1-4/LAの裏側 - 3


『ゲヘナ』――これについて言葉通りの意味を説明するなら「エルサレム市の城門の外にある深くて狭い谷底のゴミ捨て場」の事を指す。


 かつてそこは処刑された罪人の遺体やふさわしい埋葬をされなかった人々が埋められる場所でもあったことから、伝統的解釈において『地獄』の同義語として多用されていた。

 肉色の空を舞う極楽鳥の眼を通して鏡に映し出されたこの景色を見れば、誰もが私と同じことを思うだろう。


 瓦解し崩れ落ちたビル群に砂と化した大地、至る処から立ち上がる獄炎と黒煙、川の様に流れる大量の血、そしてその悍ましい大地を我が物顔で徘徊する恐怖の権化たる悪魔達と、皮膚を剥がされ内側の肉を晒された様な姿で地面に転がされている人の様な何か。

 まさに『地獄』としか形容できない恐ろしき光景だ。音が全く聞こえないことだけが救いだろう。

 どれだけの絶叫や断末魔が轟いているのか想像もつかないが、きっと聞くに堪えないものに違いない。


 この地獄ゲヘナと称される光景を最初に目にした際は、余りにも現実離れした景色と得体の知れなさに思わず吐き気を催したが、そのを聞いた時はそれ以上に衝撃的過ぎて、しばらく開いた口が塞がらなったことを覚えている。


「未だに信じられませんよ、これがLAの裏側だなんて」

幽世かくりよ現世うつしよを対とするなら、確かにこのゲヘナは『LAの裏側』と謂えるだろう。尤も、ゲヘナが映すのは裏側だけではないがね」

「というと?」

「後程説明する。まずは目的の場所に向かうとしよう。とりあえずここからサウスLAに向かわせれば良いな」

「はい。事件現場は六ヶ所なので、まずはここから北東に……」

「いや、周辺まで行けばおのずと分かるだろうから、君は痕跡が事件現場に当たる場所と合致しているかだけ確認すれば問題ない」

「痕跡……分かりました」

「よし、“旋回して進め”」


 マルコムの指示通り極楽鳥は旋回を始め、それに合わせて鏡に映る景色も変わる。

 街の上空を飛行し、私達が居るニューダウンタウンからサウスLAへと向かっているのだ。

 私達の目の代わりをしているこの『極楽鳥』は鳥の姿を取る土人形ゴーレムであり、どうやったのかは知らないがマルコムがゲヘナを見る為に作り出したものだという。


 その役割は当然、このゲヘナを監視することだ。


 ゲヘナは幽世かくりよ現世うつしよの間に存在し、行き場を失った人魂と浅ましき悪魔達が集まる場所だ。

 ゲヘナにいる悪魔達の動きが分かればいずれ何が現世にやって来るのかが分かり、事前の準備や対策も行うことが出来る。

 また、幽世から現世に来る為には必ずゲヘナに発生する闇の渦を通らなければならないため、当然事件現場に現れた鷹爪の悪魔達もここに居る。

 先程から不格好に空を飛ぶあの赤黒い人型の群れが見えるのがその証拠だ。

 奴等は極楽鳥に興味が無いのか、襲って来る様な素振りはない。

 そもそも人間にしか興味が無いのかもしれない。

 その辺りの深淵なる知識については、また次の機会に勉強させてもらうとしよう。


 極楽鳥が飛行を続けて数分、私はゲヘナの景色に不思議な既視感を覚えた。

 この景色を見たのは二度目ではあるのだが、それはしばらく前の事だ。

 私が覚えた既視感はもっと最近、それこそ今朝にでも見た様な感覚――そう、アネットに「予知夢」と称されたあの奇妙な夢、そこで見た荒廃したLAの光景にそっくりなのだ。

 道理であそこまで非現実的でありながら、リアルな景色を見ることが出来たわけだ。


 なにせ、一度見たことがあったのだから。


 しかし私はあの夢を見ていた時、「滅亡したLAの光景」だとは思ったが、「地獄ゲヘナの光景」だと思い至ることは無かった。

 その本質を理解していたからなのか、あるいは別の理由があったのかは分からない。

 だが夢に見たということは、何かしらの意味があったとしか思えない。

 それこそアネット曰く、あれが本当に予知夢であったのではないか、私が悪魔の王になる未来が来るのではないか、そう思えてしまう程に――。

 

「そろそろサウスLAの辺りだ」


 マルコムの声で私の意識は思考の海から引き揚げられ、目の前のゲヘナの光景に意識が向く。

 名状し難き景色にさほどの変化は無いが、ビルの配置や現実のLAの名残からそこがどの辺りなのかは大体判別出来る様だ。

 それに、明らかにと分かるものがある。


「六つの青い炎の柱……」

「あれが六ヶ所の事件現場だな。確かに、闇の渦が発生するだけのエネルギーを感じる。尤も君が熾烈弾を使用したおかげで闇の渦は閉じられている様だ」


 サウスLAを中心とした異なる六ヶ所それぞれから、他の獄炎とは明らかに違う青白い炎の柱が立ち上がっていた。

 場所と炎の数からそこが『魔女狩り』事件の現場であると判断できる。

 実際に地図と照らし合わせてみれば、それらは間違いなく磔の焼死体が発見された場所と同じだった。

 魔人が起こした事件であればこの様に他の場所との違いは一目瞭然であり、今回はそれが色という形で現れた様である。

 よく見ると、柱の根元には鷹爪の悪魔達が大量に群がっている。

 文字通りあそこが入口なのだろうが、力の流れが絶たれたあの場所から現世に向かうことはもはや不可能だろう。


 ――しかし、それよりも気になることがあった。


 事件現場の位置を地図で確認した際に分かったことではあるのだが、やはりこの六ヶ所の現場はその地点でを描く様に等間隔の位置取りをしている。

 それが意図的なのかどうかは当然不明だったので最初は特に意識していなかったが、ここに来てその意味が理解できたかもしれない。


「……もしかして、魔法陣?」

「ほう、よく分かったなジョン。君の言う通りこれは六つの魔力点によって形成された魔法陣――召喚陣だ」


 幽世の住人である悪魔達は自らの力だけで現界することは叶わず、いくら強大な力を持つ悪魔であっても、必ず闇の渦ゲートを通る必要がある。

 この際、ゲートを通る為には現世からの手引きが必要だという。

 よく知られている方法は『召喚の儀式』だ。

 古来より上位の悪魔は魔術師や魔女達の召喚に応じ、時には相応の代償と引き換えに召喚者の願いを叶え、時には使い勝手良く使役されてきた。

 つまり人間が悪魔を現世に呼び寄せるのだが、それには決まった手順が存在する。

 その一つが『召喚陣』だ。


「召喚陣……ということは魔人は新たな悪魔を呼び出そうとしている、ということですか? 既に悪魔に憑りつかれた者が、新たな悪魔を呼ぶことなんてあるんですか?」


 そもそも魔人とは、悪魔に憑りつかれた者達の事を指す。

 魔人は特殊な場合を除き、自ら悪魔を呼び出して己の願いを叶えようとした者達だ。

 つまり魔人と化す切掛けがあった時点で、他の悪魔を呼び出す理由など既に無いはずで、そこに私は疑問を抱いた。


「限られた数ではあるが、悪魔の中には他の悪魔を呼び出し使役する存在もいる。特に上位悪魔となればそれは別段珍しいことではない。しかしこの召喚陣はただの召喚陣ではなく、『転生陣』だ」

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