやるなら(当たり前)の話で、マスコミも見向きもしません。でも代役としてすぐ入れ替わって完璧にこなしたら、皆驚くんですよ」

 富蔵に代わって鴨田が熱っぽく語った。

 二人の熱情とは、正反対に走之助は醒めていた。

「出来ない。出来るはずないじゃん」

「そこをやるんですよ」

「いや、これっていじめですよ。鴨田さんも知ってるでしょう、親父と僕とでは、器が全然違う事を」

「器は、努力次第で幾らでも大きくなりますよ」

「あのねえ、その器が大きくなるかどうかぐらい、幾らぼんくらの僕でもわかりますよ」

「お坊ちゃん、あなたは歌舞伎界の名門、竹嶋屋なんですよ。いずれお父様の名跡を継いで、六代目當蔵となるんです。その自覚と責任を持って下さいよ」

「あーあ、面倒くせえ、もう歌舞伎やめちゃおうかなあ」

 と走之助が云った瞬間だった。

 隣に座っていた當蔵が、走之助の頬を一発はたいた。

「パシン」

 乾いた音が部屋に響いた。

「ええ加減にせえ!」

 當蔵の怒気を含んだ声に、さすがの走之助も恐縮した。

「すみませんでした」

 うなだれる。

 走之助は、よく舞台で芝居が始まる前に、

「僕、歌舞伎はアルバイトでやってますから」

 と共演者に云って笑いを取っていた。

 しかし、全身全霊を込めて歌舞伎に情熱を注ぐ役者からしたら、その言葉は自分に対しての最大の侮蔑であり、怒りがこみ上げる言葉だった。

 次第に走之助との共演を断る役者が増えた。

 噂に聞いた當蔵が、

「舞台でそう云う事を口にしたら駄目です」

 と説教してもその場限りで、また日が過ぎると同じ事を云う。

 もう誰も笑わない。

 空気が読めない歌舞伎役者。

「それでお父さん、いつ舞台おりるの」

 具体的に走之助は聞いた。

「それはお前の出来次第や」

「重圧だなあ。それに鯨蔵兄さん、承知しないでしょう」

 自分と同じ年齢なのに、走之助は鯨蔵の事を、よく「鯨蔵兄さん」と呼んでいた。

 芸歴はほとんど変わらない。しかし、人気、実力あらゆる面で完全に差が開いた。

「鯨蔵の事は心配するな」

「わかった、やるよ」

「そうか、やってくれるか。おおきにな。くれぐれも鯨蔵には内緒やぞ」

「わかってるって。でも一つだけ条件がある」

「何や云うてみいや」

「お父さんからじゃなくて、鴨田さんに教えて欲しい」

「それはわかってる。しやから鴨田を呼んだんや」

「鴨田さん、よろしくお願いいたします」

 走之助は、頭を下げた。


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 早速翌日から稽古が始まる。

 公演途中で、走之助も舞台に出ている。鴨田も頭取業務がある。

 もしこれが休館中でお互いに仕事がなければ、一日じっくり出来るが、そうもいかない。

 二人とも一番落ち着くのは、終演後鴨田が宿泊先のホテルに戻る、走之助が、桂の自宅に戻った時だ。

 そこで、苦肉の策で、スカイプを使いパソコン・テレビ電話で稽古をつける事にした。

 スカイプでは、主に台詞回しを中心に行う。

「お坊ちゃん、もっと台詞は低く云って下さい」

「わかったよ」

 走之助は、鴨田に云われて何回か台本を読む。

 完全な棒読み。

 鴨田はパソコンの前で頭を抱え、絶望的な気分に襲われる。

 よくもまあ、それだけ抑揚もつけずに喋れるものだとある意味、感心した。

「お坊ちゃん、そうじゃないでしょう。私と喋る時、そんな無機質な棒読みで云わないでしょう」

「えっ僕がそんな云い方してますか」

「してます」

「嘘!」

「嘘じゃありません」

「冗談だろう」

「冗談ではありません。例えばこうです。(よう雪が降ったなあ)」

 鴨田は、抑揚のない無機質な台詞回しをやってのけた。

「鴨田さん、何それ、棒読みな云い方、腹立つなあ」

「でしょう、これがお坊ちゃんの今の台詞の云い方です」

「わかったよ」

 パソコンの前で何度も鴨田は深いため息をついた。

 全くゴールが見えてなかった。

 百メートルもろくに走れない人間を、いきなりフルマラソンに出させた、無謀な取り組みをやらされたと、悲痛な面持ちの鴨田だった。

 鴨田は、南座から歩いて七分ぐらいの高瀬川沿いのホテルに泊まっている。

 走之助は、阪急「四条河原町」から電車で十分の「桂」駅、そこから歩いて十分くらいの所に住んでいる。

 嵐山に住む當蔵とは、車で十分もかからない距離だ。

 昼一回公演で、比較的時間がある時は、鴨田はホテルに戻らず、走之助の自宅で稽古してそのまま泊まる事もあった。

 さらに動きが伴う稽古は、広い稽古場がある、嵐山の當蔵の自宅を使った。

 動きも絶望的だった。

 走之助は、スタスタと歩く。

「坊ちゃん、そうじゃないでしょう。新口村は雪深い所で、雪道ですよ」

「お前、わしの芝居見てなかったんか」

 當蔵まで苛立ち、怒り出す。

「そんなに怒らないでよ」

 口をとがらせて走之助が抗議した。

「そうですね」

 鴨田は、當蔵の方へ手をやり、制止させた。

「じゃあ続きやりましょう」

 走之助は歩く。

 舞台で普通に歩くのが、こんなにも難しいのか、目の前でくり広げられる走之助のぎこちない動きを見つめながら、鴨田は思いを新たにした。

 走之助の所作は、二人を絶望の淵から、さらに谷底の奥底へ叩き込まさせた。

「そうじゃないでしょう。孫右衛門は老人です。そんなに早く歩かないでしょう」

「でも元気な老人だっているよねえ。♬エイホーエイホー、ロウジン、ロウジン、ロウジンギスカン!♬」

 走之助は空手の突きのポーズをしながら歌った。

 笑いを取るつもりだったが、鴨田も當蔵も笑わない。

 笑う代わりに、深い重い疲労感、徒労がぬったりと二人の身体とこころにまとわりつく。

 改めてここまで何も云わなかった、誰もとことん指導して来なかった、つまり甘やかせて来たツケが一挙に噴き出した。

 これは歌舞伎の稽古の短さに起因すると鴨田は思った。

 毎月、三日か四日で幕を開ける。舞台稽古も二日間である。一日の時もある。

 これが新劇や商業演劇なら、本読みから始まり、半立ち、立ち稽古、場当たり、小返し、通し稽古と順番に時間をかけて進む。一か月から長い時は半年もかける。

 勉強に例えるなら、高速で一番頭の良い勉強の出来る人間に合わせて突き進むのである。

 芸の蓄えがない走之助は、置いてきぼりを食らう。

 でも誰も何も云わないし、干渉もしない。

 それで毎月百万近くのギャラが貰えるのだ。歌舞伎界御曹司は、ド下手でも将来安泰である。

「もっとすり足で」

「もっとゆっくり歩いて」

「もっと手足はゆっくりと」

「キョロキョロしない」

「目に力入れて」

「正面向き過ぎ」

「はい、その台詞云う時は、体を代えて」

「間を置いて、喋る」

「相手の台詞をじっくり聞く仕草」

 鴨田の駄目出しは、この日だけで十は越えていた。

 そして最後に當蔵が、

「台詞回しが全体的に早い」

 と云った。

「これは何も走之助だけやないで。今の若手の歌舞伎役者にも云える事です。皆台詞回しが年々早くなって来ているんやなあ」

「はい」

「これは鴨田さん、何の影響やろかなあ」

「多分、テレビの影響かと」

 テレビに出るタレントは、自分にカメラを振られたら、短い間にいっぱい喋って存在価値を認めてもらわないといけない。当然早口になる。聞き取りにくい箇所も出て来る。

 そこでテレビの視聴者向けに、どでかい言葉の羅列が画面に何度も映る。

「ゆっくり過ぎてもええねんや」

 噛んで含めるように當蔵は云った。

「はい」

「じゃあ、もう一回やってみましょう」

 稽古は深夜にまで及ぶ。

「鴨田さんも、走之助も今夜は泊まっていけ」

「有難うございます」

 稽古の後、三人で深夜食を取る。

 三人とも疲れ果てていて、誰一人さっきの走之助の演技について感想を漏らさなかった。食べると、鴨田はすぐに眠った。

 二時間ぐらい眠っただろうか。ふと、小さな走之助の声に目が覚めた。

 その声がする方に、足を進める。

 深夜、応接間で一人座りぶつぶつと呟く走之助を見た。

「駄目だなあ、やっぱり駄目だなあ」

 静かにドアを鴨田は開けた。

「どうしたんですか」

「鴨田さん、寝てなかったんですか」

「いえ、少し寝てました。でも応接間からお坊ちゃんの声が聞こえたので」

「せっかく寝たところを、起こしちゃってごめんね」

「いえ、いいんですよ」

「このままでは、やっぱり駄目だと思うんだ」

「ですから、こうして私や旦那さんが稽古をつけているんですよ」

「でも限界だなあ」

 どたっとソファに仰向けに転がり、大きなため息をついた。

「その限界は、お坊ちゃんが作った偽りの限界で、本当の限界なんかじゃありません」

「そうかなあ」

「まだ始まったばかしですよ。ゲートが開いて、スタートしたばっかりです。何を今からそんなにしょげているんですか」

 走之助は大の競馬好きである。それに引っ掛けて云ってみた。

「有田屋はサラブレッド。こっちは草競馬の駄馬だな」

 自嘲気味に走之助は云った。

「何を勝手に卑下しているんですか。坊ちゃんも立派な竹嶋屋の名門じゃないですか」

「そりゃあそうだけど」

「もっと自信を持って下さいよ」

 鴨田は走之助に近づき、両手を強く握った。

「俺、出来るかなあ」

「出来ます。絶対出来ますから」

 鴨田は、握りしめた両手を何度も上下に振った。

「鴨田さん有難う。俺のどこがいけないかなあ」

(すべてです)

 と叫びたいのをぐっとこらえて、

「まず声ですね。発声方法と云うか、意識してもっと低い声で喋るように心がけて下さい」

「わかったよ」

「それからロボット歩行はやめましょう。何だか、なんばみたいな歩きになってます」

「なんばって何よ」

「同じ手足を動かす事ですよ。右手右足を同時に前へやる事です」

 と云って鴨田は、立ち上がってやって見せた。それを見て走之助は笑い転げた。

「俺ってそんな歩き方してるのか」

「ほぼ、それに近いです」

「参ったなあ」

「頑張りましょう」


 翌朝、二人より先に嵐山の當蔵宅を出て南座を目指した。

 阪急電車「四条河原町」駅の木屋町出口から出て、そのまま真っすぐに四条大橋を渡れば、南座だが、木屋町出口を出て、高瀬川沿いに南に下がり、いつもの団栗橋を渡る。真ん中で鴨田は立ち止まった。

 四条大橋は、相変わらず多くの通勤通学の人で賑わっていた。

 あちらはメジャーな、云わば有田屋、鯨蔵である。

 一方こちらの団栗橋は、ひっそりと人が少ないマイナーな、云わば走之助のような気がした。でも鴨田は、こっちの団栗橋の方が好きだ。

 頭取部屋に入り、電気をつける。役者、付き人が来るまで、しばらく時間がある。

 鴨田はエレベーターで屋上に上がる。お社にお参りする。これは日課である。

 祈願は當蔵、走之助の技芸上達である。

 走之助には、あんなに出来ると強く断言したが、まったく自信がなかった。

 昨日までの走之助の拙い(つたない)演技を見るにつけ、このまま千秋楽までズルズル稽古して、それで終わりかもと思った。

 中途半端に交代すれば、走之助はもちろん、當蔵にまで世間の批判を浴びるのは、目に見えていた。

 それに何より共演する有田屋、鯨蔵が黙っていないだろう。

 今、歌舞伎界で一番客を呼べるのは、鯨蔵である。興行会社の竹松としても、鯨蔵を別格の扱いでいた。もし鯨蔵が、

「もう走之助を舞台に出さないでよ」

 一言云えば、おそらく竹松は従うだろう。その影響は當蔵にまで確実に及ぶだろう。一番の安全策は、稽古を出来るだけ引き伸ばして、

「やはり、今の演技の出来では、舞台に上がるのは無理です」

 と進言して、當蔵に断念さす事だろう。

(それがいいかも)

 現実問題を直視して、急に鴨田は弱気になった。

 一般的に歌舞伎興行は、一日初日、二五日千秋楽の二五日興行で、一日二回公演である。

 今月は、有田屋座長の若手主体の「花形歌舞伎」なので、重鎮は、當蔵だけである。有田屋の要望で、三日毎に昼一回公演である。二回公演の夜の部がある日でも、七時過ぎには終わる。

 他の月の純粋の歌舞伎公演なら、一回公演もないし、終演も夜は九時過ぎが当たり前である。だから、内々からは喜ばれている。

 夜の部の終演が早いのは、鯨蔵の祇園での「クラブ活動」があるからである。

 弟子にとっては、苦痛の三部制の夜の部の開幕であった。

 祇園へ一人で行く時もあれば、弟子数人を連れての時もあれば、今月出演している全ての役者を招待するする場合もある。それは、大抵中日(なかび)である。

 中日とは、公演期間の真ん中である。

 今月もその催しはすでに計画されていて、きっちり昼一回公演にしていた。


     ( 3 )


 中日。

 頭取部屋に走之助が顔を出した。

 昼の部が開演して、ちょっと落ち着いた頃である。

「頭取さん、ちょっといいですか」

「何でしょうか」

「今日の中日会なんだけど」

「昼一回だから、嵐山で稽古でしたね」

「それがさあ、有田屋のお兄さん、しつこく誘うんで、ついオッケーしてしまいました」

「そうですか」

 人のいい走之助の事だ。

 あの押しに強い鯨蔵の口調につい負けてしまったのだろう。

 當蔵に云われて毎日稽古が続いた。まあ一日ぐらい、いいだろうと思った。

「旦那には云ったんですか」

「いやまだ。頭取さんから云っておいてね」

 それだけ云うとさっといなくなった。

 鴨田が當蔵の弟子をしている時からである。

 都合が悪くなる時、自分では中々云い出せない事案は、いつも鴨田に振って来た。

 鴨田は、合間を縫って當蔵の楽屋を訪問した。

「丁度お前はんを呼ぼうとしてたんや」

「実は中日会なんですが」

「わしにも声がかかったけど、ご覧の通り、足の悪い年寄りが出たら迷惑かかるから、わしは出ない」

「はいわかりました。お坊ちゃんが中日会に出たいと申しまして」

「一回やから、嵐山での稽古の日やろう」

 この頃、一回公演の時は、嵐山の當蔵の自宅で行うのが日課になっていた。

「それが有田屋さんの強引なお誘いがありまして。ここを断りますと、これからのお坊ちゃんの出演も雲行きがかかるかと思いまして」

「あんたは出るのか」

「最初断ってましたが、お坊ちゃんが出るのなら、親代わりに出ようかと」

「あんたが出るんなら安心や。走之助の事、頼むでな」

「わかりました」


 中日会は、祇園のお茶屋「花筏(はないかだ)」で始まった。

 費用は全額鯨蔵持ちである。玄関に立って鯨蔵が、来訪者を出迎えた。

「あれっ頭取さん、欠席じゃなかったの」

「竹嶋屋當蔵さんの代参で参りました」

 と鴨田は云って、懐から祝儀を取り出した。

「これ、竹嶋屋の旦那からです」

「そうなの、有難う。まあゆっくりしていってよ」

 祝儀袋を見るなり、鯨蔵は急に態度を軟化させた。

 鯨蔵は、金への執着心はかなり強い。先代が残した五億円もの借金を自分一人で完済した。

 一般人の借金なら、払えないならすぐに自宅が差し押さえになるが、この世界は違う。特に鯨蔵の場合、一部上場企業のタニマチ(支援者)を十近く持っている。

 有田屋の借金を肩代わりする企業は幾らでもある。

 一時CMに五つぐらい同時に出た時もあったが、それは亡き父親が作った借金をシャカリキになって返済していたのである。それ以来、金には執着している。

 毎日自分のブログを百回近く更新するのは、全て金のためである。

 更新してそれを読む人が増えれば、自動的に自分の懐に金が入って来るのである。

 最初十万円ぐらいから出発したブログは、どんどんフォロワーが増えて、近頃は英語版を同時に発信するので、世界で五億人が読んでいる。近いうちには、中国語、韓国語版も開設するつもりだ。

 毎月鯨蔵の懐には、五千万円ほど入って来る。人間の欲望は際限がない。

 五千万円では満足しないのだ。次は一億円か。

 昨年妻が、子宮がんで入院した時も、毎日百回近く更新していた。

 写真と短い文章である。

「お見舞い用にサングラス買いました」

 の一文と共に、サングラスの写真のアップ。それが福井県鯖江市のブランドだった。アップされた瞬間から、このサングラスを買う客が殺到して、世界中の店頭で売り切れとなって消えた。

 さらに問屋から、鯖江の工場、店に電話が殺到する。

 鯨蔵のブログは絶大な人気を誇る。

「今朝はこれをかじりました」

 と祇園まる饅頭を掲載。途端に長蛇の列、即売り切れ。

 企業は、こぞって、ブログに取り上げて貰おうと必死で売り込みにかける。

 鴨田と走之助は並んで座った。始まってすぐに鯨蔵がやって来た。

「毎日ご苦労さん」

 鯨蔵がビールを勧める。

 後ろの弟子は、ビール、酒、ジュース、ワインを持っていた。

「有難うございます」

 走之助が頭を下げた。

「毎日芝居終わって、竹嶋屋の家でまた稽古。やるねえ」

 その言葉を聞いて鴨田は、背筋にナイフを突き立てられた感覚になった。

 どうしてばれたのか。

 あれは當蔵、走之助、鴨田の三人だけの秘密であったはずだ。

「何の話ですか」

 鴨田はとぼけてみたものの、鯨蔵は大笑いした。

「頭取さん、芝居が下手だねえ」

「一体何を」

「だからそれはいいの。もうばれてるの。走之助ちゃんも水臭いなあ、黙ってるなんて」

「いやその」

「で、いつやるの。て云うか本気なの?冗談でしょう」

「はあ」

 ここで走之助も鴨田も声高に、

「冗談じゃない。本気だ」

 と見得を切る勇気も自信もなかった。

「おい走之助、お前本気なの、どうなの」

 鯨蔵のあのぎょろっとした目つきで睨まれた走之助は、ただうつむくばかりで何とも頼りない。

 鴨田は悔しかった。

(もっと覇気を持て)

 と叫びたかったが、冷静に考えると鯨蔵の言葉が最も的を射ていた。

 すでに公演は始まり、中日を迎えた。

 新口村の孫右衛門の役柄は、當蔵が何十年もの長い歳月で作り上げた、上方歌舞伎の芸の神髄、至芸とも云えるものだ。

 それを勝手に相手役には相談もせず無断で、稽古して代役をやろうとする。

 鯨蔵にとってみれば、失礼な話だ。

 走之助は返事をしなかった。正確には出来なかった。

 もし強引にやって不出来なら、當蔵にも共演の鯨蔵にも顔に泥を塗る事になる。

 その覚悟があるのかと聞いて来たのだ。

「覚悟はありますよ」

 重くて長い沈黙を破って、鴨田は云った。

「俺は鴨田さんに聞いてない。走之助に聞いているんだ」

 鯨蔵は、語気を強めて鴨田を睨んだ。

 鴨田は黙った。

 走之助はゆっくりと口を開いた。

「あります。覚悟はあります」

 小さな弱々しい声だった。

「そう、わかった」

 それだけ聞くと鯨蔵は立ち上がり、よその席へ行った。

 宴もたけなわの頃、鯨蔵の弟子の寅蔵が鴨田の所へ来た。

「頭取さん、お供を呼んでますから」

 お供とは、ハイヤー、タクシーである。

 走之助は、二次会へ行くよう鯨蔵からの命令に近いものが下された。

 鴨田も行こうかと思ったが、すでに玄関前にタクシーが横づけされていると寅蔵が云った。無下に断るわけにもいなかない。

「お坊ちゃま、くれぐれも深酒はいけませんよ」

「わかってるよ」

 少し気になりながら、鴨田はタクシーに乗り込んだ。

 わざわざ鯨蔵が玄関まで見送りに来た。

「當蔵さん、竹嶋屋さんには、くれぐれもよろしくお伝え下さい」

「わかりました。今夜は有難う、走之助さんを頼みましたよ」

「わかってますよ」

 そこで鯨蔵は、にやりとした。

 鴨田は、その笑いが気になった。


     ( 4 )


 翌朝、鴨田は當蔵の弟子からの知らせで嵐山の當蔵の自宅に向かっていた。

 昨夜、トイレへ行こうとして、足をぐねったそうだ。

「旦那大丈夫ですか」

「大丈夫と違うなあ」

 當蔵は鴨田の顔を見ると弱々しく笑った。

 続いて奥役(歌舞伎プロデューサー)の根山が姿を見せた。

 根山は昨日、中日挨拶で東京から来ていて、京都に一泊していた。

「どんな具合ですか」

 弟子が説明した。

 おそらくぐねっただけで、骨折はしていないと云う。

「時間が来たら、病院へ連れて行きます」

「根山はん、今日から休演や」

「わかりました。代役は・・・」

「わしの代役は、息子の走之助でお願いします」

「えっ!」

 根山の顔が完全に固まった。

 その場の時間も止まったように見えた。

 想定外の名前が出たので、対応出来ないのだ。

「いや、それはちょっと」

 幾ら富蔵の頼みとは云え、そればかりは納得出来ない様子だった。

「私からもお願いします」

 鴨田は頭を下げた。

 一昨日まで、実は三人で特訓稽古をして来た事を話した。

「わかりました。でも鯨蔵、有田屋が首を縦に振るかですね」

 そこで根山は、スマホを取り出して鯨蔵に連絡を取った。

「・・・ええそうです。代役は走之助さんです」

 一同は根山のスマホに注目した。暫くして電話を切る。

 根山は一つ大きく深呼吸した。

「有田屋さん、了承しました」

「有難うございます」

 急いで根山と鴨田は南座に向かった。

 根山は、支配人、監事室、宣伝係に指示を出した。

 すぐに南座ブログに緊急告知として、走之助代役のニュースをアップ。

 マスコミ向けに、メール、ファックスで情報を発信した。

 鴨田は、走之助に携帯電話連絡するが出ない。

 自宅にも電話したが、昨夜は戻って来てないとの事だった。

 いつもの楽屋入りの時間になっても出て来ない。ヤキモキしていた。

 その内、鯨蔵が楽屋入りした。

「お早うございます」

 鴨田が喋ろうとすると、

「代役の件は、もうわかったから。それより走之助は楽屋入りしたの」

「それがまだなんです」

「あいつ・・・」

「昨日、一緒に二次会へ行きましたよね」

「祇園の会員制のカラオケに行ったよ」

「何時までですか」

「何時だったかなあ、おい何時だった」

 鯨蔵はうしろに控えていた弟子の寅蔵に聞いた。

「朝の五時です」

 目を真っ赤に充血させた寅蔵が、答えた。

「五時!」

 鯨蔵のタフさに感服するのと同時に、その時間まで連れまわした事を憎んだ。

「あいつさあ、へべれけだったんで、俺の知ってるお茶屋に寝かしておいた。おい、寅蔵、今から行って見て来い」

「わかりました」

「ああ、私も行きます」

 慌てて、鴨田は寅蔵の後を追った。

 祇園のお茶屋「弥栄(やさか)」は、漢字ミュージアムの裏手の小さなお茶屋だった。行く道中、鴨田は寅蔵と話した。

「よくその時間まで起きていられますね」

「もう拷問です」

 寅蔵は、目を何度もこすりながら答えた。

「本番よりも、こっちの夜の祇園クラブ活動がしんどいです」

 昼一回公演が多いから、役者は楽だと鴨田は思っていたが、現実はそうではなかった。寅蔵のように、鯨蔵に引っ張り回される弟子もいるのだ。

 お茶屋に入る。

 居間で走之助は、ぼおおっと座っていた。

「お坊ちゃま!」

「竹嶋屋の若旦那、大丈夫ですか」

 鴨田と寅蔵が駈けつけた。

「ああ寅蔵さんに、頭取さん、お早うございます」

 走之助の目はうつろで、真っ赤に寅蔵と同じように充血していた。

 そして声はガラガラだった。

「その声どうしたんですか」

「走之助さん、歌わされたんですよ、朝の五時まで」

 寅蔵は説明してくれた。

 そこで鴨田は、はっとした。全て鯨蔵の仕業だったんだ。走之助をつぶすために、わざとやったんだ。

「鯨蔵めえ・・・」

 鴨田のこころに、激しい怒りが芽生えた。

 走之助に代役の件を説明して、すぐに南座入りさせた。

 さらに鴨田の怒りが爆発しそうになる出来事が起きた。

 例の鯨蔵のブログだ。

 走之助がカラオケルームでぐったりと寝ているのをアップ。

「走之助お坊ちゃま、ダウン!今日の芝居出来るの?カラオケ五百曲歌い過ぎ!これぐらい芝居にも熱を入れてね!(笑)」

 アクセスしたフォロワーから、

「走之助は何をやってるんだ」

「だから、芸がどんどん駄目になるんだ」

「そもそも、この人には、芸は存在しないでしょう」

「下手くそでも、御曹司だから何も云われない」

「俺も御曹司に生まれたかった!畜生!」

「気楽な稼業ですね、歌舞伎役者って」

「走之助、頼むから歌舞伎界のために、即刻一日も早く引退してくれ」

「竹松さん、走之助引退興行、盛大にやってあげてね!」

 罵詈雑言、嵐のコメント書き込みだった。


 出番が近づく。

 走之助のガラガラ声は治らない。しかも二日酔いでフラフラである。

「お坊ちゃま、大丈夫ですか」

「大丈夫じゃない。ああ吐きそう」

 床山、衣装係が楽屋に詰めかけて走之助の周りを取り囲む。

 その様子を鴨田は、首にぶら下げたストップウォッチを睨みながら、時間経過を気にしていた。

 楽屋モニタースピーカーから、二丁(開演十五分前)のベルと拍子析二つの音が耳に入る。

 少し早いが、走之助は移動する。

 まず有田屋の楽屋に顔を出す。

「今日はよろしくお願いします」

「頑張ってね」

 鯨蔵は振り向かず、化粧前(鏡台)の鏡越しに云った。

 次に遊女梅川役の若手女形、川中宗近の楽屋を訪ねる。

 宗近は、まだ若干二十五歳でありながら、ここ最近メキメキと頭角を現して来た、若手女形役者である。

「よろしくお願いいたします」

 走之助が云うと、宗近は、化粧前での顔作りを中断して、走之助に近づいた。

「お父様の具合はどうなんですか」

「大丈夫です。骨折はしてません」

「あなたもとんだとばっちりよねえ。若いのにいきなり、年寄りの孫右衛門の役なんて。お父様は骨を折ってなくとも、あなたの方が、役作りで骨が折れるわよねえ」

 そこまで云うと宗近は、口元に手をやって甲高く笑った。

「はあ」

 走之助の方は、返事をするのが精いっぱいで、笑う余裕もなかった。

「せいぜい気楽におやりなさい。そんな急にやれなんて、出来るわけないじゃない。私だったら絶対無理、無理。卒倒して倒れちゃう」

 と云ってまた甲高い声で一人笑った。

 走之助は、地下に降りて花道の付け根の鳥屋口(とやぐち)を目指す。

 孫右衛門は、最初花道出なのである。

 花道の付け根に鳥屋口と呼ばれる、小部屋がある。そこへ行く。

 鳥屋口は、広さ二畳ほどの小部屋で、支度部屋兼待機場所である。

 すでに揚げ幕の田上がいた。

「お早うございます」

「お早うさん」

 ほどなく、鴨田、根山と今朝東京から駈けつけた、竹松の演劇担当重役の山中の三人顔を揃えた。

「お早うございます」

「お早うございます」

 走之助はそれだけ云うと、弟子から台本を貰い、最後のチェックをしていた。

 重い空気だった。

「ではお坊ちゃま、頑張ってください」

 鴨田は、山中、根山と鳥屋口を出た。

「鴨田さん、特訓稽古してたそうですね」

「まあやってました」

「まるでこの日を見越しての稽古、頭取さんは予言者ですか」

「とんでもない。稽古つけてくれと申しましたのは、當蔵の旦那です」

「へえ、そうなんですか」

 根山と山中は驚いた。

 鴨田は頭取部屋に戻らず舞台へ行く。

 上手袖に、すでに鯨蔵と宗近の二人がいた。

 関西狂言方が、回り(開演五分前)のベルを鳴らす。続いて拍子析を三つ打ち鳴らす。

 いよいよである。色々な人々が、色々な思惑と心持ちを抱いて幕が開こうとしていた。

 走之助は、緊張の余り、何度も唾を呑み込んで、ぶつぶつ台詞を鳥屋口の壁に向かってつぶやいていた。

 鴨田は、自分が舞台に出るくらいの緊張さを持ち、全身から汗が噴き出していた。

 やがて幕が開く。

 最初は三河万歳の二人の役者が出る。簡単なやり取りがあって上手に引っ込む。

 下手の御簾内から、雪音を現わす太鼓がゆっくりと間をおいて打ち鳴らされる。

 走之助の花道出をヤキモキと固唾を呑んで、待ち続けるもう一人の人物がいた。

 上手に控える義太夫三味線の矢澤竹也だった。

 竹也は、「雪メキ」と云われる、走之助の花道出の雪道の中を踏みしめる歩調に合わせての義太夫三味線の音を奏でる重要な任務があった。

 走之助が、一体どれぐらいの速さで歩くか、稽古してないので全くわからない。

 勝手に足音より早くても遅くてもいけない。

 まさに寄り添う「音色」が求められていた。

 三味線のバチを握りしめていたが、汗でびっしょりだった。

 今、開こうとしている花道につけ際の揚げ幕をじっと凝視していた。

 揚幕の

「チャリン」

 の音と共に、いよいよ走之助の孫右衛門が出て来た。

 客席後方には、知らせを受けて駈けつけたマスコミのカメラ、ビデオカメラの放列から一斉にシャッター音が出される。ビデオカメラは回る。

「竹嶋屋!」

「走之助!」

 三階席後方から、大向こうがかかる。

 観客も事前に場内掲示、場内放送で當蔵の休演に伴う代役走之助の事を知らされていた。

 鴨田は、拳を握りしめたまま、じっと上手袖から見ていた。

 足取りはよたよたとしている。稽古場で何度も自分が注意していたのを思い出した。あの、シャキシャキロボット歩行、早足もなくなっていた。

 よぼよぼと、おぼつかない足取りになっていた。

「上出来」

 先に、梅川役の宗近と共に、上手袖から出て、小屋の中に入って、戻って来た鯨蔵が、鴨田の後ろからつぶやいた。

「はい」

 鴨田は短く答えた。

 一昨日の稽古まで出来なかった足取りが、今朝は出来ている。

(どうして急に出来るようになったんだ)

 まったくわからなかった。

 これより、少し前、つけ打ちの尾崎は、物静かにゆっくりと上手袖から、姿を現し、正座した。

 尾崎も、竹也と同様に、自分のこれからの出番に備えて少し緊張していた。

 今まで、役者の急病で、代役のつけ打ちを何度か務めた事はある。

 しかし、今回の様に、當蔵の突然の怪我による代役の走之助のつけを打つのは、初めてである。

 走之助自身、もちろん初役である。

 しかも、稽古なし。打ち合わせなし。ぶっつけ本番と来れば、誰だって緊張する。

 走之助が、《あの仕草》をどうこなすのか、皆目尾崎も想像出来なかった。

 だから緊張するのだ。

 義太夫三味線、竹也の三味線の音色も走之助の足音にぴったりと寄り添う、完璧な出来具合だった。

 そして花道七三で立ち止まる。

 いよいよ第一声である。

「ああ、雪がこんなに積もってしもうた」

 大きな拍手が巻き起こる。

 完全に老人の声だ。

 いつもの走之助の甲高い声は完全に消えていた。

 この甲高い声の癖も、何回も注意した。それが出来ている。

(何故出来るようになったんだ)

 嬉しさ半面、疑惑が鴨田のこころの片隅から、どす黒く染み出した。

 上手のエレベーターの扉が開き、車椅子に乗った當蔵が、顔を出した。

「やっぱり気になってしもうてなあ」

 當蔵が照れ笑いを浮かべた。

 鯨蔵と宗近がすぐに近づき、小声で挨拶した。

「足は大丈夫なんですか」

「大丈夫や。けど舞台には出られへん」


 走之助が、よたつきながら本舞台に入る。

 ここで、つまづいて転んだ。

 すかさず、尾崎のつけが、

「バタ!」

 と違和感なく、かっちりと走之助の仕草にのっかった。

 つけの種類は、数多くある。

 一番一般的で有名なのが、見得を切るときに打つつけ。

「バッタリ」である。そのほか、立ち回り、連打の打ち上げ、六法などがある。

 今、尾崎が打ったつけは、「あしらい」と呼ばれるものだ。

「あしらい」とは、人の仕草につけるものである。

 つまずく、小石を投げる。小競り合い、大事な物(例えば、お金、手紙、かんざしなど)を落とすなどがあげられる。

 観客の注意をそこに向けるためである。

 走之助のこけ方は、本当に雪道で老人がこけたように、緩慢な動作で自然だった。

 走之助は、雪道でこけて、つまづいて鼻緒を切る。

 ここでつけが入った。

 ここでつけが入るのは、「竹嶋屋」の型だけに存在する。

 他の家の役者がやると、入らない。

(何故、あんなに自然に出来るようになったんだ)

 鴨田の疑念のこころは、急速に肥大した。

 芝居は淡々と進む。

 走之助の枯れた低い声は見事であった。

 元々、声質は富蔵と親子だから似ていた。

 甲高い声が出ないから、目を閉じていると富蔵かと思う。

 ゆったりとした身のこなし。走之助は孫右衛門を完全に演じていた。

 圧巻はラスト。

 心中を決意して鯨蔵の忠兵衛、宗近の梅川が花道をゆっくりと去って行く。

 走之助演じる孫右衛門は、届かぬ想い、声で

「達者でなあ」

 と遠見に向かってつぶやき、こける。

 再び尾崎のつけが入る。

「タン」

 哀愁のつけの響きが、観客の涙を背後から包み込む。

 歌舞伎の「遠見」とは、鯨蔵・宗近が演じた忠兵衛・梅川の役を同じ着物、いでたちで子役の二人がやるのだ。

 舞台奥の山道を歩く子役たち。

 上手舞台袖では、高さ二メートル以上に伸びた大型三脚にパーライト(1N)を乗せた、照明スポットがその切っ掛けで子役の二人を照らす。

 三階席奥のセンタースポットからは、当たらない位置にいるために、上手袖にスポットを設置していた。

 それを操作する笠置の目つきは、控室では見せない緊張した眼差しであった。

 その下では、子役の母親が、子供のスリッパを持って心配そうに見守る。

 当然客席から見ると、小さく映る忠兵衛・梅川である。

 この仕掛けを考えた江戸時代の人達の感性、演出力は脱帽ものである。

(遠くに去って行く二人と孫右衛門同時に見せたい)

(二人花道入りなら、哀愁の余韻が残らず短すぎる)

(舞台の奥行きは、制限がある)

(じゃあどうする)

(小さい二人を見せる)

(小さいなら子役で)となったのだろう。

 いづれにしても、先人の知恵と柔軟な発想は、今の舞台にも連綿と、引き継がれている。

 それを見送る孫右衛門は、松に寄りかかる。

 松の枝に仕掛けた雪で、頭にばさっと落ちる。

 富蔵の時は、松にしがみついていたが、走之助は違った。

 最初しがみついていたが、ブルブル身体が震え、我慢出来なくなって、へたってしまう。と同時に、ゆっくりと定式幕が閉まった。

 うかつにも鴨田は涙が出た。それは走之助の演技、もっと詳しく云えば、走之助の孫右衛門にである。

 定式幕が閉まると、弟子と鴨田が舞台に駈けつけた。

「お坊ちゃま、よくやりました、上出来ですよ」

 鴨田はがっちりと走之助の手を握った。

 弟子が身体を抱き起した。

「鴨田さん、有田屋さんの楽屋に一緒についていってよ」

 息も絶え絶えに走之助が云った。

 鴨田と走之助、弟子の三人で鯨蔵の楽屋を訪れた。

「走之助!お前、今まで何でやらなかったんだよ。やれば出来るじゃん!見直した!」

 と云って、暖簾かき分けて入って来た走之助を待ち構えていて、スマホで写真を撮る。すぐに自分のブログをアップ!

(走之助くんの新口村の孫右衛門、最高!また歌舞伎界に新たな風が巻き起こったぞ!この風は本物!ちょっと風が吹くまで時間がかかったけど、皆さん応援よろしくね!)

「これも鯨蔵兄さんのおかげです」

 走之助が意外な言葉を口にしたので、鴨田はおやっと思った。

「えっそれはどう云う事ですか」

「つまり・・・」

 鯨蔵が説明した。

 あの中日会当日の朝、當蔵から鯨蔵に電話があったそうだ。

 そして一夜漬けでもいいから、甲高い声と早い身のこなしを直して欲しいと依頼があったそうだ。

「少々手荒なやり方でもいいですかと、當蔵さんに聞いたんです。そしたら、構わないとお許しが出たんでやる事にしたんですよ、鴨田さん」

「何をやったんですか」

「まず走之助の甲高い声を潰すために、朝の五時までカラオケやらしたんです」

「そのためのカラオケだったのか」

 鴨田はやっと得心がいった。

 あれは走之助を潰すためじゃなくて、走之助の声を潰すためだったのだ。

「もう一つは、早い身のこなし。これは体力を落とすために、朝の五時まで飲ませました」

「もう大詰でさあ、立っていられなくて思わずしゃがんでしまったよ」

「お坊ちゃま、それがよかったんですよ」

「竹嶋屋の新しい型の誕生だな」

「有田屋さん、誤解してました。有難うございます」

 鴨田は思わず鯨蔵の手を握りしめた。

「よしてくれよ、気持ち悪い」

 と云いながら鯨蔵は、その手をさらに強く握り返した。

「少し手荒だったかもしれないね。ごめんね」

「そんなあ」

 ここで走之助は、言葉を詰まらせた。

「出来るとか、出来ないとか、お前の演技は下手とかやめとけとか、世間が必ず何か云うよね。それで知らず知らずのうちに、世間の風に自分が洗脳されてしまってる。皆そうなんだよね。やる前に、始めから規制されちゃってる。でもおかしいよね。やらない内から結論出すなんて。

 まず何でも限界越えまでやってみないと。それで駄目だったら、それでいいじゃん。世間じゃなくて自分で結論出せるから。走之助も今回、限界越えして新しい何かが見えたと思うよ」

「はい」

「ごめん、ごめん。説教がましいの、俺苦手だから」

 鯨蔵は、拳を作りどんと走之助の胸を叩いた。

「やっと同じリングに上がって来たな。これからが本当の勝負だ。歌舞伎と云うリングでのチャンピョンを目指そうぜ」

 鯨蔵は笑った。

 走之助の顔に初めて笑みが浮かんだ。

 二人の姿を見て鴨田は胸が熱くなった。

 暖簾の向こう側で、車椅子の當蔵もそれを聞いて、涙をぬぐった。

 竹嶋屋の新たな旅立ちの瞬間でもあった。

 それに立ち会えてよかったと、鴨田は改めて思った。


      ( 終わり )

 












 










 

 












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