棲む人々の物語 三

@ten-0610

第1話 だあれ?

マンションやアパートが苦手だ。

壁の一枚向こうに知らない誰かがいる、生活がある、

思考する何かがいる。

その思考が自分に及ぶということが嫌だ。

思考次第では、害をなされることもある、

逆にこちらが害をなすこともある。

このような思考の持ち主だから、もちろん人付き合いも苦手である。


兄が結婚した。

新居は祖父母が持つ、マンションだった。

住んだ部屋は、叔父の部屋の隣。

あの事件の部屋だ。

私が幼いころの事件で、その事件は私と祖父と叔父しか知らない。

もう何十年も前の話、今更それを口に出す人は一人もいなかった。


ーだあれ?ー


かーごめ、かーごめ。

この遊びが好きだ。

小学校でよく遊んでいた。

うしろの正面、だあれ?

はて、あの時後ろにいたのはだれだっただろうか?


兄がバイト先の女性と同棲していることは知っていた。

長いひきこもり生活の末、部屋を出た兄は居酒屋でバイトをはじめ、

高卒認定試験を受け、調理師の専門学校に行こうとしていた。

そんな時、彼女が妊娠をした。

妊娠が発覚した時ももちろんながらごたごたしたが、

そこは馬鹿らしくて書く気にもならずに割愛。

いつも通り、私の父が人としてどうなんだろう。という疑問が浮かぶだけ。

もう、この頃には疑問ではなくなっていたけど。


その時彼女は新卒一年目、そして大学の奨学金を返していた。

兄は無職、一応学生。バイト先はつぶれた。

お金がなく、彼女は自分の実家に帰りたがったかが、

独占欲の強い父が許さず、祖父母のマンションに二人で住むこととなった。

兄夫婦が住むマンションを訪ねた時、あれ。と思った。

ここは、あの隣の部屋だな。

あの真夏に人が凍死した部屋だ。

中に入ると、何もなく、フローリングはつやつやして、

替えたばかりの畳の匂いがした。

キッチンは古いながらもそこそこの大きさだ。

以外にも中は広いんだな。

ファミリータイプと言って部屋が

一緒についてきた祖父が言った、部屋が2つとダイニングがある。

「1年前にもう一つ隣の部屋とくっつけて、広くリフォームしたんだ」

ああ、借り手がつかないからリフォームしたのか。

でもどこか薄暗い部屋だった。


それから、数回、兄夫婦の部屋を訪ねた。

兄嫁がいるときにも訪ねたがなんとなく、兄嫁を好きになれなかった。

小姑みたいで、嫌だったが、人と仲良くなることは苦手だ。

だんだんと尋ねるときは兄嫁がいない時が多くなった。

兄嫁と私は8歳ほど離れていて、兄嫁が教員免許を取る際に

担当したクラスが私が小学生の頃にいたクラスだ。

初対面で「この子知ってる」と言われた。

狭い世界である。

教え子と教員ほど年が離れ、私はネガティブでうじうじ悩みやすい、

彼女はポジティブ、あっけらかんとした性格。

彼女を見たとき、兄も私と同じタイプだと思っていたから、

少なからずショックを受けた。

そういうタイプが好きなんだ。

嫉妬にも似た、感情だった。


兄嫁が、友人の家に泊まりに行っているときに、

私は二人の家に行き、兄と時間をつぶした。

人が死んだ部屋だと知っていたが、別段怖さはなかった。

どこで死んだかわからないし、特に何もおこらない。

それよりも昔のように兄と二人で入れることが嬉しかった。

兄を独占できるうれしさが怖さよりも勝っていた。


部屋で兄と一緒にテレビを見ていたが、兄は御飯の用意をしてくれるようだ。

席を立ち、キッチンに行った、ドアは閉めていかなかった。


私はぼーっとテレビを見ていた、なんのテレビだったか覚えていない。

兄の声が聞こえた。

   「最近どう?」

台所の音とテレビの音と混ざって聞きにくい。

私はテレビ画面を見たまま音に負けない少し大きな声で返す。

「課題が多くて大変」

私は大学に行き、デザインを学んでいた。

「でも楽しいよ、お兄ちゃんはどう?うまくやってる?」

   「そこそこかな」

「喧嘩とかしないの?」

   「う~ん、しても言わない」

「えー言ってよ、浮気とかさ、あるでしょ」

   「しないよ」

「ふーん、まあこの時期でそんなことがあったら大変か」

カチャ。

何か、音がした。音が減った。

   「・・・でも、この前喧嘩してたよ」

「えー何で?」

   「まあ色々あるでしょ」

「ちゃんとフォローとかさ、しなよ」

   「うん、してたよ」

「私さ、正直、苦手なんだよね。彼女。」

   「そうか」

「嫌々ここにいるんだったら、一人で実家に帰ればいい」

「おばあちゃんも嫌いって言ってた」

「私がいじめられないか心配なんだって」

   「いじめられはしないでしょ」

「おばあちゃんが、言いたいこと言えないだけだよね」

   「まあそのうち、ここを出ていくよ」

   「そういう話をしていたから」

「それは・・・うれしいかも」

「ねえ、それ、本当?」


うしろの正面、だあれ?


後ろを振り向くと、ドアが閉まっていた。

テレビの音しかしない。

私はドアを開けて、ダイニングを見た。

台所の音が戻ってくる。

兄が皿を並べている。

変わった様子はない。

ほっとして、そのまま何も言わずに、一緒にカレーを食べた。

さっきの話が聞こえていたかは知らない。

兄が普通の顔をしていたので、多分聞こえていない。

聞こえててもいい。

早く彼がいる、この部屋を出て、遠くに行けばいい。


それから数か月後、兄夫婦は部屋を出ていき、

兄嫁に実家へ行った。

嫁が行くなら、兄も行くだろうとわかっていた。

優しい兄だが、すべてを守ることはできない。

私はもう、守られない。

嫁の実家は遠く、気軽に会える距離ではないし、

そちらの家に入るなら、うちと縁を切れという父の意向、というか命令があり、

兄は我が家とは縁を切った。

兄が自由ならそれでいいと今は思う。


兄とはもう何年も会っていない。

私からは誰もが離れていくのだろうか。

私は今近くにいる人を大事にできない、父と同じで壊れた人間なのだろうか。

マンションに棲む彼は私から離れずにまた話を聞いてくれるだろうか。

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