第八話 対面

「………」


 夫の部屋に初めて連れられてきたものの、ノックをしても返事はない。

 ローズはため息しかでなかった。嫁いできて、時間は過ぎていくばかりではある。ただ暮らしの不自由はない。人と会わないですむし、好きなだけ研究の本は読める。しかし、王族としてはまったく役目を果たせていないとは感じていた。

 そもそも夫に会ったことがない。姿は見ていない。声を聞いたこともない。

 実はローズは一度、この理不尽な出来事に対して、不意に怒りがこみ上げたこともあった。そのときは憂さ晴らしに、ベッドにあった枕を床に投げつけてやった。物に当たるのは悪いことだとはわかっていたが、やり場のない感情が爆発したのである。

 ローズは魔術を発動させれば、何かしら騒動が起きるとわかっていた。

 この屋敷には何か仕掛けがあるような気がしている。あくまで気がしているという程度なのだが。だから、むやみに魔術を発動したくないというのが本音だ。長年の経験からわかるこの嫌な感じ。直感とは案外当たるものである。

 怒りにまかせて、魔術を使って扉をこじ開けて会いにいき、文句を言ってやろうかということを一瞬考えてはみたが、結局出来ずにいた。


 「ルボワ、アルフレッド様は起きていらっしゃるの? 」


 「そうですね、先ほど朝ご飯を食べましたから。二度寝をされているのではないかと」


 「二度寝……。睡眠不足というわけではないのね? 」


 「そうでしょうね。むしろ寝過ぎではないでしょうか」


 「そう」


 ローズは扉を蹴飛ばしてやりたくなった。怒りがこみ上げるのは、左目が痛むからというのもある。左の赤い虹彩、それは同時に痛みを伴うことが多くなってきた。

 ローズはこの屋敷にきてからも、悪夢を何度も繰り返してみている。最近みるのは、この屋敷が火の海になるシーンである。ドラゴンの来襲が起こるだろう未来の映像が流れる。次に見えるのは、ドラゴンの来襲によって、人民が破滅的な被害があってしまう光景。次は被害があったあとの光景。ドラゴンの来襲を見過ごしたということで、領主は処刑されてしまうシーンが見えている。

 これらは明らかに予知夢だ。髪の毛がボサボサの男が、民衆の前で処刑されるシーン。これはローズの感覚で、夫だとわかった。そしてその隣には、同じく民衆を見殺しにした悪妻としてローズも処刑される。

 左目の痛みと、その悪夢にうなされる日々はローズの気力を奪っていく。忍耐も限界があるのだ。


 「ルボワ、どんな手を使ってもいいから。アルフレッド様を扉から出してくれる? 」


 「どんな手を使っても…ですか?簡単ですよ、ほらこの通り」


 ルボワは右手にある袋を出して、唐突にその袋を扉の下の隙間に投げた。そして見たくもない黒いアレがこそこそと主人の部屋に何匹も入っていたのである。


 「ちょ、ルボワ。それって! 」


 「いや、平和的解決ですね。自発的にご主人様も出てきますし、いい方法です」


 「わたしには今、ルボワが悪魔に見える」


 部屋のなかにいるだろう、不憫な人物。さてここからどんな動きを見せるのだろうか。


 ガチャン


 大きな陶器が割れる音が聞こえた。どうやら部屋の主は目覚めたらしい。そのあと、勢いよく走り出した足音が聞こえる。しかし思ったより、その黒い生物はしつこく部屋を動き回るので、すぐに部屋の主は逃げることができないようだ。ローズは部屋の扉を見つめる。


 ガチャガチャガチャ


 扉の鍵を開ける音がする。そして扉が開いた。

 勢いよく走ってきた少年、彼は涙目でローズに向かって突進してきた。

 そして勢いよく走りすぎた少年は、足をもたれさせ、ローズの胸元へダイブしてきた。

 背の高いローズの肩くらいしかない、部屋の主は若干あたまがアブラのニオイがした。



  *****



 「アルフレッド様、嘆かわしい。いくら黒いアレが動いたとはいえ、お逃げになったあげく初対面の女性にのしかかるなど」


 ルボワが嘘泣きしているように、目尻にハンカチーフをあて、お小言を目の前の少年に浴びせる。目の前の少年は、ローズの胸に頭から飛び込んできた。しかしその感触に、自分が何をしているか頭が真っ白になったらしく、小さな叫び声を上げて離れていった。

 ローズはいきなり胸に顔をうずめられてしまう経験したことがない。破廉恥な行為に唖然とするしかなかったが、なぜやられた方が加害者みたいな心境になるのだろうか。ローズに飛び込んできた人物は、恥ずかしくなって顔を真っ赤にして、ガクガク体を震わせて腰を抜かした。彼がローズの夫らしき人物だろう、たぶん。

 たぶんと思ってしまうのは、もらっていた姿絵と体つきが違うのである。髪の毛がボサボサで顔が見えないのもあるが、今目の前にいる少年はぷくぷくの頬に、ぷくぷくの手の平。足もぷくぷくである。

 ローズは幸が薄そうな、不健康そうなイメージを姿絵から想像していたので、まったくそのイメージと実物がかみ合わなかったのである。


 「えー…っと。ルボワ、確認だけど。彼、って領主さまでいいのかしら? 」


 「ええ、もちろんです。この領地を治められている唯一無二のお方、16代目領主のアルフレッド様でいらっしゃいます」


 「そ、そう。初めまして。アルフレッド様、ローズです」


 「……! 」


 びくびく震えているアルフレッド。声を発せないのであろうか、ローズにおびえている様子もありながら、恥ずかしそうに顔を赤らめてもいる。


 「アルフレッド様、そんなところで震えておられないで、奥様にご挨拶してください」


 「おおおおおおお、お、おくっさん!? 」


 急に素っ頓狂な声を出すと、ローズに視線を向けてふるふると首を振る。

 言葉がうまく口に出せないのだろうかとも不安になるローズ。


 「ええ、アルフレッド様には婚約者がいらっしゃいましたでしょう?ええ、ですので奥様が嫁いでくると申し上げましたでしょう。アルフレッド様も頷かれたので、了承されておられるものと思っておりましたが」


 ルボワがパニックになっているアルフレッドに説明するように、ローズを紹介する。

 アルフレッドはずっと首を横に振っている。


 「アルフレッド様、ええ。マーガレット様ではなくローズ様ですよ、違う?事情を説明しましたでしょう? 」


 ルボワは何も発していないアルフレッドの言葉をなぜか理解できるらしく、会話をしている。ローズはただ状況を観察していた。


 「ローズ様ですよ、ええ?こんなに大柄な女は怖い?それは失礼ですよ?ええ?胸が大きいのは怖い?それも失礼です」


 矢継ぎ早に失礼過ぎる事を言われているのだが、ローズは切れそうになる自分をどうにか抑えていた。

 

 「婚儀は拒否できません。これは決定事項ですから、アルフレッド様もちゃんと挨拶をしてください」


 震えるばかりでローズに挨拶さえしないアルフレッド。ローズは内心怒りで震えそうになっていたが、5つ年上のものとしてどうにか冷静に対応しようとはした。

 ローズはすっとアルフレッドの前に立ちふさがった。


 「あの……まず、お風呂入って下さらない?そして挨拶してください。失礼極まりないです。夫として領主としてしっかりしてください。アルフレッド様、ほら泣かないで! 」


 やはり毒づいてしまった。


 ローズはそのままアルフレッドに手を伸ばすと、片腕で彼を抱えた。少し重い。だが自分より小さな体の子どもである。重いものをもつには、コツさえあれば持ち上がる。ローズは魔術学院で魔術だけの訓練をしてきたわけではない。もし非常時に魔術が使えなければと、日頃から身体を鍛える訓練もしているのだ。

 部屋のなかに夫を抱えていき、黒いアレは途中に転げていた冊子を丸めて退治する。こんなムシなんて怖くない。

 そして夫を奥にある浴室に放り込み、頭からお湯をかぶせた。


 「暴れないでください。髪の毛ちゃんと洗っていました?脂ぎってるわ。だめだわ、泡立たない。何度か洗わないと。服はめんどくさいから、そのままでいいから。うだうだ言わないで」


 声を出そうとしても驚いて何も言えないアルフレッド。彼を無視して、ローズは夫の頭を洗い始めた。アルフレッドは最低限風呂には入っているらしいが、適当に洗っているのか、頻度が少ないのか、体から汗臭さがとれていなかった。

 ローズは敬語もめんどうくさくなって、ため口になってしまった。相手が暴れても、もうしらない。ダメな子ども、このままではダメな大人になってしまう。ローズは相手の意思よりも、生活を正常におくり、最低限の生活に戻すことを決心した。

 最初は暴れる相手も、何度か髪の毛を洗っているうちに、居心地のよさを感じたのか、じっとしているようになった。ローズはドレスが濡れても気に留めることはなく、アルフレッドの髪の毛を洗っていた。そして洗い終わると簡単に顔や、耳の後ろ、首の後ろなどをタオルで拭いていった。そして指示して、ルボワに新しい着替えを持ってこさせる。髪の毛が洗い終わり、バスタオルで髪の毛を拭いていると、ルボワがある装置を渡した。

 髪を洗った装置。それはお湯がでる装置であるが、実は使ってみて驚いた。魔力を通すだけで水がでる仕組みだ。しかも、わずかな魔力でいい。ルボワが渡してきた装置も、温風がでる装置である。それで髪の毛を乾かす。ローズは使っていて、この装置の魔力効率のよさに驚いていた。

 

 魔力を使用したいエネルギーとして変換する装置を、魔導装置という。しかし問題は、エネルギーとしての魔力の効果が、効率化できないことが大きな問題であった。つまり大きな魔力を通しても、エネルギーの質は変化しても、増幅はしない。だったら装置を使わず、そのまま魔力として使用目的別に使い分けた方がラクであり、この世界では魔導装置を使うのは非効率的と考えられている。しかし、ここにある魔導装置は小さな魔力で、的確にエネルギーを使用目的によって調節できる。このシャワーにしても、この温風の装置にしても、市場にまわったら高額に売買されるのはローズでもわかることだった。いや、これは多大な魔術を封じ込めるという、賢者の石に匹敵する宝物ではないかとも思われた。

 

 「はい、終わり。ルボワ、はさみをちょうだい。あと部屋に敷物をしいて。髪の毛を切るから」


 「かしこまりました、奥様」


 もう仕えるべき相手を察したルボワは、ローズの指示に忠実に従う。何か言いたいような気配のあるアルフレッドを無視して、ローズは着替えをさせようとする。しかし服はさすがに子どもであっても、自分で着替えさせた方がよいだろう。


 「これに着替えて。そうしないと、わたしが勝手に着替えさせるけど?風邪ひいたらつらいだけよ。早く着替えてね、隣の部屋で髪の毛を切る支度をしておくから」


 「!!! 」


 何か言っているようだが、声が小さくて聞きとれない。ローズはそのまま浴室を出て、隣の部屋で散髪の用意を始めた。


 「奥様、お召し物はいかがしますか?ハンナがそこへ待機しておりますが」


 部屋の外を見れば、ことの成り行きを見つめているハンナがいた。


 「ハンナ、散髪が終わってから部屋を片付けます。だから動きやすい服とエプロン、それに手袋と、ゴミをいれる袋をもってきて」


 「はい、かしこまりました!奥様。」


 部屋のなかはどうにか最低限整頓はされているが、床は服や書物が散乱している。ルボワに聞けば触るとふて腐れるので、ゴミを片付けるくらいしかできなかったと言う。

 ルボワは本当に甘すぎる。ローズは心を鬼にして、この先の未来のことも頭の片隅に置き、部屋の片付け並びに、アルフレッドの身の回りを綺麗にすることから始めた。

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