第一章 ルームメイト
生まれて初めて恋に落ちた相手と会えなくなって、一週間が過ぎた。
母が死んでからは、九か月経った。会ったことのない父親以外に身寄りがなくなり、寄宿学校に入学して、シェイラは今、一人で寮の部屋にいる。
「寄宿学校はなかなか厳しいところだけど、友達ができると楽しいですよ」
セントルイザ女学院に入学が決まったシェイラに、家庭教師のナイトリー先生はそう言って励ましてくれた。
ルームメイトは友達の第一候補だった。新学期が始まる前日に、その出会いは訪れた。
唐突に部屋に入ってきた少女は、上品な白いレース張りのボンネットと、光沢のあるベージュの春用コートを着ていた。その立ち姿は美しく、一見して良家の令嬢だと分かる。
彼女は無表情に視線を動かし、シェイラを頭から足先まで見終えると、急に口角を上げて微笑んだ。
「あなたが新しいルームメイトね。わたしはブラッドフォード、エリザベス・ブラッドフォードよ」
エリザベスが手袋をした右手を差し出したので、シェイラは慌てて近づき、握手をした。
「シェイラ・フォースターです。どうぞよろしく」
二人の背後では、寮付きのメイドがエリザベスのスーツケースを部屋に運び込んでいた。
「さて、と」
エリザベスはボンネットを取り、コートを脱いで、その二つをシェイラに渡した。シェイラが受け取ると、腕にかけたコートの上に、さらに手袋が乗せられた。
「あら、ベッドメイクがまだなのね。早くしてちょうだい。荷解きは後でいいから」
エリザベスはそう命じて、ビロード張りの肘掛椅子に身を沈めた。シェイラは部屋の扉の方を確認した。メイドはもういない。
「あ、あの……ベッドメイクって、わたしがするのですか?」
「あなたの他に誰かいるの?」
肘掛椅子からシェイラを見上げる眼は深い青色だった。黒く長いまつ毛と、整えられた黒い眉が、白い肌にはっきりと映えている。女性らしくややふっくらした輪郭と、肉厚な唇が大人のように色っぽい。
「ええと……、寮のメイドさん……とか?」
「あなた、途中編入生なのよね? 知らないようだから教えてあげるわ」
エリザベスは指を上下させて、床に座るようにと合図した。シェイラは指示通り跪きそうになるのを思いとどまり、別の肘掛椅子を持ってきて腰を下ろした。
「教えて下さるかしら?」
エリザベスはふんと鼻を鳴らした。
「我が学院には三つの寮があるの。ここはプラム寮で、隣の棟はバンブー寮。庭の向こうがパイン寮。パイン寮は全室高級仕様で、部屋ごとにメイドがいる。貴族の中でも豊かな人たちが住むところよ。バンブー寮は一人部屋でメイドは三部屋に一人。一般的な上流階級の部屋よ。そして、プラム寮は二人部屋で、部屋付きのメイドはいない。寮のメイドはいるけど部屋の中のことはしないの。ここは貧乏貴族か中産階級か、あなたみたいな私生児が住むところなのよ」
「まあ、ずいぶん分かりやすいのね」
シェイラが平然と言うと、エリザベスは面食らったように瞬きをした。
「そうよ、分かりやすいのよ!」
エリザベスは咳払いを一つして続けた。
「そしてね、ここからが大事なのだけど、ブラッドフォード准男爵の娘である私がプラム寮にいる理由は、お父様の教育方針なの。お父様はね、若者は苦労をするべきとお考えなの。お父様も学生時代はお祖父様の教育方針で二人部屋だったそうよ。けれどそこで苦労したことが、後々役に立ったのですって。だからブラッドフォード家の人間は、あえて二人部屋に住まなきゃならないの」
「そうなのね。それで、ベッドメイクをなぜ私が?」
エリザベスは眉根を寄せ、訝しむような目つきでシェイラを見た。
「あなた、何歳? 何学年?」
「わたしは十四歳、第二学年です」
「わたしは十五歳の第四学年よ。上級生の世話は同室の下級生がするのが普通じゃなくて?」
「そういうものなのですか? ……寄宿学校が初めてだから、よく分からなくて」
「そういうものなのよ!」
エリザベスは腕を組んで背筋を伸ばし、シェイラを見下ろす姿勢になった。
「……分かりました。ベッドメイクをして、その後で荷解きですね?」
「まあ、初めはしょうがないわ。これからわたしが色々と教えてあげる。わたしはね、新しいルームメイトがあなたみたいなキレイな子で良かったと思っているのよ。前の子はひどかったから。サリーって子なんだけど、ひどい不器量でね。でも、ブスはまだ許せるの。我慢がならないのはブスな上に下品だってこと。足を閉じて座ることも出来ないような子なの。あなたは、それぐらいの教育は受けているようね」
シェイラは思わず膝を揃えた。エリザベスは続けた。
「サリーは弁護士の父親に泣き付いて、バンブー寮に移ったみたい。清々したわ。次の子は私生児だって言うから心配したけど、見苦しい子じゃなくて良かったわ。それどころか、あなた本当にキレイだわ。そうそう、私生児だってことは気にしなくて大丈夫よ。この寮にはそういうのが何人もいるから」
「そうですか……。じゃあ、ベッドメイクしますね」
シェイラは陰鬱な気分でエリザベスのベッドにシーツを張り、スーツケースを開けて衣類や雑貨、本などを、適当に家具に仕舞い込んだ。その間、エリザベスは熱心に勉強していて、勉強机から振り返りもしない。赤の他人が荷物を引っ掻き回しているのに、よく平気でいられるものだ。上流階級の令嬢とはそういうものなのだろうかと、シェイラは妙なところで感心してしまう。
最後にスーツケースを部屋の隅に並べて、シェイラは「終わりましたよ」と声をかけた。
「はい、ご苦労様」
エリザベスは勉強しながらそう言うだけで、見もしない。
シェイラも勉強しようとしたけれど、集中できなかった。ルームメイトがこんな人では、友達になどなれそうにないではないか。
シェイラはベッドに横になり、心の中で念じた。
ナイトリー先生!
今日は少しガッカリしたけど、これぐらいのことは、シェイラは平気ですよ!
母と二人、下町に暮らしていた時は、生活の為に一日中働いた。それと比べれば、上級生の世話をするぐらい、なんのことはない。
寄宿学校には規則がある。門限も食事の時間も決まっている。けれど、調理も洗濯も誰かがしてくれて、勉強を教えてもらえて、自習する時間があり、必ず一日三食を食べられる。天国のようなところだ。
女手一つで育ててくれた母親が病気で亡くなった時、父親が我が王国の現国王であるルパート・ジョセフ・チェスター陛下であることを知った。シェイラは初め、母親の職場関係の知り合いだった魔術師の世話を受けていたが、その後、国王の侍従長であるライアン卿に引き取られた。
ライアン卿はシェイラにお世話係の侍女と、寄宿学校に入るまでの準備として、家庭教師をつけてくれた。貧しさゆえに学校に通えず、読み書きすら十分でなかったシェイラに、家庭教師のナイトリー先生は一から勉強を教えてくれた。
ナイトリー先生は、元は奴隷という身分でありながら、苦学して正神官になった人物だ。とても賢いけれど貧乏で、薄給な上に借金まで抱えていると話していた。
彼は優しく、いつもシェイラのことを大切にしてくれた。シェイラはいつしか彼のことを愛するようになっていた。彼もまた、シェイラのことを愛してくれた。
しかし、二人の関係が進展する前に、彼は離れて行った。ナイトリー先生は、シェイラが身分も財産もある上流階級の男性と結ばれることを望んでいた。そのためには、奴隷上がりの貧しい神官と付き合って、悪い噂が立つようなことがあってはならないのだ。
「あなたのことを愛しているから、もう二度と会いません」
そう言われて別れたのが、一週間前のこと。
今は彼の居場所すら分からない。けれど、シェイラはいつか再会して、二人が一緒に生きることが出来ると信じていた。そう信じることが、今のシェイラの心の支えでもあった。
シェイラは毎日、神様にでも祈るように、ナイトリー先生に祈っていた。
わたしはいつか、あなたの元に帰ります。
どうかそれまで、わたしのことを忘れないでいてください!
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