新隊

「八二、八三、八四、八五!」

 けたたましい蝉の声と共に、教官の声が轟いていた。

 隊員は列をなし、教官の声に合わせて腕を落とす。ナローポジションと呼ばれる姿勢での腕立て。これが百回ワンセットで、あと五セットも残っているのだ。

「九七、九八、九九、九九、九九!」

 おまけにこれだ。

 この腕立ての辛いところは、体重のかかるポイントが通常の腕立てより少ないところだ。腕を左右に開くスタイルと違い、頭の真下に両腕を持ってくるこの体勢では、腕の負荷が別物だ。終わる頃には腕の筋繊維はボロボロになっている。

「九九、九九、九九! おるぅぅあああ寺坂ぁ! ふざけてんのかぁ!」

 寺坂が巻き舌で怒られている。

 ここでは悪い意味で男女平等だ。男でも音をあげるような訓練をそのまま一緒に受けなければならない。

 少しだけ同情的な気分になる。

「あん? んだテメェ!」

 カズキと目が合った瞬間に恫喝。

 前言撤回、絶対同情なんてしない。

「寺坂よぉ〜、お喋りできる余裕があんならもう一回最初っから行っとくか?」

 なんて恐ろしい言葉だろうか。非難の目が寺坂に集まる。

 ここでは個人責任という言葉はない。すべて連帯責任。一人のミスは全員のミスなのだ。

「はい、イーチ!」

 こんなことを繰り返しているうちに日が暮れる。まずは身体を作ること。イブの操作はその後だ。機体のGに負けない肉体を作らなければならない。

「はい次ぃ! バービー、用意、始め!」

 間髪入れずに次のメニュー。バービースクワットの始まりだ。

 直立の状態を基本とし、次に腰を落として地面に手をつける。それから足を後ろに蹴り出して腕立て伏せの姿勢を作り、再び足を前に戻す。そして最後にそこからジャンプ。この一連の動作がセット。これを百回。もちろん十セットある。

「整列っ!」

 新中隊長の号令。隊員は直立。

「大隊長に〜、注目!」

「お疲れさん、今日はこれで解散」

「解散了解! 解散!」

 大隊長の姿が見えなくなると、隊員がバタバタと倒れ込んだ。疲労困憊でだれも立ち上がれない。

 三島が、学校の訓練なんてままごと、と言っていた意味が理解できた。今思えばあんなものは児戯に等しい。

 呼吸を整え、立ち上がる。

 唯一の救いは、訓練終了後の生活においては制限がないことだ。

 機甲機動隊員が警察内においてどれだけ重要であるか。分かりやすい例を挙げれば、何と言っても宿舎である。マンションを買い取ってその部屋一つ一つを隊員に充てがうのである。なんとも豪気な話だ。

 装備を片付け、足早に自宅へと帰る。更衣室では隊員たちが談笑しているが、その輪に入ることは決して無かった。

 鍵を開け電気を点ける。

 がらんどうの部屋が広がっている。あるといえば万年床くらいのもので、あとは買い置きのカップ麺がダンボールに押し詰められているくらいだった。

 お湯を沸かし、三分間待つ。

 ゲーム機は全て置いてきた。ここでは娯楽の類の物も持ち込み可ではあるが、あえて持ってこなかった。

 その代わり、図書館で本を借りて読むようになった。

 勉強にもなるし、何より時間が潰せる。カズキにとって夜の時間は苦痛で仕方がなかった。

 独りの夜は、いろんなことを考えさせる。

 だから嫌いだった。

 バッグから本を取り出し、パラパラとめくる。

『実録! 本当にあった拷問器具大全』

『残酷な処刑、私刑の歴史』

『痛みの大きさを計ってみよう!』

 物騒なタイトルが並んでいた。

「っと」

 三分経っていた。

 本当は二十秒くらい早めに開けて、麺が硬いくらいの方が好きなのだが。

 ピンポーン。

 呼び鈴が鳴る。

 いい予感はしなかった。居留守でもしようと思ったが、強烈な臭いを放つこのくさやラーメンは、恐らく外まで届いていることだろう。

 不承不承と受話器を取る。

「森田ぁ! ツラ貸せや!」

 がしゃんと受話器を置いた。

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポンピンポンピンポン、ピンポーン。

「何ですか」

「テメェ、何で切りやがった!」

「そりゃあ身を守るために当然の措置ですよ」

 なんてしつこい女だろう。彼女とまともに会話したのは入校式のあの日だけ。それからすぐに訓練に入って、両者ケンカしている体力などなかったから、今もなお絡んでくる理由はないはずだ。

「もー、寺坂、いい加減にしてくれよー」

「吉田さん」

「あ、こんばんは森田くん。いやーゴメンね、こいつが馬鹿で。ちょっと話したいことがあるから、鍵開けてくんない?」

 インターホン越しに見える笑顔。気味が悪い。

 しかしここで断って、また因縁つけられても堪らない。そんなことに構っていられるほど、カズキには時間がなかった。

「でしたら手短に。時間は有限ですから。それにこれから飯にしようと––––」

「くっさ!」

 不躾な物言い。露骨に鼻をつまんで顔をしかめている。

「か、変わった食生活を送っているんだね……」

 別に、何の変哲のない食事風景だと思うが。

 食べながら話を聞くというのも失礼だ。そこまで長話をしようという腹でもあるまい。麺が汁を吸い切って伸びるのを我慢するしかない。

「それで、何のようですか?」

 しかし二人の話は要領を得ない。

 何か言い澱むような、遠慮しているような。先ほどまでの強気な態度はすっかり鳴りを潜めている。

「何なんですか、いったい!」

 カズキもとうとう語気を強めて問い詰める。

「と、とりあえず食事にしてくれ! 僕たちはここで待ってるから! 食べ終わったらまた会おう!」

 バタン! と戸を閉められる。何だろう、気を使ってくれたのか。

 不思議に思いながら麺をすする。

 美味い。やはりご飯は美味しいうちに食べなければ。

 スープを飲み干し、カップをゴミ箱に捨てる。この味ならば常備して置いてもいいだろう。

「終わりました」

 玄関の向こうにいる二人に呼びかける。ゆっくりとドアが開く。何故か恐る恐るといった風で入ってくる二人。

「まあ、まだマシか……」

 寺坂がホッと胸をなで下ろす。

「どうぞ、座布団もありませんが」

 そもそも来客を想定していなかったから何のもてなしも出来ない。地べたに腰を下ろし、対面する形になる。微妙に顔をそらしているのが気になったが、話を進める。

「それで、いったい?」

 カズキの問いに、吉田が思い出したかのように話し始めた。

「そうだ、こんなことしてる場合じゃない。話というのは、何を隠そう明日からのことだ」

「明日? 山中訓練のことですか?」

 山中訓練とは、この機甲機動隊において悪名高い名物訓練の一つだ。新隊員が五人分隊毎に山へ入り、一週間生き延びるというものである。初代第一管区大隊長の悪ふざけが始まりとされる。

 隊員は十五キロの旧式装備を着込み、持ち物はナイフ一つ。他には何もない。食料は現地調達で、調理する際は山頂へと登らなければならない。もちろん食べ終われば裾野を下り、中腹あたりでまたサバイバル生活、それを一週間。

 これがヴィクター討伐にどう繋がるのか疑問があるが、要は精神修行の一環ということだ。

「聞けば相当厳しい訓練だっていうじゃないか。一週間脱落せずに訓練を完遂するのは十パーセントに満たないとも」

 しかし訓練をやり通せば、エリート部隊である中央機甲機動隊の選抜に大きなアドバンテージとなる。

「だから、僕たちはどうしてもやり遂げなければならない。君とケンカをしている場合じゃないんだよね」

 引っかかる物言いだが、言いたいことは分かる。やり遂げることすら難しい訓練に挑む前に、後顧の憂いを排除しておきたいのだろう。何の因果か、二人とカズキは同じ分隊に割り振られた。チームワークで乗り切らねばならない状況で、個人的な諍いを持ち込むわけにはいかないのだ。

 ケンカをふっかけてきてるのはそっちだけどな。

「分かりました。わだかまりを捨てて、一旦水に流しましょう」

「いや、そう言ってくれると思っていたよ」

 いけしゃあしゃあと言いやがる。吉田の嫌な笑顔。

「でも、それじゃあ筋が通らない」

「?」

「ここ最近は一方的な敵対視だったからね、君にばかり苦いところを飲んでもらうのはあまりに酷だ。寺坂!」

 吉田の言葉に、寺坂が渋い顔をした。俯いて、拳を握りこんでいる。しかも低く唸っている。

「––––でした」

「え?」

「すみませんでした! 今後は理不尽につっかかりません! これでいいか!!」

 吉田の拍手が空虚に鳴り響く。なんだこの茶番は。

「いい気になるなよ! ちょっとでもナメた真似してみろ、そんときは––––」

「寺坂」

 ぐうと押し黙る。

 なんだ、これは。

 馬鹿馬鹿しい。どこまでいっても茶番。まるで幼稚園のお遊戯会。公園のおままごと。

 おちょくっているのか?

「はい、僕もすみませんでした。これでもう因縁は無くなりましたね。明日も早いですし、今日はこのくらいにしましょう」

 内心の苛立ちをおくびに出さず、笑顔を貼り付けて話を終わらす。

 腹は読めた。

 二人の狙いは、俺を怒らせることだ。

 この和解を感情的に蹴ってしまえば、次の訓練で失敗しようとも俺の所為ということにすることもできる。

 折角和解を持ちかけたのに無下にされた。チームワークの乱れは森田の責任である、と。

 そうすれば少しは同情的な空気になる。もしかすれば評価の減点も低くなるかもしれない。中央志向の強い人間ならば、保険をかけておくのも当然だろう。

 そうはいくか。

「明日は全力で頑張りましょう!」

 挑発するように、気の良い後輩を演じる。

 逆に怒らせてやろうか。別に破談になったところでこっちは構わない。困るのはそちらの方だろ?

 不穏な空気が流れる。

 二人もカズキの意図に気がついたらしい。寺坂などは頭に血が上りすぎて赤黒くなっているくらいだ。

「お––––」

「それは良かった。じゃあきっと明日からは安心だね」

 吉田が機先を制す。ここでキレてしまえば全てが台無しだ。

 さすがに吉田は乗ってこないか。

 鼻につく。

 自分が冷静な判断を下せる優秀な人間だと思っているのだろう。

 寺坂の暴走を止められていない時点で、お前はその程度だというのに。

 だから帰り際吉田の言った言葉も、カズキには戯言にしか聞こえなかった。

「気を付けなね。自分の感情が分からなければ、他人の感情も分からない。君はいつかそれを後悔するよ」

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