病夢とあんぱん その49

 

 初めて、人を撃った。


 やなゆうを狙う、機桐はたぎり孜々ししの手は震えていた。ガクガクと、情けなく震えていた。

 護身用に、銃はいつも携帯していた。自分で言ってしまうのもどうかと思うが、『やまい』という機密情報に関わっているだけあって、『シンデレラ教会』は、決して穏やかな組織とはいえない。危険な場面に出会うことも多いのだ。そのため、自身の身を守る準備は欠かさないようにしている。

 だが・・・実際に使う場面を想定していたかと聞かれれば、「していなかった」と答えるしかない。つまりは、「持っているだけ」だったのだ。よっぽどのことがない限り、銃を使うきょうなんて、孜々にはなかった。


(すまない。本当にすまない。柳瀬君・・・)


 謝ったところで、何も解決しないことは分かっている。許されないことをしたと、分かっている。

 しかし、「よっぽどのこと」が起こってしまったのだ。莉々りりを再び失うことは、彼にとって、最も恐れていたことだった。何よりも怖いことだった。

 だから・・・こうしなければならなかった。

 莉々を連れて行かれないように、目の前の男を殺すしかなかった。

 莉々を取り戻す。そのための一年間だった。

 約一年前、機桐莉々が家を出てすぐに、孜々は『シンデレラ教会』を立ち上げた。警察や、他の組織を頼ることなんてできなかった。父親として、娘を自分の手で探し出したかった。

 『シンデレラ教会』は、莉々のための組織だ。他の誰のためでもなく、莉々のためだけの組織だ。組織名だって、莉々の好きだった童話から名付けたものだ。

 表向きには「やまいち」の人間や、『病』に関わった人間を保護する小組織としているが、それは建前にすぎない。『病持ち』の人間を集めたのは、莉々を探すため。そして、莉々が帰ってきたときに、居場所を作ってあげるためだ。

 『病』を持つ人間は、他にもいるんだよ。と。

 心配しなくていいんだよ。と。

 そのままでいいんだよ。何も変わらなくていいんだよ。

 何も、背負わなくていいんだよ。

 そう、教えてあげたかったのだ。

 だが、肝心の莉々の捜索はなかなか進まなかった。『病持ち』の人間を集めたとはいっても、人探しに向いている『病』をわずらっている者ばかりではない。それでも・・・何人かの仲間を得ながら、仲間たちに心の隙間を埋めてもらいながら、捜索を進めた。

 ・・・・・違うな。正直になろう。


(私はきっと、彼らを利用していただけなのだろう・・・)


 自分自身の目的のために、他の全てを犠牲にしただけなのだ。

 この結果を見れば、それは明白だ。

 妻と、もう一人の子供も出て行ってしまい。

 大切な仲間だった、じまぶきやくただしも、(おそらくは)死んでしまい。

 そして・・・。

 ちらりと、祭壇下へと落ちた男に目を向ける。

 ・・・いや、駄目だ。目を向けていられない。と、孜々はすぐに視線を逸そらした。


(私が殺したんだ。私のせいで、彼は死んでいく。彼の人生は、終わる・・・・)


 ついには、人殺しを犯した。

 病院の院長として、人を救う立場だった自分が、人の命を奪った。

 それも、今まで莉々を保護していてくれた組織の関係者を殺したのだ。謝罪どころか、言い訳のしようもない。恩を仇で返すとはこのことだ。

 まだ若い男だ。これから、いろんな可能性があっただろう。自分と同様に、大切な家族がいたかもしれない。自分と同様に、愛する人がいたかもしれない。自分と同様に、叶えたい願いがあったかもしれない。

 それらを、全て奪った。

 一人の娘のために、一人の人間を殺した。

 許されることでは、ない。


(莉々は・・・どう思うだろうか?)


 父親であるために他人を殺した男を、どんな目で見るだろうか。

 孜々は、教会の奥の扉へと視線を移した。

 莉々はまだ寝ている。教会の奥の方の部屋で、ぐっすりと眠っている。


(あの子が起きたら、きちんと説明しよう)


 きっと、真実と嘘を織り交ぜた、滅茶苦茶な話になってしまうだろうけど。自分にとって都合の良い話になってしまうだろうけど。それでも、きちんと話そう。柳瀬優との話し合いは上手くいかなかったけれど、娘との会話なら、もっと上手くいくはずだ。

 今度は、ちゃんとした家族になろう。楽しくて、笑いの絶えない、幸せな家族になろう。

 もう莉々に、人を救うことを強要したりはしない。多くの人を助ける責任を、背負わせたりはしない。『病』を持っていようが、特別な才能を持っていようが、それを活かして生きていかなければならない理由はないのだ。そんなもの、放棄したっていい。

 気持ちのすれ違いだって、もう起こさせない。あのときの優しさは、娘に失望したからではないと、きちんと莉々に謝ろう。

 失望なんて、できるわけないじゃないか。

 期待していないわけがない。あの子は、根が努力家だ。何にでもなれるだろう。

 妻や息子も連れ戻して、もう一度、四人で幸せな家庭を築こう。やり直そう。

 もう、間違えない。

 父親としてのり方を、間違えない。


(ありがとう。柳瀬君)


 心の中で、感謝する。

 君たちのおかげで、莉々はこの一年間、生きてこれた。君と話せたおかげで、ようやく、自分の気持ちに整理がついた。

 結果的に、君を殺すことになってしまったけれど。

 その分、私たちは幸せになる。君の分まで、私たちは生きる。君の命の重さは、私が背負って生きていく。

 私を許さなくていい。

 私を憎んでいい。

 だが。

 莉々を連れて行くことだけは、させない。


「ありがとう。柳瀬君・・・」


 今度は、感謝の言葉を口にする。そして、溢れて溢れて止まらない涙をぬぐう。

 こうして、彼らの戦いは終結した。

 娘を想う父親と、彼女の『病』を利用しようと企む組織との戦いは、終わった。

 けれども。


 彼の命は、まだ、終わってはいなかった。


「・・・・・!」


 機桐孜々は、拳銃を取り落とした。とはいっても、手を滑らせたとか、感極まって落としてしまったとか、そういうことではない。

 何かが、右手にぶつかったのだ。

 驚きながらも、孜々は顔を上げる。

 見えたのは。


 血まみれになりながらも、膝立ちでこちらをにらみ付ける、柳瀬優の姿だった。


 だが、一瞬で、その光景は見えなくなる。孜々の視界は、ブラックアウトする。

 何か重い物で、頭部を思い切り殴られたような感覚。孜々の頭には、そんな衝撃が走った。


『君の分まで、私たちは生きる』。


 そんな、都合の良い言い訳を真正面から否定されたかのように、痛みが襲い掛かってきた。

 脳が揺れ、気を失う。


 生きることへの執着心。


 父親の愛情は、その執着心に、打ち勝つことはできなかった。


 

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