第71話 初めての船出

 スライダーオブスライダーに旅人のチームが出場する。

 その噂は、アイン達が出場を申し込んだ次の日には街中に広まっていた。数世紀の歴史を持つこのレースにギルド以外のチームが参加するのは、数十年ぶりのことだ。

 ただの無謀者か、それとも無名の実力者か――街で交わされる会話の大半がその手の話で持ちきりだった。


「お前は誰が勝つと思う?」


 船着き場の桟橋、そこに置かれた樽に腰掛けて休憩する男は仲間の一人に喋りかける。

 話しかけられた男は、少し考えてから答えた。


「希望としてはエドガーだな。ギルドの鼻っ柱を折ってもらいたい」

「俺もそうして欲しいけどよ、勝つならアルベールじゃねえか? 老いたとはいえ実力は折り紙付きだ」

「ああ? ギルド長直々に出てくるってのか?」

「そういう噂だぜ。そもそも、旅人が来なければ一騎打ちだったって話だ」

「そういや、その旅人ってどんな奴だったんだ?」


 男たちの前を目深にフードを被った人物が歩いて行く。その腰には、飾り気のない剣が提げられていた。


「顔はフードを被ってたからわからなかったらしい。けど、登録名はあのアイン=ナットだったらしいぜ」

「アイン=ナットって、声だけで魔術協会のトップをバラバラにしたっていう?」

「らしいぜ……おい、あんた。どうした、そんなところで倒れて?」


 うつ伏せに倒れたフードの人物に男は声を掛ける。

 腰に飾り気のない剣を提げたその人物は、なんでもありませんと小声で言うと、逃げるように男たちから離れていく。


「しかし、本当にそのアインなら何が目的なんだ?」

「さぁな。俺はこの間まで知らなかったが、魔術師連中には有名だったらしい。その関係じゃねえのか?」

「魔術師ねえ。あいつらも水路を整備してくれるのは有り難いが、何を作ってるのかよくわからんしな」


 遠巻きに聞こえる男たちの会話に顔を俯かせながら、フードの人物は桟橋の端まで到達する。

 そこには数人乗りの小さな帆船があった。中央のマストの帆は、今は畳まれている。

 その後ろには麻布で包まれた何かが繋留されていた。小型帆船よりもさらに小さく、水面に接している部分は船底のような形をしている。

 桟橋が軋む音で気がついたのか、先に帆船に乗っていた赤い髪の少女――ラピスが顔を上げる。


「来たわね、アイン」

「遅れてすいませんラピス……」

「悪いな、起こしたんだけど寝起きが悪くて手間取った」


 フードの人物――アインは、ラピスの手を借りて船に降り立つ。重さで沈む足場におっかなびっくりという様子だったが、ラピスの対面に腰掛けると息を吐いてフードを取る。


「はぁ……また変な噂を立てられてました……。顔を隠して申込んだのは正解でしたね」

「いいじゃない、名が売れるっていうのは悪いことじゃないでしょ?」

「そうかもしれませんが……ところで、彼女は何処に?」


 アインがそう訊ねた時だった。


「おお、そなたが噂のアイン殿でござるか!」

「ッ!?」


 不意に頭上から掛けられた声にアインは飛び上がり、声の先を睨みつける。突然声を掛けられた彼女が見せるいつもの反応だ。

 そして、睨まれた相手は怯むというのが常なのだが、


「うむ、その眼光鋭さは、まさに噂に違わぬ目の持ち主! 拙者が力を貸すにふさわしい人物と見た!」


 睨まれたマシーナは、怯むどころかむしろ嬉しそうに目を細めていた。

 意外な反応と珍妙な言葉遣いにアインだけでなくユウも戸惑う。まさかサムライとニンジャというわけではあるまい。

 見知らぬ人物に固まるアインの肩をラピスは叩き、窘める。


「はいはい、そうやって睨まない。彼女はヴァッサ魔術協会の技術主任マシーナ=マッキナよ。後ろの掟破りの提供者でもあるわ」


 ラピスは船の後ろに係留されたものを顎で示す。

 布を被せられた掟破りを見やり、そして半信半疑といった顔でマシーナを見やるアイン。


「マシーナ……。そう、ですか。貴方が……」

「おや、何か気になることでも?」

「い、いえ……思っていたよりもずっと若かったので……」


 彼女の背丈はツバキ以上アイン以下で、顔つきもあどけなさが残っている。技術主任という肩書には些か不釣り合いな少女だ。

 アインの言葉を気にしたふうもなく、マシーナは朗らかに笑って答える。


「ああ、そりゃあそうでござるよ。そもそも技術主任なんて大層な肩書こそあれど、部下は一人もいないワンマンチーム故な」

「……? それはどういう」

「まっ、それは後にするでござるよ。船を操りながらでも話は出来るでござろう」


 掛け声と共にマシーナは、桟橋から船へと飛び移る。揺れる船体に、アインは小さく声をもらした。

 その様子を見て、マシーナは訊ねる。


「おや、アイン殿は船は初めてかな?」

「は、はい」

「ははは、そう怖がることもあるまい。落ちれば水に濡れる程度よ。もっとも、安易に舐めてかかるのも過剰に恐れることと同じくらい禁物であるが」

「そうよ、これから操縦練習するってのに、このくらいでビビってたらどうにもならないわよ」

「わかってますけど……わかってますが……」


 体を丸めて船の縁から手を離さないアイン。何をそこまで怖がるのかとユウが訊ねると、


『その……マシーナがぐいぐい来るタイプなので……間合いを掴みかねているというか。そのついでに船も恐ろしく感じて……』

『普通に話せばいいだろ……って言いたいけど、キツイなら変わってやるから、顔だけでも緩めといてくれ』

『お願いします……』


 二人が相談を終えた時、そう言えばとマシーナが紙袋をアインに差し出す。


「ラピス殿から聞いたが、アイン殿は甘いものが好きだとか。船が初めてなら、景色を楽しみながらビスケットを食べるといい。気が紛れ――」

「ありがとうございます、マシーナ。そのようにさせてもらいます」


 彼女が言い終わるよりも早く、アインは紙袋に手を突っ込みビスケットを頬張る。さくさくした生地と程よい甘さに、強張り気味だった表情は瞬く間に解けていく。

 おやつを貰っただけで警戒を解くとは、犬猫と精神構造が変わらないのでは。呆れるユウは、視線をラピスに移す。

 このアイディアは彼女が提案したのだろう。とりあえず甘いものを食べさせれば機嫌が良くなるというのは、ある程度付き合っていればわかることだ。自分よりも付き合いの長い彼女なら、それくらい知っているだろう。

 そう考えると――何故か嬉しくなった。それが自分でも不思議だ。二人きりで楽しんでいるのを見た時は、パートナーを取られて妬いているのか、とツバキにからかわれたというのに。


「では、出発するでござるよ」


 思考を進める前に、マシーナの声でそれは中断させられる。

 まあ、いいかとユウは再びアインに視線を向ける。


「ラピスもどうですか、美味しいですよ?」


 幸せそうに頬を緩めるアインと苦笑しながらもビスケットを受け取るラピスを見ていると、瑣末ごとだと感じたからだ。 





 帆船は、南の水路から川の支流に乗り、そこからさらに本流へと出る。この船が数十隻並んでも幅を埋めるには不十分な程に川幅は広く、緩やかに流れる水面は陽光を反射し輝いていた。


「不思議な感じですね……こうやって水の上に浮かんでいるというのは」


 前後左右全てを水に囲まれた状況に、アインはそんな感想をこぼす。だいぶ余裕が出てきたのか、船体から手を離し眩しげに水面を眺めている。


「けど、悪い気はしないでござろう? 水を切って進むというのも、なかなか面白いものでござるよ」


 マシーナは、櫂を操りながら言う。彼女の華奢な腕で漕ぐには船は大きいが、マストに広げられた帆がそれを助ける。下辺が上辺よりも長い四角形の帆は、自ら風を生み出し推進力へと変換していく。一般的にイメージされる帆よりも一回り小さいが、得られる速度はそれ以上だった。

 凪の水面を切っていく船首を眺めていたラピスが、ふと思い出したように口にする。


「さっき、部下は一人もいないって言ってたけどどういうこと?」

「ああ、それでござるか。なに、よくある話よ。才能があると言っても拙者は若輩者、実力だけで取り立てれば面白くない連中も大勢いる。されど、放逐するには惜しいと考えた末が、名ばかりは立派な役職を与えての飼い殺しということでござる」

「ふぅん、上層部は機械嫌いってとこかしら?」


 掟破りと名をつけたのは、魔術と機械を融合させた故だろう。自分たちの立場を奪った機械を快く思わない魔術師達は未だ多い。


「まさしく。嫌うのは勝手でござるが、工具に細工するのは困り果てたもの。グラインダーのときは、危うく指が吹っ飛ぶかと思ったでござる」


 ケラケラとマシーナは笑っていたが、アインとラピスは笑えない。彼女らも、その手の嫌がらせを受けたことがあるからだ。才能があるものを妬むのは仕方ないことだが、それを行動に移されては堪ったものではない。


「……まっ、そういう奴らは力を示してやればすぐ黙るわよ」


 あっけらかんと言ってのけるマシーナを憧憬の目で見ながらアドバイスを送るラピス。


「ええ、そうですね。一発ガツンと決めれば黙りますよ」


 同じくアドバイスを送るアインだが、何故か要所要所に『物理的に』と挟みたくなるのは日頃の行いのせいだろうか。

 ユウがそんなことを考えていると、失礼なと言わんばかりに鞘が小突かれた。


「心配は有難く、されど無用でござるよ。孤立はしていても、孤独ではありませぬ。……今は炎に包まれていようと帰る場所もある。十分過ぎるほど幸せ者よ」


 そう言ってマシーナは振り返り、今は見えない街を見やる。そこにいる誰かを想うような遠い眼差しだった。

 顔なじみとは聞いていたが、この様子ではそれだけでは無さそうだ。そう思ったユウは、情報を得るべく訊ねる。


「エドガーは、昔からああいう人だったんですか?」

「まあ、そうでござるな。あまり感情を出さず、黙々と求められたことに答え、何よりも家の名誉を大切に想う――そんな人物であった」

「では、激しく怒るようなことは無かった?」

「そう……いや、一度だけ強く怒りを発揮したことがあったでござるな。拙者が10歳くらいのときだったか、水路に落ちて溺れかけたことがあったが、それをエドが助けてくれたのでござる」


 そう言ってマシーナは顔を曇らせる。


「しかし、拙者を見守るよう言われていたエドは、父親に強く叱責を受けたのでござる。悪いのは自分だと言えれば良かったが、泣くばかりで何も言えなかったのが今でも口惜しい……」

「父親から叱責されて逆ギレってこと?」


 ラピスの言葉を、マシーナは力強く首を振って否定する。


「いやいや、そうではござらん。拙者もどうして怒っていたのかはもうわからないでござるが、そんなことで他人に怒りを向ける人手は無い。それは断言できる」


 そういい切るマシーナの目は、エドガーに対する信頼と――それ故の不安が混ざり合っていた。

 だからこそ、どうして怒りを燃やしているのかわからない。沈んだ表情で彼女は続ける。


「優しい男でござるよ、エドは。拙者がサンドイッチのハムだけ食べた時も、彼の家の倉庫からこっそり材料をちょろまかした時も、徹夜で作業を手伝わせて拙者が先に寝てしまった時も――叱りはすれど『仕方ない』と受け止めてくれたでござる」

「……それは、ただ諦められているだけでは?」


 率直な意見を述べるアイン。ラピスも頷いて同意していた。

 思っていた反応と違ったのか、マシーナは慌てて付け加える。


「ち、違うでござるよ! あいつは誰にでもそうでござった! 嫌がらせをしてきた相手だろうと反省すれば許したし、助けを請われればどんな相手にも手を貸したのでござる! せ、拙者の行いを諦めているとかそういうのではござらん!」


 それでも生暖かい目を向け続けるアインとラピスに、マシーナは肩を震わせていたが、


「もう! さっさと行くでござる!」


 不貞腐れたように言うと、水面に叩きつけるように櫂を漕いでいった。

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