第七話 執事と主
婚姻の儀を済ませて、時間がたった。
ここ数週間、一日の流れは同じである。
婚儀の後、結局ルボワにはのらりくらりとはぐらかされ、夫であるアルフレッドと対面が出来ずにいた。屋敷は広大であり、ルボワが管理している区域は鍵がかかっている場所も多くある。
ローズが出入りできる場所といえば、エントランスから続く食堂や応接間、ホールなど一般に出入りができ、公でも使われる場所である。そしてローズが住む部屋も、客室と同じような扱いであった。嫁入りしてきたのに、扱いはほぼ客人に対するものであった。
ローズは朝にハンナに起こされ、身支度を整え、それから朝食になる。軽く庭を散策しながら、本を読み、図書館へ行く。昼食になれば、またハンナに呼ばれ、そのあとは茶を飲みながら、ハンナと夕食に食べたいものを話す。何か必要なことはあるかと聞かれれば、特にないという答えるのも恒例の日課になりそうだ。
屋敷の外に出ることもあって、ハンナと食材を見に行ったりしている。街の人々はあたたかく、屋敷を訪れた貴人とはわかっているが、領主の妻で王族であることは知らされてないようだった。
気ままな田舎暮らしをスタートさせたローズだが、釈然としないことが続く。
ルボワは忙しく、屋敷のあちらこちらで姿を見かける。通常では考えられないほどの仕事量をこなしている。ハンナはローズの話し相手兼、身の回りの世話だ。料理長は料理、庭師は庭の管理。そして通いの人々は屋敷内の管理などをしている。
それをすべて指示しているのはルボワである。どんなことでも理解していて、知らないことなどない。ルボワがまるで家の主人のように、すべてを管理していると言っても過言ではなかった。
夫は話を聞く分にはまだ若い。後見人として親戚が領地を管理してもおかしくはないだろう。しかしそんな管理を任せているらしき、親戚の影も見当たらない。
夫は体が弱いのかだろうか。ローズが知る限り、屋敷を歩いているのを見たことがない。部屋から出てこないのかもしれない。もしかしたら、生きていないのかと思ってしまう。ローズはそんな疑問がふつふつとわいてきて、朝食を食べ終わり、庭へ行こうとした。
そこへルボワが食器を持って厨房へ下がっていくのがみえた。
ローズは急いでルボワを追いかけた。
「ルボワ、その食器は…」
「おはようございます、ローズ様。このお皿ですね?はい、ご主人さまが朝食を今日は召し上がられたので、下げて参りました」
「生きて、いや…お元気でいらっしゃるのね?アルフレッド様は…」
「はい、お元気ではおられますよ。ただ最近は、夜遅くまで起きていらっしゃるようで、なかなか朝ご飯を召し上がることがなかったのです」
「夜遅くまで…? 」
「ええ、わたくしも困ったと思っておりまして。昼夜逆転という現象が起こっているようです。昼くらいまで寝て、夕方から元気になられるのです。夜は好きなことに没頭しているようで」
ローズは一瞬固まった。
ローズの夫のイメージは、色が白く、不健康そうでありながら、薄幸の美少年。そして体が弱く、儚げな印象だ。しかし、なかなか部屋のなかでエンジョイしているようではないかと今の話を聞いて思った。
「え、ええ。ちょっと待って。体調がすぐれないのよね?アルフレッド様は」
「はい、先日は悪くなったパンを召し上がったようで。お腹をくだしてしまったのです。部屋から出られる状態ではなかったのです」
「…………悪くなったパン?」
ローズはいろんなことを突っ込みたくて仕方なかったが、とりあえず黙っていた。
「そうなのです。アルフレッド様はものぐさでして、部屋からでるのをいやがられまして。お腹がすくと呼び鈴を鳴らさず、古くなったものを召し上がってしまうことがあるのです」
「だめじゃない!!」
ローズはルボワの甘やかし具合にも少々いらつきながら、アルフレッドの怠惰に呆れてしまった。思わずわきでた怒りで、声も出てしまった。
「困ったものですよね」
ルボワは心底困ったというふうにため息をついた。
「ルボワ、アルフレッド様はいつから外に出られていないの? 」
「そうですね。アルフレッド様の室内は、浴室、お手洗いと一通りのものがそろっておりますので。11才の頃から部屋からでてないですね」
「……11才というと、14才だから」
「正確に申しますと、前回外に出たのはアルフレッド様のお部屋に黒い生き物が大量発生しまして。カサコソと動きまして、アルフレッド様が驚いて泣きながら外に出てきたのです。ええ、それは11才の誕生日の前日の話でした」
「ルボワはどうしたの? 」
「黒い生き物は全て駆逐しました。安心してアルフレッド様はお部屋にお戻りになられました」
「ええ、そうよね。黒い生き物は怖いから。……そうではなくて!!!! 」
「いやはや、人間というのは面白い。あんな小さきものに驚くなんて。いえいえ」
ルボワの笑顔はたまに人間味を感じられない。澄んだ空気を感じるというのだろうか、笑顔に何の感情も浮かんでいないようにもローズには思えるのだ。
「ルボワ?……貴方、それじゃアルフレッド様が外に出られないわ」
「ええ、婚姻となれば外に出てくるかと思ったのですが。何の反応もありません」
「それはそうよね、部屋にいれば全部完結してしまうのですもの。不便はないし」
「はい、主人の居心地のいい環境を整えるのが我が使命ですから」
「確かにルボワの采配は素晴らしいわ。でもこのままではアルフレッド様がダメになってしまうわ。このまま外に出られなくなってしまったら、アルフレッド様は辛い思いをする」
「辛い思い?そうですね。それは困ります」
「ルボワもわかってはいるのね」
「ええ、ただ無理に外に出していいものか。それを考えてしまいまして」
「そうよね、ご両親がいないのだし。アルフレッドを叱る人も、支える人もなかなかいないわよね」
「ローズ様…」
ルボワとしても事態をどうにか解決したいと考えていたようだ。いつもは笑顔に感情という色がないように見えた。だが、今はその表情も色があり、心の底から悲しいというのが伝わってくる。ルボワは無表情というわけではなく、感情が外に出にくいだけなのかもしれない。楽しいときは笑うし、顔は笑顔になるのだ。ただ感情より、義務的に笑顔を作る訓練をしたのではないかという不自然さがある。今は、顔の表情よりも心痛が大きいようで、より悲しさを感じることができた。そういった意味でも、人間らしさをルボワから感じて、ルボワが主に対して持っている感情に触れることができ安心できた。
「このまま、という訳にはいかないでしょう。何か良い案があるといいのだけれど」
「わたしくの力が及ばす申し訳ありません」
「まず、アルフレッド様に会うこともできてないから。そこからスタートしたい」
「お部屋の前でしたら、ご案内できるかと」
ルボワが少しためらったようにローズに問いかける。ルボワとしてもどうすればいいのか考えあぐねているようだ。
「そうね、部屋に案内してくれる? 」
ローズはルボワに案内され、今まで踏み入れたことない領域に案内された。
ルボワはいくつか鍵を持っていて、廊下から扉の鍵を開けないと入れない区域はいくつかあるようだった。ルボワが持っているのは、ここの屋敷の刻印が入ったもので、立派な鍵だった。質感から、金で出来たものであるかもしれない。金の価値はこの世界では最上級であり、王家での式典でも金を施されたものを身につけることが多い。地方領主であるのに、様々なものが王家と同等、もしくは物によってはそれ以上のものがあることに、ローズは毎日驚かされるのである。
例えば、今初めて入った領主の部屋に通じる廊下。無造作に置いてある絵、これはローズも見たことがある絵だった。ローズはそれほど絵画に明るくはないが、最低限教養としての知識はある。そんなローズでもじっくりはみていないが、偽物と思えない絵画。これはかの有名な作家の代表的なモチーフの作品。金額をつけられないくらい高価な物である。
そしてその横に置いてある、大きな壺。壺の表面に使っているウワグスリを見れば、明らかに年代物である。国の外のもの、工芸品が発達している国の伝統的な模様の入った壺である。有名なものでは、屋敷がひとつ買えてしまうくらいの値段がつくと聞く。
それらが惜しげもなく廊下に置いてあるのである。警備もそれほどない場所であるのに。
薄暗い廊下であるので、足下に気をつけながら歩いて行く。ルボワが最も奥の部屋へ行くと、ドアをノックした。しかし反応はない。ローズはルボワの傍に近づく。そしてローズも扉をノックした。
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