ガーデンインユー
青嶺トウコ
1
蝉の
猫足の白いガーデンテーブルにコップを並べ、
先刻籐籠にあつめたハーブの葉を、祖母が丁寧にもいでいく。硝子製の透明なポットに葉を詰め湯を注ぐと、鮮やかな黄緑のオーロラが水中に現れた。テーブルにエメラルドの光が踊り、すっとした香りがあたりに広がる。
カップに注がれる、うつくしい色の液体。由布実は胸を高鳴らせ手に取り口をつけた。——けれど。その味は正直ただの草味で。苦くて水っぽくておいしくない。昨日も一昨日もその前もそうだった。ハーブの種類や割合を変えても、いつもいつも同じ味だ。
隣のアイと渋い顔を合わせた由布実は、宙ぶらりんの足をばたつかせた。
「おばあちゃん、にがい。おいしくない」
こんがりと焼けたクッキーを皿に取り分けていた祖母が、顔を上げて微笑んだ。
「あら。なら、五月にいらっしゃい。五月のハーブはね、やわらかくてあまくて、きっとおいしいわ」
「ごがつは、おとうさんがいかせてくれないもん」
頰を膨らませると、祖母に頭をなでられる。髪から頰にうつる手。ひやりとした薄い肌、さらりとした手のひら。骨ばった指先からハーブの香りがする。
「夏のお茶にも少しずつなれるわ。おいしく感じるようになったら、教えてちょうだいね」
祖母はそういったけれど。
(でも、毎回おいしくなくて、結局そのままで)
まどろみの思考をぶった切ったのは車内アナウンス。最寄駅の名に飛び起きる。引き上げられる意識、強制的な起動。動揺する心臓に突き動かされ、リュックサックを背負い立ち上がる。寝起きの頭が鈍く痛み、たちくらむ。心身が現実に馴染むのに数呼吸を要した。
がたん、ごとん、と。閑散とした車内に響くのは間延びした走行音。電車が止まる様子はない。
向かいの座席の老紳士とちらと目が合い、頰が火照る。由布実はそそくさとドア横に移動して、外の景色に目を向けた。
明るい緑をまとった山々。斜面を埋めるように存在する棚田には、まだ水がはられていない。剥き出しの土の色、道路を駆け抜ける軽トラックの白、木にからげる山藤の紫。ひとつひとつの色が目にとまり、ゆっくりと後方に流れていく。
人家がぽつぽつと見えたかと思うと、遠目に古びた小学校舎がのぞく。あらわれたのは建物ひしめく小さな盆地だ。見覚えある風景を横目に、電車は短い車体をホームへと滑らせていく。腕時計が指し示す時刻は九時十三分。始発に乗っておおよそ四時間の道のりだった。
開閉ボタンを押すとスムーズさを欠いた動きでドアがひらく。
誰一人いないホームに降り立ったとたん、ぶわりと風に包まれた。
あたたかい、つめたい——まぶしい。山の風が本能に近い部分を刺激する。身体が拡張するような感覚ともに、髪と頭皮の接着点、指先までめぐる血管、身体の芯と輪郭、自分と外界の境目までをも鮮明に意識する。醒める。冴える。空があかるい色をしているのがわかる。からりとした清涼な空気。これがこの土地の五月。夏のはじまり。ああ、と息がもれた。
「ユウちゃん」
線路を挟んだ向こう、駅舎側のホームから名前を呼ばれる。頭に直接響く声。笑っているのはわかるのに、顔がわからない。視認しても脳に届く前にぼやけてしまう、彼女はそんな存在だった。
名前を、呼ぶ。
「アイ」
「おかえり、ユウちゃん。まってたよ」
麦わら帽子に白いノースリーブのワンピース。祖母が由布実にあつらえたものとおそろいの、その姿は夏の少女そのもの。彼女と会っていた八月には違和感などなかったが、今はまだ肩を出すには早い季節だ。肌寒くないのだろうか。寒くないのか、とひとり納得する。
由布実は彼女のことを知らない。知っているのはただひとつ。彼女が人ではないことだけ。
五月一日。由布実は五年ぶりに「かみさま」と相対している。
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