極彩月光列伝
カササギリョーノ
000.1 極色月光列伝
000.1
極彩色のケロイドを顔面に被った女が、ジャングルジムの上で遠吠えしているのを見た。折も悪く満月の夜。煌々と月明かりに照らされ、極彩色の狭間の黒い目が俺を睨み付けていた。
片や俺。理論武装の一つもなく、生ッ白い右手にはエクスペリア、SO-04Gの黒。咄嗟に顔を庇うように女にカメラを向ける。四角い景色が遠のく。認識の閾値を超えた色が切り捨てられ、女の顔色がRGBの羅列に変更される。
シャッターを押す数瞬前に、俺はもう死んでいた。
ド、と勢いよく突き飛ばされ、しかし身体は碇を降ろしたように飛ばず、魂だけが10mばかりか吹っ飛ばされ、俺は自分の背中を突き破った女の腕を見た。コントラストの死んだのっぺりとした灰色の影を纏った腕が、俺の胴体を突き抜け、ぶち抜いた背骨を握りしめている。
急に無重力に投げ出された俺が回転しているうちに、沸き立つ低圧ナトリアム灯のような薄汚れた橙のパーカーを巻いた女はつい一瞬前まで俺の脊髄だったものから肉を引き剥がし、首から引き抜いて鞭のように振った。十二分だった。それだけで肉が溶け、あばらが崩れ落ち、椎体を靭に代わり得体の知れない炎で繋ぎ合わされ、剥き出しになった骨棘が整然と並び、柄めいて握り削られた仙骨に大気中の憤りが巻き付いた俺の背骨は、一振りのノコギリに変わっていた。
「なんでだよ」
精神の地平線にごろんと転がった魂だけの俺の声を聞いて女が振り向く。
苦い顔を固めたような能面の、極彩色に爛れた顔が不意に、軋むように嗤った。
凶悪。
答えの代わりに吼えた。振動する空気が輪郭を揺るがす。なぜ獣はサイレンに向かって吼えるのだろう。あるいはそれを「欠伸がうつるようなものだ」と言う人もいる。だが少なくとも、今この瞬間、彼女は明確な意図を持って吼えた。あの空を見て。
ペディキュアの裸足を蹴飛ばし、液晶を引っ掻いたような斑虹の軌跡を描いて、彼女は宙に踊り出した。公園の。住宅街の。都市の。空へ。
見失うわけにはいかなかった。あいつ俺を――俺をまるごと持っていきやがった。
携帯を拾おうとした。手はスカッと擦りぬけた。俺は舌打ちしようとしたが、舌がなかった。仕方なく存在を掻き集め、必死になってどうにかイヤホンジャックに刺さっているマスコットを指先に引っ掛けることに成功した。画面がタップできるのかは分からない。だが考えるよりも早く、思考速度で精神の地平を蹴った。輪郭の吹き消されるような抵抗を全身に感じた。風というよりは壁だった。頭にあたる部分を足元に残した感覚のまま、俺は空の中にない全身を投げ出した。女の声を覚えていた。まだ追いかけられる。今はまだ。
都心デート・スポットの高層ビル38階、空中庭園にて、数組のアベックが宙を舞うスマートフォンを目撃したという。
信憑性のほどは定かではない。
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