第3章 碧の焔石-2-


  ◇


 翌日。2人は市に足を運んだ。

 食料の調達と旅に必要な消耗品などを揃えつつ。

「ほぅ、これは中々」

「旦那、それは掘り出し物だよ。ここいらじゃ手に入らない一品だ」

「ナメシの皮か……リコ青銅も使ってんのか」

「お目が高い」

 道に並ぶ出店を一軒一軒見て行く。

 特にカーキッドは丹念に、並べられた品を見て行っていた。

「こういう市の時には、通常ないような珍しいもんも出る。特に遠方からこの時に便乗してやってくる行商人の店は狙いだな。たまに、とんでもない掘り出し物があるのさ」

 キラキラと目を輝かせるカーキッドの姿に、オヴェリアは彼の意外な一面を見た気がした。

「お前の装備も整えないと」

「私はあの白の鎧があれば」

「確かにあれは材質がいい。女の装備には上等だ。しかしそれだけでは今後心もとない。それに目立ちすぎる。もう少し考えないと」

 特に顔だ、とカーキッドは鼻を鳴らした。オヴェリアは心外な心持であった。

 今日は鎧は置いてきた。服の下に鎖帷子(くさりかたびら)は付けているものの、一見では普通の町人と変わらぬ質素な形(なり)をしていた。

 カーキッドもそれは同じ。黒の上着にズボン。こちらも軽装である。

 しかし剣は肌身離さなかった。それはオヴェリアも同じ。

 宿に預けてこようかと思ったが、彼女の剣は特殊である。渡しても受け取れる者がいなくては話にならない。かと言って部屋に転がしておくには取れないと言っても無用心だ。

「誰も持てねぇってのはいいな。盗まれる心配がない」

「そうかしら?」

「ああ。俺なんか、もしこいつが盗まれたらと思ったらゾッとするね」

 そう言って黒の剣を掲げて見せた。

 確かに昨晩も彼はとても大事そうに剣を抱きかかえて眠っていた。それを口にしようとし……オヴェリアは咄嗟、ハッと口をつぐんだ。それを言ったら、夜中に彼を見ていた事がバレてしまう。

(別に他意があって見ていたわけじゃないけれど)

 夜中に目が覚めここが部屋だと気づいたら、自然とカーキッドを探して見ていた。戸口で眠る彼をぼんやりと。同じ部屋に男がいる事が何とも不思議で。

 こんな日が来るなどと、思ってもみなかった。王宮でドレスと輝かしい物しかなかった毎日から。一転、男と2人で旅をするなど。

「……お、ちょっとあのテント見に行くぞ」

 人生わからぬ。一歩先は見えぬ。

 人ごみの中、むしろ現実味がないほどの現実の中で、オヴェリアは少し深めに瞬きを繰り返した。




 そんなこんなで、どれくらい店を回ったのだろう。

 出店は多く市は広かった。しかしオヴェリアはまったく飽きなかった。

 色々な人がいるものだ。顔も、形も、表情も。子供から老人まで幅広い。

 また、声も様々。大きな声から鈴のような声まで。

 多種多様。笑い方も1人1人違う。その表情を追っているだけでも、楽しくて仕方がなかった。

 その間にもカーキッドは店で1品1品手に取り、店主と話をし、笑ったり怒ったりを繰り返していた。その顔も面白かった。

 市とは面白い、物を買うとは面白い。

 ましてこんなに多くの人が集う場所。最初は興味津々見ていたオヴェリアだったが、段々とその動きに翻弄されるようになり。

 ……少し、目まぐるしくて。

「どうした?」

「いえ、」

「人に酔ったか?」

「……?」

 人に酔う? 何と答えたらいいものかわからず、オヴェリアはただ弱々しく笑って見せた。

 カーキッドは舌を打ち、「そこらに座っとけ」。

「面倒くせぇ奴だな」

 多く語らぬうちにカーキッドは人の中へと消えて行き、取り残されたオヴェリアは道の隅に腰を下ろした。

 石肌が冷たい。人の声は静まらず、思い思いの感情が音となり行きかっていた。それを目を閉じ聞いていると、「大丈夫かい?」と声を掛けられた。

 見れば、彼女が座っていた所の横にあったテントにいた老人だった。彼は目がかぶさるほどの眉の下から小さな瞳を覗かせ、彼女を心配そうに見つめていた。

「あ、はい」

 オヴェリアは少し戸惑い、そう答えた。

 この旅、1人になったのは今が初めて。ましてカーキッドがいない所で誰かと話すのも初めてだった。

「気分が悪くなったのかね? 何か飲むかい?」

「あ、いえ……大丈夫です」

 笑って見せると、老人は「そうかい」とほっほと笑った。

「おや? あんた剣を持っているのか」

 老人は彼女が携えた剣に目を留め、身を乗り出してきた。

「ほう、変わった細工だ」

 この剣は城の者ですら限られた人間しか見た事がない。しかしあからさまに目立つ白い薔薇の彫刻に。老人は目を見開いた。

「白い薔薇……?」

 オヴェリアは慌てた。白薔薇の剣、そしてその騎士である事。今ここで知れるのがいい事だと思えなかったのだ。

 丁度その時カーキッドが戻ってきた。

「おう、すまねぇ。俺の連れだ」

「……おやおや」

「店先ですまねぇな」

 笑いながら、自然に2人の間に滑り込んだ。オヴェリアは安堵する。

「ほれ、水だ。飲め」

「……りがとう」

「あなた方は旅の人かね?」

 水瓶みずびんだ。オヴェリアはそっと口付ける。色々な意味で、ほっとする心持であった。

「ああ。ちょいと野暮用で、北を目指している。あんたはこの町の商人かい?」

「いいや、東から来た。マルフ・フォンテッドからだ」

「そりゃ随分遠出してきたな」

 カーキッドは老人の目をオヴェリアから避けさせるように、彼の店先へと移動した。

「どれ、何を置いてる? ちょっと見せてくれ」

「何か探し物でもあるのか?」

「いいや。とりあえずここに立ち寄ったのは偶然だからな。掘り出し物でもあれば」

 2人が離れ安心した様子で水を飲むオヴェリアにカーキッドは一瞥だけくれ、商品に視線を戻した。

「へぇ……ルビーか」

「この辺りでは珍しかろう」

「ああ。こういう造りの剣はないな。ルビーを埋め込んでるなんぞ、中々洒落(しゃれ)てる」

 切れ味はそれほどではなさそうだ。長さも短すぎる。刃先の厚みも反りもカーキッドの好みではなかった。

 ルビーの他に剣が4、5本。どれも実用品と言うよりは装飾品に近い。防具も同じ。真鍮の置物と髪飾り、細工の凝った壷も置かれていた。珍しい造りと材質ではあったが、今ここで買うような物でもないなと。カーキッドは適当にその場を離れようとしたが。

 目の端をかすめたそれに、彼は思わず息を漏らした。

 それは商品の端にあった。赤や黄、緑といった宝石の首飾りがゴロゴロと無造作に並べられた中に、1つだけ青い宝石があった。

 青……少し緑がかっている、言うなれば碧(あお)。手に取り光にかざすと、ほんのりと黄色い光が中に揺れている。

「変わった石だろう?」

 すかさず言っ承認には答えず、カーキッドはさらに石を見た。回復したオヴェリアがやってくると彼女にも見せた。

「それ、先日たまたま手に入れた代物でね」

「サファイア……でもねぇな」

「材質はわからん。細工を施そうにも固くて固くて」

「へぇ」

「まじないの代物だという話だが、さてはて、効力はいかがなものか」

 カーキッドはもう一度興味深そうにその光を見ていた。

「どうだい? 500リグ」

「高いな」

「……じゃあ450でどうだ?」

 ――結局その場は、カーキッドは笑ってその石を返した。

「魔術師に連れはいないんでね」

 それからその場を離れ、結局市では自分用に皮の手袋、そしてオヴェリアにマントを買った。

「首元がしっかりしてるから、ちったぁ顔も隠れるだろ」

 色は茶。裾に少し刺繍がしてある。地味だが嬉しかった。

「ありがとう」

 笑って例を言うと、

「さっさと着ろ。顔隠せ」

「……」

 オヴェリアは少し、頬を膨らませた。




 朝から市を眺め、結局夕刻まで2人は町をぶらついた。

 市には城で食べられないような珍しい食べ物もあった。芋を串刺しにして揚げただけの物だったが、実においしかった。

「うまいか」

「……」

「そうか」

 もしゃもしゃと食べるお姫様の姿に、カーキッドは笑いをこらえるので必死だった

「城の料理には比べられんだろうが。……そうだな、旅に出て今まで食った中で一番うまいと思った物はなんだ?」

 何となく気まぐれに、カーキッドはそう聞いたのだが。

 オヴェリアは少し考え、そして。

「……スープ」

「? 昨日食堂で食ったやつか?」

「そうではなく……きのこと薬草のスープ」

 それは。カーキッドは少し目を見開いた。

「野宿の時に食ったやつか」

「ええ」

「……あんなもん、そこらに生えてたのを積んだだけだぞ?」

 そうなのだが。味と呼べるような物でもなかったのだが、なぜかオヴェリアの心に残ったのだ。

 温もりと言い換えてもいい。

「……物好きだな」

 言いつつも、カーキッドは少し照れくさそうに目を伏せた。

 ――夕刻。並ぶ店舗がそろそろ店じまいを始めている。叩き売りを始めた所もあった。

 それを遠目に見、2人は町を流れる川にかかる橋の上で、ぼんやりと頬杖をついていた。

 水の匂いを運ぶ風は、草原のそれとは違う。場所によって吹く風も変わるのだと、オヴェリアは初めて知った。

 夕焼けがにじむように空を染めていく。

「明日の朝出立するぞ」

 見上げたカーキッドの横顔も、夕に染まっていた。

 夕焼けすらも、見る場所によって違い、景色によって変わり。

 そしてもう一つ。誰と見るか、それによって違うという事も。まだオヴェリアが思うよしはなかったが。 

「今夜はゆっくり休め。また明日から北進だ。遅れても待たんぞ」

 彼の物言いにもすっかり慣れた。

「はい」

 強い瞳で答える様子に、カーキッドは「上等」と。こちらも満足げに笑うのだった。


  ◇


「今夜は飲みすぎるなよ。昨日みたいなのは御免だぞ?」

「昨日? 私、何かしましたか?」

「……だから、お前、宿に着いた時にはぶっ倒れて」

 言いながら。カーキッドはふと足を止めた。

 宿へ戻り荷物を置いて、昨日の食堂にくり出そうとしていたのだが。

「ちょっと戻っていいか?」

「え?」

 カーキッドは、店終いが進む市を振り返り、頭を掻いた。

「……やっぱり、少し気になる」

「?」

「さっきの石だ」

 一瞬オヴェリアは、彼が何の事を言っているのかわからなかった。

「……ああ、あのサファイアのような?」

「ああ」

「まじないの道具は要らないと、」

「そうは言ったが」

 何となく、どうにも気になる。

「……理屈じゃねぇよ。先に行っててくれ」

 だがオヴェリアがそれに応じるわけがない。しっかりとその後ろについて行った。カーキッドもそれを無理に咎めはしなかった。

「ああ、あそこだ」

 遠目にその店を見とめた彼らが、次に見たのは。

「――ッ!?」

 集団がその店に押し入り。

「何だお前らはッ!!」

 老人の声が木霊した。カーキッドはもう走り出していた。

 6人の黒い男達。その姿は、鎧を身にまとい腰に剣を携える戦士。

 オヴェリアは、彼女も走りながら「あっ」と声を上げた。あの男達は昨晩食堂で見た、カーキッドが見るなと言った一団だ。

「おい、お前ら何してやがる!!」

 カーキッドの声に反応し、男たちは店から駆け去る。店主はその場にへたり込んだが、オヴェリアとカーキッドを見るなり一声を上げた。

「ぬ、盗まれた!! 石! あの石っ」

 あの碧の石か。思うなりカーキッドは再び走り出した。

「カーキッド!!」

「石が盗まれたぞ!!」

 理屈じゃねぇ。だが。

(あの石はやっぱり、)

 何かある。

 ――全力疾走。

 逃げ行く戦士達の背中をカーキッドが捕らえたのは、それから僅か数刻の事であった。


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