第8話束の間の勝利

「申し上げます!敵は力攻めにて寄せてきています!くれぐれも弾薬を浪費しない様にとの監物殿の御達しです!」

「承知した。御苦労!」

「御免!」

吉信の伝令が去っていく。氏宗勢36人と民百姓の鉄砲組20人の計56人は山王台を守備していた。

「力攻めか・・・早急にこの城を手に入れたい様だな・・」

(このまま戦に巻き込まれるのか・・・陸奥守様が示された前提は崩れ去った。そうである以上、俺は自分で判断しなければならない・・・どうしたらよいのだ・・・さきと春蘭を連れて逃げ出すか・・・何を考えている!クソ!戦が始まり、既に多くの兵達が命を落としているんだ!浅ましいぞ!)

氏照に諭されて以来、いざとなれば命など惜しくはないと考えていたことがまるで嘘であるかのように生への執着が日々強まってきている。だからこそ八王子城開城もすんなり受け入れることができた。しかし、和議は反故にされ戦が始まってしまう。氏照が示した想定が崩れてしまった以上、春蘭を警護せよという氏照の命を盾にして今直ぐにでもさきと春蘭を連れて八王子城を脱出してしまいたい。しかし、その一方でこの状況から逃げ出すような卑怯な真似はしたくないという思いも強い。氏宗は人知れず葛藤していた。

「何を思案しているんで?」

亭主が氏宗に話しかけた。

「思い出しますな・・・30年前、小田原の御城に籠城した時のこと・・・若い兵達は皆思い悩んでいました・・・家族のこと、思いを寄せる女子のこと・・・女子への思いを秘めたまま死んでいった者も大勢いましたな・・・わしは思うのですよ・・・若い者は生きていることこそ、一番大事なのだと・・・」

「・・・」

「将監様、死に急ぐことはありません。監物様も申していましたな・・・生き永らえて末永く御本城様に忠義を尽くせと・・・ははは、年寄の戯言じゃ。失礼を・・・」

「亭主・・・」


山王台の陣地で氏宗が葛藤している頃、山腹曲輪では家重率いる守備隊が前田勢と真田勢の猛攻を受けていた。ここでも敵勢は城方の強力な火力によりなかなか前進できずにいたが、犠牲を厭わない力攻めにより死傷者が続出した城方の防御は次第に手薄になる。その虚を突いた前田勢の突撃により、ついに防御線に穴が開いてしまった。家重はその穴を埋めるべく奮戦し、その甲斐あって防御線が回復するかに見えた正にその時、流れ弾に当たり倒れた。指揮官である家重が倒れたことにより、死傷者が続出し人数が既に激減していた守備隊は混乱してしまい、山腹曲輪は瞬く間に占領されてしまった。


「申し上げます!山腹曲輪陥落!金子三郎右衛門殿討死!」

「伝令!柵門台を死守せよと信濃守殿に伝えよ!山腹曲輪の負傷者は速やかに中の曲輪に収容せよ!」

「はっ!」

「三郎右衛門殿・・・」

吉信は思わず喚く。綱秀に続き家重も討死にした。家重は事務処理を苦手としていたものの、戦となれば一騎当千の働きをする武辺者で吉信の友人でもある。本来なら避けることができた戦で2人の友人を短時間で失った吉信はどうしようもない憤りを感じていた。


「申し上げます!敵が柵門台を抜き高丸に取り付きました!」

「伝令、中の曲輪にいる負傷者と女子供を至急小宮曲輪、松木曲輪、西曲輪に移動させるよう勘解由殿に伝えよ!

「御意!」

「伝令、高丸を援護するよう主膳殿に伝えよ!」

「御意!」

吉信は矢継ぎ早に指示を出す。しかし、それが城代の役目とは言え、吉信にとってはもはや苦役でしかなかった。


吉信が懸念した中の曲輪は本来、山頂曲輪、小宮曲輪、松木曲輪からの十字砲火により敵を殲滅するためのキルサイトである。しかし、犠牲を厭わない敵の猛攻で続出した負傷者や避難してきた婦女子が中の曲輪に収容されていた。この時、負傷者と婦女子で溢れた中の曲輪はキルサイトとしての機能を失っていたのである。


「監物殿!小宮曲輪、松木曲輪、西曲輪にはこれ以上負傷者と女子供を収容できない。しかし、未だに中の曲輪には100人以上の負傷者と女子供が残っている!」

家範が本陣に駆け込み状況を報告する。

「勘解由殿、引き続き負傷者と女子供を小宮曲輪、松木曲輪、西曲輪に移動すべく尽力して下さらんか。このままでは中の曲輪で敵を迎撃することができない」

「しかし、入らんものは入らん!」

「兵糧米を中の曲輪上段に移せばよい。兵糧米は敵を撃退すれば回収できる」

「!・・・承知!」

家範は山頂曲輪から急ぎ駆け下りて行った。

「申し上げます!高丸が猛攻を受けています!信濃守殿が増援を求めています!」

暫くすると伝令が駆け込んできた。

「・・・已むを得ん・・・高丸を放棄する!速やかに撤収せよと信濃守殿に伝えよ!」

「はっ!」

「中の曲輪の負傷者と女子供は!確認せよ!」

「負傷者が30人程残るのみ!程なく収容が完了します!」

「山王台を放棄し山頂曲輪まで撤収せよと将監殿に伝えよ!併せて、本陣に来るように将監殿に伝えよ!」

「はっ!」

「よし・・・全力で敵を迎え撃つ!」


「申し上げます!山頂曲輪まで撤収せよとの監物殿の御下命です!なお、将監殿は本陣に御越し下さい!」

「承知した!他の曲輪の状況は!」

「山腹曲輪、柵門台が既に敵の手に落ちています!高丸は撤収中です!」

(全兵力で敵を迎撃するつもりか・・・)

「御苦労!皆の衆!撤収にかかれ!」


「おお、将監殿。これで全員だな・・・これより中の曲輪に敵を入れる。我が勢の内、戦闘可能な者は残り700人余。しかし、弾薬はまだ15万発以上残っている。有効に敵を迎撃すれば勝機を掴むことは十分可能だ。各々方、心して掛かれよ!」

「おう!」

本陣に諸将を招集した吉信は檄を飛ばす。吉信達は既に搦手口から敵が侵入していることを知らない。敵が搦手口の存在を知らないという前提に立つ以上、城方は中の曲輪に敵を入れ殲滅することに専念すればよかった。計算上、15万発の弾薬があれば敵を壊滅させ撤退を余儀なくさせることも可能である。吉信達は勝利を感じていた。


暫くすると、氏宗の陣にも敵兵の喚声が聞こえてくる。

(ついにここまで敵が来たか・・・戦うしかあるまい・・・他のことは忘れよう・・・)

ふと氏宗の脳裏に微笑んでいる春蘭の姿が浮かび上がった。

(ははは・・・この期に及んで春蘭の姿が浮かぶとは・・・何を考えている!敵が迫っているんだ!)

「射撃用意!弾薬を浪費しないように心掛けよ!十分引き付けてから狙撃しろ!竹束は束と束の境目を狙え!」

敵兵が姿を現し、中の曲輪に侵入してくる。

(・・・しかし・・・敵とは言え、あの者共にも家族がいる。思いを寄せる女子もいるだろう・・・俺は、俺と同じ思いを持つ者共を殺せるのか・・・)

「殿!御下命を!」

(・・・殺せない・・・殺したくない・・・)

「殿!敵が迫っています!これ以上敵を近付けると危険です!」

「殿!」

(・・・撃たなければ亭主達が殺される・・・しかし・・・)

「殿!もう限界です!御下命を!」

「・・・撃て・・・撃て!」

氏宗は葛藤しつつも攻撃開始を指示した。戦闘の火蓋が切られ、鉄砲が轟音と共に火を放つ。大手口から中の曲輪までは険しい山道であることから敵は十分な竹束を運搬できずにいた。しかも、かろうじて持ち上げた竹束もこれまでの戦闘で多くが損壊しており、敵兵は鉄砲に対する防御が無いに等しい状態であった。城方の鉄砲が火を噴く度に数多の敵兵が倒れていく。それでも敵は犠牲に関わりなく何かに憑かれたかように絶え間なく中の曲輪に侵入してくる。


「密集している場所に鉛球を放て!」

各曲輪から幾つもの鉛球が放たれた。防御も逃げ出すこともできない敵兵は轟音と共になす術もなく倒れていく。


(もう来るな!諦めて撤退してくれ!)

氏宗が内心叫ぶ。新型鉄砲と改良された早合の威力は予想以上に凄まじく、短時間のうちに多くの敵兵を屠っていた。自ら手掛けた新型鉄砲と早合が破滅的な威力を発揮することを氏宗は望んでいたはずであった。しかし、今の氏宗には目的を達成した歓喜はない。敵兵を効果的に殺傷する兵器を開発し、実際に使い容赦なく敵兵を殺戮している自分に対する呵責があるだけである。


この時点で少なくとも500人以上の敵兵を倒しているにも関わらず攻勢が衰えないどころか時間と共に圧力が増している。今日中に八王子城を占領するためには犠牲を厭わないという敵の意思が明らかに見て取れる。


「うっ!」

誰かが被弾した。氏宗にはそれが亭主であることが直ぐにわかった。氏宗は亭主に急ぎ駆け寄る。

「亭主!」

氏宗は亭主を介抱するが、亭主が受けた傷は深く助かる見込みはない。

「・・・将監様・・・さきを・・・よろしく・・・」

「何を言う!しっかりしろ!」

「・・・さきは・・・将監様を・・・お慕いしています・・・さきを・・・さきを・・・」

「亭主!亭主!」

「・・・将監・・・様・・・生きて・・・下・・・さ・・・れ・・・」

亭主はこと切れた。氏宗は亭主を静かに寝かせ両手を合わせる。

(亭主・・・さきのことは心配無用だ。安らかに成仏してくれ・・・これまで、ありがとう・・・)


何の芸もない力攻めを敵が継続した結果、中の曲輪は死体と負傷者で足の踏み場も無い状況になった。さすがに敵の攻勢は止む。しかし、暫しの時を置いた後、敵はこれまで以上の猛攻を仕掛けてきた。


(まだ来るのか・・・いい加減にしろ!)

氏宗の思いとは裏腹に敵の攻撃は止まない。城方の鉄砲700丁による十字砲火の威力は凄まじく、第1波と同様に敵は各曲輪に取り付くこともできずただ倒れていった。


「申し上げます!三輪弥七郎殿、討死!」

「申し上げます!津田刑部殿、討死!」

「申し上げます!青木善四郎殿、討死!」

柵門台で陣頭指揮を執っていた利長の元に次々と直臣戦死の報が入ってくる。

「何ということだ・・・御味方のこれまでの損害は!」

「中の曲輪に突入した御味方1000の内、半数しか戻ってきていません!辛うじて戻ってきた者もほとんどが深手を負っています!」

「何だと!越後宰相殿は!」

「未だ連絡が取れません!」

「・・・已むを得ん・・・越後宰相殿と連絡できるまで戦闘中止!一先ず兵を引け!」

「御意!」


死体の山を築いただけの攻勢は再び止み、敵兵が後退していく。その時、小宮曲輪の一角から城方の雄叫びが聞こえてきた。

「勝ったぞ!勝ったぞ!勝ったぞ!」

それに呼応するように、各曲輪からも雄叫びが始まる。

「勝ったぞ!勝ったぞ!勝ったぞ!」

「勝ったぞ!勝ったぞ!勝ったぞ!」

その雄叫びは八王子城を覆っていた。


「申し上げます!上杉勢先鋒と連絡が取れました!本隊も程なく小宮曲輪直下に到達する模様!」

「よし!戦闘を再開する!全力で攻めよ!」

利長が大声で号令した

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