プロローグB:オリマ・ヒカル

 《竜の落とし物》と別れたロアレイクの騎士団は、それからさらに半日ほど進み、日が沈んだあたりで紅蓮竜コーザリウルが棲家としている廃城へとたどり着いた。

 いよいよこれから紅蓮竜との対峙の時である。

 それぞれがそれぞれの準備を整え、騎士たちは廃城を奥へとを進む。

 しかしその中にあって、レアラには一つまったく別の疑問が浮かんでいた。


「……ところで、あのイフネという騎士、いつから騎士団にいただろうか?」

「えっ、団長が招集した騎士ではないですか?」

「いや、私もそう思っていたのだが……、よくよく考えてみればまったく覚えがなくてな。あの時、ふと思い浮かんだのでつい《竜の落とし物》の護衛を任せたのだが……」 

「名前は知っていたのですから、きっと忘れているだけですよ。最近は戦も多く、団員の入れ替わりも激しかったですし」

「……そうだな。だからこそ、今回の《竜鎮征》はなんとしても成功させねばならん」

 

 そんな会話を交わしながら、騎士団はいよいよ竜の寝床である広間へと突入する。

 だが、そこに足を踏み入れた瞬間から、彼らはその空間がどこか様子がおかしい事に気がついた。

 この時間ならコーザリウルは既に眠っているはずであり、気配がないのはわかる。

 だか、それにしても静か過ぎる。

 竜種は吐息ブレスを吐くというその性質上、眠っているときにも大きないびきをかき続けるものなのだ。

 それがわかっているからこそ、レアラもコーザリウルの隙を突き、これまでの《竜鎮征》を安全を確保することができたという経験があった。

 だが今は、あの空気を震わすような轟音がどこからも聞こえない。

 しかし、あの巨大な紅蓮竜が蠢いているような気配もない。

 廃城は本当に死せる城に戻ったかのようである。

 だが、奴がここに戻ったのは確認済みだ。あの《竜の落とし物》の少年が何よりの証拠だろう。

 なにが起こっているのかわからないまま、警戒を強め、騎士たちは慎重に広間を進んでいく。

 彼らの足音と微かな金属鎧の音だけが広間に響く。

 ピチャリ。

 不意に、足元で水のようなものを踏み、跳ねた。

 足が止まる。

 そして彼らは見た。

 その赤い液体は、広間の奥に横たわる小山のごとき赤い塊から彼らの足元まで流れてきているのを。

 その小山こそが、あの強大なる紅蓮竜の死骸であることを。

 

「な、何事だ、これは……」


 先頭に立つレアラが、そんな声を漏らしてしまった。

 なにしろ彼らはこの竜と戦うためにここまでやってきたのである。

 竜とは、精鋭の騎士団が束になり、大きな犠牲を払ってようやく退けることが可能となるほどの存在だったのだ。

《竜鎮征》にしても、倒すまでは至らず、傷を負わせることでそれが癒えるまで竜の活動を制限するのが目的であった。

 だが目の前で、その竜が死んでいる。

 そんなことがあり得るだろうか。

 レアラはざわめく部下たちを諌めようとしながらも、自らもまた、動揺を抑えきれなかった。

 あの、自分が子供の頃から世界の脅威として存在し続けてきた紅蓮竜コーザリウルが死んでいるのだ。

 自分が騎士団に入ったのも、全ては、この紅蓮竜から祖国を守るためだった。

 そして実際に、これまで幾度となくこうして竜の巣穴を攻め、奇襲によって大きな傷を負わせることでその勢力の拡大を抑えることに成功していたのだ。

 しかし、その紅蓮竜諸悪の根源

 これまで騎士団が多くの犠牲を払いながらも倒すことの叶わなかったあの赤く巨大な害悪が、目の前で死骸と化している。


「あ、その格好、もしかしてこの世界の現地の方? 結構な重装備だけどさ、あなたたちはこいつより強いの? 私を退屈させずに相手をしてくれたりする?」


 戸惑うレアラたちの上から突如そんな声が降ってきた。

 見上げると、動かなくなった竜の胴の上にひとつの影が腰掛けていることに気付く。

 声の主はそこから騎士団を見下ろしていたのだ。

 しかもその影や声は、明らかに、若き女性、それも少女のものである。

 まさか、この少女がコーザリウルを……?

 そのことを想像し、レアラは自分の人生そのものが信じられないものになってしまったような錯覚に苛まれる。

 そんなレアラの苦悩など知ったことではないというかのように、影は竜だったものの上から跳躍し、レアラたちの前へと降り立った。

 それはやはり一人の少女だ。

 薄暗くてハッキリとはわからないが、見た目は小さく華奢で、無邪気な笑顔と相成って、今の状況とあまりにも場違いなものに思えてしまう。

 だがそれと同時に、その姿は明らかにただならぬ雰囲気を、竜を殺したのは彼女であると確信させるような殺気のようなものを纏っており、それがレアラに重圧となって伸し掛かってくる。

 間違いなくこの少女は危険だ。

 あらためて、レアラは彼女がどういった存在であるかを確認しようとする。

 奇妙な薄い青色をした服に身を包み、右手には、先端に薄く丸い金属の板のようなものをつけた巨大な白く長い棒を担いでいる。

 あまりに奇抜な服ではあるが、レアラはそれを何処かで見たことがあった。

 そうだ、あの《竜の落とし物》の少年、

 女性用らしくズボンではなくスカートであるが、特徴的な色形、そして胸の紋章などから見てほぼ同一のデザインのものと考えて間違いあるまい。

 ではこの少女も、あの少年と同じく竜が運んできた他の国の者なのだろうか。

 心なしか、その顔つきもオリマ・ヒカルに似ているように思える。


「その服……君は、オリマ・ヒカルという少年を知っているかね?」


 目の前の相手が紅蓮竜を殺したかどうかについて深く考える巡らす前に、レアラはまずそのことを尋ねていた。

 不用意に竜について質問をして彼女を刺激すればなにが起こるかわからない。

 この竜に怯え続けた騎士団長には、そんな恐怖心があった。


「……あなた、なんで私の名前を知ってるの?」

「えっ?」


 返ってきた意外な答えに、レアラは思わず言葉を失う。

 この少女が、オリマ・ヒカル?

 では、草原に倒れていた彼は?

 そもそも、この二人の関係は?

 しかしレアラには、その答えについて考える時間は残されていなかった。

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