第60話 剣は狐耳少女の共犯者となる
ヴァッサの街路は、東西南北に走る大水路を基本とし、そこから網の目のように大小の水路が張り巡らされている。運搬の中心は馬車ではなく船であり、美しさを念頭にデザインされたこの街を訪れる観光客も多い。
水路を進む小舟の船頭に子どもが手を振ると、船頭も笑顔で振り返す。街路には、そんな暖かい光景が繰り広げられていた。
しかし、そこを歩くアインは街の美しさも心暖まる光景も目には入らない。意識の殆どは、隣を歩くラピスに割かれていた。
「なんでそんなぎこちないのよ。素人が造ったリビングメイルみたいよ」
「い、いやだって……デートなんて言われたら……」
「大袈裟ね。買い物したり観光したりするだけなのに。昔もしたでしょ?」
「その時もこんな風でしたよ……」
「……そうだったかもね」
緊張を口いっぱいに詰め込んだアインの表情は険しく、その上黒い外套のフードを被っているため余計に怪しい。その隣を快活な雰囲気のラピスが歩いているため、すれ違う人から好機の視線を集めていた。
こほんとラピスは咳払いし、気を取り直したように言う。
「でも固く考える必要はないわよ。これは依頼でも何でもない、ただの遊びなんだから」
「遊び……」
「そっ。私もやっと協会の仕事が落ち着き始めたし、羽根を伸ばしたいところだったの。それに付き合って欲しかっただけ」
「ああ、なるほど……。でも、どうしてツバキは別行動を?」
「あの娘がいると落ち着かないでしょ。ああいや、コンテストの時みたいにふらふらされると困るって意味」
慌てて付け加えるラピス。
それもそうだとアインは同意する。ツバキは前触れ無く妙な要求をすることがあるので、ゆっくり休みたいのなら別行動が適当だろう。
「そういうこと。ほら、いつまでもフードなんて被ってないで。風景だってよく見えないでしょ」
「わっ、ら、ラピス……いきなりそんな……」
フードを強引に剥がされたアインは、向けられる視線から逃れるように、あたふたと手で顔を隠そうとする。その様子がおかしくて、ラピスはつい吹き出してしまう。
「なに、そんなに嫌なの?」
「落ち着かないんです……顔を出していると、いきなり知らない人に声を掛けられることが多くて……」
「知らない人?」
「はい、名前も知らないのに『これから食事でもどうですか』などと……とても恐ろしい……」
「……あんた、それって」
ラピスはそこで発しかけた言葉を飲み込み、
「いや、何でもないわ。そうね、それが嫌なら一人の時は被ってなさい」
軽く言って視線をアインから前に戻す。その目には、何処か後ろめたい光が宿っていた。
『いや、何でもないわ。そうね、それが嫌なら一人の時は被ってなさい』
フードを被った背の低い少女が、鈴が付いた小さな枝を手に持っている。そこから鈴が小さく鳴るのに合わせて、ラピスの声が聞こえていた。
「『そんなことあり得ないけどナンパ男に取られるのが嫌だから行動の意図を教えない』。はぁー、いじらしいのう」
「説明ありがとう。で、俺達は何してるんだ?」
「ああん? 目標への追跡及び傍受技術の向上を目的とした実践演習じゃろが」
「要はただの覗きだろ。あまり趣味が良いとは言えないな」
ユウは、そう言って溜息をついた。
並んで道を歩くアインとラピスの後方約10メートル。狐耳を隠すフードを被ったツバキとその腰に提げられたユウは宿から今に至るまで追跡を行っていた。
目的は、アインとラピスのデートを見届けるため。そう言って彼女はユウの言葉も聞かず連れ出し、現在に至る。
「じゃが、宿に一人で居ても暇じゃったろ。そこを連れ出してやった我に感謝するべきでは?」
「そこは感謝するけどさ、まさかストーキングの片棒を担がされるとは思わなかった。というか、この距離で大丈夫なのか?」
ユウが心配するのも無理はない。アインらと自分たちの距離は僅か10メートル。その間に隠れられるような遮蔽物は無く、ツバキの服装も外套の色を変えた以外は変わらない。振り向かれればすぐにでも気がつかれるだろう。
普通であればな。ツバキは得意気に言う。
「御主、左を見てみい」
「ああ? なんだ急に」
ユウは言われたとおりに左に視線を向ける。水路と歩道を区切る背の低い塀、その奥に水路が左右に広がり、さらに向こう側には道を進む人達が見えた。
「向いたぞ。それでどうした」
「そこの塀が欠けたことに気がついたか?」
「んっ? ……ああ、確かに。手前の塀が少し欠けてるな」
言われるまで気がつかなかったが、塀を構成するブロックの一部が欠け落ちていた。しかし、それがどうしたというのか。
「そういうことじゃよ。御主は欠けた塀も見ていたはずじゃ。しかし、そのことには気がつかなかった。それは、意識していなかったからじゃ」
「意識?」
「道端に転がる小石を見ても誰も気に留めず、記憶にも残らない。それは見えなかったことと同じ。そういう術を使っておる。だからバレる心配など無用じゃよ」
意識させない、存在感を薄くするということだろうか。そう言えば、先程から声を抑えず会話しているが、誰も視線を向けたり振り返ることも無かった。
すごいじゃろ、と胸を張るツバキ。しかし、そうだとすると疑問も浮かぶ。
「だったら、耳や尻尾を隠す必要も無いんじゃないか?」
「そうだったらいいんじゃがな。意識されない、というだけで意識されてしまえば意味をなさないのじゃよ。さっきは見えなかった欠けた塀も、今ははっきりと見えてるじゃろ」
「なるほど」
だから、より意識を避けるために違う色の外套を纏っているのか。『ツバキと同じ外套を纏っている』と意識されてしまえば、そこから芋づる式に情報が繋がってしまうから。
「じゃから安心して追いかけるぞ。この通り、声を拾う術も心得ている故心配は無用じゃ」
そう言うツバキの手には何も無いよう見えたが、よく見ると薄く透明な輪郭が見える。縦に羽根を畳んだそれは、小さな蝶だった。蝶は音もなく羽ばたき、アインらの元へ飛んでいく。
すると、ツバキが手にした枝先の鈴が鳴り、
『何処か行きたいところはある?』
『んー……まずは、食事がしたいです。ちょうどお昼時ですし』
『食べてすぐ寝たのによく食べれるわね……まあ、いいわ。川魚を使った料理が美味しいらしいわよ』
『いいですね、魚。大好きです』
『あんたは大体のものは好きでしょうに』
前方を歩くアイン達の会話が聞こえてくる。
「フクス秘伝の術を使えばこの通り。どんな会話であろうと聴き逃しはせんよ」
「伝えた奴もこんなことに使われるとは思っていなかっただろうな」
「何を言うか。こんな術がこれ以外の役に立つとでも思うてか」
「誇って言うなよ……」
そんなユウの言葉を聞き流し、ツバキは実に面白そうにアイン達を尾行していく。子どもが探偵ごっこをするような感覚なのだろう。実際にはアインよりも歳上なのだが、目に宿る光は子どもが持つ純粋な好奇心だ。
そして、その光を持つものは容易に止まらない。在りし日のユウがそうだったように。
「尾けるならバレずに、余計なことはするなよ」
だから、ユウはそれ以上尾行の是非については言及しなかった。言った所でどうせ聞き入れないだろうし、一人で行かせて要らぬちょっかいを出すようなことがあっては二人に悪い。それなら監視役として付いていた方がいい。
それに、本音を言うなら興味はあった。自分がいないアインはどんな風なのかということは、常々気になっていた。これまでどのように旅をしていたのかという一端が見られるかもしれないという期待は否定できない。
ツバキは、心得たと笑って続ける。
「うむ、もしバレた時は一緒に怒られてくれ。なに、ユウが相手ならアインもそう怒るまいよ」
「だといいんだけどな」
怒ったアインがどうするかはユウもよく知っている。流石に魔術を撃ち込んだりはしないだろうが、しばらく口を聞いて貰えないくらいはあり得る。
それは、困る。とても困る。唯一と言っていい人らしい娯楽をアインと楽しめなくなるのは嫌だ。
「さて、どうなるかのう」
脳天気に歩み続けるツバキ。
今はアインではなくツバキがちゃんと進めるように支えてやらねば。
若干の後ろめたさを感じつつ、ユウは決意を新たにするのであった。
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