Scene through the Triplet

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Imperfect slumbers in the empire of dirt

 真夜中に目が覚めた私が思ったのは、ここはどこだっけという事だった。

 次の瞬間には、ここが新大阪駅近く、ビジネスホテルの女性宿泊客限定フロアにあるトリプルルームだって理解したし、昨日の旅程と明日の予定もはっきりと思い出せた。

 今の生活を始めてから、時々こういうことがある。

 私はどうしてこんなところにいて、一体何をしているのか、自分がわからなくなる。


 今はもう疑いの余地もない。

 私達は旅をしている。

 その記録を残しながら。

 ずっと。


 私達は、就職してからずっと三人で旅をしている。

 旅を、移動をすること自体が業務で、業務中に発生したあらゆるイベントを、その形態を問わず可能な限り記録することが、私達には求められている。

 写真で、映像で、イラストレーションで、音声で、文章で、そして会社から支給されたあの小さなウェアラブル端末で。


 そしてついさっきまで、私達は全員同じベッドで抱き合って寝ていた。

 いくらダブルだからといって、三人で寝るのは無理がある。よくいままで誰も落ちなかったものだ。

 せっかく仕立ててもらったエクストラベッドも、いまや三人が脱いだ衣類の置き場にすぎない。


 ……さすがに毎夜毎夜こんなことをしているわけじゃない。でも、胸を張って完全に健全ですと言えるほどには、不健全の割合が低くない。


 私は、他の二人を起こさないよう気をつけながらベッドを降りる。

 冷蔵庫から飲みさしのペットボトルを取り出して、残っていた分を一気に煽る。ほとんど抜けきった炭酸の残滓が、喉の奥ではじける。

 それだけでは物足りなかったので、私は誰もいないベッドに放りだしてあった服を着直す。

 電源を兼ねたホルダに刺してない方のカードキーを机の上から手探りで探し当てて、音を立てないようにゆっくりとドアを開け、そして閉めた。

 ちゃんとドアにロックがかかったことを確認してから、案内板で自動販売機のあるフロアを探して、エレベータを待つ。

 最近のほとんどのホテルは階段が使えないから、たったワンフロアの移動もエレベータを待たなければいけない。


 無人のブースの中では、自販機の向かいで洗濯機が回り続けている。

 ズボンに入れっぱなしのコインケースを取り出す。

 いまからアルコールを飲む気分になんて到底なれなあったので、おとなしくミネラルウォーターのボタンを押す。

 真夜中の部屋に響くはずのドスンという低い音は、洗濯機の電動機の音にかき消された。

 私はその場で封を開けて、一口飲む。

 冷ましきれずいまだ火照る体に、冷えきった流れが染みた。


 エレベータを他の誰かに使われないうちに、部屋へ戻る。

 今度はすぐ乗れたエレベータで元のフロアへたどり着く。

 ドアの前で周囲の様子をうかがい、人がいないことを確認してからカードキーを通してドアを開ける。

 廊下の光が入らないように、素早く扉を閉め、そのまま、鍵とチェーンをかける。


 二人は部屋を出る前と同じように、ぐっすりと眠っていた。

 いまからまた同じベッドに戻る気になれなかった私は、もうひとつのベッドの上から服をどかして、一人で横になる。


 三人でする旅というのは色々と不便だ。

 ホテルの部屋も、電車のクロスシートも、三人で使うようにはできていない。

 だから、大抵の場合は二人向けの場所で一人余るか、ペア二組に一人足りないかになる。

 もしかしたらそれは、この世界が、二人組までのことしか考えていないからかもしれない。

 最近はそう思うようになった。


 一人で過ごすか、あるいは、誰かもう一人と一緒になって、共に過ごすか。

 三人組が別れることなくずっと過ごすなんてことを、この世界は考えてもみなかったのではないか。


 そして私達は、その例外になってしまった。

 少なくとも、今のところは。


 そう、どうして私達は上手くやってこれたのだろうか。

 私達の旅路は、ちょうどあのベッドの上のようなものだった。

 どう考えてもそのままではいられないはずなのに、なんでか上手く乗り切ってきてしまった。


 何事もなく平穏に過ごしてきたわけじゃない。

 二人を落胆させたこともあったし、傷つけたこともあった。

 そのたびに私も傷つき、痛みを感じ、取り返しのつかない世界に対するやりきれなさを感じた。

 私はそのすべてを忘れることができない。

 そもそも、私が忘れずとも、あらゆることは記録されている。


 移動中にあったすべてのことを記録すること。

 私達が業務記録に記さずとも、あらゆる情報が、あのウェアラブル端末から収集されているのだということに、私達は気づいている。

 そして、きっと彼らは、私達に気づかれていることを承知の上で、情報収集を続けている。

 この世界のすべてを知り尽くすこと。

 その目的を果たすための一環とあらば、帯域保証の回線も、三人分の旅費も、潤沢な装備代も、安いものだということなのだろう。

 そんな彼らなら、私達の情事になんて興味がないだろう。

 やる気さえあれば、世界で最も過激なポルノグラフィをいくらでも見ることができるのだから。


 私達は、泥にまみれた帝国に住んでいる。


 それは私達三人のための国家だ。

 三人ともが皇帝で、三人だけが国民。

 私達が荷物を広げる場所が領土で、定住する土地を持たず、それ故に何処にいようともそこが安住の地だ。


 でもそれは安泰さを意味しない。

 私達の関係なんて、風が吹けば飛んで行ってしまうような、脆いものだ。

 たしかに、今のところ私達の関係を妨げるものはないかもしれない。

 でも、その身分の保証はあまりにも不確かだ。

 明日会社をクビになるかもしれないし、三人がバラバラの部署へ転属になるかもしれない。

 外圧に頼らずとも、内側からだれか一人が別れてしまう日がいつか来るかもしれない。

 そんな時に、私達をつなぎとめるものは、おそらく、何もない。


 だから私は、無駄だと、無力だとわかっていても、避けられないその時が訪れないことを祈っている。


 二人と一人になれない私達。いま何者で、何をしていて、そしてこれからどこへいくのか。

 その答えにたどり着くことなく、私はこの地に住み続けたい。

 この泥まみれの帝国に。


-----


 ドアを開け閉めする音で目が覚めた。


 ドアは二重ロックしたから、外から忍び込まれる心配はまずないと言っていい。だから、私達の誰かが、部屋を出たのだろう。そして、こういう場合に一人で何処かへ行ったりするのはだいたい帆風ほのかだ。


 私は体を起こす。窓の外はまだ少しも明るくなくて、きっとまだ真夜中だ。そして、すぐ脇を見れば私の予想は当たっていた。隣にいるのはあかりだった。

 彼女はまだぐっすりと眠っている。どんなところでもよく眠れるのが自慢だと公言して憚らない灯のことが羨ましい。私はちょっとしたことですぐ目が覚めてしまう方だ。

 その寝顔があまりにも安らかなのを見て、思わず灯の髪を撫でる。暗い中でも、私の手が触れると身じろぎする様子が伺えて、なんとも愛おしい。今は見えないけれど、彼女の黒のまっすぐなショートヘアは、私の羨望の対象だった。私の髪は、すぐにはねてしまうから。


 ドアにカードキーを通す音に、私は急いで布団を被り、目をつむる。帆風が帰ってきたのだ。想定していたより早い帰りに、驚いた私の心臓が暴れている。

 馬鹿みたいだ。私が起きていたって、何も悪いことなんてないのに。


 一度始めてしまった以上、私は寝たフリを続ける。

 私達を起こさないようにだろう、素早くドアを閉めた彼女が、廊下をこちらへ向かってくる。

 冷蔵庫を開閉する音がして――おそらく外に出た目的は飲み物で、それを冷蔵庫に入れたのだろう――また寝るためにベッドへ戻ってくる、かと思ったら、足あとは私の足元を通り過ぎていく。身構えた私から、すこし力が抜ける。

 しばらくの間、ものを動かす音がして、最後にスプリングが軋む音がして、また静かになった。

 どうやら帆風はひとりで隣のベッドに入ったみたいだった。

 そしてその結論に辿り着いた私は、ああ、この状況なら帆風はそうするだろうなって、思った。


 もう警戒する必要はないとわかってはいても、体の方はなかなかすぐには落ち着いてくれない。

 そういう時は、考えなきゃいけないことがない時間が、余計な心配を連れてくる。


 私達三人がチームを組んでから、もうずいぶん経つ。なんていうと、上司には笑われそうだが、私の人生のなかでは、誰かと組んでこんなに長く行動したことはなかった。

 入社研修を終え、このチームで本格的に動き始めてからすぐ、これは神様か誰かが与えてくれた恵みなんだって思った。

 私にとっての、最初から最高の、これ以上は考えられないような、夢のチームだと、そう思った。


 私はずっと、自分が何処へ行けるのかについて考えてきた。少なくともそのつもりだ。

 何処へだって行ける自分でありたいと、強く願ってきた。

 理由や根拠のない欲望が、これまでの私を動かしてきた。

 だからこそ、大して役にも立たない遠回りだと承知の上で、一年間の留学を経験してきたのだし、この会社に入ったのだってそれが理由のひとつだ。


 帆風は、すごい人だ。私に言わせれば灯もかなり得難い人物なんだけど、ちょっと付き合ったくらいではその重要性が伝わらない。その点帆風のすごさは誰が見てもわかりやすい。

 私と同い年なのに、修士号を取ってこの会社に入ってきた。本人は「博士号を取るつもりだったけど、全然やってけなくて尻尾を巻いて逃げ出してきた」なんて言うけれど、何でもできるし、何でも知ってるし、ものすごくタフだし、そのくせ全然とっつきにくさがない。

 帆風と一緒に居る時ほど、無敵になれたことはなかった。彼女なしではできなかったこと、辿りつけなかった場所が山ほどある。彼女は、私のわがままに答えを出してくれる。


 そんな彼女が、もし私のもとを去りたいというのであれば、私にそれを思いとどまらせることができる言葉はない。

 もっとも、面と向かってそう言われたことはない。それでも、彼女は積極的に誰かと一緒に行動したい類の人間ではないと、私は感じている。であるからこそ、彼女はときどき、単独行動になるようにわざと振舞っているのだろう。

 でもそれはあまりにも惜しいことだと思う。

 少なくとも、私だけにとっては、私達は最高のチームなのだ。もっと大それたことを起こしていけるメンバーが揃ってると、私は信じている。


 だから私は考えなければなきゃいけない。

 私達がずっと、三人のままでいられる方法を。

 誰に何を言われようとも、私達のつながりを切らせない方法を。

 どんなことがあろうとも、お互いがお互いを求め合う状況を。


 そして、この思考はこんなふうに続く。もし私ひとりだけではダメでも、灯と二人でなら。

 こんなことを考えていると、灯が知ったら、どう思うのだろうか。きっと、利用されていると思うのだろう。

 それでも、私は諦めるわけにはいかないのだ。

 私自身の幸福のために。

 そしてそれは、三人全員の幸福であって欲しいと、私は願っている。


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 肌寒さに目が覚めたとき、ああ、今日は3人で寝たんだっけとぼんやりした頭が思い出した。

 お互いの素肌が触れている部分だけ、確かな熱を帯びている。

 目を開けると、目の前にあるのは桐果とうかの寝顔だった。そんなことあるはず無いのに、寝ているときの表情まで、どこか凜々しく映る。

 では帆風ほのかはというと、きっとエクストラベッドに移ったのだろう。

 まあ、確かにわかる話だ。この状況で、一度出たこのベッドに戻るのは、ちょっと躊躇ってしまう。


 わたしたちは全員、そんなにお酒に弱くはない、というよりは、記憶が飛ぶような飲み方はめったにしないから、どんな夜であっても、何をしたのかを覚えている。だから、やってしまったとか後悔したりも、しない。わたしたちは望んでこういうことをしているのだし、それは酔っていようがいまいが、変わりは無い。

 3人で寝る――公言するには憚るほうの意味で――ことは、そんなに珍しいことではなかった。むしろ、部屋がふたつに別れた時の、向こうの部屋は何をしているのだろうかとやきもきしているときの気持ちに比べたら何倍も気楽だった。


 そんな夜の直後にあっても、帆風は、独りになることを恐れない。というより、どこか進んで独りになろうとしているフシがある。

 仲良くしていても、深入りはさせない。それが彼女の距離感だ。

 わたしはそれを、悔しいなと思う。

 それが彼女にとっての不信や猜疑でないことはわかっている。つもりだ。


 帆風は、やろうと思えば、身の回りのことを何でも独りでできてしまう。それだから余計に、帆風は誰かと一緒にいる必要なんてないのだ。必要がなければ、理由がない。理由がないのに、どうして誰かを求めることができるのだろう。

 それでも、わたしたちはこうして旅をしているのだ。少しずつでもいいから、踏み込んでいきたい。相手のことを知っていきたいと思うのは、傲慢だろうか。


 それに、望みがまったくないわけじゃない。それはつまりこういう話だ。

「人はひとりでは生きていけない」なんて言葉があるけど、仮に、衣食住のすべてを提供してくれる機械ができたとして、人はその機械となら、ふたりきりで過ごせるだろうか。

 一定の割合の人間にはそれができるかもしれない。たぶん、桐果はそう。でも、おそらく帆風は無理だと思う。

 きっと帆風は、自分が誰かと一緒にいられる理由を探している。

 そんなもの、あるはずないのに。


 運命の恋なんて欺瞞に塗れた表現を、わたしは受け容れない。

 天から与えられた、一緒にいなければならない理由なんて、ぜったいにあるはずがないのだ。

 たとえそう錯覚させるような関係であったとしても、その本質はお互いの意志と、偶然によるものだということを、ぜったいに忘れてはならない。

 どんなに得がたい偶然であっても、それを持続させるのは、お互いの共に同じ時間を過ごしたいという意志、ただそれだけなのだ。


 でも、帆風は自らそれを選べない。自分の可能性を自ら溝に捨てるようなことを、彼女はすることができない。

 そして、そんな帆風の弱さを、わたしはあいしている。

 だからわたしは、お互いわたしたち自身が、その理由になりたい。どこか臆病な帆風の代わりに。


 それに、わたしは強欲だから、二番目でいいなんて言わない。わたしは帆風の一番になりたい。そのためなら、何だって利用してやる。もちろん、桐果のことだって。

 平凡なわたしには、帆風を退屈させないような刺激的な生活なんて、とてもじゃないけど提供できない。そういうことは、桐果の方が何倍も上手い。上手いと言うより、そういう生き方が桐果のほんとうの望みなんだと思う。

 その代わりに、わたしは別の方面から攻め込もうと思う。まだうまく言葉にはできないけれど、でも勝算はある。

 最初から無謀な戦いなんだから、桐果と同率一位なら、望むところだ。


 それに、利用と言ったって、これはお互いに利益のある取引のはずで、桐果だってそれを望んでいるはずだ。

 だって、わたしたちは、こんなにも帆風に焦がれ、求めているのだから。こんなに似たもの同士で、そのくせ違うところばかりのわたしたちが、うまくいかないなんてあるはずがない。

 そうでしょう、桐果?


 さて、作戦会議はこのあたりにしておこう。

 わたしたちの関係について、事態が急展開するなんてことはまずないのだから、なにも焦る必要は無い。放っておいてもわたしたちは一番近くにいるのだし、何より、睡眠不足は長距離移動の大敵なのだから。

 

 今はまだ夜明け前だから。まだしばらくの間は、このまま、まどろんでいられる。

 わたしたちに明日が来るのは、もう少し、先のこと。

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