1-2/ファースト・ステップ - 3


「本当にすみませんでしたっ!」


 組み伏せられながらもなんとか俺の身分と事情を説明すると、それを聞いたミシェルは全身に電流が走ったかの様に俺から飛び退き、凄まじい勢いで敬礼をしていた。

 敬礼よりも手を差し伸べて欲しいものだが、まさか犯人と思って押し倒した相手が自身の同僚であり相棒となる人物とは、思いもよらなかったのだろう。

 立ち上がりながら顔を窺えば目線は四方八方に忙しなく動き、頬は糸で吊り上げているかの様に引きつっている。

 かなり動揺しているのが見て分かる。

 

「気にしなくていい。誰にでも間違いはあるし、アカデミーで散々やったと思うが、進入禁止の事件現場に現れた素性の分からない人間に対して不用意に話しかけるよりは、背後から銃を突き付けて牽制するか今みたいに組み伏せた方が有効的だ」


 状況を鑑みれば、彼女がやったことは決して間違いではない。

 何が起きるか分からない危険な現場では身の安全の確保が最優先であり、素性の知れない人物は即座に無力化すべきだ。

 フォローしてやると、思いのほか俺が怒っていないことを悟って安心したのか、ミシェルは顰めた眉を開いて胸をなで下ろした。


「ただ、もし次に同じ状況で一人だったのなら、背後から銃で牽制した方が良い。特に君の体格ではね」 


 そう付け加えながらミシェルを頭から爪先まで眺めて、改めて彼女のポテンシャルを目測する。

 一見すると、彼女の腕や腰や肩などは身体能力規定をクリアできる気がしないほど華奢で、身長に関しては一五〇センチ前半ぐらい。標準より小さめな体格だと分かる。

 一般男性の平均的体格の俺よりも大柄な男が相手なら、彼女の体格で押し倒すことは難しいだろう。

 むしろ先程の突進力をその華奢な体のどこに秘めているのか、全く不思議でならない。

 おまけに顔は全体的に丸めで小さく、短めに切り揃えられた金髪も相まってどことなくあどけなさまで残っている始末。


 正直、素性を知らなければティーンエイジャーと紹介されても信じてしまうかもしれない。


「気分を害したらすまないが、一つだけ聞かせてくれ。君、本当に二十代? 十代じゃなくて?」

「あはは……よく言われます。でもちゃんと四年制大学卒業してますから今年で二十五歳になります。あの、改めまして、ミシェル・レヴィンズといいます。先ほどは知らなかったとはいえ、押し倒してしまって本当にすみませんでした」

「ジョン・Eエルバ・オルブライトだ。こちらこそ、おかげで自分が如何に気が抜けていたのかを知ることが出来た。初対面から情けない姿を見せてしまったが、今日の経験を戒めに一層慎重に取り組ませてもらうことにするので、これからバディとしてよろしく頼むよ。ミシェル」

「はい! よろしくお願いしま……え、バディ? 私達、相棒バディなんですか?」

「その様子だと主任から聞いていないな……ちなみにここに来る前に主任――サイモンから連絡があったと思うんだが、何を聞いた」

「えっと、ジョージウー主任からは『現場で待ち伏せていてくれ』と……」


 ファッ○ン主任くたばれチーフ


 どうやら俺が押し倒されるところまで予想済み、というよりも謀られたらしい。完全に嵌められた。

 あの限りなく黒に近い灰色の脳細胞、もっとマシな事に使えないのだろうか。というか新人相手にこの悪戯は悪質すぎる。

 俺に対してならまだ笑える範囲――実際には笑えないし堪ったものではない――だが、もしも俺の到着が少し遅かったら本当に彼女がどうなっていたか分からない。

 それをフォローするのも、カバーするのも俺の役目なのだから、丸投げも大概にしてほしいものだ。


 段々腹が立ってきた。

 アドレナリンが大解放される寸前の脳内で主任のにやけ顔に何度も拳を叩き込んで昂ぶった感情を鎮めていると、その感情の揺れが表情に出ていたのか、ミシェルが怪訝そうな顔で覗き込んで来る。


「やっぱり、怒ってますか……?」

「ああ。でも君に対してではなく我等が主任の悪癖に対してだ。今後君も苦労するかもしれないから、主任には注意するといい」

「はあ……あの、ちなみにどんな注意をすればいいですか?」

「彼が持って来る事件についてはもちろんだけど、今回みたいに主任の言葉を一から十まで信用しないことだ。さもなくば――」


 先輩として早速『超常課の暗黙のルール』を伝授しようとして、しかし俺は言葉を詰まらせた。


 これまで以上に強い腐臭が鼻腔を突き刺したのだ。

 奴等の気配が強くなっている。


 一旦会話を切って警戒心をさらに強め、注意深く周囲を見渡す。

 暗闇を好む奴等にとって、この様な路地裏は絶対の領域だ。いつ何時襲われてもおかしくない。

 注意深くを探すさなか、突如小さな悲鳴が上がった。

 その出元に視線を向ければ隣のミシェルが酷く狼狽した、あるいは慄いた表情を浮かべている。


「あ、あれ……いったい何ですか……?」


 ミシェルは震える声を喉の奥から絞り出しながら、ある一点を指差した。

 どうやら、俺よりも彼女の方が先に兆しを見つけてしまった様だ。


 彼女が指し示したのは路地の中央、資料によるとそこは『被害者が磔にされていた場所』だった。

 人が没した場所というのは思念や霊子といったあちら側幽世のエネルギーが集まりやすく、またそれらは奴等の力の源となる。

 目を凝らして焦点を合わせていくと、ようやく彼女が何を見つけたのかを理解する。


 そこには暗闇が渦巻いていた。


 死海に漂う全てを深みへと飲み込む渦潮。

 大地を蹂躙し全てを破壊する竜巻。

 いずれも我々に恐怖を与える厄災の螺旋であり自然現象だが、同じ形容でも俺達の前に現れたその暗闇は、自然現象の類ではない。


 それはゲート――奴等が幽世から現世に侵入する為の入口であり、何かの意図によって生じたものだ。


 そして渦巻く暗闇の赦しを得た奴等は、遂にその姿を現す。

 現れたのは、一見すると人型。しかし頭には毛髪の代わりに子山羊の様な小さな角、尻にはハツカネズミの様に細長い尾を生やし、その全身は全て赤黒く染まっている。

 細長い手脚の先には猛禽類の如く鋭い血色の鉤爪、背中には蝙蝠の翼を備え、顔には目や口や鼻や耳などその全てが無い。およそ人間ではないと、誰もが理解出来る姿だ。

 気付けば先程よりも酷い腐臭が辺りに充満していた。

 現れた濃血色の人型は全部で三体。それらが目に入った瞬間、俺の背筋には謂われえぬ怖気が駆け抜ける。


 この感覚の正体を俺はよく知っている。

 全ての生物が抱き、そして耐え難い『死への恐怖』である。


 奴等は幽世の存在故に本来ならば目に見える形は無く、匂いも気配も持たないが、現界すればその限りではない。

 一度でもその不気味な姿を目にすれば、奴等が如何にして俺達を害し、犯し、支配し、凌辱し、そして死をもたらすのかを俺達は直感するだろう。

 理屈ではなく生物としての本能がそうさせるのだ。

 しかし俺は奴等の正体をよく知っているし、遭遇するのも一度や二度ではない。対処の仕方も知っている。

 まずこの恐怖に耐えて、息を潜めることが第一歩ファースト・ステップだ。


 だが、隣で全身を震わせる新人にそれが出来るはずはない。

 おそらくこれが奴等――『悪魔』との初遭遇のはずだろうから。


「ひっ」


 良く通る女の短い悲鳴が、路地裏に響き渡る。

 案の定、ミシェルも私と同じ恐怖を体感し、それに耐えきれなかったのだ。

 当然その悲鳴を聞き逃す奴等ではない。

 現界してからそれまで辺りを物色していた悪魔達は一斉に動きを止め、次の瞬間には首の骨と骨がぶつかる鈍い音を立てながら、三つの顔無き顔を俺達の方へ向けていた。

 おめでとう。これで俺達は獲物認定された。

 ミシェルは悪魔に襲われるという貴重な体験を味わうことが出来る。

 配属初日にしてなんと幸運なことだろうか。


 そして、彼女は思い知るだろう。

 俺達は超常犯罪課が扱う事件に対して常に最大の警戒心を保ち、命懸けで取り組まなければならないことを。


 例え本人に悪気が無くとも、我等が主任の言葉を鵜呑みにすることは危険であり、その発言に対して全幅の信頼を寄せてはならないことを。

 それらを決して忘れてはならないことを。


 さもなくば――。


「俺達は命を落とすだろう」


 中断した会話を思い出してそう忠告してやると、ミシェルはブルーマンにも負けない程顔色を真っ青に染め上げ、目元には溢れんばかりの涙粒を浮かべていた。

 泣かせる気は微塵もなかったのだが、よくよく考えれば彼女にとっては何が起こっているのか全く分からないうえ、今の発言はこの状況が絶体絶命であり命運尽きてしまったと捉えられてもおかしくない。


 だが、実際は違う。


 そもそも俺は諦めたわけでもなければ、彼女を死なせるつもりなど毛頭ない。

なぜなら俺は奴等の対処方法を知っているからだ。

 心配ないことを話してミシェルを安心させてやろう――と思い至ったが、彼女には初対面でとても不甲斐ない姿を見せてしまっていることをふと思い出した。思い出してしまった。

 名誉挽回ではないが、ここは先輩らしく少々格好つけてみようか。映画の引用など良いかもしれない。

 悪魔達は段々と距離を詰めて来ているが、それぐらいの余裕はある。


 俺は腰のホルスターから自動式拳銃グロックを取り出し、その銃口を悪魔達に向けながら、直前の台詞に付け加える様に言葉を紡いだ。


「――


 それは俺の意志にして決意、そして覚悟だ。

 動揺しているミシェルにその言葉の意味がちゃんと伝わっているかは分からないし、もし彼女から真意を問われていたとしても、俺はそれに答えることも彼女の問いを聞き返すことも出来ない。


 なぜなら既に撃鉄は倒され、俺の耳に届いたのは甲高い鉄の絶叫だけだからだ。

 

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