第1章 サンクトゥマリアの子守歌-2-


  ◇


 傭兵隊の兵舎は城下の一番端にある。

 騎士のそれが城門の内側にある事を思えば、明らかに差別を伺える待遇である。

 だが当の本人たちは気楽なものであった。街に近ければそれだけ、隊務の後酒にありつけるのも早くなる。

 それにやはり、よそ者だという意識は、国の誰よりも彼ら自身の方が強く持っていた。

 ――傭兵は騎士とは違う。腕のみで雇われた、臨時の戦闘員である。

 生涯国と王に命を捧げる騎士とは違い、彼らが剣を捧げるのはただ己のためである。

 給金で仕え、雇われているから剣を振るう。愛国精神など知った事じゃない。ただ興味があるのは己の腕のみ。

 そこにいるのは、国を流れた者、国を失った者、騎士になり損ねた者、己の信念でこのみちを選んだ者、腕を試したい者……様々だ。

 だから、気に入らなければ去って行く。剣を振るう場所を求め、戦場を転戦する。戦がなければ剣は振るえぬ。振るえなければ金は入らぬ。

 その点、この国は特異だ。

 平和なのだ。

 傭兵隊長カーキッド、彼がこの国にきて1年。戦争と呼べるような事はなかった。あっても盗賊・山賊討伐。それでも給料はきちんと定期的に支払われている。

 それが評を得て、この国の傭兵隊には長居する者が多い。だが正直言って、カーキッドはそれがぬるいと思っていた。

 平和はいい、愛すべき事だ。だが。

(ここは俺の性分じゃない)

 出よう。次の戦場を求めて。

 傭兵隊長、そんな役職までもらったけれども。

 ――そう思っていた矢先に、今回の試合の事を知った。

 当然出場した。戦いと聞いて、胸が躍らぬわけがない。

 ――優勝者には白薔薇の称号を与える。

 突拍子もない話に、カーキッドは久しぶりに胸が躍った。

 1番になった奴に王位を譲るだ? 面白ぇ。

 もし自分のような者が優勝したとしても、本当にそんな事が起こるのか? この国の血など一切混ざらぬこの俺でも、王に据えると言うんかい?

 優勝してみたい。それでどうなるのか見てみたい。

 それでもしこの国の民じゃないからとか、騎士じゃないからとかケチを付けて、存外、亡き者にしようとしてくるのならば、全身全霊でもって立ち向かう覚悟もしていた。それはそれで楽しみだった。

 自分が優勝する、それ以外に彼は思っていなかったから。

(ハーランドの騎士共全員、ぶった斬る)

 だが実際に試合に臨み、初戦から試合を観戦する王の姿を見て。カーキッドは思い直した。

 あの王は本当にやる。もし自分が優勝したならば、本当に王位を譲る。

 嘘偽りはない。

 こちらに注がれる視線に、そんなまっすぐな気配を感じたから。

 カーキッドはゾクゾクした。

 この試合は己の運命になる。

 王になるとかそういう事よりも、そんな交差路に立った事に胸が震えた。

 ――傭兵隊の詰め所には人は多くない。外回りなど日々の業務はそれなりに多い。

 傭兵は騎士がしない仕事も引き受けている。街の治安維持は一般兵の務めであったが、傭兵隊もその一端を担っていた。

 その中で、カーキッドは空き時間を利用して鍛錬所で剣を振り続けていた。

「よぉ、試合見たぞ」

「惜しかったなぁー。もう少しで王になれたのに」

 仲間に茶化されたが、カーキッドはただ軽く唇の端を傾けただけだった。

「それにしても、本気で行かせる気かねぇ?」

「オヴェリア姫……ハーランド王のたった1人の娘だろう?」

「幾らなんでも、竜の討伐なんぞ」

 熟練の使い手でも、思いあぐねる事だというのに。

「正気の沙汰かね」

 カーキッドはそれに答えず、明後日を見た。

 鍛錬所の入り口には、誰がしたものか、白い薔薇の花が一輪活けてあった。

 先日までの薔薇大祭の名残か、はたまた新手の嫌がらせのつもりか。

「お前本気でやったのか?」

 不意に、そこにいた傭兵の1人がニヤニヤ笑いながらそう尋ねた。

「相手が女だから、手を抜いたんじゃねぇのか?」

「ハハハ、言えてる」

 少し悪意を感じるその言葉に、カーキッドは軽く笑って答えたけれども。

 本当は。

 ――その首を、ここで即刻ぶった斬りたい。そんな衝動に駆られた。深く、深く。

 だがやめた。許した。あの白い薔薇に免じて。

「二度と言うな?」

 でも消せなかった、湧き上がった殺気を。

 さすが戦場を巡る傭兵仲間はそれをしっかり感じ取り、少し怯えたように去って行った。

 人のいなくなった鍛錬所、ぼんやりと、カーキッドはその花を見つめた。

 そして……また、剣を振り始めた。

 ――大祭以前は何も感じなかったその花に。

 浮かんでくる不思議な想いを断ち切るように、剣を振り続けた。




 そんなカーキッドの元に使者がきたのはその翌日。

 登城の命令であった。

 呼び出しの主は武大臣グレン・スコール。

「わかった、行く」

 傭兵隊の直轄は第十五師団である。その総隊長の呼び出しにはいつも、何だかんだ理由を託けて行き渋る彼が、今日は珍しく即答をした。

 ――わかっていたのである。この時が来る事を。

 午前の巡察を他の者に任せ、カーキッドは城へと向かった。

 薔薇の大祭を終えたハーランドの街は、その余韻を微かに残しつつも、いつもの平穏を取り戻そうとしている。ひしめき合っていた露店はもうない。大祭中に来ていた行商の者たちも、また別の喧騒を求めて散って行ったのだろうか。

 大祭を目指して手入れされていた薔薇の花が、街の至る所で、その時と変わらぬ美しさを誇っていた。

 赤や黄色のそれに、多少視線を投げたカーキッドだったが。

「……白薔薇がねぇな」

 街と城の間には川が流れている。その跳ね橋を抜けると城門があり、そこからハーランドの城へと道は続く。

 城門は、名を告げるとすぐに通してもらえた。

「試合拝見致しました。感服いたしました」

「そらどうも」

 カーキッドの名と姿は、あの試合ですっかり有名になった。今、彼を知らぬ者は城中にはいない。歩けば必ず皆振り返る。好奇の目ならまだいいが、向けられるのはそればかりではない。

 敵意。

 姿は見えずとも常に張り付くように感じる気配。1つや2つではない……それを感じ、カーキッドは思わず笑みを漏らした。

 何と言っても彼は、近衛師団のシュリッヒを下した。騎士の尊敬と憧れの的である男を倒した。この国の騎士ならば、その事にいい感情を抱かぬ者もいるだろう。

(馬鹿馬鹿しい)

 俺を睨んだってどうともならねぇ。そこにあるのは〝結果〟だろう?

(気に入らないなら、斬りこんで来い)

 いつでも相手をしてやる。俺を倒してみろ、超えてみろ――。

 城内を歩く。その顔は飄々ひょうひょうとしていたが、剣気は消さなかった。

 いつ刃が飛んできても迎え撃てるように。

 そして内心、それを待ってもいた。

(掛かって来い)

 だが結局目的の場所に着くまで、彼に斬りかかる者はおらず。無事着いてしまった事に落胆のため息を吐いた。

「……つまんねぇ」

 ――城内鍛錬所にて待つ。

 約束の時間より少しだけ遅れて、カーキッドはその扉をくぐった。




 城内の鍛錬所はいくつかある。

 そのうちの1つ、入るとそこは少し湿ったにおいがした。

 汗のにおいよりは少し淡く、かと言って砂のにおいよりは辛い。

 屋外の鍛錬所が多い中、3つだけある屋内のそこに、彼はいた。

 武大臣グレン・スコール。

 1対1で何組か打ち合いができそうな広い空間。そこにグレンはただ1人彼を待っていた。

「来たか」

 部屋の中央に立つ彼の姿を認め、カーキッドは後ろ手に扉を閉めた。

 そして視線はグレンを捕らえたまま、ゆっくりと回り込むようにそちらに向かって歩を進めた。

「十五師団のオーバは、常から、お前の扱いには手を焼いているようだったが」

「オーバ? すまんな、そんな奴眼中にないんでね」

 腕もないのに家柄だけで地位を得たような輩だった。当然そんな者にカーキッドは興味なかった。

「誰に従うかは、自分で決める」

「そうか」

 ジリジリと、グレンを中心にして半円を描くように歩むカーキッドに対して、グレンは動かない。視線はまっすぐ虚空に向けていた。

 だが。

(こいつは、できる)

 腰に剣は持ってきた。彼の愛刀だ。長年戦場を共にした彼の唯一無二の相棒。

「わざわざこんな所に呼びつけて」

 何の用だい? そう言うより早く。

 ――カーキッドが動いた。

 一気にグレンに向かって駆ける、抜刀する。そのまま横から大きく薙いだ。

 グレンは動かない。捕らえた、一瞬そう思ったが。

 斬ったのは、くう

 寸前でグレンはヒラリとそれを避けた。

 驚くより早く、カーキッドは剣を返す。そのまま叩きつけるように半弧走らせる。

 それも避けられる――が、それを予想して、一歩右足を踏み出す。

 足を狙う。膝丈を、一気に横へ一閃させる。

 が、そこを完全に止められた。

 グレンの剣に。

 抜いたな、その事実にカーキッドはニヤリと笑った。

 そして力目いっぱい、押し切ろうと思ったが。

(これは)

 瞬間、背筋に走った悪寒に思わず後ろへ跳んだ。カーキッドがたった今までいた場所を、右下からの突き上げが掠めていった。

 完全に避けた、そう思ったが。

 頬に痛みを感じる。何か流れた。

(斬られた)

 面白ぇ。

 カーキッドの目が、らんと輝いた。愛刀を強く握り締め、グレン向かって再び走り込もうとした刹那。

「狂犬だな。そしてそなたの剣は、乱れておる」

「――、何を」

「そんな剣では、わしは倒せん」

「……抜かせッ」

「先日の試合の折の太刀筋とは幾分違うな。迷いがある」

 カーキッドはグレンを睨んだ。だがグレンはその挑発には乗らなかった。

 しばしそれを続けたが、最後にはカーキッドは諦め、息を吐いた。

「迷い、かい」

「ああ」

 ――武大臣グレン。

 さすが、噂通りの男だとカーキッドは思った。

 彼の武勇はカーキッドも聞いている。数年前に起こったハーランドと隣国との抗争、その際の彼の武 功。

 まして薔薇前試合6連覇の記録はまだ誰にも破られていない。

 〝赤薔薇〟の中の〝赤薔薇〟。この国の真の英雄。そして武の象徴。

 剣で名をはせたヴァロック王ですら、生涯倒せなかった1人の剣士。

「だがさすがだ。剣を抜く気はなかった。その腕前はまことのものだ」

 カーキッドがあの試合に出た理由の一端に、この男の事があった。

 この国で一番の剣士として知られる男。そいつと戦ってみたい、剣を交えてみたい。

 何年か前にもう御前試合からは引退したのだとも聞いていたが、今回はこれまでと得られる物が違う。 一縷いちるの望みを託し、最後まで期待した。だが結果としてやはり武大臣は出てこなかった。

 それに心底落胆し、口惜しくて仕方がなかったけれども。王と同じようにずっと試合を見続けているグレンの姿を、カーキッドは捉えていた。

 だから彼は、剣を振るい続けた。対戦相手ではなく、壇上に臨む武大臣に向けて。

「あんたと戦ってみたかった」

 言いながらカーキッドは、愛刀を鞘に収めた。それにグレンは笑って答えた。

「老兵にお前のような剣士は骨が折れる」

 よく言う。カーキッドは苦虫を噛む。

(こいつは)

 違う。一刀合わせただけ、それだけでカーキッドは決定的に知らされた。

 ――実力の差。

 この男は知っている。剣の重み。それが奪う物、その力の意味。

 命。

 そして戦いの本質。

「簡単に止めたじゃねぇか」

「それはお前の剣に迷いがあったから」

「ないね、そんなもん」

「その実をわしは知らん。己の胸に問うてみよ」

 食えない親父だ。内心毒づき、改めグレンに向き直った。

「……それで、何だ用ってのは」

 普通の騎士間の上下関係ならば敬語は原則であるが、傭兵に上下もくそもないとカーキッドは思っている。そしてグレンもまた、取り立てて彼の態度に注意はしなかった。

「そなたに頼みたい事がある」

 グレンは抜き身の剣をゆっくりと鞘に戻しながら言った。深い声だなとカーキッドは思った。

「頼み? あんたがか」

「そうだ」

 その内容、カーキッドはもう察しがついていたが、気づかぬ振りをした。

「武大臣様直々に、一介の傭兵に一体何の用が」

 ――風が吹いた。

 天窓から吹き込むのだ。今日は特に風が強かった。だから屋内のこの場所でも、地面の砂が少し舞った。

 転戦をし、その中に砂漠の記憶もあった。その時の事が一瞬カーキッドの脳裏を掠めた。

「お前の腕を見込んで頼みがある。これは……わし個人の願いだ」

 風のにおい、砂のにおい、汗のにおい。

 そして仄かに鼻腔を掠めたのは、薔薇のにおい。

 鼻についたのかもしれない、それくらいこの国は薔薇に溢れていて。

「オヴェリア様に課された使命……黒い竜討伐の任。そなたも同行して欲しい」

 こんなに花に囲まれた事は、今までの人生、カーキッドはなかったから。

 感覚がおかしい。くすぐられる。

 ……理由はだけど、わかっている。

「俺に、姫様のお供をせよと?」

「そうだ」

 答えずにいると、グレンは1度深く瞬きをし、唸るように言った。

「姫と共にかの地へ赴き、姫をお助けし、黒き竜を仕留めて欲しい」

 カーキッドは口の端を吊り上げた。

「そして、姫にもし万が一の危険が及びし時は」

 ――薔薇のにおいが。

「その身に代えても、姫をお守りせよ」

 脳を揺さぶる。

「それは、死ねって事かい?」

 グレンは答えなかった。

 カーキッドは鼻で笑った。

 しばし、沈黙が落ちる。

 だがその果てに。

「いいぜ」

 すっとした声だった。

「ただし、それに見合う奴だと思ったら」

「……」

「俺の命を引き換えにしてもいい奴だと、それに足る人物だと思えたならば」

「……でなくば?」

「斬る」

「……」

「邪魔になるなら、斬る」

 もういいかい? 言って、カーキッドは背を向けた。

「お前は何のために剣を振るう?」

 そんな彼の背中に、グレンは問いかけた。

「何ゆえ力を求める?」

 思わずカーキッドは歩を止めた。

 それは――浮かんだ言葉を、飲み込み。

 ゆっくりと振り返り、カーキッドは答えた。

「俺のためだ」

「……」

「無様に死にたくないからだ」

 そう言って口の端を歪めて見せ、彼はその部屋を出た。




 鍛錬所を出ても、薔薇のにおいは消えなかった。

 そのまま壁にもたれ、カーキッドは胸元から煙草を取り出した。

 煙草のにおいに、少し、気が紛れる。

 そのまま天井を見上げると、あかのレンガ造りが延々と続いていた。

 その色は血にしか見えない。そう思うと少し煙草が不味くなった。壁でもみ消し窓の隙間から捨てる。

 そして彼は歩き出した。

 腰元の剣が少し鳴った。

 煩わしくはない。だが少し重いなと、今日は珍しくそんな感情が淡く胸を過ぎった。


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