4-2
——もう、会いたくないと言っているんです。
僕はそこに一人で立ち尽くしていた。僕のそばには誰もいなかった。みんな離れていったんだ。
——もう、会いたくないと言っているんです。
目の前で開かれていたいくつもの扉が閉じられていく。鍵を閉められた扉はもう二度と開くことはないと僕は知っている。
——もう、会いたくないと言って……。
ブツリ、と落ち着いた音声の幻聴は途切れ、目には見えない圧力が僕自身の扉の鍵を増やしていく。
僕の扉は、固く固く閉ざされている。
「……じ、越路」
瞼に光が当たるような感覚と永田の声に僕の意識は引き戻された。ゆっくり体を起こして見る。少し、汗をかいていた。
「飯だぞ。食えるか?」
「ああ、食べるよ。大丈夫」
「なんか寝言言ってたぞ。わりとマジな顔で」
ひやり、と背筋に冷たいものが走る。
「……なんて言ってたか、わかる?」
「お見舞い、とかなんとか……。病院の夢か? 体調崩してるからって夢まで本格的だな」
永田は笑ったのに合わせて僕も笑った。うまく、笑えていただろうか。
体調を崩していることが宿舎に伝えられていたせいか、夕食の白飯のかわりに僕にだけおかゆが出された。嫌いじゃないけど、味気ない……。木さじですくって口に運ぶ。でんぷんの甘みがふんわりと口内に広がる。
「越路、もう飯食えるのか?」
同じ部屋の班仲間に声をかけられた。ご飯は食べれる、歩いても問題はなかった。
「ああ、だいぶ良いみたい」
「風呂入れそうなら食ったあと行こうぜ」
「うん、行こう」
話しかけた彼は炊き込みご飯を口に詰め込み、おかわりを盛りに席を立つ。
宿舎の決まりで、食べた後の食器は施設の利用者が洗うようにとのことだった。僕を含め他数名が、大きなシンクに並んで皿の汚れをカチャカチャと泡でなで落としていく。作業終了までには三十分もかからなかったが、夕食終了時間が押していたので割り振られていた風呂の時間に少し遅れた形になっていた。
急いで部屋に向かうと人の影が見えた。
「永田、風呂入らないのか? 時計見なよ」
縦に長く細い身体を二段ベッドの下段に横たえて、部屋に一人永田が残っていた。
「あー……ほんとだ。うん」
携帯を片手に生返事をする永田に僕は何気なく声をかけたつもりだった。傍らにはコンタクトケースが置いてある。外さないと風呂に入れないのか。僕は普段から裸眼だからその辺のことはよく知らない。
「親睦会の前に入っておけよ。じゃ、先行ってるから戸締り頼む」
永田を部屋に残して僕は大浴場に向かう。
カラスの行水だと、よく言われる。僕はあまり意識はしていないけれど、確かにあまり長々と湯につかっているのは好きじゃない。普段生活する空気中とは違う「水」が触れ合う感覚を、本能的に避けているんじゃないかと勝手に理由づけているけれど。
人間は、空気に比べて水の方が生きにくい。生きにくいことがあればとことん避ける、それは僕の生き方そのものだ。
「ふう……」
旅館の湯加減は少々熱かった。そして身体を見せ合うみんなのテンションにはついていけなかった。
「……ん?」
さっさと身体を洗ってロビーに出ると、見覚えのある影がソファーでくつろいでいた。
「もう上がったのか、早いな」
「まだ入ってなかったのか、遅いね」
僕のセリフに鼻で笑うと、ん、と歯切れ悪く永田は答えた。
「みんなと風呂が苦手なのか」
僕ら男子は、女子みたいにそれなりの理由があって入れないなんてことはない。永田は僕の質問に答えることなく、笑みを浮かべて聞いてきた。
「お前、俺がチャラいと思ってるだろ」
何を今更、と笑うのをぐっと堪えた。永田の表情の硬さがそうさせなかったのだ。
「まあ、第一印象だけで判断するなら」
「分かってないねー、分かってない。お前の価値観はそんなもんか」
あんまりな言い草だ。それなのに永田の寂しそうな顔が僕に小さな疑問を与える。
不思議に思っている僕の虚をつき、ぐっと永田の顔が僕の目の前に近づく。僕は未だかつてないその距離とシチュエーションに恐怖のようなものさえ感じた。
「永田、ちょっ、待っ……!」
早まっちゃいけない!
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