病夢とあんぱん その12

 ぐっすりと眠ってしまった。


 布団に寝転んでから、五分も起きていられなかったように思う。

 ただの危機感の足りない奴である。ことなしが聞けば、呆れに呆れて、言葉を失ってしまうかもしれない・・・。下手をすれば、絶交かな。

 ふと腕時計を見ると、時刻は六時ちょっと前だった。あれだけ疲れていたので、たとえ寝てしまったとしても、約束通りの時間には絶対に起きられないだろうと思っていたのだが、どうやら約束を守ることはできそうだ。

 働かない頭のまま昨日着ていた服に着替え、部屋を出る。

 ホールに下りると、テーブルを四人の人間が囲んでいた。

 おきさん。莉々りりちゃんと呼ばれていた女の子。坊主頭で調理着のような服を着た、見知らぬ男。そして、ジャージの女性。

 はたから見たら、まったく何の集まりか分からない。


「おはようございます。ゆうくん」

「・・・おはようございます」


 僕は沖さんの挨拶に返事を返す。呼び方が親しくなっていることを、少し気にしながら。


「どうぞお座りください」


 沖さんは自分の隣に座るよう、僕に促してきた。

 大人しく、示された椅子に座る。


「昨晩、優くんのマンションで起こった火事では、死者は一人も出なかったそうですよ。多少の負傷者は出たようですが・・・亡くなった方がいなかったのは、不幸中の幸いでしたね」

「はあ・・・。そうですか」


 気のない返事を返す。


(そういえば、火事の被害者とかそういうことは、全然考えてなかったな・・・)


 我ながら、自分のことしか考えていない奴である。

 僕が椅子に腰かけたことで、テーブルの周りには、僕の左側から、沖さん、莉々ちゃん、ジャージの女性、坊主頭の男が座っているという形になった。


「皆さん、本日の朝会に集まってくださり、ありがとうございます」


 沖さんがペコリと頭を下げる。


「今日は『海沿かいえん保育園』の新しい住人を紹介します。こちら、やな優くんです。優くん、挨拶をお願いできますか?」

「あ、はい。ええと・・・柳瀬優です。よろしくお願いします」


 小さく頭を下げる。

 僕の自己紹介に対する反応は様々だった。

 莉々ちゃんは小さく頷いただけだった。

 坊主頭の男は「よろしく」と微笑んでくれた。

 ジャージの女性は、無反応。

 なんだか新しい学校に転校してきたみたいだ、と思った。いや、転校したことなんてないけれど。


「では、改めて自己紹介をさせてもらいます。沖飛鳥あすかです」


 沖さんの自己紹介をきっかけに、各々おのおのが自己紹介を始めた。


空炊からたきほうだ」


 と名乗る坊主頭の男。


「ここの保育園の調理員をやっているよ。ここの住人のめしは、基本的に俺が作ってる。この格好を見れば、分かるかもしれないけれどね」


 自分の調理着をつまみながら言う空炊さん。

 調理員。

 なるほど。確かに、集団生活を行う上で、それらの人間の腹を満たすことのできる調理員は必要不可欠だろう。

 ご飯は大切である。


「私はしんじょうじん


 肩肘をつきながら、素っ気なく言う、ジャージの女性。

 なんだか、男っぽい名前だ。


「男っぽいってのは、褒め言葉として受け取っておいてやるよ」


 ふん。と、嘲るかのように笑う、信条さん。

 ・・・昨日から思ったが、僕はそんなに考えていることが、顔に出ているだろうか?


「んで、そっちが機桐はたぎり莉々」


 信条さんは、親指で莉々ちゃんのことを示しながらそう言った。

 再び、コクリと小さく頭を下げる莉々ちゃん。どうやら、話すのが苦手なタイプの女の子のようだ。まあ、僕も会話が得意な人間ではない。他人のことは言えないな。


「それで、今、保育園にいる大人は全員だ。まあ、厳密には莉々は大人じゃねえけどな。あとは、バカのおりと、ばたじょうって奴がいる。二人とも、仕事で外に出てるけどよ」


 信条さんが補足説明をしてくれた。

 バカの氷田織って。

 相当嫌っているのだろうか?確かに氷田織さんは、他人に好印象を与えるタイプの人間ではなかったが・・・。


 保育園にいる大人。

 沖飛鳥。

 氷田織ほとり

 機桐莉々。

 空炊芳司。

 信条陣。

 そして、顔も知らない男。炉端丈二。

 では、他は全員園児、ということなのだろうか?


「園児はどれくらいいるんですか?」

「十五人ですね。二歳児から五歳児まで全員含めて、十五人ですよ」


 十五人。頭の中でもう一度、その数字を繰り返す。

 保育園の規模なんて、僕には見当もつかないけれど、おそらく、かなり小規模な保育園なのではないだろうか?もっとも、国に認められた保育園、ということではもちろんないだろうが。


「でさ、じいさん」


 と、自己紹介も一段落したところで、信条さんが切り出した。


「いろいろ事情あって、ここに連れてきたんだろうが・・・一体、こいつにどこまで話した?」


 僕の方を指さしながら、そう言った。

 まさか、話して数分で「こいつ」呼ばわりされるとは。


「ほとんど、ですね」


 沖さんが答える。


「ほとんど?ほとんどだって?」


 眉をひそめて、信条さんが問いただす。


「分かっているとは思うけどな、爺さん。それが本当なら、こいつはもう死んだも同然みたいなもんだぞ」

「え?」


 いや、死んだも同然って。そこまで言ってしまうのか?


「お前さ、聞かなかったのか?この爺さんから。知っちまうことの危険性を」

「いえ、聞きましたけど・・・」

「はあ?じゃあ、聞いた上で『やまい』のことを知ろうとしたのか?」

「はい」

「いやいやいや、はいじゃねえよ。ったく、とんだ馬鹿野郎だな・・・」


 今度は馬鹿野郎呼ばわりされてしまった。凄いな、この人。初対面の人間に対して失礼過ぎる。


「命の危機、ね。聞いても聞かなくても、一緒ってか?そうでもねえんだけどな・・・。楽に死ぬのと、苦しんで死ぬのと、どっちがいいと思ってんだ・・・。まあ、ご愁傷さんだな」


 まるで、僕の心中を全て悟ったかのように語る、信条さん。

 どうやら僕が死ぬことは、彼女の中で確定らしい。

 うーん・・・僕は結構生き残る気まんまんだったんだけれど・・・。


「彼は死なせませんよ。陣さん。私たちが全力で守ります」

「私たち、だぁ?それは結局、氷田織や私の仕事になるんじゃねえのか?ふん。爺さん、何度も言うけどよ、あんたに守れるもんなんか何もねえんだよ」

「守りますよ。私が。命を懸けてでも」

「そりゃ、あんたの命ほど軽いもんはないだろうな・・・」

「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよ、信条さん。さすがに沖さんに失礼じゃ・・・」


 と、ここまで傍観ぼうかんしていた空炊さんが、信条さんを落ち着かせようとする。

 しかし。


「うるせえよ、空炊」


 ビシリと言い放たれ、空炊さんはしゅくしてしまった。

 「ふう・・・」と呆れたように溜息ためいきをつく信条さん。


「まあでも、知っちまったなら仕方ねえか・・・。せいぜい、一生懸命に生きろよ柳瀬・・・だっけか?」


 話は終わりだとばかりに言い放ち、信条さんは席を立つ。そのまま階段の方へ向かおうとした。

 立ち去る?

 まだ話し始めて、十数分だぞ?


「ちょっと、待ってもらえますか?信条さん」

「あん?」


 しかし、僕は立ち上がり、その背中に声を掛ける。

 もっと信条さんと話したい、と思ったわけではもちろんない。

 このままではマズい、と思ったのだ。

 どうやら、この保育園の住人は、全員が一致団結しているわけではないのだということが分かった。うちめが多そうだ。

 だが、別にそれはいい。それはどうでもいい。

 問題は、ここで信条さんに見放されてしまえば、僕の生き残れる可能性が低くなるかもしれない、ということだ。

 信条さんは、この保育園の中でも、かなり幅を利かせている人のようだ。先ほどの沖さんとの短い会話でも、それは伝わった。

 それだけの力を持っている人なのだろう。

 そして、そういう人に見放されるのはマズい。

 味方は多い方がいいし、強い方がいいのだ。


「ふん。別に見放してるわけじゃねえよ」


 と、ここでも彼女は、僕の心を見み透すかしたかのように言った。


「私のできる限りでは守ってやる。死にそうな奴がいれば、助ける。それは当然のことだろう?」

「そりゃあ、まあ、そうですけど・・・・」


 どうも掴つかめない人だ。非常識なくせに、変なところで常識的である。

 助けを求められれば、絶対に助けるという沖さん。

 死にそうな人は助けるのが当然だ、という信条さん。

 仲が良さそうには見えない二人だが、根本的なところでは似通っているのだろうか?


「似通ってない」


 うん?今、なんと言った?


「何でもない。私たちのことを全然信用できない柳瀬くんに、一ついいことを教えてやるよ」


 全然信用していない、というのは心外だ。

 せめて、「あんまり信用していない」だろう。


「なんですか?」

「私の『病』のことについてだよ。これは言っておかないと、プライバシーの侵害になるからな・・・」


 どうやら、沖さんに引き続き、彼女も『病』のことを教えてくれるらしい。

 ありがたい。

 できることなら、全員の『病』のことも知りたいくらいだ。正体不明な人たちと、生活を共にしたくはない。


「随分なことを、考えてくれるじゃねえか」


 またしても、「ふん」と嘲るように鼻を鳴らす信条さん。

 おっと、またしても顔に出てしまっていただろうか?

 しかし、僕は知ることになる。

 思っていることが、彼女に伝わってしまうことの原因を。それは、ここ数時間で僕の表情が急激に豊かになった、わけではなかったのだ。


「私が抱えてんのは」


 と、彼女は特に思うところがないように、語る。

 しかしやはり、それは彼女にとって、コンプレックス以外のなにものでもなかったのだろう、と後に僕は思う。


「『真空しんくうせいげんのうぜんやまい』だ」


 彼女が、その長ったらしい『病』の病名を口にしたとき。


「私には・・・お前らの話している言葉が、理解できない」


 彼女はほんの少しだけ、ちょう気味に笑った。

 

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