優しい記憶のゆくえ

夢野 夜空

第1話 記憶の目覚め

01

 激しく咳き込みながら、私は目を覚ました。

 瞼を開こうとすると、急に明るい光が視界に飛び込んできて反射的に深く目を瞑ってしまう。それからもう一度、今度はゆっくりと再び瞼を持ち上げていった。すると、綺麗な木目の天井とその四辺から垂れている薄いレースが見えた。

「ここはどこだろう·····」

 か細い声でそうこぼすと、私は首を動かして周囲を見渡した。左側も右側も、頭の方も足の方も天井から垂れている薄いレースのとばりで囲われていた。そして私の全身は、まるで雲のように柔らかな何かの上に横たわっている。

 どうやら私は、とても心地のよく高価そうなベッドの上で仰向けの状態で寝転がっているみたいだ。その心地よさに安心感を覚えそうになってしまうが、なぜ自分がここにいるのか、こんな所で目を覚ましたのかがわからず、不安感も湧き上がってくる。

 脳がまともに働くようになると、急に怖くなってきた。嫌な予感が脳裏をよぎる。

「あぁ。目覚めたのかい」

 その声はとても優しそうな中性的な声だった。けれど私はその声に驚き、足元から聞こえてきた声に距離を取るように枕の方へと身体を後退させた。

「気分はどうだい?」

 そう続けたのは、十五歳くらいの少年だった。真っ白なシャツとズボンで身なりを整え、目にかかりそうなくらいにまで伸ばした髪と綺麗な二重、幼さの残る顔立ちに優しい声が相まって中性的な感じがする。

 悪そうな人には到底見えないけれど、同時にどこかしら怪しさを隠しているようにも見えた。

「顔が強ばっているけれど、どこか具合が悪いのかい?」

 少年は微笑みながら優しく続ける。それに対して私は、

「こ、ここはどこなの? あなたは誰? どうして私、こんな所に?」

 と言いながら、完全にベッドの頭側に身を寄せて座り、最大限に少年と距離を取った。それからさらに、いつでも反撃を食らわせて走り出せる体勢を取る。

 そんな私を見て、少年はクスクスと笑った。それは年相応の屈託ない笑顔で、どうもこんな笑顔を見せる少年が私を誘拐したり、あるいは誘拐した人と関わっているようには思えなくなった。

「ここはね。記憶のやかただよ」

 笑顔のまま少年は言う。

「記憶の館·····?」

「そうだよ。あなたの記憶が詰まった、あなただけの場所。そんな素晴らしい館だよ。ここから、あなたの人生の全てが見返せる」

 少年は高揚感を顕にし、瞳を輝かせながら自慢げに言った。けれど私には、少年の言っていることがよくわからなかった。

 私の記憶が詰まった場所? そんな場所が、一体地球上のどこにあると言うのだろうか? 何より、どこから私の記憶なんてものを集めてきたのだろうか? まさか本当にタチの悪いストーカーとかじゃないのだろうかと再び不安になってきた。

「うん? まだ何かわからない?」

「いや、その、私の記憶って·····?」

「だから、あなたの記憶だよ。あなたが今までに見たこと、聴いたこと、感じたこと、思ったこと、それら様々なものが保管されている。まさにあなたの全てというべき場所さ」

 まだ声変わりのしていない高い声で、少年は誇らしげに言う。しかし少年の言うことが事実なら、それはどう考えてもストーカー行為の賜物であるとしか思えない。

「まさかと思うけど·····いや、君は誰なの?」

 それでも、こんな心優しそうな少年に突然ストーカーだろうと詰め寄るのも悪いと思い、まずは彼がどんな人なのかを訊くことにした。

 すると少年は不思議そうに首を傾げ、それからその小さな口を開いた。

「僕? 僕はあなたの案内役だよ。名前はメモリア。あなたと共に、あなたの記憶を見る人だよ。これからしばらくの間、よろしくね」

 メモリアはベッドの足元に滑り込んできて、それから私に向かって手を差し出した。

 やっぱりどう見ても悪そうな人には見えないけれど、しかしこの手を素直に取っていいものかはよくわからなかった。何より、まず今この状況が全く呑み込めない。

「うん? まだ何かピンとこない?」

「ピンとこないっていうか·····私、どうしてこんな所にいるのかわからなくて·····」

「あぁ。あなたはそこも忘れてしまっているのか。それじゃあ、どこまで思い出せるの?」

「どこまで?」

 どこまでとは、一体どこからなのかわからなかったけれど──それを確かめるのに時間はかからなかった。

 私は、何も思い出せなかった。

 何一つ、全く思い出せなかったのだ。ここに来る前のことはもちろん、どこに住んでいて何をしていたのか、どんな職業についていたのかあるいは学生だったのか、果ては自分の名前まで──全て、一切思い出せなかった。

「何も·····わからない·····」

「何も? 全く?」

「う、うん·····私は誰·····?」

「うぅん。これは手強いなぁ」

 優しそうなメモリアの表情が少し歪んだ。私の瞳を覗き込むように、メモリアは顔を近づけてくる。自分よりも年下の優しそうな男の子に詰め寄られるのはとても変な気分だったけれど、既に後ろはベッドの端で、これ以上逃げようがなかった。

「──まぁ、端的に今の状況だけを説明するよ。簡潔的に言うと、あなたはもう──」

 そこでメモリアは顔を逸らし、薄いレースの帳の方に向かって心苦しそうにこう続けた。

「死んじゃったの」

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