『ファースト・ミッション』-トレーニング


――精神を研ぎ澄ませ、構える。


 今、俺の手には相棒のバットは握られておらず、代わりに、以前世話になったαチームリーダーから餞別としてもらった改造ナックルを両手に嵌めている。普段はブレスレットとなって目立たないが、展開すると拳を覆うガントレットになる。しかも様々な機能が備わっていると、至れり尽くせりだ。ドラッヘさん――なんでも、リンの方で呼ばれるのはあまり好ましくないらしいから、こう呼ぶように言われた――はあまりいい顔はしなかったが。俺にゃあ脳筋の考える事は分からん。


 左から気配が迫る。俺はその気配に向かって、思いっきり右ストレートを打ち込む。


 それは、成人男性よりも少し大きめのクソトカゲだった。と言っても、ドラゴンというよりそれは、ワイバーンと呼んだ方が正しい。ドラゴンは翼の他に四肢を持つが、ワイバーンには前足が無いのだ。まぁ、D.P.C.的にはまったくが関係なく、ワイバーンもドラゴンも、同じクソトカゲである。この組織、割とクソトカゲ認定が緩いからな。クソトカゲが個性豊かすぎるのも問題だが。

 まるでジュラシックパークか何かから飛び出してきたかのようなその顔面を思いっきりぶん殴り、吹っ飛ばす。だが、これで終わりではない。今度は背後から敵意の視線が突き刺さってくる。

 振り向きざまに左で殴りつけたのは、先程殴ったのと同じクソトカゲ。同種、と呼ぶには、あまりにも似すぎた見た目の。

 群青色の肌をしたそのクソトカゲの首に、俺の拳が炸裂する。

 あまりにも威力があったからなのか、それとも単にコイツが弱すぎるのか、その首があっさりと折れる……どころか、千切れて吹っ飛んでしまう。


「あ、やっべ」


 だが、喜んでいい事じゃない。こと、このクソトカゲにおいては、これは悪手だ。


 間伐入れずに、同じ姿のクソトカゲが頭上から降下して襲ってくる。

 咄嗟に地面を蹴って逃げる。だが、僅かばかりふくらはぎに掠り、血が噴き出す。


「ちィ……!」


 ちなみに言うと、今俺が着ているのは、前までのようなアーマープレート付きのプロテクトスーツじゃない。一般的なAクラスエージェントに支給される、カッチョいい黒いスーツだ。MIBメン・イン・ブラックみたいな。

 当然、防御機能も高いのだが――機能は切られた。


『今回はそのナックルの慣らしを兼ねた、上位エージェントの戦いが如何なるものか、触りだけ体感していただきます。なお、限界の状況再現の為、スーツとそのナックルの機能は切っておきますので、そのつもりで』


……との事らしい。鬼かな?


「GYZYAAァァァ!!!」


 雄叫びと共に、更にクソトカゲが二匹迫る。


「しつっけぇ!」


 こちらに近い方の、翼を広げて爪で俺を引っ掻こうとしているクソトカゲの、その見せびらかすようなガラ空きのボディを殴る。

 クソトカゲの、人間以上には頑丈な堅さの骨が、グシャリという音を立てて砕けたのが、触れた拳を通して伝わってくる。

 ついで、その下顎を殴り抜き、更に上から拳骨で叩き落す。

 更に、その後ろから今度は頭から飛び込むように襲い掛かってきたクソトカゲの横っ面を、フックで殴り抜く。

 その勢いを保ったまま、先程首が千切れたクソトカゲが吹っ飛んで行った方向を見やる。


「……やっちゃった」


 見れば、千切れた胴体と頭、それぞれの断面に、血の泡がボコボコと音を立てて発生している。

 スプラッタ映画顔負けの耳障りな生々しい音を立てながら、徐々にその泡が、何かの形を成していく。


 胴体からは、赤い頭が。そして頭からは、真っ赤な胴体が形成されていく。


 そうそう、紹介が遅れた。このクソトカゲのD.P.C.内における呼び名は『ディバイドラゴン』。その名の由来は、今俺の目の前で起きているように、分離した身体の部位がそれぞれ独立した竜として再生する事からそう名付けられた。

 大きさから鑑みれば、並のクソトカゲよりも小さく、倒すだけなら特に困難ではない。が、その分離・再生・増殖という三つが際限なく行われる特性上、危険度を示すランクがAプラス指定にされる程のクソトカゲだ。

 このランク付けは至ってシンプルで、それぞれD~Sに分けられる。

 Dは最低ランクで、出没した各世界の武力や軍事力で十分撃退及び撃破可能と判断されるクソトカゲ。そしてCからは、出没世界の最高位の知生体ではどうにもならず、また、それぞれに対応したD.P.C.クラスのエージェント達であれば対応できると判断される。

 そして稀に、特殊な特性を持っている事からプラスが付け加えられたりもする。このディバイドラゴンが最もたる例だろう。

 何せ、武器を使用した対象の肉体を破壊するような攻撃では、あっという間に増殖、再生を繰り返し、遂には世界一つを丸々支配しかねないようなクソトカゲなのだ。

しかも、最初の一匹を仕留めても何ら意味を為さず、肉体が破壊されても、ある程度の肉片がある限り、そこから再生・増殖する。細切れだったら、肉片が合体した上で再生する。とんだ厄介なクソトカゲだ。知性こそかなり低いが、それを補って余る数の暴力。それが奴らの武器なのだ。

 事実、このディバイドラゴンが出現したとある世界は一度ならず二度三度と滅亡の危機を迎えた。

 一度目や二度目は、地球で言う魔術師のような存在の手により封印され、しばし安穏な世に戻ったのだが、三度目では封印の前に魔術師的存在が死亡。現地人が応戦するも、遂にはその世界の総人口を遥かに上回る数になってしまった。

 この時、その脅威度から異例のSランク指定が為され、急遽Sクラスエージェント三名と、手練れのAクラスエージェント百余名を派遣するまでに至ったが、その内Aクラスエージェント約十名という犠牲を払い、鎮圧に成功した。

 その後、増殖したディバイドラゴンの三体の捕獲に成功し、その研究の結果、このクソトカゲの攻略方法が確立された。それにより、ディバイドラゴンの危険度が下がり、Aクラスエージェントのトレーニングに重宝される事となった訳だ。


 だが、その攻略法というのがまた面倒で――


「GEGYGYGYYYYィィィ!!!」

「あ――」


 ヤベ、と思った瞬間、既にクソトカゲが俺の間合いから更に接近してきていた。これでは防御もままならない。

 やっちまったなぁ……と、どこか他人事のように下唇を噛む。


 そして――





「攻略法は、しっかり叩き込んだつもりだったのですが」





――瞬きすらできなかった俺の目の前で、二匹のクソトカゲが宙に静止していた。いや、違う。その細めの首根っこを、誰かが片手で握り掴んでいるのだ。


「……すいません。加減が難しくて」


 必死にもがく二匹のディバイドラゴンを気にも留めず、僕の先生であり先輩でもあるSクラスエージェント――ドラッヘ・リンが、いつも通りの無表情で、俺の目をジッと見つめてくる。


 真っ白ながら、綺麗に手入れされている事が分かる艶やかな髪。

 地球で言えばコーカソイド寄りの、しかしそれとはまた違う種の、凛々しさと無垢さを兼ね備えた、整った顔立ち。

 極め付けに、眼鏡越しに見えるルビーのように真っ赤な瞳。


 まぁ、つまるところ美人という人種だ。

 そんな美人に見つめられると、俺だって顔を逸らしたくなる。


「……? どうかしましたか?」

「いえ、何も」


 「何もとは言いながら、照れ隠しで顔を逸らしてしまったのだから、何もないとは言い切れないだろう」と自分自身に内心でツッコミを入れながら、俺はドラッヘさんの背後を覗き込む。


 見れば、さっきまで生きていたであろう――つまり、俺が仕留められなかった――クソトカゲが、揃いも揃って地に伏せている。時折、思い出したかのようにビクン、ビクンと身体が跳ねているが、起き上がるような様子は一切見られない。

 血や肉が撒き散らされた痕跡は、俺がやったもの以外には全く見当たらず、自身の未熟さをまた思い知った。これで何度目だろうか。50を越えたところで数えるのを止めてしまった。

 そう、αチームリーダーに「考えていたところでどうにもならん。とにかく殴れ。話はそれからだ」と言われてから。


「いいでしょう。では、私が手ずから実践しましょう」


 そう言うと、ドラッヘさんはクソトカゲを掴んでいた手をおもむろに離し、解放する。

 しかし、そんな事をしたところで知性の欠片も無いようなクソトカゲには無意味。精々、「これぞ好機!」としか思わないだろう。呼吸を止められた地獄から解放されたクソトカゲが、ドラッヘさんに向かう。

 どうやらこのクソトカゲ、あくまでも襲い喰らう事に特化し過ぎた為なのか、動物的な本能というものがまるで存在しない。言ってしまえば、三大欲求の食欲しかない。それがこのディバイドラゴンという種なのだ。

 睡眠など食事の時間の無駄であるし、性欲などそもそも相手がこちらに攻撃を仕掛ければ、その頭数は勝手に増えるのだから。


――だが。その恐怖無き本能が、彼らを檻の中へと追いやった。


「では、インストラクションを始めましょう」


 無謀にも反逆を為さんとするクソトカゲを前にして、しかし、歴戦のSクラスエージェントは動かない。

 ただ、その右手を一匹のクソトカゲの方に向けるだけ。しかも、そちらの方は見向きもせず、あくまでも俺の目を見ながら。


「まず最初にやるべき事は――」


 ぶっちゃけ、俺はその光景を信じられなかった。

 ドラッヘさんにクソトカゲが食いついたかと思ったら、逆にその頭を、ドラッヘさんがむんずと掴んでいたのだ。

 まるで吸い込まれるかのように、クソトカゲがドラッヘさんの手の中にその頭を持って行ったようにも見えた。

 そして、ドラッヘさんは掴んだクソトカゲの頭を持ったまま振りかぶる。


「――脳震盪で行動不能状態にする事」


 そしてそのまま、なんとクソトカゲをシェイクしだした。しかも、バーテンダーがやるようなシェイクなんて目じゃない、恐ろしいスピードで、だ。

 中々シュールな光景だが、実際アレをやられたら……うぅ、想像したくもねぇ。


 クソトカゲの意識が刈り取られたのを確認したドラッヘさんは、気が付いたらもう片方の手でもクソトカゲを捕まえていた。えっと、いつの間に……!?

 しかも、クソトカゲ特有のマズルが長い口を塞ぐ形で掴んでる。あ、クソトカゲが抵抗して腕にしがみついた。でも全然気にしてねぇ!


「そして次に――」


 ドラッヘさんは、腕に翼で絡みつくように抵抗するクソトカゲを他所に、昏倒させたクソトカゲの方を、ボトッ、と落とし――


「――極力手加減をした上で、心停止させるッ!」


――クソトカゲの胸に、真っ直ぐ拳を突き入れた。


 豪、と風が吹き、俺の耳を叩く。だが、クソトカゲには一切、外傷は無い。


「はい。これでこのディバイドラゴンは、完全に無力化しました」


 いやいや、そんな簡単そうに言われても困るんですが……。


「その力加減が分かんないといいますか……」

「確かに、武器を使っていては、余程の手練れでなければそれも難しいでしょうね。出来て精々が、生かすか殺すかの選択ぐらいでしょう」


……まぁ、あながち間違ってはいない、か。Bクラスの頃は「とりあえず敵をぶん殴る」って事以外、他に考える余裕無かったもんなぁ。


「それは今は別に良いのです。トレーニングは一旦ここで中止です」

「へ? て、事は……」

「はい。出動ます。なので早急に支度をしてください。10分後に第七ディメンジョン・ゲート前に来るように。いいですね?」


 急な出動宣告に、俺も思わず抜けた声しか上げられなかった。


「……何をぼんやりとしているのです? まさか、その状態で準備完了だとでも?」

「あ、いえ! 行ってきますッ!」


 ドラッヘさんの遠回しな催促を受け、ようやく俺は我に返る。

 そして、「あ、スーツの機能をオンライン状態にしておいて下さいね」というご親切なアドバイスを背に、俺はトレーニングエリアから足早に立ち去った。


 ちなみに、ドラッヘさんに捕まっていたクソトカゲは、訓練用に増殖させる為の一匹として、再びケージに放り込まれたんだそうな。

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ある竜殴りエージェントの記録 Mr.K @niwaka_king

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