病夢とあんぱん その19


 とあるはいビルの屋上。眼下に広がる風景を見えながら、溜息ためいきをつく少女がいた。


 名前を西にしむかよしという。先月、十四歳になったばかりの女子中学生である。

 では、そんな女子中学生が廃ビルの屋上で何をやっているのか?解答例を二つ挙げてみよう。


 ①お手伝い。

 ②犯罪。


 ①は西向井から見た場合。②ははたから見た場合の解答である。


(なんで私、こんなことやってるんだろ・・・)


 「こんなこと」というのはつまり、西向井の所属している組織の上層部、いわゆる「偉い人」から任された「お手伝い」である。

 とはいっても、彼女の「お手伝い」はこの時点でほとんど終了している。ターゲットであるやなゆうという男をおりほとりから引き離し、目的の地点まで誘導した時点で「お手伝い」の目標は達成されたも同然なのだ。後は、自分の組織に帰るだけである。

 『きゅうだんやまい』。

 それが彼女の抱える『やまい』であり、与えられたかせである。彼女の投げたものは、どんなものであってもじゅうだんとなる。

 ペティナイフも、コンパスも、ハサミも、ボールペンも、包丁も。

 彼女の意志には関係なく。かぼそい腕力にも関係なく。

 投げたものは、人を殺し、物を破壊する銃弾となる。

 その『糾弾の病』によって、彼女の人生は狂いだした。具体的には、誤って親友の脳を打ち砕いてしまった時点から。

 とはいえ、これはまた別のお話だ。


(いざとなったら、殺してもいいって言われてたけど・・・そんなの無理だよ・・・)


 「お手伝い」を達成した今となっても、彼女の表情は晴れなかった。むしろ、うつむき、今にも涙がこぼれ落ちそうなくらい、唇を噛みしめていた。

 彼女が女子中学生であるというのは、本来ならば、という意味だ。厳密には、彼女は現在中学校に通ってはいないので、中学生を名乗るのはおかしな話である。

 しかし、彼女が十四歳の多感な女の子であるという事実は、中学生であろうが、なかろうが、厳然げんぜんたる事実なのだ。たとえ、「偉い人」に「人を殺してもいい」と言われていたとしても、それを実行することはできなかった。

 柳瀬優がトイレに入ったという連絡を「相方」から受けた彼女はまず、氷田織畔を狙った。『糾弾の病』によって発射される銃弾で、軽い怪我を負わせ、その場から氷田織を離れさせるつもりだった。

 ひらりと、かわされてしまったが。

 とはいっても、彼女はそれでショックを受けたりはしなかった。むしろ、なるべく他人に怪我をさせたくないと考えている彼女にとっては、好都合だったのだ。だから、その後もなるべく氷田織を傷つけないように追い詰めた。柳瀬を誘導する方向と逆方向、つまり、ショッピングモールの方へと追い詰めた。

 氷田織がショッピングモール付近の建物内に入ったのを確認したところで、次は柳瀬に狙いを定めた。柳瀬の逃亡ルートをコントロールし、「相方」と打ち合わせをしていた目的地まで彼をさそい込んだ。

 彼女はその点において、非常に優秀だった。ほぼ作戦通りに、事を運んだのだ。女子中学生にしては、これ以上望むべくもないくらいに優れていた。


(あの氷田織って人・・・しばらく建物の外には出てこれないだろうな・・・)


 そもそも、こんな「お手伝い」自体、彼女は乗り気ではなかったのだ。自分の大嫌いな『病』によって他人をおどし、人殺しの幇助ほうじょをするという「お手伝い」なんか、進んでやりたくはなかった。

 その『病』によって他人を殺すなんて、もってのほかである。


(でも、後はあの人がやってくれる。柳瀬って人を殺すのは、私じゃなくてあの人のお仕事。もしかしたら、氷田織って人も殺すのかも・・・)


 彼女は体育座りになって、風景を見渡す。特に何かを考えているわけでもなかったが、帰る前に自分の気持ちを落ち着かせかったのだ。


(戻りたい・・・)


 普通の中学生に戻りたい。と彼女は思った。

 友達と何気ない話で笑い合っていたあの頃に。

 勉強を頑張ったり、サボったりしていたあの頃に。

 趣味のテニスに没頭ぼっとうしていたあの頃に。

 戻りたいと、切実に願った。


(なんで、私、こんな・・・)


 ついに、彼女の目からは一粒、二粒と涙がこぼれ落ち始めた。

 なんでこんなことを、私がしなくちゃならないのか。

 こんな、犯罪者みたいなことをしている自分が悔しくて、泣いた。

 変な『病』を背負ってしまったことが悲しくて、泣いた。

 『病』で脅してしまった人に申し訳なくて。自分を生んでくれたお母さんとお父さんに申し訳なくて。


 何よりも。

 親友に申し訳なくて。

 彼女は、泣いた。


(もう、帰ろう・・・)


 どれくらい泣いていたのだろう?10分だったかもしれないし、一時間だったかもしれない。

 もしかしたら、一日中泣いていたのかもしれない。

 帰ったら、ちゃんと偉い人たちに言おう。もうこんなことをしたくないって。今回は渋々引き受けたけれど、もう二度とこんな、犯罪者みたいな真似まねはしたくないって言おう。


 もうこんなことをさせないでください。


 普通の中学生に、戻りたいんです。


 そう、言おう。

 彼女は、脇に置いておいた、武器(鋭利な刃物やら、細長い文房具やら)の入ったリュックサックと双眼鏡を持ち上げて、立ち上がろうとした。


 彼女は、非常に優秀だった。


 しかし、おとっていた。


 人を殺せないという点において、非常に劣っていた。


「こんにちは」


 そんな挨拶あいさつが聞こえたとき、彼女は後ろを振り向こうとした。

 振り向けなかった。

 振り向くことも、立ち上がることも、彼女には出来なかった。


 誰かの素手すでが、自分の首筋に触れるのを感じた。


 普通の中学生に戻ることも出来ず。

 大人になることも出来ず。

 こうして。


 西向井由未の十四年という短い人生は、幕を閉じた。


 彼女のほおを、涙がつたった。


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