デモニック・ジョン ‐LA魔人犯罪捜査録‐

天野維人

『プロローグ』

LAにようこそ


 ごきげんよう諸君。

 私の名前はマルコム・バレンタイン。

 合衆国ステイツが誇る世界都市LA在住の魔術師であり、この物語の一役者、そして始まりの一節プロローグの語り部を任されたものだ。


 早速だが、君達は『LA』という名前を聞いて何を連想するだろうか。


 名だたる映画作品や、それに付随する無数の娯楽を生み出したハリウッドが最も印象的だろうか。

 ウォルトの愛した鼠達の王国や、サンタモニカの埠頭、グリフィスが贈った天文台、その他様々な名所も思い付くことだろう。


 二十一世紀現在においても、君達はこの街について「娯楽に溢れた愉快で楽しい街」という印象を相も変わらず抱いているかもしれない。


 しかし、私がこの街に抱く印象はそれらとは少々異なるものだ。

 たしかにこの街は数多の娯楽で溢れ、それを生み出す者と消費する者で満たされている。


 だがそれは、LAの一側面であり外側から見た印象に過ぎない。

 きっとこの街の内側を知った君達は、善良だと思っていた人間の悪辣な本性を目の当たりにしたうえで、後頭部を金槌で思いっ切り殴られた時のように、相当に酷いショックを受けることだろう。


 では、LAという街について私がどの様な印象を抱いているか。

 その実態が一体何なのか――。


 これらを述べる前に、この物語の要となる者にも意見を聞いてみようと思う。


「唐突ですまないが、ジョン。 君はLAについてどの様な印象を持っているかな?」

「呆れるくらい唐突ですね! なんですかこんな時に!?」


 当たりも障りも祟りもないはずの私の質問に対し、ジョンはまるで苦虫を噛み潰したような酷い顔を向けて来た。


 彼の名前はジョン・Eエルバ・オルブライト。

 この物語の主役の一人であり、この先の語り部を担う者だ。


 彫りの深い端整な顔立ちを除けば、アメリカ人の標準的な体格と金色の短髪というどこにでもいる白人の男である。

 安価なシングル・モルトよりも冴えない男だが、その生き様は愉快と思える程度にはロックなイカしているので、味わい深いと言えるかもしれない。


 そんな彼が不満を露わにしている理由だが、きっと我々が今現在訪れているこの路地裏の空気が、墓場にも似て陰湿なせいに違いない。


「いやなに。なんてことはないただのインタビューさ。君も大衆の様に『娯楽に溢れた愉快で楽しい街』だと思っているのかなと」

「愉快で楽しい……?」


 ジョンは深いため息をつく。彼の癖の一つだ。


「以前は俺もそう思っていましたよ。映画好きですし。ええ、ある意味愉快な街なんでしょうね……でも俺はこの街、最低最悪だと言わざるを得ませんね」

『吾は割と好きだぞ? この街』


 虚空を見つめて嘆くジョンに反論するかの様に、彼の隣に立つ女性――アネットは楽しそうに言い切った。


 冴えないジョンに対を成すかの如く、アネットの容姿は筆舌に尽くしがたい。

 黄金色の瞳と漆黒の長髪、そして華奢ながら豊満な肢体を持ち、まるで黒真珠の様に麗しい。

 だが、その中身はおよそ醜悪にして獰猛、そして古典的だ。


 アネットは獲物を見つけた肉食獣の如く白桃色の下唇に舌先を這わせ、憂鬱そうに頭を振るジョンに寄り添い指先でその頬をそっと撫でる。

 その振る舞いに対してジョンは心底面倒そうに眉をひそめ、手で軽くあしらう。

 彼女に付き纏われている彼のことは気の毒に思うほかないが、彼女が居なければジョンは今以上に無価値な者となっていただろう。


 それ程にアネットは彼にとって、いてはこの物語にとっても重要な存在であると断言できる。


「この世の大半が好みの範疇にあるお前と違って、こちとら器が小さいものでね。まぁ、そうじゃなくても大抵の人間は、この街の実態を知れば嫌な顔を浮かべるさ」

「ジョン。何故そう思い至ったのか聞いても?」

「それ、この状況が分かっていて聞くんですか」

『寧ろこの状況だからであろう、背の君ジョンよ。吾らは今まさにこの街のを目の当たりにしている。そうであろう、バレンタイン殿?』

「その通りだとも。なにか問題があるのかな?」


 私が疑問を呈した瞬間、ジョンはこめかみにくっきりと青筋を浮かべ、必死の形相で激昂した。


「問題大ありですよ! 見れば分かるだろ! だよ!」


 その通り。

 暗き路地奥の拓けた場所で背中合わせに立つ私達は、竹を打ち鳴らした様な笑声を上げる闇の眷属達――『悪魔』に包囲されているのだ。


 頭から尾の先まで全身を闇色に染め上げ、細長い手脚の先には猛禽類の様な黒色の鋭い鉤爪、そして背中には蝙蝠の翼を生やした顔無しの人型の群れが、私達の前後の道を塞ぐ様に隊列を成していた。

 それらは地獄の大公爵が率いる苛烈な軍団の一兵卒達、眷属にして最下級悪魔の一種だ。

 彼等は私の知識にすら確かな名称がないほどに矮小な存在だが、両手に備えた鷹の様な鋭い爪からして、物理的に人間を害する程度の力なら持ち合わせていると容易に判断できる。

 それでも、彼等はさして脅威ではない。


 問題はだ。


『我、地獄ノ四十軍団長が一騎! 我等ガ大公爵の御名ニおいテ、貴様等人間共ヲ蹂躙すルもの也!』


 群れ成す悪魔達の後方、暗闇から大地を激震させて顕現した問題のそれは、しわがれた極低音の声で自らを誇示した。


 全長五メートルを優に超える頑強な巨軀、背中に竜翼と頭に捻れた二本の角を生やしている。

 全身には岩壁の様な鱗、そして両手には禍々しい形状の石斧を携えたそれは、歪な人型――。


古き悪霊デーモンである。


「おまけにあんなバケモノまで……クソッ! やるしかないか……!」


 ジョンは懐から拳銃を取り出し、それを最前列の悪魔達に向け、躊躇なく引鉄を三度引いた。


 耳を劈く発砲音を響かせて射出された三発の弾丸は、見事三体の悪魔の頭部にそれぞれ一発ずつ命中し、倒れ伏したそれらはたちまち灰塵と化して闇に消えていく。

 素晴らしい射撃技術に思わず声を上げて称賛しそうになるが、そもそも悪魔には「物理的な死」という概念が存在せず、また最下級悪魔に至っては個という概念が存在しない。


 よって暗闇からは同じ個体が減った分だけ這い出て、隊列に加わるだけだった。


「チッ、これじゃキリがないな……」

『背の君よ。吾のことは如何様に使っても良いのだぞ。手でも足でも口でも、なんなら眼でも髪でも良い』

「断る。昇天してあの世にバカンス、なんて御免だからな」

『む……相変わらずつれないな背の君は』


 まるで寝室へのエスコートを促すかの様に彼の太腿に指先を這わせ、自らの助力をしつこく提案するアネット。だがジョンはここで果てるつもりはないらしい。

 私としても彼にはまだ聞くべき事があるので、今彼に逝かれては困る。


 さて、彼の気が変わらないうちに聞いておくことにしよう。


「ジョン。ちなみにこれまでどの様な時にLAが『最悪だ』と思ったのか教えてもらってもいいかな?」

「その話まだ続けるんですか!? 後で満足するまでいくらでも答えてあげますから、今はこの状況をどうにかしてくれないですかねぇマルコムさん!」

「ふむ……好かろう。それでは頑なにアネット君から力を借りようとしない君の代わりに、さながら悪魔の契約の如き手順を踏み、奴等を『あちら側』へと還してやろう。尤も、対価がインタビューの回答だけというのは些か釣り合いが取れないというものだが――」

「ああもう! 仕事が終わったらウェストビーチで朝食奢ってあげますから!」

「はははは。君も契約の何たるかが分かってきた様ではないか!」


 我慢出来ず笑い声を上げてしまった。

 酷く狼狽する彼の姿が滑稽だからではない。


 状況は決して良いとは言えない。

 断つというよりは潰す方が得意そうなあの無骨な石斧で真上から叩かれてしまえば、私達は即座に地面の染みにされてしまうだろう。

 それでも、極めて典型的な悪霊デーモンの姿に思わず笑いが込み上げて来てしまうのだ。


 良い――実に良い。これこそ私が求めるだ。


 古き悪霊は獣牙を並べる口を大きく開いて耳を劈く咆哮を轟かせ、手にした斧を掲げながら眷属達に号令をかける。

 やる気は十分の様だ。


 私は空間転移陣ゲートを展開し、その奥から真鍮の装飾を施した散弾銃を取り出して、銃口を悪魔達と悪霊に向ける。


「しかしこれ程の悪魔とこうも容易く出会えるのだから、全くこの街は愉快だと思わないかね?」

「ハハ、ホント愉快ですねぇ! 本当にどうなっているんですかこの街は!」


 狼狽しながらも皮肉を忘れないジョンの勤勉さには感心するが、彼の悲鳴に答える暇はない。

「悪霊が何発の魔弾で膝を折るのか」を試さなくてはならないのだから。


 私は引鉄を引きながら腹の底に溜め込んでいた喜びの感情を爆発させ、銃声と笑声を轟かせた。

 一発、二発、そして三発――たった数センチ指先を動かすだけで術式を埋め込んだ真鍮の散弾が次々と悪魔達と悪霊の体に捻じ込まれ、その度に彼等は怒り混じりの悲鳴を上げる。

 古き悪霊は頑強な身体ゆえ数発程度ではものともしないだろうが、下級悪魔達は許容範囲を超えた魔力の衝突によって現界を維持できず、次々と溶けて地面の染みと化していく。


 上々だ。愉し過ぎて更に笑いが込み上げてくる。


「アッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 撃鉄を倒すたびに轟く散弾銃の絶叫、自らの薄幸を嘆く男の悲鳴、怒れる悪霊の咆哮、そして私の笑声。

 これらが混ざり喧騒は頂点に達していた。

 黒人産ジャムセッションも吃驚の四重奏を人と悪魔で奏でる。それがこの街の日常だ。

 これ以上愉快な街はこの『LA』以外に存在し得無いだろう。


――ああなんという、なんという心地良い街なのだろうか。


「そういえば、私がこの街に持つ印象を答えていなかったので、この辺りで答えておこう。君に聞いて私は答えないというのは、公平さに欠くというものだろう?」

「なにが公平なのか分かりませんが、言いたければどうぞ! 俺は全然興味ないですけどね! っていうか聞いてる暇ないです!」

「よろしい。では答えよう」


 私は弾丸を装填し、再び銃を構える。


「私はこのLAについて『悪魔に溢れた愉快で楽しい街』という印象を抱いている」


 散弾を放ち、再生を始めていた悪魔の膝を再度折る。

 弾け飛ぶ肉と砕ける骨のアンサンブルが心地よい。


「私にとって悪魔とは収集すべき知識だ」


 それらを自らの脳に記録し、麗しき過去とすることは至上の悦びに等しいからだ。


「知識の収集は私に課せられた義務であり、運命であり、存在意義でもある」


 そしてこの街には、その意義を叶えるのに御誂え向きな悪魔達が溢れ腐っている。

 契約に基づき人間の欲望に手を貸す悪魔

 己が本能に従い人を蔑めるもの。

 企みを胸に人に紛れて暮らす人くずれ。

 世界をただ傍観している神くずれ。

 そのいずれもが私の収集すべき知識達なのだ。


「実に愉快で堪らない」


 さぁ、今宵もこのLAに感謝し、そして謳おう。


「ようこそ矮小な悪魔達! そして古き悪霊よ! 現界して早々申し訳ないが貴様等には滅亡してもらう! 我が知識レメゲトンの一頁とする為に!」

「ファッ○ンLA!!」


 高らかに歌う私と、罵声を飛ばすジョンが同時に引鉄を引き、私たちが放った魔弾が悪魔たちを葬り去っていく。




 改めて――『Lost Angels天使が消えた街』にようこそ、諸君。


 ここは神に見放された街。人間と悪魔が踊る愉快な街。


 そしてこれより語られるのは、生を願った悪魔と死を諦めた人間の物語である。


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