1-2/ファースト・ステップ - 2


 調査資料の内容と主任から受けた概要説明から『魔女狩り』について分かった情報は、全部で七つ。


 一、焼死体は全部で六体。

 二、被害者は全員十代から二十代の若い女性。

 三、被害者は全員十字架に見立てた木材に磔にされていた。

 四、被害者全員の身元は一切不明。

 五、犯行日時は全て同じ一昨日の午前二時頃。

 六、発見場所はサウスLAを中心に半径一〇キロメートルの範囲、それぞれ全く別の場所。

 七、それぞれの現場から物的証拠や犯人の痕跡は一切発見されていない。


 これらの情報から理解できたことは、この犯行にはいくつかの共通点があるということだ。

 これについては明白であり、被害者が全員女性であること、犯行現場がサウスLA付近であること、そして全員が磔にされた焼死体で発見されたことの三つだ。

 これらは例えば、宗教的儀式において各所作の手順を踏む如く、ある目的の為に定められたルールに従って犯行を行った結果なのだと予想出来る。

 法則やその根幹については不明だが、恐らくここまでは行動分析課でも分かった内容だろう。


 しかし、それ以外は分かっていない。だからこそ超常事件と判断されたのだ。


 今回の事件は六か所で全く同じ時間に同じ事件が起きたわけだが、いずれも犯人の痕跡は一切残っていない。

 そのうえ、今回の事件は女性を運ぶ人間とあれだけの準備を短時間で行う人間の、最低でも一か所に二人の人員が必要だ。

 つまり犯行には、計十二人以上が関わっていることになる。

 犯行場所と実行犯の数からして『痕跡が残らない』という状況になることは、まずあり得ない。

 たとえリーダーから完璧な隠蔽行動の指示を下されたとしても、それだけの人数が全員完璧に指示をこなせるはずはないからだ。常人の仕業だとすれば必ずどこかでぼろが出る。


 、現状況を実現することなど出来ないのだ。

 それはおよそ常識的ではない。


 そして、十字架に磔にされて焼殺された被害者女性達の姿――この事件が『魔女狩り』と称された理由が納得できるほど、それは紛れもなく『火あぶりの刑』を再現していた。

 被害者達は恐らく生きたまま火炙りにされたのだろう、黒炭色になってもその顔には苦悶の表情が窺える。

 写真越しからでも、彼女達の悲痛な叫びが聞こえてくる様だった。

 これらの異常さが現段階で超常事件と判断された理由だ。


 さて、被害者は全員黒炭色になるまで炙り焼きされ、指紋を含めた全身の皮膚が落ちてしまったため、個人識別には時間が掛かる。

 つまり被害者からの情報は、しばらくあてに出来ない。

 だがこの事件が超常課の管轄となった以上、悠長にそれを待っている余裕はない。

 現場を見ないことには何とも言えないが、状況によっては早急に解決しなければ、取返しのつかない事になるかもしれないからだ。

 それこそ、今現在たった一人で現場に向かっているという新人の身すら危うい。

「犯人は現場に戻る」とかいう常套句などは関係なく、超常事件は発生した後にこそ、人に害を及ぼすからだ。厄介この上ない。


「心配だ……」


 新人の安否が気になりすぎた俺の口から、無意識に呟きが零れた。






 赤信号の度に調査資料を素早く読み、事件情報を把握してほどなくした頃、六か所の事件現場の一つでありサウスLA南東に位置する路地に到着した。

 車両を降りて現場がある路地裏への入口を探していると、進入禁止のガードが設置された横道と、そのすぐ側でキャップを目深に被る一人の警官が立っているのを見つける。

 念のため警官に連邦捜査局のバッジを見せると、特に言葉もなく敬礼を返された。

 少し違和感があったものの既に話が通っているものと納得し、そのまま警官の横を通って路地裏に進入する。


 ――瞬間、自分の身体に何かが纏わりつく不快感を覚えた。


 まるで張り巡らされた蜘蛛の巣に顔からぶつかり粘着質な糸が顔面に貼りつく様な、とても煩わしい感覚だ。

 この感覚にはとても憶えがある。どうやらこの事件は超常事件で間違いないらしい。

 そしてその結論に至った俺の第六感は、即座に二つの警告を発した。


 一つは「今すぐこの場から逃げろ」というものだ。

 この現場には危険な存在がいる可能性が非常に高く、その確信にも近い予感が俺の防衛本能に引っ掛かっていた。

 二つめは「早く現場に行け」というもの。

 一つめと全く真逆の警告だが、これはこの場における俺ではない誰か、つまり例の新人の身の危険をこの場の雰囲気から実感した故だ。


 俺の安全か、新人の安全か――もはや天秤に掛ける猶予もない。

 俺は半秒だけ葛藤し、結果的には後者を選んだ。


 右に二回、左に三回、そして右に二回と迷路を進むように路地裏を淡々と歩み進めると、間もなくして少し拓けた場所、事件現場に辿り着いた。

 資料に掲載された写真と見比べて改めて場所の確認をする。

 しかし視覚で認識するよりも先に、俺の知覚はその場所が目的の場所に間違いないことを肌で感じ取る。

 閃光の様に一瞬ではあったが、この空間に進入したその瞬間、ぞわり、ぞわりと、多足類が腕や足を這う様な身の毛のよだつ寒気が全身を駆け巡ったのだ。

 俺の第六感が過敏になったのはつい最近の為、この感覚に慣れていない俺は思わず足を止めて息を呑む。

 ここに来て表面化した恐怖が、俺にこれ以上事件に関わることを無意識に拒絶させているのだろう。


 張り詰めた緊張は周囲の音をかき消す錯覚を生み、それが孤独と不安を私の脳と心に満ちる。

 額や手にはじっとりと脂汗を感じ、気付けば段々と呼吸も早くなっている。

 俺の緊張は絶頂に至りつつあった。


『どうした背の君よ。怖気づいたか?』


 突如、今まで沈黙を貫いていた空想の隣人アネットの鈴の音の声が背後から響き、その拍子に思わず俺は小さく飛び上がる。

 そうだ――今の俺は、のだった。

 そう思うと、孤独感は無くなった。

 しかし不意に声を掛けられるのは、小心者の俺にとって心臓に悪い。


「びっくりした……突然声を掛けるなよ」

『声を掛けず如何にして話をしろと? 読唇術か読心術でも試してみるか? それよりも怖気づいている暇など露も無いのではないか?』

「言われなくても分かっているよ」


 悪態を吐きつつも俺はアネットの気遣いに内心で感謝し、目を閉じて深く息を吐く。

 さらに頭を振って恐怖心を拭うと、俺はゆっくり目を開いて全知覚による現場分析を始めた。


 鑑識と捜査課による現場調査は既に終わっているので、死体はもちろん、十字架に見立てられた木材などは既に回収され残っていない。

 視認出来るものは地面にこびり着いた僅かな焦げ跡だけ、おそらく飛んだ火の粉が残したものだろう。

 しかし事件発生から一日以上経っているというのに、その黒い跡からは香ばしい匂いが漂ってきそうだ。


 ――いや、実際に俺は匂いを感じていた。


 だがそれは焦げ跡からではなく、この辺り一帯からだ。

 そしてその匂いは、肉を焼き過ぎた後に漂う様な香ばしい匂いではなく、まるで下水からくみ上げた汚泥をたっぷり染み込ませて三日以上放置した布が発する様な、とても耐え難い悪臭だった。


 間違いなく『奴等』がいる。


 俺は警戒心を強め、前方に意識を集中しながら背後で漂うアネットに注意を促す。


「アネット、俺の背後で何か見つけたら言ってくれ。こんな拓けた場所でアンブッシュされちゃ防ぐ手立てがない」

『あー……それなのだがな背の君よ、すまん。もう間に合わん。まぁなんとかなるだろう』

「は? どういう意――」


「どういう意味だそれは」と言い切る前に、俺の背中に質量のある何かが激突した――。


 背中にぶつかって来たそれは決して固い物では無かったため、接触による痛みは大したものではない。

 しかし不意過ぎてその勢いを殺せず、俺は物理法則に従って冷たい地面へと前のめりに倒れ伏した。

 まずい、既に実体を持ったやつが潜んでいたのか。

 鋭利なもので襲われなかったことが不幸中の幸いだが、相手も見えず即座に反撃もできないこの状況は非常にまずい。

 上体を起こして立ち上がろうとするが、ぶつかって来た何かはそのままうつ伏せの俺の背中に乗り、おそらく膝で体重を掛けて俺の上半身を地面に押さえつける。

 同時に俺の右腕を素早く背中に回して、肘関節を稼働限界ぎりぎりまで引っ張って固定した。

 しまった、完全に身動きを封じられてしまった。詰みだ。


 ――しかしこの時、不思議にも俺は先程よりも自分の緊張が和らいでいた。


 理由はすぐに分かった。相手のこの行動に違和感を覚えたからだ。

 というか、ものすごく憶えがある動きなのだ。

 相手の背後にチャージして地面に押し倒し、片腕の関節を極めて動きを封じるこの一連の動き、それが俺達捜査官や警察官が必修する『組み伏せ』と完全に同じなのである。

 アカデミー時代に散々仕込まれる技であり、何度もこうやって地面に組み伏せられた。

 間違えるはずはない。つまり相手は人間、しかも同僚の可能性が高い。

 そしてこの現場に現れる可能性がある一人の人物が、俺の頭に浮かんだ。


「おごっ……ちょ、ちょっと待――」

「動かないでください、連邦捜査局です! やはり現れましたねこの異常者! 殺人者! 犯罪者!『犯人は必ず現場に戻る』という格言に倣ってじっと待ち伏せしていた甲斐がありました。さぁ、観念して大人しくお縄に頂戴されてください!」


 叫びに近いその宣言は若い女性のもの、しかも女性は連邦捜査局と名乗った。確定だ。

 だが念の為の、万が一の為の確認は必要だろう。

 俺は主任から聞いていた名前を記憶から引き出し、はっきりと口にした。


「――ミシェル・レヴィンズ?」

「え!? ど、どうして私の名前を!?」


 ――期待の新人だな。


 空想の隣人が、そう嗤った気がした。


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