親友だったかつての少女を見殺しにした彼女の話
祈岡青
1
昼下がり、都内のビルで飛び降りがあった。自分の半分くらいしか生きていないような、二十代前半の若い女性だった。
争った形跡は特になし。自発的な飛び降りで事件性のないものだった。
近くの防犯カメラにその女性は映っていた。ビルの前の植え込みに腰掛け、白いケースのスマホを耳にあてて通話している。しばらくして、着ているグレーのパーカーのポケットにスマホを突っ込むと、おもむろに立ち上がった彼女はビルの中に入っていった。そして屋上から飛び降りたことになる。
通話履歴を見る。最後の通話相手の名前は女性で、おそらく友人だろうと思われた。確認がてら、その番号に電話をする。
「こんにちは。お忙しい時間帯にすみません。警察のものですが」
○○さんが先ほどビルの上から飛び降りて病院に搬送されましたと伝えると、同年代の友人だと思われる彼女は電話の向こうで大きく息を吸って、残念ですといった。
まるで死んでしまうんじゃないかと予想していたように、静かに。
「自殺を仄めかしていたんですか」
「え?」
「あなたが最後の通話相手なんです」
「あ、そうなんですか? いや、いつも通り世間話をしただけですけど。そっか……残念です」
友人が自殺を図ったといっているのに妙に落ち着いていて動じない彼女に、なんとなく違和感を覚えた。
自殺を図った女性はまだ死んではいなかったが危篤状態だった。いつまでもつかわからない。けれど彼女はそれを知っても病院の名を尋ねようとはしなかった。
「高校時代からの親友だといっていました」
女性と付き合っているのだという男性が、血相を変えて病院に飛び込んできた。仕事を放り投げて駆けつけたような、乱れまくったスーツ姿だった。でもこれが正常な反応だろうと思う。
通話履歴の名前を見せると、彼女たちは親友だと彼はいった。だから最後に俺じゃなくて彼女に電話したんだなと彼は力なくいって、病室の前で崩れ落ちた。
ただの友人ではない、親友がビルの上から飛び降りた。それも自分と話をした直後に。
なんとなく引っかかる彼女に対面したのはその日の四時過ぎだった。彼女が勤めているという会社まで会いに行った。
彼女はスラリと背の高い女性だった。それ以外は特筆することもないような、ちょっとシャレたオフィスで働く今時の子だった。
何度会っても礼儀正しくて、笑っていて明るくてそつがない。友人も多いようで、通路で立ち話になるといろんな人間に声をかけられてはその度に冗談を返していた。彼女と電話をした直後に親友が自殺を図ったという話をしているのに。平然と。
「あなた、最後の電話で何かしたんじゃないですか」
「何かって、何を?」
彼女のもとに通うようになって五日目。昼休憩を狙ってオフィスを訪ねると裏の非常階段に彼女がいるというので、シャレたオフィスから切り離されたように寂れた非常階段への出入口を開けた。隣のビルの影になっていて、風も強く薄ら寒い。
意外なことに彼女は煙草を吸っていた。冗談が好きで明るくて、肩に花模様の透かしが入ったセーターを着るような今時の少しできる若者であるところの彼女には、似合わない姿だと思った。
ビルとビルのあいだに挟まれた光の差さない場所柄のせいなのか、いつもと違う、どこか冷たい横顔に見えた。
一つ上の階の踊り場にいた彼女は煙草を携帯灰皿に捨てると、こちらを振り向いて、まるで嘲るように目を細めた。
「もう五日目でしたっけ。なにもしてないって何度もいってるのに、わたしがなにかしてないと気がすまないんですね。あなたは自分の正しさを証明したいんですよ。自分の刑事の勘みたいなヤツの」
「心外だな。私は君の不自然さの理由を知りたいだけだよ」
苦笑いして見せたが、いつもなら軽快にジョークを飛ばしてくる彼女も今日は黙ったままだった。
追い詰められているのかもしれないと思った。毎日のように親友が自殺を図った話をされて、鋼のような精神の彼女もさすがに限界を越えようとしているのかもしれない。今まで取り繕っていた笑顔が、化けの皮が、剥がせるかもしれない。
風に吹かれて、顎のあたりで切り揃えられた黒髪が一瞬その表情を隠した。彼女の右手が乱れた髪をかきあげる。再びこちらを見据えた瞳は赤く潤んでいた。思っていたのとは違う反応に、少しだけたじろぐ。
「不自然ってどういうことですか? わたしがいつも笑ってるから傷ついてないと思ったんですか? だったら、泣きわめいてみせればよかったんですか?」
くしゃりと髪をかきあげたまま、彼女は泣き出す寸前の子供みたいに顔を歪めていた。
「あなたは、」
叫ぶようにいったあと、ふと目眩に襲われたかのように階段の上の彼女がよろめいた。思わず手近の錆び付いた手すりにもたれかかる。ふらふらとうつろなその瞳が、階下を見やっていた。ゆるやかにくちびるが荒んだ笑みを描く。
「ここから親友のあとを追って飛び降りて見せれば、満足ですか。わたしは潔白になりますか」
ふわりと、黒いフレアスカートを翻して、彼女が手すりに足をかける。
「やめなさい!」
名前を叫ぶ。彼女はひたすら瞳孔の開いた目で下を見ている。それから勢いよく身を乗り出そうとしたとき、上の階の出入口が開いた。
「何してる!」
出てきたのは彼女よりいくつか年上の青年だった。彼の呼び声に、彼女はびっくりしたように振り向いていた。彼女の親しい上司か先輩のようだった。ほぼ無抵抗に腕を掴まれ、そのまま青年に抱き止められる。
何考えてるんだよそんなことするのはやめろよと、とにかく強く上司だか先輩だかに抱きしめられた彼女は、大人しくその腕の中に収まって、静かにすすり泣いていた。
親友が自殺を図ったという話をして以来、やっと見る彼女の人間らしい反応だと思った。
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