第44話 ロースカツ
「ふーん……ロースカツ、ねぇ」
彼女はメニューに書かれたその料理を見ていた。
「ロースカツ」
「豚肉にパンくずをつけて油で揚げた料理」
というものだ。
「お嬢様。揚げ物は控えたほうがよろしいのではないでしょうか?」
「何よ。こういう時こそ揚げ物を食べるチャンスじゃない。
あ、言っとくけどくれぐれもお父様にも爺やにも内緒にしてよね? もしばらしたらタダじゃおかないからね!」
「ハァ……分かりましたよ。店主、お嬢様と私にロースカツをお願いいただけますか?」
彼女は嫁入りのために端整な身体を保つため、特に揚げ物は控える傾向にある。家では10日に1度あればいいほうだ。
普段からカレーライスの甘口に鶏のから揚げを3個付ける位の事はやっていたのだ。
月に1回くらいならガッツリ揚げ物を食べてもばれないだろう。そう思っての暴挙だった。
当然「かりそめの恋人役をしてくれ」と言われてはいるものの、
ただの使用人である彼にそれを止める権限などあるはずがなく、揚げ物自体はカレーのトッピングとして鶏のから揚げを頼んでいた以上、
なし崩し的に注文するのを許してしまった。
「ハァーア。御父上や執事長に何言われても俺は知りませんよ?」
「大丈夫。この店には私の家の者は通ってなさそうだし、アンタがばらさなきゃ大丈夫よ。繰り返しになるけど絶対ばらしちゃダメだからね!」
「お待たせいたしました。ロースカツ2人前になります。ソースをかけるとおいしいですよ」
ほどなくして店主が料理を持ってくる。見るからにボリュームのありそうな豚肉がからりと揚がった料理だった。彼女はロースカツをフォークで刺して口に運ぶ。
パンくずで出来たサックサクの衣は噛むと香ばしい音を立て、適度に含んだ油を口の中に広げる。
それが豚肉の甘味、うま味と混ざり合いボリュームのある味わいとなる。それに彼女は大いに満足する。
「うん。やっぱりこの店の料理は格別ね」
彼女はその料理を食べて満足げだ。
「そういえば、ソースとか言ったっけ? それをつけて食べろとか言ってたわね……」
ふた口目を、というところで彼女は気づく。確かソースなる物とつけて食べると美味しい、とか言ってたっけ。
店主が料理と一緒に持ってきた瓶差しを傾け、中身のソースなる黒い液体をかけていく。
「ねぇ店主! このソースってもの、黒くてドロッとしてるけど大丈夫かしら?」
「大丈夫ですよ。ソースを見る人がこの店で初めての方が結構多くて戸惑うそうですけど、食べれば美味しいので問題ないですよ」
店主は微笑みながらそう言う。まぁこの店の事だし多分大丈夫だろう。それに客をだますようなことをしたらすぐうわさが広がって商売どころではなくなる。
と思い、不安よりも期待の方がやや大きくしつつ、ふた口目。
「!!」
その瞬間、濃いソースが豚肉や衣と絡まり、奇跡のような味わいを奏でる。
自宅にいる専属シェフでも出せないような最高の美味が、彼女の舌の上にあった。ソースをつけずに食ったひと口目ですら、まだ未完成であった。
「……すごい味だわこれ。これで銅貨23枚なんて本当に良いのかしら? 私だったら銀貨3枚と言われても喜んで払うわ」
「確かに値段の割には異様に味がいいんですよねこの店は。素材の質も群を抜いてますからね」
同じようにソースをつけて食っている使用人の男が彼女の意見に同意する。市場で出回っている素材でよくこれだけのものが出せるなと感心していた。
「そういえばソースってこの店でしか出してないんですよね。他所の店では置いてなさそうなんですよ。どこでこんなもの見つけてくるのか俺には分からないんですが……」
「あなたがわからないんじゃ私にはさっぱりわからないわね。不思議よねぇこのお店」
そう思いながら彼女にとっては6日ぶりとなる揚げ物をガッツリと食べる。安くてうまいだけじゃなく自分好みの料理を置いてあるからこの店は辞められない。
「ごちそうさまでした。また来ますね」
「はい。次回のご来店をお待ちしております」
礼を言ってから2人は店を後にする。すかさず彼は持っていた女性用コートをお嬢様にかける。
「では帰りましょうか」
「う、うん……そうね……」
彼女はちょっと寂しそうな顔色。なぜなら家に帰ると彼は「数ある使用人の1人」になってしまうからだ。
「大丈夫ですよお嬢様。この味ならあの店がつぶれることはまず無いし、また来ればいいじゃないですか」
「そ、そうだけど……バカッ」
「? 今なんとおっしゃいました?」
「別に」
日の沈みかけた空に輝く1番星が2人を見守っていた。
【次回予告】
酒豪のゲルムは相変わらず光食堂に通っていたが新たなつまみが欲しい、と思いそのメニューを頼む。
第45話「たこ焼き」
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