夜間訓練 2

「…………」

 初めの勢いは嘘のように無くなって、辺りは重い沈黙に包まれていた。空は既に白み始めていて、徐々に暗闇が暴かれていく。

 日の出って、なんでこんなに罪悪感を感じるのだろう。つまみ食いがバレてしまってひどく怒られた時のような、そんな感覚がする。

 延々と伸びている直線を、静々と進んでいく人の群れ。まるで修行僧だ。

「あそこ、公園がある。少し休憩していこう」

 柊が言う。確かに少し先に小さな公園があった。寂れた、ブランコ一つだけあるような公園だった。

 辿り着くや否や、芝生に倒れこむ。青むさい濡れた匂いが肺に広がり心地よかった。

 かれこれ十時間は歩いただろうか。背骨がバキバキと鳴る。足の裏のマメが、潰れたそばからまた新しく出来るものだからキリがない。これでまだ折り返しにも着いていないのだ、気が遠くなる。

 体力バカの公平でさえ、騒ぐ気力はないようだった。

「少し仮眠しないか?」

 カズキが切り出すのも無理はなかった。ただでさえ日頃の訓練で疲弊していると言うのに、追い打ちがこれだ。体が休息を求めている。

「賛成。これじゃあ体力の前に神経が参っちまう」

「そうしましょう。寝不足で頭痛がしてきました」

 公平と小倉も賛同する。

「……せめて順番で休もう。先に三人が三十分寝て、それから後の二人がもう三十分。そうじゃないと起きる自信がないもの」

 柊も限界を認める。

 石原はというと、すでに寝息を立てているようだった。

 たく、こいつは!

「カズキ、先に寝ろよ。柊も」

 公平が促す。正直ありがたい申し出だったが、小倉を差し置いて年長が休むというのには気が引けた。

「私はいいよ、小倉くん先に寝て」

「そんな、柊さん! 僕は後でいいですよ!」

「俺も後でいいから、柊さん先に寝なよ」

 しかしそれに柊は頷かない。

「言い争いしてる時間がもったいない。さっさと寝なさい!」

 ぴしゃりと言われ、ぐっと押し黙るしかなかった。結局カズキと小倉が先に休むことになった。

 寝られる、と思うと途端に瞼が重くなっていく。呼応するように意識が薄くなって、カズキは深い眠りに落ちていった。

 夢を見た。

 終わらない道をずっと歩いている夢。

 警察学校が遥か遠くに薄ぼんやりと見えている。そこに帰ったところでまた新たな地獄が待っているだけだけれど、取り敢えず暖かいご飯と風呂と、それからきちんとした寝床がある。

 あそこにさえ辿り着けば。

 しかし歩けども歩けども道は終わらない。

 近くどころか遠くなっているようにすら思える。

 次第に視界がぼやけて、やがてそれは蜃気楼のごとくたち消えてしまった。

 ハッと目が覚めた。

 時計を確認するとまだ二十分くらいしか経っていなかった。それでもまだ体は楽になったようで、体の重さはあまり感じなかった。

「森田くん。まだ寝てていいのに」

「いや、目が冴えちゃって」

「お、カズキ。体の調子はどうだ?」

 公平が向こうから歩いてきた。トイレにでも行っていたのだろう。

「大分良いよ。やっぱり寝ると違うよ」

「そっか、なら良かった。しっかしお前も体力ついたな。初めは少し走っただけであんなにへばってたのに」

「確かに! 顔つきも変わったもん」

「そうかな」

 自覚はなかったが、確かにそうかもしれない。以前のカズキならば早々に脱落していたことだったろう。

「柊さんのお陰かな」

「え?」

 柊が意外、という顔をする。本人にとっては特別なことではなかったのかもしれない。それでもカズキは救われたのだ。

「ありがとう」

 改めて礼を言う。自然に口をついた言葉だったのだが、言ってからなんだか無性に恥ずかしくなって顔を赤くする。

「え、あ、う、うん。こちらこそ?」

 柊も困惑している。こちらも恥ずかしくなったのか顔を赤くする。

「俺は?」

 公平がニヤついた顔で聞いてくる。なんだか腹が立つ。

「まぁ、公平にも感謝してなくもなくなくないな」

「扱い適当すぎないか!?」

 思わず吹き出す。三人は声をあげて笑った。

「はー、なんか元気出た。ありがと」

 滲む涙を拭いながら柊が言った。

「俺もやる気出てきた! もうこっから走って行けるぞ!」

「いや、それはやめてくれ!」

「夢に向かってだよ!」

「すげークサイ台詞!」

「そんなことないよ! 私も早く一人前になってイブに乗る! それに二十歳組全員、イブ部隊志望なんて絶対運命だよ! 三人で頑張ろう!」

 こんなに熱い柊は初めて見た。寝不足のせいなのか疲れのせいなのか、公平につられて妙なテンションになっているようだ。

「う、うん」

 カズキだけが、その場の熱気に気圧されていた。自分の意思で警察に入ったわけではないから、どうしたって気後れしてしまう。自分の中にそれほどまでの情熱がないのだ。

 ただ、怖かった。

 公平と柊にこの胸の内を悟られるのが怖かった。

 彼らに失望されるのがとてつもなく怖かったのだ。

「頑張ろう、三人で」

 カズキは嘘を吐いた。

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