Ⅱ アヤと魔法使い

 1


 話は半月ほど前にさかのぼります。

 王子様は狩りに出掛け、途中で従者たちとはぐれてしまいました。すでに日は沈み、森の中は真っ暗で足下さえ見えません。

 王子様は道がわからなくなっていたので、さんざんあちこち歩き回りました。あげくに、高い崖から転落してしまったのです。

 目を覚ました王子様が見たのは、優しく自分を介抱する少女の姿でした。

「きみは誰?」

 少女はにっこり笑って答えました。

「わたしはアヤ。あなたは?」

「ぼくはタケイ。ムーンライト王国の王子だ。……ここはどこなんだ?」

「ここは国境の森の中。あなたは崖の下に倒れていたんだよ。きっと、足を滑らせて落ちてしまったんだね」

「落ちたんじゃない。落とされたんだ」

 もうろうとした意識の中で、王子様はつい口走っていました。

「誰かがぼくを突き落としたんだ」

「どうしてそんなことを?」

 王子様はアヤに、大臣がぼくの命を狙っているのだと説明しました。大臣は自分の息子を王様の後継ぎにして、国を乗っ取るつもりなのです。

「早く、国に帰らないと……」

「だめだよ。あなたはひどい怪我をしているんだ。せめて、良くなるまではここにいて」

「アヤと言ったね。きみはなぜこんなところにいるんだ?」

 アヤは答えず、ただ穏やかな微笑みを返しました。

 ――そのころ、ムーンライト王国では、トワイライト王国のアユミ姫との結婚式の準備が進められていました。王子様はムーンライト王国の城に、ちゃんといたのです。


 2


 トワイライト王国の姉姫をさらったのは、実はカラスに変身した魔法使いでした。彼は姉姫をアヤと名付けました。

 魔法使いにさらわれ、親の顔も知らずに育ちながらも、アヤは心優しい娘に成長していました。

 どうかすると何か月も家を留守にして帰らない魔法使いを、部屋を掃除したり、食事を作ったりしながら待っている毎日。自分が本当はどこで生まれたかなどと聞いたことはありませんでした。今のままで幸せだったし、魔法使いが悪い人ではないと知っていたからです。

 さて、怪我をした王子様は、アヤの看病のおかげで徐々に回復に向かっていました。

「薬草が残り少ないんだ。さがして来るから、おとなしく寝ていてね。出歩いたりしちゃだめだよ。まだ怪我が治りきっていないんだから」

 小屋の周辺は、魔法使いがまじないを掛けているので安全です。アヤは王子様に外に出ないよう何度も念押しし、出掛けて行きました。

 その日は王子様がトワイライト王国へ結婚相手を迎えに行く日でした。

 アヤは森の中をさがし回りましたが、怪我に効く薬草はなかなか見つかりません。ふと顔を上げると、木々の間に人影が見えました。

「タケイ?」

 そこに立っていたのは王子様でした。彼はアヤに気付くと、背を向けて駆け出しました。

「待って! だめだよ、まだ安静にしてなくちゃ」

 アヤは王子様を追い掛けました。

「待って!」

 しばらく行くと、王子様は止まりました。それ以上先へは行けなかったからです。王子様はたくさんの従者たちに囲まれていました。

「どこまで行ってらしたんですか。さあ、馬車へ」

 何を言う間もなく、二人は馬車に乗せられてしまいました。

 馬車の中で、アヤと王子様はしばらく何も言わずに座っていました。やがてアヤが口を開きました。

「タクト」

 王子様は顔を上げました。

「タクトだよね?」

「もうばれてしまったか。さすがアヤ」

「王子様の格好なんかして、何をしてるの?」

「別に。ちょっと面白そうだと思ったからさ」

 王子様はあまり外へは出ない人だったので、家臣さえよく顔を知らなかったのです。それをいいことに、いたずら好きの魔法使いは王子様になりすましていたのでした。

「でも、もうそろそろ抜け出さないとね。王子様の生活にも飽きたし、王宮は危険がいっぱいだ」

 アヤはうつむいて考え込みました。

 王子様は命を狙われていると言っていました。城へ帰すわけにはいきません。けれど、王子様が戻らなければ、国は悪い大臣に乗っ取られてしまいます。

「わたし、このままムーンライト王国へ行くよ」

 アヤは魔法使いを見上げました。

「お願い、タクト。もう少し王子様の姿でいて」

「まさかこのおれに王の跡を継げって言うんじゃないだろうね」

 魔法使いはさも嫌そうな顔をしましたが、ふと思い直して「それも面白いかもな。最近退屈してたことだし」と言いました。

 そして、アヤは王子様に変身した魔法使いと一緒に城へ向かうことになりました。


 3


 数日後、ムーンライト王国で王子様とアユミ姫の結婚式が行われました。

 途中、どこからか矢が飛んで来て、王子様に刺さりそうになりましたが、その矢は王子様に届く前に跡形もなく消えてしまいました。一時は騒然となったものの、王子様が冷静に皆をなだめたので、式はそのまま進められました。

 結婚式のあとにも、何度か同じようなことがありました。

 ある時は、王子様のスープに毒が盛られていました。けれど、スープは王子様がスプーンを入れると凍り付き、飲めなくなりました。

 ある時は、広間のシャンデリアが王子様めがけて落ちて来ました。けれど、シャンデリアは王子様が見上げた瞬間、元の位置に戻りました。

 ある時は、兵士の一人が剣を振りかざして襲って来ました。けれど、兵士は王子様の目を見ると剣を下ろし、自分が大臣に頼まれて王子様を狙ったことをぺらぺらと白状しました。

 大臣は捕らえられ、牢に入れられました。

「これでもう危険はなくなった」

 王子様に化けた魔法使いは満足そうに言い、アユミ姫になりすましたアヤを見ました。

「さあ、森へ帰ろうか」


 4


 アユミ姫は森の小屋で、一人ベッドに座ってぼんやりしていました。

 そこへ、誰か入って来ました。

 アユミ姫は驚いて、手にしていた鏡を落としてしまいました。ドアの外に立っている少女の顔が自分にそっくりだったからです。

 相手も驚いた様子でした。

「あなたは誰?」

「わたしはアユミよ。あなたはアヤね?」

「わたしを知っているの?」

「王子様に聞いたわ。そして、あなたを待っていたの。あなたはわたしの双子のお姉様に違いないと思ったから」

 アユミ姫はアヤをかたわらに座らせ、髪をなでてやりながら全てを話しました。二人は再会を喜びひしと抱き合いました。


 5


 王子様は森をさまよい歩いていました。

 怪我が治って以来、何度も城へ帰ろうとしたのですが、どうしても森を抜け出すことが出来ないのです。ある程度進むと小屋へ引き返してしまうよう、魔法が掛けられているらしいのです。

 その日も同じでした。

 あきらめようとして足を止めた王子様は、行く手にアユミ姫の姿を見つけました。近付こうとして、彼はすぐに思いとどまりました。アユミ姫の姿をしていても、アユミ姫ではないことが王子様にはわかったのです。一瞬、アヤかもしれないと思いましたが、それも違うとわかりました。

「きみは誰だ?」

 王子様が尋ねると、突然花びらが舞い、少女を包みました。次の瞬間、彼女の姿は別の姿に変わっていました。王子様は息を呑みました。今目の前に立っている相手は、王子様自身の姿をしていたのです。

「そうか。おまえがぼくになりすまして、アユミ姫を連れ出した奴だな」

 相手はふっと笑いました。

「なかなか勇敢だな。おれの変身を見た者はたいてい逃げ出すのに」

「アユミ姫をどうしたんだ」

「アユミ姫もアヤも小屋にいるよ」

「何だって? アヤも?」

 王子様が驚いていると、魔法使いは彼に金の指輪を手渡しました。

「これを持っていれば、迷わずに森を出ることが出来る。二人を城に連れて帰ってくれ」

「きみはどうするんだ?」

「正体を知られた魔法使いは姿を消す決まりなのさ」

 魔法使いは姿を消しました。そしてそれきり、二度と森へは帰って来なかったのです。


 6


 満月が煌々と輝いています。窓の外に見えるその月から、アユミ姫は姉に視線を移しました。

「魔法使いのところへお行きなさい、アヤ」

 椅子に腰を下ろしてうつむいていたアヤが、ぱっと顔を上げました。

 魔法使いがいなくなったあと、アヤが何日も泣き暮らしていたことを、アユミ姫は知っていたのです。

 目を輝かせてアユミ姫を見上げたアヤでしたが、すぐにまた顔を伏せてしまいました。

「やっと自分の家に帰って来て、お父様とお母様も、あんなに喜んでくれてるのに、出て行くなんて出来ないよ」

「魔法使いが好きなんでしょう?」

「うん。でも、あの人とわたしは住む世界が違うんだもの」

 アユミ姫は後ろにいる王子様と顔を見合わせました。二人は森の小屋にいる間にお互い相手が大好きになっていました。もうじき夫婦として一緒にムーンライト王国へ帰るのです。けれど、アヤをこのまま残して行くことは出来ません。

「そうだわ」

 アユミ姫は急に思い付いて声を上げました。

「あなたと魔法使いは、わたしと王子様の代わりに結婚式を挙げたんでしょう?」

 アヤは首をかしげました。

「そうだよ。それがどうかしたの?」

「二人は夫婦になったってことよ」

 王子様はそのとおりだと言って笑いました。

「夫婦は一緒にいなければいけないんだよ、アヤ」

「お父様とお母様だって、きっとわかってくださるわ」

 アユミ姫はアヤの手を両手で握りしめました。

「アヤ、これを」

 王子様がアヤに金の指輪を差し出しました。

「これを持っていれば、迷わずに魔法使いのところへ行けるよ」

 アヤは指輪を受け取り、強くうなずきました。そして、アユミ姫と王子様を順番に抱きしめると、部屋を飛び出して行きました。

「……行っちゃったわ」

 アユミ姫はさびしそうにつぶやきました。

「きみにはぼくがいるよ」

 王子様が、優しく彼女の手を取りました。

 夜空の月は変わらずに、窓にまばゆい光を投げていました。

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