第74話 決戦前夜
祭りの日まで後一日と迫った夜。街は準備に追われる人々と既に盛り上がり始めた人々で大いに賑わっていた。
大通りには屋台の骨組みが並び、その隙間を縫うように資材を運ぶもの、食材を運ぶもの、ただ冷やかしに来たもの――誰も彼もが明日の到来を待ち望んでいた。
「すごい人ですね……」
人の波をすり抜けるアインは、周囲を埋めつくす人の姿と声に興奮気味に呟く。人混みが苦手な彼女には珍しいが、それほど漂う熱気は凄まじい。
腰に提げられたユウも同意する。
「4年に一度の街を挙げての祭りってだけあるな。っと、道は大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。次の角を右です」
アインは、手元のメモと目の前の道を確かめ進んでいく。
船に使うための酒を取ってきて欲しい。
アインがマシーナから頼まれたお使いは、そんな内容だった。
船に使うと言っても、動力源とかではなく無事を祈るために使うのだと言う。『無事に航海できるように』という海岸沿いの船乗りの風習が伝わったものだと彼女は言っていた。
「けど、いいんでしょうか。船の最終調整とは言え、前日に休んでしまって」
「今更慌てても仕方ないさ。そのブーツにだって慣れたんだろ?」
「ええ、だいぶ」
アインは足元のブーツを見やる。シンプルな革製のブーツだが、靴底側面には文字めいたものが刻み込まれていた。
「とは言え、腕と足の重さは慣れましたが嫌になります。早く外したいですね」
「耐えろ。『我慢したほうが気持ちいい』って言ってただろ」
「……ユウさんが言うとセクハラっぽいですね」
「始めに言ったのはツバキだろ、そっちに言ってくれ」
そんなことを言い合っていると、目的の酒屋にたどり着く。観光客向けの派手な店とは違い、質実で落ち着いた外装の店だった。
ドアを押すと、ドアベルが店内に響く。その音に店主と先客が振り返り――アインは息を呑む。
「――お前か、アイン=ナット」
鈍色の乾いた目をした男――エドガー=レーゲンバーは彼女を一瞥して言う。相変わらず何の揺らぎも見いだせない瞳だった。
その雰囲気に飲まれまいと、アインは拳を固めて返す。
「……ええ、マシーナに頼まれて」
「祈り酒か、それなら高いやつにしておけ」
「それは、何故ですか」
「祈りが終われば口にするのはマシーナだ。安酒では文句が山のように出るだろうよ」
ほんの僅かに口元を緩めてエドガーは言う。怒り以外に初めて見せた僅かな人らしさだった。
「彼女とは長い付き合いなんですね」
「生まれた家が近かったのだよ。その縁で奴の面倒を見ることもあった」
「……昔、溺れた彼女を助けたと聞きました」
「ああ、そんなこともあったな」
アインは続く言葉を躊躇っていた。
触れたくないものに再び触れさせて良いのだろうか、と。
しかしそれを振り切り、彼の目を見据えてはっきりと問う。
「貴方は、その時何に対して怒りを抱いたのですか。それは少なくとも、マシーナではないはずです」
「――その問いに何の意味がある」
静まり返った店内に瓶と瓶がぶつかりあう音が響く。エドガーから滲む怒気に、店主が手を滑らせたのだ。
店の外の喧騒すら遠く聞こえるような沈黙が二人の間を流れる。張り詰めた空気は静かで耳に痛いくらいだ。息が詰まりそうな空間で、しかしアインは口をつぐみはしない。
「貴方は、誰のために報復しようというのですか。本当に、それは貴方の望みなのですか」
「誰が為に? 誰が望む? そんなことを今更問うか!」
瞳から、口から、両手、両足――全身から怒りを噴き上がる。それは、深く何かを憎まねば生まれることはない炎だ。
だが、その憎んだものとは?
後ずさりそうになる足をアインは必死に止めて、尚も問い続ける。
「答えてください、貴方の意志は――」
「私への復讐。それ以外にあるものか」
アインの言葉を遮ったのは凍った湖面のように冷たく、抑揚の無い声だった。振り返った先には立つのは、オールバックの男性。
その男の名を、アインは呟く。
「アルベール=ハービヒト……」
鷹のように鋭い目をした老紳士は、アインもエドガーも意に返さず二人の間を横切りカウンターへと向かう。固まっていた店主は、慌てて棚から取り出した酒瓶をカウンターに乗せた。
淡々と支払いを続けるアルベールの背に、エドガーは吼える。そうしなければならないと、犬歯をむき出しにして噛みつかんばかりに。
「そうだ! 何故かと聞かれれば誰もがこう答えるだろう! 略奪者への報復! それ以外に理由が必要なものか!」
「ああ、そうだ。お前は復讐を果たすべく私に挑む。私はギルド長として受けて立つ。それだけの話だ」
「然り! それ以上の理由など不要だ!」
視線を交えぬままの会話。炎と氷の相反する二人のそれは、刃物を喉元に突きつけているような鋭さと危うさがあった。
触れれば切れてしまいそうな空気の中、しかしアインは怯まず切り込んでいく。
「貴方達が何のためだと口にしようと、私はそうは思いません。そして、このまま迎えるであろう結末を黙認することも出来ません」
「だから、俺達を止めると?」
「傲慢だな」
わかっている、そんなことは。だけど、それでも――。
「それでも、放っておきたくないと思ったんだ。それが俺の――」
「私の――私たちの意志です」
ユウの言葉を引き継いだアインは、毅然とした目でエドガーと振り向いたアルベールを見据える。
見知らぬ青年の声にも、二人は表情を変えることはない。ただアインの真意を見定めるように、乾いた目と凍った目で見つめるだけだ。彼女はそれから目を逸らさず、睨み返すように視線をぶつける。
誰もが一言も発さず、呼吸すら忘れてしまったのでは錯覚するような僅かな――しかし永遠とすら感じられた時間は、
「……ならば、それを示してみせよ。我らが戦場に足を踏み入れたなら、その覚悟は出来ているはずだ」
視線を切り、その場から立ち去ろうとするアルベールの言葉で終わりを告げる。一瞬安堵の呼吸をしたアインは、すれ違った彼の背中越しに答える。
「ええ、そのつもりです。そして、必ず勝ちます」
「素人如きが、と侮るつもりはない。立ち塞がるなら全力で叩きの潰すまでだ」
そう言い残すと、アルベールが去ったことをドアベルが告げる。それを背中で聞きながら、アインは残るエドガーを見やる。
噴き上がっていた怒りは静まり、炎に揺らいだ瞳は乾いた色だけを映し出していた。嘘のように平静を取り戻した空間に、店主はむしろ戸惑ってるようだった。
「一つ、訊ねたいことがある」
不意にエドガーが口を開く。
「俺を止めるのは自分たちの意志だと言ったが、マシーナは関係ない――そういうつもりか?」
「……ええ。彼女に求められたわけじゃありません。助けたいと思い、その力を求めたのはここにいるユウさんです」
彼はここにいると存在を示すようにアインは鞘を叩き、
「そして、誰かが望んだからではなく、私自身の意志でそれに答えた。マシーナが協力してくれたのはそれからです」
自身の口で臆すこと無く答える。それにユウは続く。
「俺は喋ることしか出来ない。だけど、だからって崖に突っ走る人間を見て見ぬふりはしたくない。声を掛ければ助けられるかもしれない人を、助けたいと思ったんだ」
剣が喋ったことにもエドガーは動じた様子も無く、淡々と言葉を返す。
「それだけで、人を助けるというのか?」
「それだけで、十分じゃないのか?」
一瞬、息を呑んだエドガーは、
「――――ああ、そうだな。まったくその通りだ」
陽溜まりのように穏やかな声をこぼす。
それに何か言いかけるアインだったが、
「だが、止まるつもりは無い。望みを叶えるべく俺はここに立っているのだから」
乾いた土地に差した一筋の光は、しかし直ぐ様灰色の雲に遮られてしまう。
「貴方は……」
「それ以上言うな。これ以上の対話は無意味。何を告げようと俺が意思を変えるつもりはない」
発しかけた言葉をアインは飲み込み、一瞬沈痛な表情を作る。だが、すぐに顔をあげるとエドガーに指を突きつけ布告する。
「……そのようです。ええ、いいでしょう。決着は明日、戦場でつけましょう」
「それでいい。楽しみに待つとしよう」
そう言って、エドガーはコートを翻し店から去る。その背中をアインは歯がゆそうに見送っていた。
だが、すぐに踵を返すとカウンターまで突き進み、呆ける店主に告げる。
「一番いい酒を一本、お願いします」
「お、おう……すぐに」
ただならぬ雰囲気の少女に、店主はちらちらと視線を送りながらも棚から酒を取り出していく。それを待つ間、アインはじっと時計を睨んでいた。
決戦まで、後16時間。
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